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ワールド・ジャーニー  作者: ノリと勢い
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十三話 其の四

「落ち着いたか。

 ほら、水だ。飲め」

 ゼンは水の入った筒をイドに渡す。少年の顔は疲れに満ち溢れていた。顔色は悪く、今日の朝の元気は何処に行ったのか、といった具合だ。

「あ、ありがとう」

 イドは手を伸ばし、水を取ろうとする。が、力が入らず、筒は地面に落ちていく。落ちた筒からは水が零れ、水溜りは大きくなる一方だ。

 透明なはずの水が、イドの目には真っ赤に見える。無臭のはずの水から、鉄臭い匂いがするように感じる。

「うっっ。ボェァォ」

 イドは地面に膝と手を付き、再び嘔吐した。既に胃の中の物を出し切ったと思っていたのに、それでも胃から液体は逆流してくる。苦しい。少年が感じるのはそれだけだ。

 吐くだけでも苦しいのに、それ以上に疲労や精神的な苦痛がイドを掴んで離さそうとしない。

「オイ、水だ。焦らずに、ゆっくり飲め」

 ゼンは水筒を直接、イドの口元に当てる。

 少しだけだが、落ち着いたイドはゼンの言う通り水をゆっくりと少しずつ口に含んでいく。口の中に含み、少量ずつ喉を通っていった。

 ようやく落ち着きを取り戻したイドだが、顔に出ている疲れは隠し切れていない。誰が見ても体調が悪いと答える顔色だ。

 ゼンたちはあの場から離れ、イドは木に背を預け座っている。少年に動きはなく、ずっと一点を朧気に見ている。

「イド、全然元気ないね」

 さしものエアもイドと距離を開けている。一度、近づいて行ったが、反応がなく、ゼンの元へと帰って来た。

「ああ」

「どうするの?」

「どのみち今日はここまでだ。野営の準備をするぞ」

「明日からは?」

「いつも通り、進むだけだ」

「そんな。

 明日になってイドが、今まで通りになるとでも思っているの!」

「すぐには回復しないだろうな」

「じゃあ、もうあと二、三日でもここでゆっくりすればいいじゃなない。

 まだ食料や水には余裕があるんでしょ。今のイドに無茶をさせないでよ」

「このままあそこに座っていても、アイツの体調は良くならん。

 それどころか、塞ぎ込む一方だ。イドのことを思うなら、少しでも体を動かして、意識を他のことに割くことだ」

「もし、イドが明日になっても、あのままだったら?」

「引きずってでも連れて行く」

 ゼンは真顔のままで応える。エアはそれ以上、何も言うことができなかった。

 その日、イドに動きはなかった。ゼンが夕食の準備をしている間も、ただ虚ろな目で一点を見ていた。目に生気はなく、頬には血を止める包帯を巻いている。

 ゼンが夕食を持ってきても、イドの反応はなかった。いつもであれば、少年の方から強奪するような勢いで飯を取るのだが。

「食べたくなったら食べろ。食べたくなくても食っておけ。

 明日からはまた歩くぞ」

 イドの反応はない。それに対しゼンも言うことだけを言うと、彼の元から去って行った。

 

 次の朝、お世辞にも良いとは言えない空模様だ。イドの顔色も優れていない。頬に巻いていた包帯は解かれていた。少年の頬には一筋の傷跡が残っている。

「歩けるか?」

「……うん」

「行くぞ」

 イドの様子は前日と比べると、少しは良くなっていた。速度は遅くなっているが、しっかりと歩いている。背も曲がり、視線も下を向いているが、足を止めることはない。

「ねぇ、ゼン」

「どうした?」

「やっぱり、今日も休んだ方がいいじゃないの。

 イドだって無理しているよ、絶対」

「無理している位で丁度だ。他の余計なことを考えられない位でいいんだ」

 ゼンの言葉を全て信じた訳ではないが、確かにゼンの言うことも一理あるとエアは自身を納得させる。

 イドの顔は決して楽そうには見えない。ゼンに追いつこうと必死に足を動かす彼の額からは汗が流れている。着ている服で何度も汗を拭う様子が見える。

 それでもイドの顔色は昨日に比べると、幾分かは良く見える。ゼンの言う通り、あの件を思い出せないだけでも、精神にかかる負担はかなり軽減されているのだろう。

 ただ、これで問題が解決された訳ではない。あくまで、イドが悩まずに済むのは動いている間だけだ。ゼンたちは一日中、動いてはいない。当然、夜が来れば寝るためや食事のために足を止めることになる。

「今日はここまでだな」

 ゼンたちは移動を止め、寝るための準備に入る。イドは歩き疲れたのか、手ごろな物に座ると、すぐに舟を漕ぎ始めた。昨日もほとんど眠れていないのだろう。ただでさえ不眠の上に、一日中歩き通しだったのだ。疲労が溜まらない方がおかしい。夕食も食べずに、すぐに少年は眠りに落ちていった。

