十二話 其の六
「がっ」
ゼンの体は後方へと引きずられて行く。突如の事態に、さしものゼンも反応できなかった。
ゼンの首には縄が掛けられている。その縄を引っ張られて、彼は体勢を崩した。地面に背を付けながら彼は引きずられる。
ゼンの目の前には男が二人いる。二人とも背が高く、体もしっかりしている。二人は武器を持っている。槍だ。槍の先端がゼン目掛けて迫ってくる。
ゼンは足を上げ、槍の軌道を変える。そのまま勢いをつけ、一気に立ち上がる。彼の持っている武器は腰のナイフと足首の投げナイフだけだ。
対する二人は槍を持っている。ゼンが立ち上がったことで、二人は警戒をし距離を取った。こうなると、槍の方が圧倒的に有利だ。彼はまだ武器を手にしていない。素手のままだ。
対峙する二人はゼンが手ぶらということで攻勢に出た。二人で顔を見合わせ、時機を見計らう。
穂先がゼンに迫ってくる。最初は一つ、少しずれてから二つ目が。一つを回避した後に二つ目の穂先が命中するように計算された動きだった。
ゼンは相手の思惑通り、初撃を回避した。このままでは二発目が彼の体を貫通する。
二本目の槍がゼンの体を貫通するその直前、彼は槍を掴んだ。間髪入れずに、全力で槍を自身の体の方へ引き寄せる。
一人がゼンの目の前に引き寄せられる。彼は左肘を相手の顔面に叩き込む。鈍い音がした。それに悲痛な声も。鼻が砕ける感触がした。すぐには立ち上がれないだろう。
ゼンは間髪入れずに、次の攻撃を繰り出す。手に持った槍の柄を残る一人の鳩尾に叩き込む。刃はついていないが、人ひとりを倒すには十分な威力だ。
残る一人も地面に倒れていく。何があったのか理解できていない顔だ。
ゼンは首に巻かれた縄をナイフで切る。彼の首にはまだ赤い跡が残っていた。
いつから二人がいたのかはわからない。ただ言えることは、ゼンの行動は補足されていた、ということだ。彼は落としてしまった硬貨を再び探す。
先程の衝撃のせいでゼンは硬貨を手放してしまった。再び見つけ出すのにそう時間はかからなかった。彼は目当ての物を手にすると、すぐに家屋から脱出しようとする。
「っと」
ゼンの目の前にいたのは、大男だ。身長は彼をはるかに越しており、目を合わそうとすれば顔を上げる必要がある。
ゼンは相手の腹に拳をぶちかます。一発、二発と。硬い。腹に鉄板でも入れているかの様な硬さだ。殴っている彼の拳の方が痛みだす。
「がっ」
ゼンの眼前に膝蹴りが飛んできた。ゼンは咄嗟に両腕で防御する。が、防御の型を取っていても威力を完全に殺すことはできなかった。速度と重量の載ったいい一撃だ。彼の腕が痺れている。彼の体が宙に浮いた。
間を開けず、大男はゼンの襟をつかむ。宙に浮いている彼は何の抵抗もできないまま、持ち上げられる。
「っお」
大男はそのままゼンを天井に打ち付ける。何度も何度も。ゼンの体よりも、家屋の方が潰れそうな勢いだ。
ようやく大男から解放されたゼンは、真下に落ちていく。
「が」
ゼンは俯せのまま動かない。大男はもう一度彼の襟に手を伸ばす。
ゼンは腕の力を用い、体を一気に一直線上に伸ばす。足を相手の顔面に向けて。
ゼンの両足は大男の顔面に直撃した。予想だにしなかった反撃に大男は後ずさる。ゼンはそのまま足払いを仕掛ける。相手は体勢を崩し、今度は男が倒れた。
男はすぐに立ち上がろうとする、顔を上げて。
ゼンの足が男の顔面に綺麗に入った。鼻が砕ける音がした。血も派手に飛んだ。
「はぁ、はあ……。
どうだ」
