十四話 其の五
「あなたはこれからどうするのですか?」
突然の質問で、エアは答えに詰まった。ふと我に返り、改めてエアは今後のことを考えてみる。
確かにこのままずっとここにいる訳にはいかない。少し前にも同じことを考えていたが、答えは出なかった。それは、時間が経った今でも変わりはない。
エアの頭にゼンのことがよぎる。ゼンならば、どうするだろうか。それより、ゼンは今どこにいるのだろうか。ゼンのことばかりが頭に浮かぶ。
「あなたさえ良ければ、このままここにいてもいいのですよ」
その言葉にエアは戸惑う。その提案は魅力的だが、エアにはどうしてもその提案を受け入れる気にはなれなかった。
「ごめんなさい。
その提案は、すごく嬉しいけど、受け入れられない。
私は親を探している途中なの。
実は、私も人間に攫われたの。けども、ゼンに助けられて。そこから一緒に旅をするようになって、まだ親は見つかってないんだけど」
「あなたも……」
「うん、そうなんだ」
「どこにいたのかもわからないのですか」
「うん。
親と一緒にいた時は、私もこんな穴倉のなかにいたから、外のことは全然わかんないの。
ささいなことがきっかけで、喧嘩して、飛び出て今に至るの」
「あの人間のことは好きですか」
「ゼンのことなんて、全然好きじゃないよ。
何考えてるかわかんないし。いっつも、一人で危ないことはするわ、怪我もするわ。何日間も寝込んでいたと思ったら、急に立ち上がるわ。
ゼンと会ってから、寿命が減る勢いで驚かされてばっかり。こっちがいくら言っても、無茶を改善する気配はないし。
少しは心配する側の身にもなって欲しいよ。
まあ、優しい所もあるけれど……。それ以上に、何をしでかすかが不安で目が離せない存在だね」
「エアは、その人間のことが大好きなんですね」
ドラゴンは優しく微笑みながら問いかける。
「今の話を聴いて、どうやってそう思うの!」
「嫌いな存在のことを、そこまで嬉しそうに語ることなんてできませんよ」
エア本人は気付いてないが、ゼンのことを話し出すと、普段よりも早口になっていたようだ。それに加えて、僅かだが口角も上がっている。そのことを、目の前のドラゴンは見逃していなかったのだ。
「だから、本当に悪いとは思うけど、ここにはいられないの。
親は勿論だけど、ゼンも心配しているのきっと。
特にあのバカは、私が目を離すと何をしでかすかわからないから。側にいてあげなきゃ」
「そうですか……。
わたしと一緒に世界を巡れば、もっと早く親御さんと再開できるかもしれませんよ?」
「うん。だけど私、今のこの旅がいいの。
ゼンと一緒に世界を回りながら、自分の知らない世界を知っていくのがいいの。
今まで知らなかった場所や見たこともない風景、見ず知らずの街を訪れるのが楽しみになっているの。
まあ、どこかのバカのせいで心配事は絶えないけど」
「あなたがそう言うのであれば、私からは何も言うことはありません」
ドラゴンの顔は何処か寂しげであった。エアもそれを言葉には出さないが、察している。
急に、ドラゴンが立ち上がった。今までは大きな図体を小さく折りたたむようにしていた。エアの視線に合わせるためである。その甲斐もあって。エアと同じ目線で語り合うことができた。
「シッ。
誰かが来ます」
ドラゴンは首だけを曲げる。音のする方向へ。エアも耳を澄まし、ようやくその音を聞き分けることができた。
エアが久しぶりに聞く、懐かしい足音だ。足音は一つだけだ。規則的な音で、段々と音は大きくなっている。まだエアの目に姿は見えていない。まだその全貌は闇の中にある。徐々にだが、姿が見えてきた。
足元からその姿が見えてきた。下から徐々に全身の姿が見えてきた。エアの見慣れた衣服だ。ゼンだ、間違いない。ようやく全身がエアの目にも映った。外套は着ていない。それによく見ると、服に土汚れが付いている。
ゼンは両手に数え切れないほどの鈍器を持っていた。額には大量の汗粒が付いている。どうやってここまで来たのかも不明な上、荷物をここまでどうやって運んだのか。その疑問よりも、エアは歓喜の方が勝った。
「ゼン!」
「エア」
ゼンの方もエアを視認したようだ。
「ゼン。こっち」
「お前は……」
当然、ドラゴンも黙っている訳ではない。鋭い牙を見せ、ゼンを威圧する。
「お取込み中だったか」
両手に抱えている鈍器を手放し、ゼンは腰に差している刀に手を掛ける。
「ちょっと、ゼン!
