十二話 其の五
翌日、陽が昇り始めるころ、ゼンは目を覚ました。昨晩、一度目を覚ましたが、目を閉じるとすぐに寝てしまった。
寝ているエアを起こさぬよう、静かに寝床から出る。大きく体を伸ばすと、体中から骨の鳴る音が聞こえる。
「ん」
目が覚めてくるのと並行して、喉の渇きをゼンは感じた。彼の部屋には飲料水はない。水を飲むためには、近くの井戸まで行く必要がある。
エアも起きる気配はない。先に朝飯と水をいただこう、ゼンはそう決めるとすぐに行動に移す。
扉を開け、店主のいる方へと向かう。まだ朝が早いため、店主が起きているかはわからない。店主が不在の場合は、水だけでも飲むつもりだ。
「おはようございます」
店主はいつもの定位置にいた。
「おはよう。
朝早くからで悪いんだが、朝食と水を頼む。料金は別になるのか?」
「いえ。こちらからのサービス、ということにしておきましょう。他のお客様には内密で」
「感謝する。
そこの席でゆっくりしておくよ。先に水だけもらってもいいか?」
「どうぞ」
ゼンは水の入った瓶と飲むための容器を貰った。それぞれを片手に持ち、席に座る。座るなり、まずは一杯を一口で飲む。続いて、もう一杯を一口で。
喉の渇きは収まった。次に満たすべきは、腹だ。店主がどんな朝食を出すかはわからないが、今のゼンにとっては味よりも量だ。味を求めるのであれば、外に出た方がいいのは確実だ。量に関しても外の方がいいだろう。
もう少し遅くまで寝ていれば、ゼンは間違いなく外に出ていただろう。
「お待たせしました」
いつの間にか、ゼンの後ろには店主が立っていた。手には大きな皿を携えている。気になる皿の内容は、ほんの僅かな肉と付け合わせの葉菜が載っているだけだ。
昨日の昼食が豪華だっただけに余計に見すぼらしく見えてしまう。だからと言って、店が開くまで待てる程の腹の余裕はゼンにはない。
ゼンは手を合わせると、一気に食材を口の中に放り込む。咀嚼しては飲み込み、また一口を頬張る。ゼンはあっという間に、朝食を平らげると、部屋へ戻っていく。
「ごちそうさま
食事を楽しむことはできなかったが、腹を満たすことはできた。食事は昼食で楽しむことにしよう。昨日のあの店で。既にゼンの思考は昼食に向いていた。
自室に戻ってもエアは寝ていた。昨日、夜遅くまで出かけていたのだろうか。
「ッ」
外から悲鳴が聞こえた。ゼンは直ぐ側にあったナイフを手に取る。窓から身を乗り出し、何が起こったのかを確認する。
窓からでは何が起きたかが判別できない。そうしている間にも、どんどん外に人が集まってくる。
「ん~何~。
せっかく、気持ちよく寝ているのに」
エアも重い瞼を持ち上げる。
「何か起きたようだ。
確認してくる。お前はここにいろ」
ゼンは外套を着こみ、外に出る。悲鳴のあった方へ近づけば近づくほど人は多くなっていく。
ゼンは人だかりをかき分け前へ前へと進んでいく。
「シビ?」
ゼンが目にしたのは、男の死体だ。その姿は、昨日に会話をしたシビにそっくりだ。
遠目からでは確実に判断はできないが、恐らくはシビだ。見た限りでは目立った外傷はない。
目の前の男がシビかどうかは置いておいて、死因がわからない。この街で殺人が起きたのか。
あれこれゼンが施行を巡らせている間に、警備団と思われる集団が現場にやってきた。
警備団の連中は事故現場の周辺をすぐに封鎖、人だかりを解散させた。ゼンも例外ではない。行く先を失ったゼンは自室に戻るほかなかった。
「あっ、お帰り~
外の騒ぎは一体何だったの?いっぱい人が集まっていたみたいだけど」
「人が死んでいた。
恐らく、この宿に泊まっていた客だ」
「この宿に泊まっていた人が!?
それって、昨日、ゼンが言っていた道具商の人?」
「――恐らくはな。
遠くから見ただけだから、まだ確実じゃないが」
「殺されたの?」
「それもわからん。
自殺か他殺か。それすらも不明だ。見た所、目立った外傷も見当たらないしな」
「その人、昨日、ゼンに薬を買わせた人だよね」
「そうだ。
そうすると、自殺とは考えにくい」
「どうして?」
「エア、例えば、近い内に美味い肉が食えるとして、自殺するか」
「ううん。どうして美味しいお肉を食べられるのに命を自ら断たなきゃいけないの。
死ぬとしても、美味しいお肉を食べてからだね。そうじゃなきゃ、死んでも死にきれないよ」
「――そうだよな」
「何さ、その言い方」
「その商人、シビっていう名前なんだが。これから件の薬を売ることにかなりの自信を持っていたんだ。
まあ、商品自体はいいものだしな。一般にはあまり売れないかもしれないが、金の持っている人種に対しては売れるだろうと俺も思っている。
そんな売れる物を持っておきながら自殺する理由がないんだ。まあ、シビ自身の問題もあるだろうし、これもただの仮説だがな」
ふと、ゼンはエアの方を見る。
「ふぁぁぁ~、終わった?」
「終わったよ」
エアは欠伸をしていた。隠す気配もなく、口を大きく開けている。
「エア、しばらく外出は控えておけ。俺ももうじきこの街を出るから、その間だけ我慢しろ」
「そこまで警戒する必要あるの?
