十二話 其の七
「ふぅ」
ゼンは出された食事を心行くまで堪能した。皿一杯に盛られた肉。それに付け合わせのパンとスープ。ただそれだけだが、今の彼にとっては打ってつけの料理だ。この後に起きる事も忘れて、ただただ食べることを楽しんだ。
「はい。
これおまけ」
給仕が差し出してくれたのは紅茶だ。色は鮮やかな紅色である。香りもいい。口にしなくても心が安らぐ。
「えらく気前がいいな。
俺が言うのも何だが、こんなにしてもらってもいいのか?」
「二度も来てくれたお礼。
それに金払いもいいお客さんだからね」
歯に衣着せぬ発言だが、嫌みは全くない。それどころか清々しいまである。
「それじゃあ、遠慮せずに頂くぞ」
ゼンは出された紅茶を一口飲む。程よく温かい紅茶は口の中で、その豊満な香りを惜しみなく放出する。香りは口の中だけでは留まらず、鼻腔まで広がっていく。
「いい味だ。
料理人が入れたのか?」
「私」
「へ?」
「入れたのは、わ・た・し」
「そいつは驚いた。
これなら金を取れるぞ。」
「ありがとう。
けど、これはあくまでサービスだから」
「勿体ないな。
美人が入れてくれるって宣伝すれば、売れるぞ」
「そういう売り方はしないの」
「ご馳走様でした」
ゼンは手を合わす。出されたものを全て食い切ったため満腹状態だ。少しの間はゆっくりしたい気分だ。
「次はいつ来るの?」
「明日、来れたら来るよ」
「そう言って来ないつもりでしょ」
「来るさ。
来れたら……の話にはなるが」
「何それ。
不安にさせないでよ。ただでさえこの頃は物騒なんだから」
「悪かったよ。
それじゃあ、明日もおまけを期待しておくよ」
ゼンは代金を机の上に置き席を立つ。
「またね」
給仕が手を振ってくれる。
「ああ。
またな」
ゼンも同じく手を振って、店を出る。
店を出た瞬間、ゼンを刺すような鋭い視線を感じた。恐らく、彼が店の中にいる間、ずっと外で立っていたようだ。ご苦労なことである。
ゼンは寄り道もせず、まっすぐに宿へと帰った。やはり、監視は彼が宿の中に入るまで続いた。
「お帰り!」
「夜に向けて寝る。
夜遅くなっても起きなかったら起こしてくれ」
「うん、わかった」
珍しく、エアが素直だ。そんな思いを抱きつつ、ゼンは体を休める。
「――ん。」
ゼンは喉の渇きから目を覚ました。口を開けて寝ていたのだろう、舌まで乾燥しているのが分かる。
「水は」
ゼンは机の上から水を探した。飲むための容器にすら移さず、水瓶を持って喉を潤す。
「はぁ」
続いてもう一度、水を喉に流し込む。水瓶の水が尽きたことで、ゼンの水分補給は終わった。
「エア?
