十二話 其の九
ふと、ゼンは空を見上げる。エアがゼンに対し、何かを伝えようとしている。意味は分からないが、ゼンにとって好ましいことでないことは確かだ。
「何だ、お前ら?」
ゼンの前に立ちはだかったのは、若い数人の男だ。恐らく警備団の連中だろう。手にはそれぞれ武器を携えている。
「お遊戯の時間は終わりか?」
返答は帰ってこない。ゼンに来るのは攻撃だけだ。彼は刀を抜き、攻撃を躱した後に一太刀を入れる。腹に、首に、肩から胸にかけて。
ゼンの後ろには三つの死体が転がっている。
「……まだまだいるな」
三人も斬れば、向こうの戦意も喪失するとゼンは予想していた。事態はその逆になっている。警備団員たちは、彼に対し敵意を隠そうともしない。戦意はむしろ上がりつつある。
近距離で戦うのが不利になると悟ったのか、長物を持つ者が前に出ている。
「グッ」
左腕に激痛が走る。前からではない、後ろから何かが刺さった。ゼンは恐る恐る、自身の左腕を見る。
矢が貫通していた。上腕三頭筋の方から、矢が突き抜けている。ゼンが後ろを振り返ると、そこにはレーサが立っていた。
「狩りの参加者はお前ら三人だけじゃなかったのか?」
ゼンは必死に頭を回す。前に行っても後ろに行っても、待ち構えているのは敵だ。今は少しでも時間を稼ぐが先決だ。
「ああ。そのつもりだった。
だが、これは狩りじゃない。制裁だ。この街に混乱をもたらす余所者へのな」
絶体絶命、その言葉がふさわしい状況だ。
「ゼン!」
頭上から大声がした。ゼンを除いて、その場にいる全員の視線が上に向いた。
「何だあれは?」
「化け物か」
「いや、違うぞ」
エアの正体を詮索する会話が繰り広げられる中、また一つ音が響いた。
「っっ」
ゼンは全員の視線が自分から外れる瞬間を見逃さなかった。すぐ隣にある建物の窓硝子を突き破り、屋内に侵入した。幸いなことに硝子の破片は体に突き刺さっていない、体に痛みはあるが。
ゼンは周囲を見渡す。建物の内部は広そうだ。大人数が座れる横に長い椅子が何脚も置いてある。椅子の上にはひざ掛けも置いてあった。
ゼンはひざ掛けの一部をナイフで切り取る。壁を背にして、追撃が来ないことを不思議に感じる。彼を仕留めるなら今が絶好の機会だ。この機会を敵が見逃すはずがない。
敵がその気なら今すぐにでも追撃を仕掛けてくるはずだ。ゼンがぶち破った窓から入るなり、外からクロスボウを放つなど、追い詰める方法はいくらでもある。
ゼンは左腕に刺さった矢に手を掛ける。歯を食い縛り、矢を一気に引き抜く。
「ぐがぁぁ」
大型の矢でないことが幸いした。矢は案外すんなりと引き抜くことができた。痛みはあるが耐えることができる。左腕からは血が溢れている。
ゼンは先程切り取ったひざ掛けを左腕に巻く。できるだけ強く、何重にも。
「フー」
止血はできた。左腕は、使えそうにない。握力も落ちている。これでは刀すら握ることも難しい。刀でレーサを相手にするのは無理だ。
片手で扱える武器と言えば、ナイフだ。クロスボウも片手で撃つことはできるが、装填は片手では難しい。
腰に差している一品、そして何本も装備している投げる種類の物。レーサの武器は槍だ。ナイフで相対するには、至近距離にまで近づく必要がある。
片腕が使えない今の状況で、どこまでやれるか。それに敵はレーサだけではない。警備団の連中にも気を付けなければならない。
異臭がする。血や臓物の匂いではない。この匂いは炎だ。炎が建物を燃やし尽くす際に出る匂いだ。
ゼンは建物の内部を見渡す。まだ火は回っていないが、確実にこの建物は燃えている。
逃げねば、そう思った矢先に追撃が来た。ゼンが割って入ってきた窓からは矢が。出入り口の扉からは男が三入ってきた。中に入ってきた三人は、全員が槍を持っている。
