十四話 其の四
「お世話になりました」
「本当に行くのですね……」
ゼンは村で一晩を過ごした。昨晩は作業に追われ、睡眠時間はそれほど取っていなかった。顔には少し疲労の色が残っているが、表立って目立つほどではない。目の下には凝視すれば、見える程度のクマができていた。
「幸運を」
時間もまだ早い。陽が昇り始める前だ。ゼンの旅立ちに付き添ってくれたのは村長だけだった。
ゼンは誰にも何も言わずに村を発つつもりであったため、村長の姿を見た時に少し固まった。
「ありがとうござます。
ところで、もう一つお願いがあるのですが」
「内容によりますが、お聞きしましょう」
「使い道のない武具を分けていただいてもいいですか。この村に帰ってこれなかった方の」
「それは構いませんが。
やはり、あなたは」
村長は不安げな表情を浮かべつつ、ゼンの方を見る。先日から、彼がドラゴンと一線を交えるのではないかという懸念を長は抱いていた。
それが懸念で終わらない可能性が出てきた。
「心配しないでください。
ただ自衛手段として持っておくだけですよ。仮にドラゴンに遭遇しても、投擲でもすれば時間は稼げるかもしれないですしね」
「わかりました。
案内します。こちらです」
村長はゼンの話を信じた訳ではないが、何を言おうが彼の行動を変えることはできないと観念したようだ。
村長は先導する形で歩き始める。ゼンも黙ってそれに従う。到着までにはそう時間はかからなかった。村はずれにある墓地に二人は辿り着いた。
墓地には多数の武器が刺さっている。まだ土も固まっている様子もない。つい最近も新たな遺体が埋められたのだろう。
「ここにあるものならば好きに持って行って下さい。
我々では扱いきれないものばかりですから。鉄を溶かす溶鉱炉もないのでこのままにしてあるんです」
「ありがとうございます。
それじゃあ、お言葉に甘えることにします」
ゼンは墓場に近づき、手ごろな武器を物色していく。その中でも彼は特に鈍器系の武器を手に取っていく。気に入った物はすぐに土から引き抜き、軽く振ってみる。
ゼンは先の戦いから、あのドラゴン相手に刃物の武器は分が悪いことを悟っていた。あの分厚い鱗を断ち切るには相当の技量が必要とされる。技量だけではない、時機と運も必要だ。斬るにしても動いていない物体ならば時間を掛ければ問題ない。
だが、今回の相手は動く。しかも、ドラゴンだ。ドラゴン相手に何秒も動かずに集中するなど、自殺行為にも等しい。また、それを許す相手でもない。
仮に一撃を加えても、一撃だけでは足りないのだ。あのドラゴンを倒すには。何度も何度も刃を突き立てることが不可避だ。そんなことをすれば、ゼンの体は勿論、刀の方にも多大な負担がかかる。体は時間を掛ければ治るかもしれないが、刀はそういう訳にもいかない。修繕が必要な事態に陥れば、東の都まで戻る必要がある。
折角打ってくれた刀を二度も折る羽目だけは避けたかった。そんなことになれば親方達に顔向けができなくなってしまう。
ここにある鈍器であれば壊してもゼンの旅に支障はない。加えて、刃物と違い刃こぼれする心配がない。むしろ、刃物では不可能な力を入れることもできる。あの図体には斬撃よりも打撃の方が理に適う。果たして、打撃がどこまで通用するかは未知数だが。
ゼンが全力を出して打撃を加えた所で、あのドラゴンに有効だとなり得るのか。頭や羽などの部分であればそれなりに効果はあるだろう。鱗の厚い部分に対しては不明だが。
一通りの物色が終わり、ゼンは元の場所に戻る。両手には持ちきれない程の武器を携えていた。彼が選んだ鈍器のほとんどは先端や持ち手の部分に錆がある。たまたま手に馴染んだものを選んでいった結果、古いものが大半を占めることになった。
「そんな錆びたものばかりでいいのですか?」
「ええ。
俺にはこれ位でちょうどいいんです。
本当に何から何までお世話になりました」
「無事でいてください。これ以上、ここに新たな墓標が立てられるのは見たくはないのです」
「精々、頑張りますよ」
ゼンは村長の元から去っていく。立ち止まることもなく、振り返ることもせずに前だけを向いて歩いて行った。
「さあ、セロ。
少しばかり重くなるが我慢してくれよ」
ゼンは両手に持っていた武具をセロに乗せる。紐を括り、セロの体から落ちないようにする。人の身からすればかなりの重量だが、セロにとってはそうでもない。普段と何も変わらない様子を彼に見せる。
「頼むぞ」
ドラゴンの居場所はまだ掴めていないが、凡その見当は付いている。複数個所の候補が挙がっている。あの巨体を隠せるほどの場所はそうそうないはずだ。それに村の皆が言うからには、そう遠くない所に拠点があるはずだ。
「何の用だ?
