十三話 其の二
「よっと。
これで終わりな」
イドの頭スレスレの所で、木の枝が止められる。ゼンは手にしていた木の枝を地面に落とす。
「あと一回、あと一回だけ。
ねえお願い」
「駄目だ。一日にやるのは、三回だけと最初に決めただろうが。
それじゃあ、今日も後片付けは頼むぞ」
イドが旅の一行に加わってから、数日が過ぎた。少年の強い要望により、ゼンとの修行も日課として毎日行っている。
内容は単なる打ち合いだ。その辺に落ちている木の枝を武器に見立て、互いに打ち込む。それを一日に三回行う。一度でもイドの攻撃が当たれば、イドの勝ち。一度も当たらなければゼンの勝ち。敗者はその日の夕食の後片付けを行う。
今までの戦績は、ゼンの全勝、イドの全敗だ。後片付けはずっとイドが行っている。
「ゼン、ずるいよ~。
剣士のくせに、足も使うんだから」
「俺は剣士なんて名乗ったことは一度もないぞ」
イドはぶつくさ言いながらも、片づけをこなしている。最初の内は慣れないことも多く、時間もかかっていた。今は小口を叩きながらも手は止まっていない。
「それでも武器以外を使うなんて邪道だよ、じゃ・ど・う」
「お前も使えばいいだろ」
「いーや。僕は使わない!
絶対に武器だけで、ゼンから一本取ってみせる」
「ああ、待っているよ」
イドと旅をする間は、移動距離は抑えるようにしている。それでも少年の両親と会うことはなかった。
少年の口ぶりからすると死別した訳ではなさそうだ。この辺りでは賊を見かけることもない。襲われた可能性も高くはない。
ゼンは通常よりも早くに野営の準備をし、余った時間をイドとの模擬戦闘に充てている。その生活が普通になりつつあった。
イドは幼いだけで力は十分にある。それに速度も持ち合わせている。ただ本人はそのことをあまり気に入ってはいない様子だ。少年の理想はあくまで力で押し切る戦士の様だ。
その理想は戦い方にも表れている。もっとその小さな体を活かし、速度を生かした攻撃をすれば、ゼンに一撃を加えることも夢ではない。
それでもイドは、ゼンと戦う際には真正面から馬鹿正直に突っかかってくる。力も大人のゼンと比べれば負けることは必定なのだが、イドは諦める様子はない。
そして毎回、ゼンに一撃を貰っては、その日の後片付けを文句と共にこなす。
エアに対しても少しずつ耐性ができてきたようだ。初日や二日目などは、距離を開け、目も合わそうともしなかった。
それも三日目、四日目となってくると目を合わせるようになり、距離も徐々にではあるが近くなりつつある。今では一緒に行動をすることも多くなってきている。ゼンよりもイドと過ごす時間の方が多いかもしれない。
「ゼン、雨の匂いがする。
うん。多分だけど、もうすぐ降ってくる。量はわからないけど」
「エアって、そんなことまでわかるの?」
「へへっ。
あくまで予測だから、外れることもあるんだけどね」
確かにエアの言う通りだ。陽が沈むには時間が早過ぎる。それに分厚い雲が空一面を覆いつくし始めている。エアの予感は外れてはいないだろう。
「ああ、そうだな。
空の様子を見ても、降ってきてもおかしくはないな。
今日はここまでにして、早めに寝る準備に取り掛かろう。屋根のある建物も見当たらないか。
この時期じゃ、まだ夜は冷える。急いで準備に取り掛かるぞ。
エアは近くに危険がないか調べてくれ。イドは俺と一緒に寝床の準備だ。
晩飯はそれの設営が終わってからだ」
「わかった!」
「うん!」
二人のいい返事が帰って来た。
エアは直ぐに上空へと飛び立っていく。
「すぐ帰って来いよ~」
「そっちこそ、ちゃんと寝る場所作っててよ~」
すぐにエアの姿は見えなくなった。
「急げ。
天気は待ってはくれないぞ」
二人は野営の準備を進める。ゼンの手つきは慣れている。流れるような速度で場所を構築していく。
イドも中々の手つきだ。ゼンよりかは速度で劣るものの、細かい作業を率先してやってくれる。
「慣れているな」
「散々、やらされているからね」
「そうか……」
イドの話しぶりからすると、本気で親を嫌いなった訳ではなそうだ。喧嘩別れで飛び出した結果、ゼンと会っただけの話だ。少年の両親と再開すれば、帰るだろうとゼンは予測していた。
夜になると一人、寂しそうな顔をすることも多い。寝ている最中でもすすり声が聞こえることもある。エアは寝ていて気付いていない様子だが、ゼンは寝ている振りで過ごしている。
日中は元気に過ごしているが、やはり夜になると心寂しくなるのだろう。
二人で設営を行った分、普段よりも早く準備は終わった。準備が終わってもエアは帰ってこなかった。
「エア、帰ってこないね」
「その内に帰ってくるさ。
ほら、噂をすれば何とやらだ」
「ただいまー。
周辺に異常はなさそう。
寝る準備も、大丈夫そうだね」
「ああ。後は飯を作って、寝るだけだ」
その日も夜は更けていく。エアの言った通り、しばらくすると雨が降ってきた。事前に雨対策をしておいたのは正解だった。余計な体力を消費することなく、夜を過ごせた。
雨の降る音だけが聞こえる、静かな夜だ。雨の音に紛れ、小さな声もしたが、ゼンは気にせずに寝ることにした。
その次の日も、天からの恵みが止むことはなかった。それどころか、前日よりも勢いを増しているようだ。空を見渡しても、分厚い濃い灰色の雲が一面を覆いつくしている。
いつこの恵みが止むかもわからない。
「今日はどうする?」
「この雨じゃ、進もうにも進めないね」
「エアの言う通りだ。
今日は休みだ、休み。昼寝でもして時間を潰せ」
ゼンは横に寝そべりながら、気だるげに言う。朝起きてから、この体勢のまま動こうとしない。飯を食う時だけは体を起こすが、それ以外は石像の様に動くことはない。
「いいじゃん、雨が降っていても。進もうよ」
「駄目だ。
お前も横になれ、目を瞑っていれば、そのうち眠くなってくるさ」
「へいへい。
じゃあ、俺も好きなようにさせてもらうよ」
イドは近くに落ちている木の棒を拾うと、素振りを始めた。何度も何度も同じ軌道で練習を繰り返す。
「ねぇ、ゼン」
「何だ?」
応えるゼンの目は閉じたままだ。
「イドに何か教えてあげなよ。
このままだとずっと、アレを繰り返すだけだよ」
「アイツが好きでやっているんだ。放っておいてやれ」
「だからって、素振りだけっていうのは酷じゃない?