 ただ、寝顔は険しい表情である。汗をかきながら、寝言を繰り返している。内容は同じだ。『許して』・『わざとじゃない』、この二つの内容の寝言を何度も叫んでいる。

 寝言を発している本人は悪夢に囚われているが、エアはイドの悲鳴を聞くたびに目を覚ました。

「ゼン……」

「放っておけ。俺たちにどうこうできる問題じゃない。

 どうしても眠れないなら、耳栓でもつけておけ」

 ゼンは背を見せながら言う。

「お前も寝ておけ。二人の世話を見るのは御免だ」

 ゼンの助言もエアには届かなかった。結局、エアはイドの近くで寝ることを選択した。彼が悪夢で魘される度に目を起こしては、落ち着くまで様子を見ることを朝まで繰り返すことになった。

 翌日、二人の目の下にはクマができていた。イドに至っては顔色も悪いため、病人の様に見えてしまう。

「行くぞ」

 ゼンが発した言葉はそれだけであった。道中でも行き交う言葉はない。イドの息切れの声がするだけだ。

 この日は、イドも固形物を口にした。今までは固形物を口に入れても嘔吐してしまったが、ゆっくりと少しずつ咀嚼し、腹を満たした。

 次の日も、そのまた次の日も、ゼンたちの旅は続く。イドは少しずつではあるが、回復の兆しを見せ始めていた。顔色も元通りとはいかないものの、良くなってきている。

 曲がっていた背も真っ直ぐになり、今ではゼンのすぐ後ろを付いてくるまでに至っている。

「振り切れたか?」

「……うん。まだ、完璧にとはいえないけどね。それでも、随分マシにはなった」

「――そうか」

 ゼンはそれ以上何も尋ねることはなかった。イドが回復するにつれて、エアが彼から離れる時間も多くなる。今では、少年と一日を過ごすことが多くなっている。

 ゼンとセロ、イドとエアの組み合わせで道中を過ごす。ゼンたちが先導を行い、残る二人が後を追う。この陣形で旅を行うことが日常になりつつあった。

「ゼン」

 いつもは後ろにいるはずのエアが、ゼンに追いついてきた。イドと話す時の明るさがない。ゼンの目つきが一気に変わる。

「どうした」

「血の匂いがする。

 乾いた血じゃない。流れてすぐの。それもちょっとじゃない。かなりの量だと思う」

 ゼンは鼻腔に意識を集中させる。ゼンの嗅覚では意識しても、血の匂いを嗅ぎ分けることはできない。

「間違いないのか」

「うん、間違いない」

 どうするか、ゼンの頭はそれ以外考えることがないほど余裕がなくなっている。足は動かしているが、意識は次の一手をどうするか、ということで満ちていた。

 ここで急に止まり、一日を過ごすのも不自然過ぎる。それに、対岸の火事がこちらに飛び火しないとは限らない。

「ゼン、どうしたんだい?」

「いや。エアがな、飛ぶのは疲れたからもう休みたいんだとさ」

 ゼンは咄嗟に思い浮かんだ嘘をつく。余りにも自然に出たため、エアも驚いている。彼と目を合わせ、何かを察したようだ。

「そうだな、エア」

「う、うん。

 もうヘトヘトなんだよ。偶には早く休もうよ」

 しばしの間、沈黙が続いた。

「二人とも、嘘ついているよね。

 嘘をつくのが下手過ぎだよ、特にエアは」

「嘘なんて付いてないよ。ねえ、ゼン」

「……いいのか。

 前みたいにお前を守り切れるとは限らんぞ。自分の身は自分で守ってもらうことになるが」

「いつまでも守られる側にいられないからね」

「行くぞ」

 ゼンはイドに声を掛ける。

「――うん」

 イドの元気な声が帰って来た。ゼンたちに付いて来た時のイドに近い。生気が溢れ、活力に満ちている状態だ。それが焦りにつながらないことを祈るだけだ。


「いたぞ、あそこだ。

 見えるか?」

「見える。六,七人」

「全部で十人だ

 ここからじゃ見えにくいが、奥に三人いる」

 ゼンとイドは身をかがめ、草むらに身を潜めている。草はゼンの腰辺りまで伸びているため、屈めば全身を覆い隠せるほどだ。

 エアとセロはこの場所にはいない。先程の場所で待つように指示しておいた。仮にイドが怪我をした場合、即座に撤退できるよう準備している。

 敵は全部で十人である。様子を見る限りでは、他に仲間はいないようだ。とあるキャラバン隊を襲撃し、貨物を強奪した。

 積載していた貨物が彼らの想像以上に豊だったため、浮かれている。大きな声で戦果を嬉しそうに語っている。中には、既に酒を飲んでいる者もいる。顔が真っ赤になっていた。

「さあて、移動すっか」

「ああ。ここじゃ血の匂いが臭くて楽しめねえな」

「折角の酒が不味くなっちまう」