流石の大男も動かない。息はしているが、立ち上がろうとする気配はない。仮に立ち上がるようならば、もう一度、全力の蹴りを顔面にお見舞いするだけだ。
ゼンは相手が完全に気絶していることを確認すると、今度こそ家屋から脱出する。
ゼンの足が止まった。焼け落ちた家から脱出した彼は囲まれていた。家の周辺は警備団に囲まれていた。蟻すら逃がさないような鉄壁の包囲だ。
囲んでいる者たちは武器を携行している。そのほとんどはボウガンだ。この暗闇の中でも彼らの狙いはゼンから逸れていない。彼を補足している。
屋が放たれれば、全員の分は当たらずとも、少なくとも数発は命中するだろう。その数発が致命傷になることもあり得る。
このまま戻って隠れるか。否、逃げた所で状況は変わらない。それどころか、悪くなる一方だ。ゼンは頭の中で必死に活路を見出すとする。
「いやぁ。お見事、お見事」
「まさか一人で三人を倒すとは」
「これは楽しめそうですね」
包囲網の外から、人が歩いてきた。三人だ。一人は背が低く、腹が前に突き出ている。もう一人はゼンよりも少し背が高いくらいであろうか。その鍛えられた肉体は遠目からでもわかる。最後の一人は中肉中背だ。特段太っている訳でもなく、痩せている訳でもない。
共通しているのは、三人とも立派な身なりをしている点だ。普通に暮らしている庶民には到底手の届かぬような服装を着ている。
「話をしようじゃないか。
そちらにとっても悪い話ではないと思うが。」
太っている男が声を上げる。
「何が望みだ」
「簡単な話さ。
君は私たちの遊戯につきあってくれればいい。それだけだ」
「俺を嬲り殺しにでもするつもりか」
「そんなことはしないさ。折角の楽しみをふいにはしたくない」
「楽しみ?」
「ああ、そうだ。
私たちの遊戯とは、狩りだ。
君にはその標的になってもらいたい。もちろん、断ることだってできる。
その場合、どうなるかは予想できるだろうがね」
太った男は右手を上げる。その瞬間、周囲にいる警備団の者たちがボウガンを発射する体制に移行する。
「明日、今と同じ時間にここに来てくれ。遊戯の勝敗は簡単だ。ここから街の外れにある門まで逃げ切れれば君の勝ちだ」
「負けたら、事故死として扱われるのか」
「そこまで察していれば話が早い。
それじゃあ、また明日会おうじゃないか」
包囲網が解かれ、ゼンは一人だけになる。
「はぁ」
ゼンは近くにあった手ごろな台に座る。頭を抱き、項垂れる。軽い気持ちで踏み込んだ結果がこうとは、彼は予想だにしなかった。
ゼンは重い腰を上げ、宿へと帰っていく。その背中は少し曲がっていた。
「帰ったぞ」
息と同じく、ゼンは窓から中へと入る。
「うわっ!びっくりした。
どうだった?」
「最悪の結果だ。
今日は寝るから、話は明日する」
そう言うとゼンは直ぐに寝息を立て始めた。
翌日の朝を、ゼンは気怠さと共に迎えた。いつもよりも遅く就寝したせいで眠気が取れない。それに体に痛みもある。
「ぐあぁ」
起き上がっただけでもゼンの体に痛みが走る。痛み自体は我慢できるが、痛みのせいで動きが鈍くなるのが一番の厄介な点だ。
「さぁ、起きたことだし、聞かせてもらうよ」
机にはエアが座っていた。ゼンが起きるのを待っていたようだ。
「まずは腹ごしらえをしてからだね。
朝ごはんだよ」
「っつたく、誰が用意するんだと思っているんだ」
「この宿の主人でしょ」
「……そうだな。」
ゼンは朝食を受け取りに部屋から出る。
「おはようございます。
よかったですよ。一日を無事に迎えることができて。
そういえば、聞きました?
