十三話 其の五
「このガキッ、どっから出てきやがった」
「それよりもコイツ、武器を持っているぞ」
「見りゃ、分かる。それに一人、やられたぞ」
ゼンから言われた通り、騒ぎが起きてからイドは飛び出した。可能な限り彼に注目が集まっている間に。
奇襲は成功した。それも一度だけだが。イドは一気に飛び出し、一人の太腿にナイフを突き刺した。姿勢が崩れた所に、更に追撃をしかける。少年の追加の一撃で、一人は戦闘不能状態になった。命はまだあるが、動くことすらできないだろう。
ただ、攻撃を仕掛けたことで、イドは三人から逃れられない状況になってしまった。三人は少年に狙いを定めている。今から、少年が背を向けて逃げ出しだとして無駄だろう。少年の全力疾走では、三人を撒くことは不可能だ。
「おい。このガキ、足が震えているぞ」
「足だけじゃねえ、手もだ」
「さっさとやる」
一人の言葉は途中で途切れた。男の背にはボルトが生えたかのように刺さっている。
「なっ」
「お」
ゼンは慣れた手つきで、ボルトを再装填する。彼の視線は残る二人の方を向いている。手元を見ずとも装填を行うと、二発目を発射した。
「がっ」
二発目も命中した。今度は左胸にだ。ゼンはそこまで狙ったわけではなかったが、偶然にも一発で仕留めることができた。
残るは一人だ。一人であれば、ゼンが出るまでもない。イドに任せてもいいかもしれない。
「イド、やれるか?」
「やるよ、俺」
イドの目に迷いはない。腹は決まったようだ。ゼンは刀身を収め、事の成り行きを見届けることにした。
「こんなガキ、一人に」
残る一人が攻勢を仕掛ける。武器はイドと同じナイフだ。ただ男が持っている方が少年の物よりも大きい。
イドは必死に攻撃を受ける。受けきれない分は体を大きく逸らし、躱す。
やはり状況はイドにとって不利だ。少年は幾つかの死線を潜り抜けてはいるが、自分の力で切り抜けた訳ではない。自身の力で乗り切るのは、これが初めてだ。
それに加えて、体格差もある。精神面でも身体面でもイドにとって不利な立場だ。
イドは防戦一方だ。体には少しずつ傷が増え始めている。相手の攻撃を躱しきれなくなっている。息も上がりつつある。
ゼンは腰のナイフに手を掛ける。
「ゼン!
手を出さないでくれ」
いつゼンの方をも見たのか。こちらを見る余裕があるのならば、目の前の敵に回すべきだ。が、彼はイドの言う通り、ナイフを納めた。
「このガキがッ!舐めやがって!」
男の手数は増える一方だ。コケにされたことがよほど悔しかったようだ。怒りの表情を隠そうともしない。
手数は増えているが、攻撃の速度は最初と比べると遅くなってきている。イドの体の傷も一定の数からは増えていない。男の息も上がりつつある。
対するイドは時間が経つにつれ、どんどん普段の調子に戻りつつある。呼吸も平常時よりかは乱れているが、苦しそうな気配は見せていない。寧ろ、調子よく見えるほどだ。
「このッ
当たれ、当たれ」
男の焦りは募る一方だ。目の前にいる子供一人を殺せないのだ、焦るのも当然である。最初は優勢に立っていたはずなのに、いつの間にか攻撃が当たらなくなってきている。
息は上がり、腕を振るうのも苦しい。足も何とか動いてはいるが、一度止まれば、すぐに動くのは無理だ。男は正に死に物狂いで、イドを攻撃する。
「しまっ」
男は、焦りから前に踏み出し過ぎてしまった。持っていた武器も手放し、両手を地面に付こうとする。
イドが動いた。今まで防戦一方だったイドが、前に踏み出す。ナイフを両手で持ち、相手の首に刃を突き立てる。
ナイフは相手の首に奥まで入った。勝敗は決した。イドが生き残ったのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
イドは何度も何度もナイフを男の体に突き立てる。既に男に反応はない。完全に息絶えている。それでも少年は自身の行動を止めようとしない。
「もう止せ。大丈夫だ、もう死んでいる」
ゼンはイドに近寄り、彼の手を握る。ゼンが駆けつけたことで、イドもようやく落ち着きを取り戻したかに見えた。
「フー、フーフー。
離して!まだ反撃してくるかもしれない。しっかりこ」
乾いた音が響いた。
「落ち着け。
もう目の前の奴は死んでいる。
お前が、お前の手でやったんだ。もう動かない。死体だ」
「本当?本当に死んでいる?」
「ああ、お前がやったんだ」
イドはナイフを落とした。小刻みに震えている、血だらけになった自分の掌を見る。
「ハァ、ハァ、ハァ」
イドの呼吸が荒れ始める。
「ゆっくりと息を吸って、吐き出せ。焦らなくてもいい。ゆっくりとだ、ゆっくりと」
イドは言われた通り、じっくり時間を掛けて呼吸をする。まだ少年の手は震えていた。
「そう、その調子だ。
落ち着いて。しばらくはそのままでいろ。俺は用事を済ませる」
イドの様子は大分落ち着き始めている。目を離すのは少し不安ではあるが、突発的に苦しむこともないだろう。ゼンは少年の元から離れる。
「悪いが、墓を作って弔ってやることはできん。せめて、安らかに眠れよ」
ゼンは犠牲者の元に訪れていた。誰もが突然の状況に驚き、慌てふためいたようだ。安らかな顔をしている者はいなく、顔には苦悶と驚嘆の表情が残されたままだ。
ゼンは全員の目を閉じてやり、手を合わせる。全員分の墓を作っていれば確実に数日は潰れる。先を急ぐ旅ではないが、この場から離れたいのはゼンだけなくイドも同じだろう。
「どうだ?気分はマシになったか?」
「ゼンは、ゼンはどうだった?
