十二話 其の十一
「ハッ」
ゼンは目を覚ます。気づけば、彼はベッドの上で寝ていた。
「どういうことだ?」
ゼンは自身の記憶を呼び起こす。彼の最後の記憶は部屋に這いずりこむようにして帰って来た時だ。それ以降のことは記憶にない。加えて、寝ている場所からして不可解だ。
ゼンは床の上で寝ていたはずだ。彼の体は文字通りボロボロだった。生きていること自体が幸運と言ってもいい状態である。そんな状態で、自力でベッドまで移動したとは考えにくい。
「起きた?」
ゼンは声のする方に顔を向ける。そこには椅子に座ったリースがいた。
「お前は……」
「言いたいことはわかるけど、今は寝ていて。
その方が楽でしょう。傷も開くし」
「傷はもう塞がりかけている。
それよりも顔が痛いな」
実際、ゼンの顔は大きく腫れていた。腕の痛みは勿論あるが、それよりも顔からくる熱さの方がゼンを苦しめていた。
「何か欲しいものある?」
「――水をくれ」
痛みは勿論あるが、それよりも喉を潤したいという欲求が湧き上がってきた。考えてみると、全くと言っていいほど水分を補給していなかった。血液は流していたが、入ってくるものなかった。一度、気になると余計に喉が渇く。
ゼンは寝ころびながら、左腕を動かす。拳を握り、感覚があることを確認する。動きは遅いが、感覚があることにゼンは安堵する。また傷が治るまでは安静状態が必須だ。
リースが部屋から出ていったのを確認し、ゼンは寝床を離れる。帰って来た方に近づき、窓を開ける。窓の外に広がっていたのは暗闇だった。
「あっ、勝手に動いている!」
時機が良いのか、悪いのか、リースが盆に水差しを載せて帰って来た。
「俺は何日寝ていた?」
「一日も寝てないわよ。精々、半日ちょっとってところね」
「半日か」
思っていたよりも時間は経過していなかった。今までの傾向から、何日間は寝て過ごすものとゼンは思っていいた。
「ほら、寝てなくちゃ。
まだ体は回復してないのよ」
リースはゼンをベッドに戻そうとする。普段であれば、彼女のか細い腕など簡単に振りほどけるのだが、彼は敢えて彼女の言いなりになった。
抵抗することもなく、ゼンは再び寝床に戻る。戻る途中でもエアの姿を探す。
リースがいるため、表に出るとは思えない。どこかに隠れているはずだ。問題はその場所が何処か、という点だ。
いつものポーチか、それともどこかの引き出しか、或いはセロと一緒にいる可能性もある。
下手に探してリースにエアの存在を知られると厄介なことになる。今は彼女の言う通りに動くしかない。彼女が帰ってからでもエアを探すことはできる。
仮にエアが見つかっていれば外はもっと大騒ぎになっているはずだ。外からその様な音や声は聞こえないし、リースからも何も言ってこない。
それ以上に大変な事態になっているということもあるだろうが。
「昨日のこと、やったのはあなたでしょ?」
「昨日のこと、何かあったのか?
俺は飲み過ぎて転んだだけだぞ」
「何処から転んだら、あんなに大怪我になるの?
それに転んだだけじゃ、腕に穴は開かないでしょ」
「転んだ先に鋭い木の枝があったんだよ」
「昨日でこの街の大事な人が三人もなくなった。三人の死因は別々だけど、誰かに殺されたことだけは共通しているの。
この街であの三人を憎む人はそういないはず。怨恨で殺された可能性はほとんどないの」
「それで、三人を殺したのは俺だと?」
「……」
リースからの返答はない。
「どうする?俺を殺すか?