乱暴なことしないでよ。私は大丈夫だから」
「俺はその気がなくても、向こうはそうでもなさそうなんでな」
ドラゴンは今にでもゼンに攻撃を仕掛ける態勢に移っている。敵意を隠そうともしない。そのことに気付いてないのは、エアのみである。
「何をしに来た、人間」
「小言がうるさいドラゴンを引き取りに来ただけだ」
「それを私が黙って許すとでも……」
「奪ってでも連れて行くさ。
エアがそれを望めばな」
ゼンの手は刀に触れたままだ。
「ちょ、ちょっとゼン。
何雰囲気悪くしてるの。そんなこと言ったら、私がここから出るのが嫌みたいに聞こえるじゃん」
「エア、お前はどうしたい?」
「えっ」
「お前がここに居たいっていうなら、俺は止めん。ここから出ていって、一人で旅を続ける。
お前はどうしたいんだ?
ここで過ごすか。それとも、俺と一緒に旅を続けるか」
「私は……」
ゼンとドラゴンは対峙したまま動かない。いつ、殺し合いが始まっても不思議ではない。
「私は……」
「エア、どうするのです?」
一瞬、ドラゴンの視線がエアに移った。エアとドラゴンの目が合う。ドラゴンの目はエアに対し、何かを訴えかけるような眼差しをしていた。
対して、ゼンの視線は動かない。エアがいくらゼンの方を見ようとも、ゼンは何も発しないし、エアを見ることもない。
「私は、私はゼンと一緒に旅を続ける」
エアは飛び立つ。真っ直ぐにゼンの方へ向かって。
「待」
ドラゴンが何かを言いかけたが、エアの耳に入らなかった。エアの決意は固い。
「よう、久しぶりだな」
「また無茶な真似ばかりしてたんでしょ。
私がいないと、本当にバカなことばっかりするんだから」
「バカなのは生まれつきだ」
楽しそうに会話こそしているものの、ゼンはまだ警戒態勢を解いていない。その証拠に、まだエアのことを見ていない。彼は、目の前にいるドラゴンだけを見ている。
「そういうことだ。
悪いが、コイツは連れて行くぞ」
「エア、もう一度考え直しなさい。
この人間が、あなたを裏切らない保証はない。いつ、他の人間の様にあなたを裏切るか。
その時になってからでは遅いのです」
「ゼンはそんなことしないよ。
私を売ろうと思えば、その機会は今までにもあった。けど、ゼンはそんな素振りは一切見せなかった。
それどころか、私のことをいっつも心配してくれた」
「しつこい奴は嫌われるぞ。
大人からも子供からも」
「ゼッ」
ゼンは触れてはならない一線を越えてしまった。本人に悪気はなく、ただ口から発した言葉がそれだった。
ドラゴンの顔つきが変わった。今までとは明らかに違う。完全に捕食者の目つきになっている。
「――人間如きが。
お前に私の何かわかる」
「生憎、人の心情には疎いものでな。
いや、ドラゴンだからもっと理解しがたいか」
「エアをこんな人間に託すわけにはいきません」
「エア、離れていろ。
悪いが、お前を庇いながら戦える相手じゃない」
ゼンの顔は至って真面目だ。冗談で言っている顔ではない。よく見ると、刀に触れている手が震えている。
「ゼン、戦わずに済む方法はないの?
二人が無理に戦う必要なんてどこにもないじゃん!