「いたぞ!」
「さっさと殺すぞ」
「手負いの男一人だ。何てことはねえ」
ゼンは舌打ちを鳴らす。
「次から次へと……」
このまま大人しくしていても活路は見いだせない。焼け死ぬか、槍で刺されて死ぬかの二択だ。生きるには、前に出るしかない。殺されるよりも先に殺す。
ゼンは敵に向かって飛び出した。幸いにも敵は固まっている。横長の椅子があるため、広がることもできない。彼の後方へ回ることも難しい。
敵が三人いようとも、実際にゼンに攻撃できるのは一人だろう。加えて屋内での戦闘だ。槍を振り回す事も困難だ。槍での攻撃手段は突きに限られてくる。
一度躱しさえすれば、向こうに隙ができる。問題は、傷を負った今の状態で、敵の初動を見切ることができるか否かだ。
機会は一度しかない。しくじれば、後は逃げるしかない。既に建物には火が回り始めている。煙も現れ、視界も悪くなり始めた。残された時間は少ない。
「来たぞ」
「見つける手間が省けた」
三人は既に勝ったつもりでいる。自身らの勝利を疑う気配は一切ない。その方がゼンにとっても都合がいい。
すぐに槍の間合いに入る。
「これで終わりだっ」
ゼンは飛んだ、右側へ。幸いにも、槍の一撃はゼンに当たることはなかった。
ゼンは椅子の背もたれの僅かな部分に足を着地させる。着地させた右足を。思い切り蹴る。彼が右手に持つナイフは、一人の喉元を掻き切った。
「……あ……あ」
当の本人は何が起きたか理解が追い付いていない様子だ。本人だけではない。残る二人も同じだ。
ゼンは止まらない。息つく暇もなく、次の行動へと移る。足元のナイフを引き抜く。狙いは目の前にいる男だ。当たりさえすれば、どこに当たってもいい。今、求められるのは正確さよりも速さだ。
「ッウ」
ゼンの投擲したナイフは、脇腹に刺さった。男は痛みで体を丸める。
ゼンは一気に距離を詰める。右手で相手の首を絞めると、一気に持ち上げる。
首の骨が折れる音がした。どうあっても即死は免れないはずだ。ゼンは死体を放す。
「く、来るな」
残る一人は及び腰だ。必死に槍を構えてはいるが、足腰は後ろに下がっている。
ゼンは手にしたナイフを投擲する。
「ヒッ」
今度は狙いを付けての投擲だ。狙いは喉仏だ。
男は倒れていく。喉元には、ゼンの愛用のナイフが刺さっている。狙いは的中した。ゼンは男の元に近づき、ナイフを引き抜く。
「言われた通り、近づかなかったぞ」
ゼンに休む暇はない。すぐにでもこの建物から脱出しなければならない。脱出口はゼンが入ってきた窓、男たちが入ってきた正面扉、反対側にある窓の三つだ。
ゼンには悩む時間すらなかった。再び、正面の扉から数人のお客が入ってきた。
「逃がすな!」
「ここで仕留めろ」
ゼンは走り出す。目指す場所は、入ってきた側とは反対の窓だ。黒煙が建物内に充満しつつある。呼吸をするだけでも容易にはいかない。
だが、その黒煙がゼンの姿を隠すのにも役立っていた。
「畜生め」
ゼンは外を目指して、飛び込む。
ガラスの割れる音とともにゼンは外に出た。
「痛っってええ」
何度も経験してもこの痛みに慣れることはない。ゼンは傷だらけの体を引きずり、別の建物に背を預ける。体にガラス片が刺さっていないかを彼は確認する。
「チッ」
よりにもよって左腕に小さな破片ではあるが、異物が刺さっていた。大きな傷のせいで気付くのに時間が掛かってしまった。ゼンは破片を取り除き、放り投げる。
「あつ、いた!」
空からエアが下りてくる。一直線にゼンの肩を目指して。
「左肩の方には乗るなよ。傷が痛む。
それよりも今はどうなっている?」