悪いが、急いでるんでな」
村長と行動を共にしていた時から、ゼンは視線を感じていた。ゼンや長に危害を与える気配はないため放置していたが、それもそろそろ限界だ。
直接的な被害はないが、感じていて気分のいいものではない。長の下を去っても死線があるということは、目的はゼンだ。一体何の用がるのか、ゼンには皆目見当がつかない。
「兄さん、情報はいらないか」
物陰から出てきたのは男だった。背は高くない。腰が曲がっているため、余計にそう見えるのかもしれない。歳はゼンよりも二回りほど上だろうか。気味の悪い笑顔を浮かべつつ、彼に声を掛ける。歯も欠けているため少し聞き取り辛い部分もあった。
「情報?何のだ」
ゼンは敢えてぶっきらぼうに返す。
「ドラゴンのだよ。
へっへっへっ。
兄さん、こらからこの村を出るんだろ。知りたくないか、ドラゴンの住処を。
それが分かれば、どの方角が危険かもわかるだろ」
ゼンは一瞬、膠着した。
「お前の持つ情報が本当だという確証はあるのか」
「信じるか信じないかは、兄さん次第さ。
折角だから、一つ情報をくれてやるよ。
ドラゴンは一匹だけじゃない。二匹いるんだ。大きな奴と小さな奴が。つい最近、見たんだ。ドラゴンが二匹いるのを」
小さい方はエアで間違いないだろう。そう考えると、男の話にも信憑性が出てきた。ドラゴンが一匹だけなら嘘の可能性もあるが、二匹となると間違いはなさそうだ。
「わかった。
お前の情報を買おう。いくらだ?」
「兄さんの出せる額でいいよ」
男の顔から笑みは消えていない。むしろ、顔一杯に満面の笑みを浮かべている。ゼンがいくら出すのかを待っているのだ。
「――そうか」
ゼンは懐から硬貨の入った袋を取り出し、一枚を引き出した。
「これで頼む」
ゼンは取り出した硬貨を男の掌に差し出す。一枚だけということを悟り、男の顔から笑みが消えた。
「兄さん、たった一枚じゃあ、大した情報は」
男は、掌に置かれた硬貨を初めて目にした。ゼンが置いた硬貨は、眩い輝きを放っていた。
「こっ、これは」
「それで、ドラゴンがいるのはどっちの方なんだ?」
「に、兄さん。これは……」
「さっさと言え。金は渡したぞ」
ゼンが差し出したのは金貨だ。男は見慣れぬ硬貨に驚嘆する。男からすれば大銅貨、良くて小銀貨が数枚程度と考えていた。それが金貨が出てきたのだ、男が驚くのも無理はない。
男は差し出された金貨を、様々な角度で見る。偽物ではないか、傷はないか。遂には口に含み噛んでみた。硬貨に傷はない、男の歯が傷んだだけで終わる。
「――本物だ」
「気は済んだか。
さっさと情報を教えろ」
「あ、ああ。
ドラゴンはあそこに住処を作っている」
男が指さす方向には、断崖絶壁の崖が見えている。人の身で昇るのは相当骨が折れそうだ。
「本当にあるのか?崖しか見えないぞ」
「本当だ。
確かにここから見ればただの崖に見るが、近づいてみると空洞の部分が見える。そこに巣がある」
「そこは人間で登れる位の高さか」
「いや、無理だな。
高さも相当だ。それにとても登攀できねえよ、あの崖は。
翼で空でも飛ばない限りはな」
「そうか」
エアがいると思わしき場所は、かなり離れていそうだ。歩いて二日は掛からないが、道中で夜を過ごすことになる。
男の情報がなければゼンは無駄な時間を要していただろう。ゼンもあの崖は一つの選択肢として目に留めていた。ただ、エアがいる可能性は低そうなので探すとしても後回しにする予定でいた。
「なんでそんなことを聞くんだい?」
「どうだっていいだろ。そんなことは。
それじゃあ、俺は行くぞ」
「え、ああ。
オイ!そっちはドラゴンの巣がある方だぞ」
ゼンが歩き出したのはドラゴンの巣がある方向だ。
「知ってる」
「何でそっちに行くんだ」
「奪われたものを取り返しに行く。
じゃあな」
後方からゼンを留める声が聞こえるが、お構いなしに彼は前へ進む。既に彼の頭の中は、どうやってあの崖を登るかということで埋め尽くされている。
ロープはあるが、それも長さに制限がある。加えて、ロープをどこに掛けるかという問題もある。むしろ、そちらの方が重要だ。崖に突起物などがなければ、ロープを持っていても無意味だ。実際、何もない平坦な崖ということはないだろうが、こればかりは実際に近づくまでは不明だ。
「さあ、行くか」
ゼンは誰に言うでもなく、小さく呟く。いつもであれば、エアが何か反応するのだが、今はいない。
村を発ち、久しぶりにゼンは一人の夜を過ごすことになった。元からゼンは喋る性格ではないので、黙々と事をこなすだけだ。口を動かすのは、食べる時と水を飲む時だけである。
セロだけはどこか寂しそうな表情を浮かべていた。夕食を終えると、セロは眠りに付き、ゼンは昨日の作業の続きを行う。この日も作業は夜遅くまで続いた。