もっと簡単に強くなれる方法でも教えてあげなよ」
「そう簡単に強くなれたら、誰も苦労しないさ。
それに、ああやって同じ動きを繰り返すっていうのは、いざという時には役に立つんだぞ」
「ええ、本当?」
「ああ。
エア。お前は歩くとき、いや、空を飛ぶときどうやって飛んでいる?」
「空を飛ぶとき?
う~ん、普段は意識して飛んでないから、改めて聞かれると難しい」
「川や海を泳ぐときは?」
「泳ぐとき……。
う~ん、手と足を精一杯動かす」
「それを何も考えずに、空を飛ぶのと同じようにできるか?」
「そんなの無理だよ」
「アイツがやっているのは、そういうことなんだ。
戦いなんていつ死んでもおかしくはないんだ。思考や呼吸すらまともにできない状態で戦うことが俺たちには求められる。
無意識に近い状態でも武器を振るえなくちゃ死ぬだけだ。今はそのための鍛錬って所だ」
「ただ単に、面倒を見るのが面倒なだけじゃないの」
「それはない、こともない。
仕方ない、一度、見てやるか」
ゼンはゆっくりと立ち上がり、体を伸ばす。体の至る所から、骨の鳴る音が響く。
「おい、イド。
かかってこい。見てやる」
ゼンの手には何も握られていない。欠伸をしながら、手招きをする。
「本当?
だったら、ゼンも何か持ちなよ。
丸腰相手じゃ訓練にならないよ」
「いいから、来い。丸腰でも十分だ」
「じゃあ、遠慮なくいくよ」
イドは一直線に、ゼンに向かって駆けだす。木の棒を振りかぶり、ゼンの直前まで来たところで、一気に振り下ろす。
「ふぁ~ぁ」
ゼンは欠伸をしながら、そっと一歩後退する。
「うわっ」
空中に飛び上がったイドは姿勢を崩し、地面へと落ちていく。
「お前の攻撃は単調なんだよ」
イドが地面に衝突することはなかった。落ちる途中で、ゼンがイドの体を掴んだのだ。イドは宙づりの状態で、手足をジタバタと動かしている。
「単調?」
「手段が少ないんだ。
だから、回避も対策もしやすい。現に今、俺は一歩動いただけで、お前の自由を完全に奪っただろ」
「ふんふん」
「正々堂々と戦いたいっていう、お前の心意気は買ってやる。
だが、そうならそうと正々堂々戦えるだけの力量が必要だ。それを身につけないと、お前は死ぬだけだぞ」
「どうすればいいのさ」
「それは、自分で考えるこった。
お前が自分自身で考えてこそ、意味があるんだ。自身の体の特性、体格、速さ、あらゆることを考えに考え、実践しろ。練習には付き合ってやる」
「言ったね」
「ああ、今日はいくらでも付き合ってやる」
その日、訓練は陽が落ちる直前まで続けられた。結局、イドの攻撃がゼンに当たることはなかった。
「う~ん。
中々、上手くいかないなー」
イドは首を捻る。
「何がだ?」
「攻撃の方法。ゼンに言われた通り、色々と考えてはやってみたんだけど、今日も当てられなかったし」
「そんなもんだ。
一日や二日ですぐにできたら、そう苦労はしないさ」
「ゼンも同じだったの?」
「勿論だ」
「何日でできるようになった?」
「さあな。忘れちまった。
ただ、長い時間を要したことだけは間違いないがな。
さあ、今日はもう寝るぞ。天気も明日には良くなるだろ」
既に雨は小雨になりつつある。寝ている間には完全に雨も止むだろう。
「はーい。
おやすみ」
「おやすみ」
静かに夜は更けていく。