昨日の火災、どうやら死人が出ていたようです。しかも、亡くなったのはこの宿に泊まっていた人だったんですよ」
「やはりか」
ゼンは小さく呟く。
「何か言いました?」
「いや。それは初耳だ」
「ええ。それにしても何故、あの人はあんな町はずれの家屋にいたんでしょうか?しかも火を放って死ぬなんて。
見た所、お金に困っているようには見えなかったんですけどね。何でも大きい仕事をした後で金はたんまりあるって、本人が言っていたんです」
「朝飯を頼む」
「どうかしました。お疲れの様子ですが?」
「昨日の眠りが浅くてな。
朝を迎えられるのか不安でよく眠れなかったんだ」
「それは、それは。
お食事の用意ができましたらお部屋までお持ちしましょうか?」
「いや、いい。
ここで待っておくよ」
ゼンは出された食事を手にし、部屋へと帰っていく。
「で、何があったの?」
「簡単に言えば、金持ちのお遊戯に付き合うことになった。それも命がけのな」
「なんでそんなことになったの?」
「俺に聞くな」
「逃げるのはどう?」
「無理だ。外に出るための門には向こうのお仲間さんで固められている。
強行突破すれば脱出できるかもわからんが、俺は無事でもセロが心配だ。」
実際、ゼン一人であればこの街から逃げ出すことは恐らく可能だろう。夜半に奇襲を掛ければ望みはある。何も全員を相手にする必要はない。
現場を指揮している立場の者を殺さずに、適度に痛めつければいい。二、三人程度ぶちのめせば、膠着状態に持ち込めるとゼンは踏んでいる。そうなれば逃げるだけだ。誰しも自分の命が一番だ。命を賭してまで彼を追うものはいまい。
「どうするの?」
「付き合うしかないだろ。
心底嫌だがな」
「帰ってこれる?」
「多分な」
「待っているよ」
「朝になっても帰ってこなければその時は……」
「その時は、その時に考えるよ。
そうならないのが一番だけど」
「まあ、精々頑張るさ
少し寝る。飯は食っていいぞ」
ゼンは戦いの前の休息をとる。眠るのにそう時間はかからなかった。窓から朝日が差し込んでいたが、今の彼には関係ない。一度、眠りに入れば、後は目が覚めるまで寝るだけだ。
次にゼンが目を覚ましたのは、昼頃だ。朝食を食べなかったため空腹から目が覚めた。
「昼飯を食ってくる」
エアに声をかけたが、肝心のエアは寝ていた。
「気楽なもんだ」
ゼンは綺麗になった料理皿を店主に返し、宿から出る。
「やはりか」
宿から出た途端、ゼンは視線を感じた。普段、彼が感じるものではない。余所者を珍しがる好奇心や侮蔑の入った視線ではない。狩人が獲物の動きをみるような感覚だ。もちろん、獲物は彼である。
ゼンの行き先は決まっている。ついこの間に訪れた、あの飯屋だ。戦う前の景気づけに美味い飯を彼は求めていた。美味いものを食ったからと言って命が助かるものではない。それは彼がよく知っている。美味いものを喰いたいという、ただの彼の欲望だ。
「いらっしゃい!
あれ、この間の。また来てくれたの」
ゼンを迎えてくれたのは、前回と同じ給仕だ。まだ彼の顔を覚えてくれていたようだ。
「一応は客商売だからね。お客さんの顔はできるだけ覚えるようにしているの。
それで今日は何を食べるの」
「肉。
腹が減っているから大盛で頼む」
「はーい。
空いている席で待ってて」
ゼンを監視している視線は店に入る直前まで感じていた。流石に店の中までは入ってこないようだ。
少しの間だが付きまとう視線からゼンは解放された。店から出れば再び視線と付き合うことになるのはわかっている。
そんなことは関係なしに、今は食事を楽しむだけだ。ゼンは出された食事に集中する。