最初に人を殺した時は」
「さあな、随分と昔のことだから覚えてないな」
「僕はさっきから、手の震えが止まらない。寒くもないのに、もう敵もいないのに。震えが止まらないんだ。必死に抑えようとしても全然駄目なんだ。
どうしよう、ゼン」
「立てるか?」
「うん。震え以外は何ともない」
「じゃあ、ここを離れるぞ」
「えっ」
「ここを離れるぞ。
こんな生臭い場所で一夜を過ごしたくはないだろ」
「それはそうだけど」
「震えは乗り越えろ。それは、お前自身との戦いだ。俺にも誰にも、どうすることもできん」
「――時間が経てば治るかな」
「お前次第だ。
ただこれだけは言える。お前は生き残り、相手は死んだ。逆の状況になってもおかしくはなかったんだ。
俺も、お前も、いつかは死ぬ。ただそれが早いか遅いか、それだけだ。
すぐに動くぞ。日没まで時間もそうない。」
「う、うん」
エア達の元に戻ったのは、それからすぐのことである。既にイドの手の震えは収まりつつあった。ただ、目は以前に戻りつつあった。生気のない、どこを見ているかわからない目だ。
「イド、また元に戻っているよ。どうしたの?」
「放っておけ。アイツの問題だ。アイツが乗り越えるべき壁だ。それに前とは違う」
その後、すぐにゼンたちは移動を始めた。
ゼンの言う通り、イドは回復までにそう時間を要しなかった。その日の内から食事を摂ることもできた。夜も寝付くまでには時間が掛かってはいるが、途中で起きる事はない。
口数も少しは減っているが、むしろゼンからするとそちらの方が好ましい位だ。それに彼が喋らない分、エアがいつもより積極的に話しかけている。イドとエアの会話の中身までは彼は知らないが、仲良くやっていることだけはわかる。そうであれば、彼がそれ以上することはない。
「ねえ、ゼン」
イドが話しかけてきたのは、夕食後のことであった。食器類も洗い終わり、後は寝るだけだ。
「どうした」
「手の震え、止まった」
イドの顔は笑っていない。至って真面目な顔でゼンに話しかけている。
「それはよかったな」
「うん。前はもっと気分が落ち込んでいたのに、今回はあっという間に治った。
きっと、これからどんどん治るのが早まっていくだろうね。いや、そもそも落ち込むこと自体が無くなるんだろう」
ゼンは何も応えない。
「それでも落ち込む時はどうすればいいかな、ゼン」
「人それぞれだ。俺の場合は、美味い飯を食う。ただ寝る奴もいれば、浴びるほど酒を飲む奴もいる。
お前はどうだ?」
「まだ分からない。
ただ、誰かと話していると少しは和らぐ。ゼンはあんまり喋ってくれないから、エアに頼りっぱなしだけどね」
「口数が少ないのは昔からでな。
さあ、寝るぞ。明日も歩くんだ、休める間に休んでおけ」
「うん。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
晴れの日も雨の日も、ゼンたちが足を止めることはなかった。途中で村や集落に立ち寄ることもあった。彼はその度に、イドの両親のことを尋ね回ったが、有力な情報は得られないままだ。
イド本人の口からも、彼の両親に関する話は出てこない。ゼンが何度か尋ねたこともあったが、少年は上手く逃げるだけである。
道中で、血潮が飛び交う場面にも遭遇した。ゼンは勿論のこと、イドも武器を振るった。
場数を踏むごとに、イドの顔つきも変わりつつある。初めて会った時のような幼い印象は薄くなり、その年代の子供にしては大人びた表情が似合うようになった。エアと話している時は、まだ子供のような笑みを浮かべることもあるが。
ゼンの頭には一つの懸念があった。それは、イドの両親が死んでいるかもしれない、ということだ。少年と旅をして、もう短くもない時間が過ぎた。
それだけの時間を過ごしながら、イドの両親に関する情報は一切入ってこない。ここまで情報が入ってこないと、心配が心配で終わらないことも有り得る。
イドをずっと旅に同行させるつもりで、ゼンは同行を許可した訳ではない。しばらくすれば、彼の両親が見つかるだろうという考えで彼はいた。
現在、その甘い考えは打ち砕かれつつある。仮に懸念事項が現実の話になったらどうする、ゼンの頭はそれで一杯だ。
エアに相談しても答えはわかりきっている。“イドを一緒に連れて行け”、その答えが返ってくるのは明白だ。
これまでの旅も、これからの旅に関しても、ゼン自身が無事でいることは保証できない。それはイドに関しても同じだ。エアであれば、彼が死んだ場合でも空に逃げることができる。だが、少年に関してはそれができない。
「はぁ」
ゼンの悩みが口から、ため息として外に出た。
「ゼン、どうしたの、何か悩み?
駄目だよ、ため息なんかついちゃ。幸せが逃げていくよ」
悩みを知るのはゼンのみだ。
「ああ……そうだな」
ゼンは気だるげな調子で返事をする。