どこだ」
ゼンはエアを探す。どこにも姿はない。まだ陽が落ちて時間もたっていない。外に出るには早すぎる。
幸いにも騒ぎが起きている様子もない。エアは子供といえども、ドラゴンだ。仮に街の住民にでも見つかれば、大騒ぎになるはずだ。今の所、その様子はない。
「はぁ」
エアが住民に見つからないことを祈るのみだ。ゼンが捜したところで見つけられる可能性は少ない。
ゼンはため息をつき、椅子に腰かける。
全身に付けている武器を外し、机の上に置く。置いた武器を一つずつ手に取り、手入れを始める。ついこの間に手入れをしたばかりだが、戦いの前には重要なことだ。
全ての武器の手入れが終わる頃には、遅い時間になってしまった。まだエアは帰ってこない。この時間になれば、エアが見つかることはそうそうないだろう。
手入れを終えた武器を一つ一つ、ゼンは身に着けていく。この街に来てからは武器を外していることが多かったため、体が重く感じる。その重さが、彼にとっては懐かしく感じた。
「行くか」
時刻は先日とほぼ同じだ。エアは結局帰ってこなかった。帰りを待つ者がいないのはゼンにとって常だ。その方が気楽とまでも感じる。彼は靴紐を固く結ぶと、席を立った。
静かな夜だ。今までもそうであったが、今日は意味が異なってくる。この静けさはいつまで続くのか。ゼンは一歩ずつ、昨日の現場へと近づく。
待ち合わせにゼンは着いた。当然ではあるが、何も変わりはない。燃え落ちた家がそこにはある。彼は手ごろな段に腰を落ち着ける。
「ふーー」
陽も落ち、空には月だけが浮かんでいる。外套も置いてきたため、少し肌寒く感じる。それも今の間だけだろうが。
「お待たせしました」
闇夜に紛れ、昨日の三人組が姿を現した。相も変わらず、金のかかった衣装に身に包んでいる。
加えて、町の警備団を後ろに従えている。全員が武器を所持しており、一部はゼンと同じようなクロスボウを携えている。
「それでは早速、遊戯を始めましょうか」
喋っているのは太っている男だ。残りの二人は横に立っているだけだ。
「遊戯の勝敗条件をお教えしましょう。
この場所から、反対側にある門まで辿り着けばあなたの勝ち。捕まれば、あなたの負け。
どうです。簡単でしょう」
「それだけか?」
「どういう意味ですか?」
「お前らを倒せば、俺の勝ちになるんじゃないのか」
「――」
太った男は言葉をなくした。予想だにしなかった言葉がゼンの口から出たため、絶句したのだ。
「ハハハハハ」
笑い出したのは槍を持った男だ。
「面白い男じゃないか、ワロ。
そうだ、その通りだ。
これは狩りなんだ。一方的な関係じゃない。狩る側と狩られる側は固定じゃないんだ。
俺もソドもワロも狩る側であり、狩られる側でもあるんだ。そうじゃないと面白くない。
見ろ。珍しくソドが楽しそうにしているじゃないか。久しぶりにコイツのこんな姿を見た」
刀を持った男、ソドの表情はゼンには変わったようには見えない。手を刀に置いたまま立っている。
「それじゃあ、さっそく始めようじゃないか。
今更だが、自己紹介でもしようか
俺はレーサ。見ての通り、獲物は槍だ」
「私はワロです。このクロスボウを使います」
「ソドだ。相棒はこの刀だ」
「あなたの姿が見えなくなった時から、私たちはあなたを狩りに行きます。
いいですね?」
人間同士の狩りが始まった。狩られるのはゼンか、それとも三人組か。
ゼンは直ぐに走り出す。後ろを振り返ることもせず、脱兎のごく駆けだした。脇目も降らず全力で。
「フー」
町の中心に近づいたことで建物が増えてきた。ゼンは目に入った角を曲がり、背を壁に預ける。息を整えつつ、後方から入る音に気を向ける。
まだ誰かが走る音や歩く音はしない。向こうはようやく動き始めた頃だろうか。初めのこの段階で、見つかることだけをゼンは避けたかった。
息も整った。再びゼンが走り出そうとしたとき、違和感を覚えた。妙な重さがある。今まで気付かなかったが、感を取り戻し始めた今になって、彼は勘付いた。
違和感の根源は腰のポーチだ。ゼンはポーチを鷲掴みにする。
「ぎゃっ」
声がした。それに鱗を掴んだ感触もした。
「何するのさ」
声の正体はエアだ。
「それはこっちの台詞だ!