 賊たちが歩き出そうとしている方向は、ゼンたちがいた場所と同じだ。

 結果論にはなるが、先手を打っておくことが正解だった。

「俺が先に奇襲をかける

 俺が見つかったら出て来い。できるだけ、俺に注目が集まっている時に出ろよ」

 ゼンは草むらから音もなく出ていく。あっという間に、イドから離れてしまった。

 腰のナイフを抜き、息を潜める。足音が聞こえた。馬車で相手の体は見えないが、足元は見える。ゼンに近づいているのは一人だ。一人であればいける。

 来た、ゼンはナイフを相手の胸に突き刺す。男は声を出すこともなく、倒れていく。

 ゼンは倒れる男の体を支え、音が出ないように寝かせる。馬車の下に潜り込ませると、次の行動へと移る。

 次の目標は談笑している二人だ。二人とも酒を飲み、大声で笑っている。正面から近付こうが向こうに気付かれる前に、仕留めることができる。

 周囲には二人以外はいない。やるならば、今しかない。ゼンは二人の死角から一気に飛び出す。

「んっ?」

「どうした」

 一人がゼンの姿を発見したが、既にその時には手遅れだ。

 ゼンは背を向いている男にナイフを突き刺す。突き刺した男の腰元にあるナイフを抜き、目の前の男に投擲する。

「がっ」

 ナイフを突き刺した男は音もなく仕留めることができたが、もう一歩の男は勢いよく倒れ、音がしてしまった。

「何の音だ」

「オイ!全員、返事をしろ」

「チッ」

 隠密行動はここまでのようだ。可能であれば、半分位までは減らしたかった。ゼンは舌打ちをしつつ、移動する。残る敵は七人だ。ゼン一人でも倒しきれない数ではない。あくまで、それは一対一で戦う場合の話だ。

 騒ぎが大きくなれば、イドも出てくる。七人を相手するのは、イドにとっては自殺行為に等しい。一対一の場合でも、それは変わらない。

 イドが参戦する前に一人でも多く、数を減らす。ゼンは意を決し、残る賊たちの前に姿を現す。

「こっちだ!」

 ゼンは直ぐに身を隠す。ゼンが今まで立っていた場所には矢が刺さっている。

 何人かがゼンを追う。追ってきている者は全員が素面である。飲酒をしていた奴はゼンが仕留めてしまった。ゼンが姿を消した、角を曲がる。

 三人いる、一人の胴体にボルトが刺さった。

 ゼンは三人から見て、奥にいた。手にはクロスボウを携えている。彼はボルトが刺さったことを確認すと、再び、背を見せて逃走した。

 ボルトを喰らった一人は、絶命には至っていない。しかし、体を動かすのは無理そうだ。あのまま放っておけば、勝手に野垂れ死ぬだろう。

「クロスボウを持っているぞ、気を付けろ」

「装填する前に仕留めろ」

 一度、使った手はもう使えまい。残るは6人をどう仕留めるか、ゼンは逃げながらも必死に頭を巡らせる。

 既に騒ぎは起きている。イドがいつ来てもおかしくはない。多少の危険を冒してでも、攻勢に出るべきだ。

 ゼンは一転し、刀を抜く。もう悩んでいる時間はない。

 追ってきている二人も、ゼンが反転したことに戸惑っている。動きが僅かではあるが止まった。彼は一気に前に踏み込む。一度、内に入り込みさえすれば、ゼンの独壇場だ。

 向こう側も何もせずに立っている訳ではなかった。ゼンの眼前に刃が近づいてくる。ゼンは刀を左下から右上へと斬り上げる。

 ゼンの一太刀は相手の刃をも切り裂き、一人の胴体に一撃を加えた。彼の攻撃は止まらない。一太刀を入れ終わるや否や、彼は体の向きをもう一人の方へ向ける。

 残る一人の戦意はまだ喪失されていない。攻撃の手はゼンに直撃する軌道を描いている。真正面から頭をかち割るように。

 ゼンは再度、大きく前に踏み出す。頭を下げ、頭突きの態勢だ。相手の一撃がゼンに当たる前に、彼の頭突きが相手の体勢を崩した。彼も姿勢を維持できずに前に倒れこむ。

 二人とも倒れこみ、即座に立ち上がろうとする。が、相手の腕に右足を乗せる。ゼンは馬乗りの状態になり、優勢に立っている。彼は右足に隠している投擲用のナイフを抜く。

 相手側も必死になり、ゼンから逃れようと体を動かす。が、片腕が塞がれている状況では力も上手く入らない。彼から離れることに注力していたため、自身に迫ってくるナイフにも反応が遅れた。

 投擲用のナイフであるため、大きさはそれほどでもない。分厚い脂肪や筋肉に覆われている所に刺さっても効果は薄い。

 が、皮膚の薄い急所に直接、刺すとなれば話は別だ。ゼンは相手の首に、ありったけの力で刃を刺す。

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