「みんな、ゼンが出てくるのを待ち伏せしている。ゼンが入って行った窓と、正面の扉で」
「こっちから出てきて正解みたいだな」
ゼンは背を預けたまま動かない。動きたくとも、体を動かせない。体が重い。
「それよりも、ゼン。
早く逃げなきゃ。いつこっちに敵が来てもおかしくないんだよ」
「ちょっと待ってくれ。
エア、お前は先に行け。俺は後で移動する」
「本当?」
「本当だ。先に行け」
エアは振り返ることもなく、空へと飛び立っていく。
「やっと行ったか」
ゼンは壁に手を付きつつ、何とか立ち上がる。体も限界に近付きつつあった。今のゼンを支えているのは、気力だ。それもいつまで続くかわからない。
人の走る音が聞こえる。警備団の連中だろう。音は一つだけではない、大量だ。それに話し声も聞こえる。内容はゼンに好ましいものではない。
ゼンが逃げようと足に力を入れた、その時だ。彼は姿勢を崩し、転んでしまった。普段の彼であれば起こりえないことだ。よりにもよって、この極限状態の時にまさかの事態が起きてしまった。
ゼンは直ぐに立ち上がろうとする。
足を、手を動かせ。今すぐにでもこの場から離れろ。ゼンの意識に体が追い付かない。逃げたくとも体が動かない。仰向けの状態から動けない。動くのは指先の僅かな個所だけだ。
「――ここまでか」
足音が止まった。仰向けのため全方位を見渡すことはできないが、それでもゼンは自分が包囲されていることはわかる。
「よくもここまで手を煩わせてくれたな」
この声には聞き覚えがある。顔は見えないが、その憎たらしい顔は想像できる。
「お前の運もここで尽きたなっ!」
レーサはゼンの左腕に足を乗せる。
「ぁあぁあぁあ!」
ゼンは悲痛な叫び声を上げる。左腕を押さえ、地面を右に左に転がる。
「痛いか?
当然だよな。だが、ワロやソドが受けた痛みはこんなもんじゃないぞ」
レーサは右足を上げる。そこから体重を乗せ、再びゼンの左腕に足を降ろす。
「ぐぁぁぁ」
止まりかけていた左腕の血も再び吹き出し始めた。だが、ゼンの意識は痛みに持っていかれている。
「どうした。立って反撃して見せろ!」
痛みのお陰でゼンの意識ははっきりと冴えていた。左腕に走る痛みもしっかりと知覚している。彼はゆっくりとではあるが、自身の力で立ち上がる。
腰のナイフを抜き、何とか構えを取る。今のゼンではまともに立つことも難しい。体は揺れているし、視線も安定してない。最早、左腕は完全に使えない状況だ。
それでもゼンは残る右腕一本のみで戦う姿勢を見せている。
「そうだ、それでいい」
ゼンは踏み込み、ナイフを振るう。その一撃はあっさりと躱されてしまった。
それどころか、ゼンは腹に一撃を貰った。
「うっ」
ゼンは膝から崩れ落ちる。
「立て」
「っが」
レーサはゼンの髪を引っ張り上げる。ゼンは成す術もなく、相手の思う通りになっている。ゼンの口からは血が出ていた。
「まだ終わりじゃないぞ!」
再び、レーサの膝がゼンの腹に入る。ゼンの顔は苦悶に満ちていた。ゼンは腹を押さえ地面を転がる。この戦いの直前に何も食べていないのが幸いした。腹に何かが残っていれば、確実に嘔吐していたであろう。
「そいつをこっちに連れて来い」
レーサはゼンのすぐ近くにいる二人に命令した。
「はっ」
息の合った応答だ。二人はゼンを無理やり立たせ、レーサのすぐ傍まで連れて行く。ゼンは特に抵抗する素振りも見せなかった。項垂れたまま、反応が無いに近い状態である。
「よーし、そのまま持っておけよ。
オイ!こいつを持っておけ」
レーサは槍を預けると、拳を握る。拳はゼンの腹に、顔に叩き込む。一発ではない、何発も。レーサの拳が血で染まっても、殴ることを止めなかった。