今なら簡単に殺せるぞ。俺は怪我人だ。まともに動くことすらできないからな。
だが、俺もそう簡単には死なないぞ。道連れにお前の命も貰う」
コンコン、と扉を叩く音が部屋に響いた。
「薬を持ってきました。
それに代えの包帯も」
店主の声だ。
「はい。
今、出ます」
リースはゼンから逃げるようにして、扉の方へと向かっていく。
「待てッ!」
ゼンの声は一足、遅かった。
「えっ」
リースがゼンの方を向いたのは、扉を開けてからのことであった。
「動くな」
リースの喉元にナイフが突き立てられる。店主は彼女を盾にするような形でゼンと向き合う。彼がほんの少し、力を入れただけで彼女の命は散ってしまうだろう。
「動きたくても動けねえよ」
ゼンはベッドに座ったまま対応する。
「その言葉は本当らしいな。
酷い顔だな」
「お前ほどじゃないさ」
店主の顔が真っ赤になる。
「おっと。その手には乗らないぞ。
動けない程の怪我人相手に焦ることはないんだ」
「安心しろよ。お前の言う通りだ。俺はまともに動けないんだ。
焼くなり煮るなり、お前の好きなようにすればいいさ」
ゼンの姿は、文字通り満身創痍だ。
「最後に聞かせてくれ。
この遊戯の仕掛人はお前だったのか?」
「いいだろう。その答えは半分は当たっている。
この遊戯の仕掛人は俺だけじゃない。当主の三人との合同だ」
店主は口を開きつつも、しっかりとレーサを盾にしている。喉元に向けられたナイフに変わりはない。
「元々は野生動物を獲物に狩りを楽しんでいたんだ。
だが、どんな遊戯にも飽きは来る。そこで三人は新たな遊戯を考えた」
「それが人間狩りという訳か」
「ああ、そうだ。
だが獲物は人だ。町の人間を使う訳にもいかない。そこで目を付けたのが、お前たちのような旅人だ。
あちこちを旅する人間なら、消えたとしても違和感はない。それに獲物が残した財産は全て俺の手に入るしな」
「当主が三人も死んだんじゃ、このお遊びも御仕舞いじゃないのか?」
「あの三人が死んだのなら、別の名家にこの話を売ればいいだけの話だ」
リースはまだ何が起きたのか理解が追い付いていない顔だ。理解よりも、恐怖と動揺が彼女の心を占めていた。
自分が死に直面しているという状況に加え、一度に過度の情報が入ってきたのだ。それも彼女からすれば、信じたくないような情報が。彼女の目には涙が溢れ始めている。
「――そうか。
ああ、そうだ。後ろには気を付けろよ」
「その手には喰わないぞ。どうせ俺の注意を逸らそうっていう話だろう」
「お前に言ったんじゃないんだよッ」
ゼンの手からナイフが投擲された。先程、一本だけ手に取っていたものだ。使わないのが一番だが、そう上手くは行かなかった。
ゼンの手から離れたナイフは、店主の額へと一直線に飛んで行く。彼の長話に付き合っていたのは、少しでも狙いを正確にしたいというゼンの狙いであった。
ナイフは、店主の額に刺さった。そして、そのまま仰向けに倒れていく。リースを盾にしていた手は解けることはない。彼女の体ごと、床へと沈んでいく。
「キャァ」
リースの声が漏れる。それと同時か、少し遅れてか、ゼンの声もした。
「ぅっっっ。
やっぱり、急に動くと痛むか」
ゼンは左腕を庇いつつ、ゆっくりと立ち上がる。
店主の顔からは血が流れ、床に血溜まりができている。血はリースとゼンを分断するかのように床を流れる。
「オイ、大丈夫か?」
ゼンはリースに向かって右手を差し伸ばす。
「嫌っ!
来ないで」
ゼンの右手は払いのけられた。リースの目からは涙が溢れ、零れ落ちている。
ゼンは差し出した右手を戻す。部屋から自分の荷物を取り、リースの横を通り過ぎていく。
「昨日、今日のことは早く忘れるんだな。
それが一番だ」
この街から脱出する経路はいくつか見出していた。町は混乱の最中だ。この混乱に乗じれば、上手く脱出できるはずだ。
問題はゼンの体だ。今の状態では、素早い身動きは取れない。セロには悪いが走ってもらうことになりそうだ。セロのいる場所まで辿り着けば、後は跨り、走るだけだ。
「ゼン!」
聴き慣れた声がする。
「心配してくれるのは有り難いが、少し声の音量を下げてくれ。
住人に気付かれる」
「ゴメン。
それよりも体は大丈夫なの?
昨日、私が部屋に帰った時にはもう倒れていて、起こそうとしたんだけど、全然反応がなくて。
そうしたら、あの女の人が部屋にやって来て」
「わかった、わかった。
いいから行くぞ。
セロは大丈夫だな」
「うん。いつでも走れるよ」
「よし。セロ、頼むぞ」
ゼンはセロに跨る。セロはゼンの声に応じるかのように体を震わす。
「セロ、嬉しそう」
「今の状況は全くうれしくないんだがな。
行くぞ!」
ゼンはセロの横腹を足で軽く叩いてやる。その合図を皮切りに、セロは走り出す。街中ということもあり、全速力で走ることはできないが、それでも十分な速度は出ている。
少なくとも人間の足では追いつくことはできないだろう。ゼンは事前に調べておいた、とある方向へと舵を向ける。
それは街の外れにある家畜を育てている区域だ。家畜を飼育しているだけあって独特な匂いが漂う。それは遠くにいても隠し切れない程の匂いだ。
「ゼン、ここ酷い匂いがするよ」
「我慢しろ」
悪臭に苦しんでいるのはエアだけではない。ゼンもだ。一秒でも早く、この匂いから解放されたいという思いだ。
周囲に人影はない。あったとしても突っ切るだけだ。
ゼンは崩れかけている壁に近づく。少し手で触っただけで粉がポロポロと落ちる。
「さてと」
ゼンは壁を足で何度も蹴る。最初は小さかった穴が、段々と大きくなっていく。やがてはセロも通れるほどの大穴になった。
「よし、いくぞ」
ゼンとエアは街と匂いから遠ざかっていく。彼らを追うものは誰もいなかった。