お前こそこんなところで何をしている」
「当然。ゼンの手助けだよ」
そういうエアの顔はどこか明るい。今から何処かへ冒険にいくかのような顔をしている。
「お前、わかっているのか。遊びじゃないんだぞ」
「分かってる。
けれども、ゼンなら大丈夫でしょ」
「――お前な」
「私は上からゼンを見守る。それなら邪魔にならないでしょ。
いざという時には、私が囮になる」
エアの目は真剣だ。冗談で言っている素振りはない。囮になるというのも本気なのだろう。実際、エアが囮になるのは、かなりの効果を発揮するに違いない。
夜に空を飛ぶ物体。それだけでも敵の注意を引き付けるのに大いに役立つ。加えて、子供とは言えどラゴンだ。嫌でも目が離せなくなる。
一秒、それ以下の刹那でも、立ち合いの中であれば死活に関わる。ゼンならば一瞬の隙を付き、死に至る一撃を叩きこむことも可能だ。
「頼むぞ」
「うん。
っ、ゼン!」
エアが言い終わる前に、ゼンは駆けだす。ゼンが後にした壁には矢が刺さっている。彼がそのままそこに立っていれば、矢は頭に直撃していたであろう。
「おや、外れましたか。
当たる軌道にあったのですが、残念ですな」
「それよりも、何かアイツの周りに黒い影がなかったか?何かが飛んでいたような。
ソド、お前も見たか?」
「見ていない」
「ワロ、お前は?」
「いいえ。見てません。レーサ、あなたの見間違えでは」
「まあいい。アイツを仕留める頃にはわかる話だ」
夜道を一人、ゼンは走っていた。先程の襲撃から足は止めていない。可能な限り三人との距離を稼ぎたかった。
まだエアはポーチの中にいる。襲撃の際にゼンがポーチの中に放り込んだせいもあるのだが。
「ハァ、ハァ、ハァ」
再び壁に背を預け、ゼンは呼吸を整える。
「エア、生きてるか?」
「生きてるよ!」
エアはポーチの中から出てきた。
「生きていて何よりだ。もうじきあの三人もこっちに来る。
いざという時は頼む。信じているぞ」
「任せてよ」
「今の間には慣れておけ。さっきみたいにポーチに放り込まれる前に」
「頑張ってね」
「精々、頑張るさ」
エアは空へと飛び立っていく。闇夜の中ではゼンでさえ見つけるのに一苦労する。それが見ず知らずの他人となれば、目を凝らしても見つけるのは難しいだろう。
ゼンの体も温まってきた。夜ということもあり気温は低いが、その冷たさが今の体にはちょうどいい。
ゼンは目を閉じ、意識を音に集中させる。いる、一人だ。周囲が静かな分、僅かな音でも聞き分けられる。問題は、三人いる内の誰か、ということだ。
ゼンは壁から顔だけを出す。いた。名前は憶えていないが、一目でわかった。その体型がすべてを物語っている。
ゼンが顔をひっこめた瞬間、矢が飛んできた。そのまま顔を出していればお陀仏だ。そして、ボルトが飛んできたということは、再装填の必要があるということだ。
ゼンは壁から一気に飛び出す。再び装填させる時間など与えずに一太刀で決着をつける。
予想通り、男はボルトの再装填中だ。この距離ならば、ゼンが一撃を入れる方が早い。彼は一気に距離を詰める。
「フッ」
男の口角が上がった。手にしていたクロスボウを手放すと、腰のあたりから何かを取り出した。クロスボウだ、それも小型の。確認はできないが、恐らくボルトも装填されているのだろう。
ゼンが一太刀を叩きこむのはまだ時間がいる。それまでに小型のクロスボウから矢が発射される。
男がクロスボウを構え始める。同様にゼンも腰のナイフを抜く。
クロスボウからボルトが発射された音がした。ゼンの体にボルトは刺さっていない。彼の手元にはナイフもない。
「フー」
発射されたボルトはゼンには命中していない。明後日の方向へと飛んで行った。ゼンが投げたナイフは男のクロスボウに当たったのだ。そのせいで男の狙いが逸れたのだろう。
「なっ」
ゼンは男の額を目掛けて投擲したのだが、流石に狙い通りにはいかない。額に命中していればボルトはゼンに命中していたかもしれない。嬉しい誤算だった。
そして、これで隠し玉はなくなった。ゼンは止まらずに距離を詰める。
「くっ、くる」
男の言葉は途中で終わった。ゼンが終わらせたのだ。彼は刀を抜き、一気に踏み込む。男の首元目掛けて、刃を突き刺した。
刀身は男の首を貫通する。男の首元からは血が溢れてくる。
ゼンは刀を抜き、刀身の血を払う。彼は男の体をそっと押す。男は背中から倒れていった。