それに私はドラゴンだよ。最悪、逃げればいいだけの話だよ」
「頑張って逃げてくれよ」
ゼンは椅子に座り、武器の手入れを始める。
「またするの?
ついこの間もやったばっかりだよ。もうやったこと忘れたの?」
「ああ。この手入れが無駄になること祈るだけだよ」
この日、ゼンが宿から出ることはなかった。
その晩、ゼンは騒ぎから目を起こした。深く眠っていた訳ではないので、直ぐに起きることができた。
寝起きも気怠さがないと言えば、嘘ではない。このまま部屋に閉じ籠っているよりかは動いている方が幾分かマシだ。
ゼンはナイフだけを持つと、外に出る。
騒ぎの発生源は宿屋から離れた家屋だ。ゼンのいる場所からでは、その家は見えない。だが、事が起きているのは一目でわかった。
暗闇が支配する夜に、大きな光が灯っているのだ。人工的な暖かみのある明かりではない。昔から人類が使ってきた火だ。その火が炎となり暗闇を照らす灯りとなっているのだ。火事だ。家が燃えている。
「っ」
相手が生物であればゼンも太刀打ちができるかもしれない。しかし、今起きているのは自然現象だ。流石のゼンといえども炎を斬ることはできない。
騒ぎは大きくなる一方だ。警備団も発生源に向かっているが、警備団だけでは手が足りない。睡眠から目覚めた街の人達も消火活動を手伝うことになった。
不幸中の幸いだったのは、雨が降り始めたことだ。消火活動を始めてからしばらくした頃、空から恵みの雨が降ってきたのだ。
雨が降り始め、周りに延焼する物もなくなったことから、家屋は鎮火した。時間は既に朝に近くなっている。
事件の着た家屋の近くから、どんどん人が少なくなっていく。火も鎮まり、一段落が付いたことで疲れが出てきた。消火を手伝った人たちは各々の家へと帰っていく。
「おはようございます」
「昨日、いえ、明け方は凄い騒ぎでしたね」
いつもの場所に店主はいた。
ゼンは火事を確認した後、自室へと戻っていた。外部の人間であるゼンが火災現場に行っても何もできない。それに疑いの目で見られることも予想されたからだ。
「お陰で朝まで目が冴えていたよ。
腹を満たしたらひと眠りするよ」
事実、ゼンはあれから一睡もしていなかった。エアが気持ちよさそうに寝ている中、武器を抱え、ただ騒ぎが落ち着くのを待っていた。
「物騒な日々ですね。
今まで何もない平穏な日々だったのに、急に二日も続けて」
「今までもこういうことはなかったのか?」
「ええ。
ごくごく稀にあなたのような旅人が急に行方をくらます、ということはありましたが。」
「俺のような旅人が……」
「はい。
まあ、旅人なので次の目的地に行ったのだろうと考えているのですが。
ただ、中には宿代を支払わずに去る人もいまして。それ以来、先にお代をいただく形になったんですよ」
「それはいい考えだ」
ゼンは朝食を済ます。量は少ないが、ある程度は腹を満たすことができた。適度に腹が満たされたことにより、眠気が襲ってきた。
「じゃあ、今から眠ってくる。
夕食は外で食ってくるよ」
ゼンは自室に戻りベッドに飛び込む。エアが何か話しかけてきたような気がしたが、それよりも眠気が勝った。
ゼンが目を覚ますと、既に陽は落ちていた。空は分厚い雲に覆われ、月も出ていない。家屋に灯った明かりも消え始めている。
「好都合だな」
「あっ、起きた」
ゼンは体を起こす。
「うわっ、危ないな~」
ゼンがいきなり態勢を変えたことで、エアは落ちそうになる。途中でバランスを取り戻し、羽ばたいている。
「俺はちょっと、外に出てくる。
お前はそこでじっとしていろよ」
「え~、ずるい~。
どうしてゼンだけ」
「いいから」
そう言って、ゼンは窓を開ける。エアが外出する際に出入りする窓だ。
「扉はあっちだよ」
「今日は、ここが玄関だ」
ゼンは闇夜の中へと消えていった。
火事のあった家までの道は憶えている。人通りの少なそうな道も凡その見当はついていた。何の当てもない散歩がこんな形で役に立つとは、ゼン自身も考えていなかった。
周囲は隠れる必要もないほど静かである。月明かりもないためゼンの姿を捉えるのは容易ではない。
足音をあまり立てずに素早く移動してく。目的地に着く頃には、ゼンの額には汗が流れていた。
「ここか」
火災現場には誰もいない。当然と言えば当然だ。幸いにも周りの建物への被害も少なそうだ。
焼けた家屋は木材で建築されたていた。そのため、ほとんどが焼けていた。残った僅かな部分も黒焦げのまま残っている。少しでも力を加えれば今にも崩壊しそうな雰囲気だ。
ゼンは周りに誰もいないことを確認すると、中へと入って行く。中に入ると、まず焼けた後の匂いがゼンをお迎えした。今生、好きになることはないであろう匂いが鼻腔を刺激する。
火元と思われる場所をゼンは探す。未だ誰が犯人なのか、死者はいたのかそれすらもわかっていない。
「ん?」
何か、独特な感覚が足裏に残った。ゼンは屈みこみ、違和感の正体を探す。
煤と埃にまみれた足元をゼンは搔きわける。
「ん?」
ゼンが見つけたのは硬貨だった。新しいものではない。古いものだ。所々に錆がある。
一番不可解なのは、硬貨に穴が開いていることだ。穴の大きさはそれほど大きくはない。ボルトと同じくらいの大きさだ。
「がっ!」
突如、ゼンの体は後ろの方向へと引きずられた。