こんなの馬鹿げているよ」
「それは向こうに言ってやれ。
こっちは戦いたくなくても、向こうは俺を殺す気満々だ。逃げても、俺の息の根を止めるまで暴れ回る勢いだぞ」
「でもっ」
「どけっ!」
ゼンは強引にエアを引き離す。ついに、ドラゴンが動き出した。ゼン向かって突進する。幸いにも標的はゼンのみだ。エアと離れていれば、エアの身に危害が及ぶことを避けられる。
依然として、ゼンが不利な状態に変わりはない。戦う空間は限られている。ゼンが暴れ回るには広すぎるが、ドランゴンからすれば狭すぎる。尻尾を振り回せば、回避するのは困難だ。
ゼンは、クロスボウを引き抜く。この距離で、あの図体ならば狙いを定める必要もない。彼は引き金を引く。ボルトは、ドラゴンの右足に命中した。
やはりボルト一本如きではドラゴンは止まらない。相手からすれば、蚊に刺された程度なのだろう。ドラゴンは方向を転換し、再度、ゼンに向かって来る。
ゼンはボルトを再装填しつつ、突進の軌道から外れる。装填するや否や、彼は再度引き金を引く。二発目も命中した。次も右足にボルトは刺さった。
「チッ。
やはり効かんか」
ゼンはクロスボウを収め、自身が手放した鈍器の方へ走る。危険を承知で、接近戦に持ち込むしかない。
打撃がどこまで通じるかはわからないが、斬撃よりかは効果的なはずだ。ゼンは獲物を力いっぱい握る。
やることはいつもと変わらない。殺される前に殺す、それだけだ。武器が変わろうが、相手が変わろうが同じだ。例え、敵がドラゴンであってもだ。
「どうだっ」
ゼンは手に持った鈍器を投擲する。人間相手であれば、命中するだけでかなりの威力だ。当たり所さえ良ければ、一撃で相手を鎮めることだって可能だ。
鈍器は当たった。ゼンの嫌な予感と一緒に。当たりはしたものの、少しも怯む様子がない。鈍い音だけが彼に聞こえた。あの音では、内部にまで衝撃は達していない。強靭な鱗が投擲の衝撃を吸収したのだ。
ゼンは直ぐに次の鈍器に持ち替える。そうしている間にも、ドラゴンはゼンの方へ近づいている。一時たりとも、止まる暇はない。迷う時間もない。
一瞬、一瞬の間で適切な決断を下し、それを実行に移す必要がある。頭は冷静に保ちつつ、体を熱く。ゼンの額には、多量の汗が滴っている。
まず狙うのは脚だ。一本の足を重点的に攻め、崩れた所で頭を殴りに行く。最初から頭を狙いに行けば、待っているのは鋭い牙だ。一撃でも喰らえば致命傷になり得る。
ゼンは迫ってくるドラゴンに正面から突っ込んでいく。勿論、ゼンの頭に真っ向から戦うという選択肢はない。いかに相手の裏をかき、一撃を入れていくかが肝だ。
ゼンはドラゴンとぶつかる直前に、相手の足元に潜り込むようにして、相本を走り抜ける。ただ走り抜けるだけではない。速度の乗った一撃を脚に喰らわせた。
「ッ!」
ゼンの右手が痺れた。
ゼンの想像以上に、ドラゴンの鱗は硬かった。打撃は入ったが、彼の手にもその余波が及んでいる。痺れは腕全体に及び、うまく力が入らない。武器も握れずに、彼はその場に鈍器を落としてしまった。
不幸中の幸いだったのは、力が入らないのは腕だけだったことだ。これが足にまで及んでいたら、一巻の終わりだ。ゼンは首を回し、ドラゴンの様子を伺う。
さしものドラゴンといえども、ゼンの全力の一撃は効いたようだ。血こそは出ていないが、確実に傷は与えている。その証拠に、動きが少しだが遅くなっている。その事実が、何よりも彼の心を安堵させる。
仮に全力の一撃でも何も効果がなければ、ゼンは逃げることも視野に入れている。周辺にどれほどの損害が出ようとも、自分とエアの命を最優先にすれば、彼には逃げ切れる自信はあった。
「ようやく効いてきたか」
ドラゴンの動きが遅くなったのは、ゼンの一撃だけが原因ではなかった。最初に打ち込んだボルトに塗っていた毒が回り始めたようだ。