十一話 其の七
「ねえ、ゼン。
本当にあれでよかったの?」
ゼンの前を行くエアが、首だけを回して尋ねる。
「良かった何も、俺はアイツの要望通りにやっただけだ。
ソメがあそこから離れないのは、あいつ自身の意思だ。それを他の誰かが強制することなんて出来やしないさ。
まあ、これから暖かくなるし、しばらくは生きていけるだろうさ。水はあるし、食料もある。餓死することはないだろ。
寒くなれば、どうなるかはわからんがな。後は、ソメの問題だ」
「大丈夫かな、ソメ。
一人でも生きているのかな」
「少なくとも、お前よりかはソメの方がしっかりしているさ」
「ちょっと、何さ。
私だって、一人でも平気だよ」
「ヘイヘイ」
ゼンたちがリタの家を発ってから、まだそれほど時間は経っていない。それなのに、エアは何度も後方を振り返っては物憂げな表情を浮かべている。
「どうした。
そんなにあの家に帰りたいのか?」
「うん。正直に言えば、帰りたい。
けど、あそこにはもうリタはいないからね。私はリタがいた頃のあの家に帰りたい。
今、あの家に帰っても、私もゼンも悲しむだけだから。
次、次の冒険へ出発~!」
「――そうか」
「ところで、次の行き先は?」
「決まってない。
言えるのは、ここ以外の場所、だけだ」
「何それ」
「さあ、行くぞ」
季節は変わり、山の風景も変わった。辺り一面が銀景色に包まれていたのはもう過去の話だ。
雪が地面から消えかけた頃、リタは息を引き取った。静かな朝であった。ゼンはいつも通り、日が昇る前に起き、馬の世話をしていた。
「ゼン!
今すぐ来て!リタが!」
急ぐエアとは対照的に、ゼンの足取りはゆっくりとしていた。
「何やってるの!
リタが息をしていないんだよ!早く!」
リタの部屋に入り、ゼンはリタの姿を確認する。外傷はない、苦しんだ跡もない。その証拠に、毛布は綺麗な状態を保っている。
ゼンは彼女のすぐそばに膝をつき、首筋に手を当てる。脈がない。体も冷え切っている。
「駄目だ。もう亡くなっている」
「嘘だよね?
嘘だよね、ねえゼン」
「嘘じゃない。
エア、お前も薄々勘付いていただろう。
リタは死んだんだ」
それだけを言うとゼンは部屋を出た。リタの部屋からはエアの泣く声だけが聞こえた。
ゼンは外に出ると、花の添えられている場所まで足を運ぶ。
「親父さんよ、悪いな。俺じゃあ、どうしようもできなかった。
せめて、向こうでは親子水入らずで平和に暮らしてくれ」
ゼンは手持ちの道具で穴を掘り始める。作業を終えた頃には、彼の額と背中には大量の汗が流れていた。既に陽も落ちかけ、夕焼けが見える。
「エア、もういいか?」
「……うん」
ゼンは遺体を抱きかかえると、先ほどまで掘っていた穴に亡骸を埋葬した。
「これが最後だぞ。
何か言い残したことはあるか?」
ゼンの隣はエアがいた。
「いっぱいある。
けども、もういい」
「本当にいいのか?
もう二度と会えないんだぞ」
「もう私が合いたいリタはいないから」
「わかった」
ゼンはリタの遺体の上に土を盛っていく。その間、エアの姿はなかった。
エアが帰って来たとき、その両手には花があった。いつも添えられている種類とは別のものである。
「これ、リタの好きな花なんだ。
ゼンが目を起こさなかった頃、リタと一緒にいた時に教えてくれたんだ」
「アイツも喜ぶだろ」
リタの弔いが終わる頃には、陽は完全に落ちていた。エアは夕食を取ることもなく、眠りに落ちていった。
一方、ゼンは一人、椅子に座っていた。何をする訳でもなく、ただただ膝の上に腕を置き、時間だけが過ぎていく。机の上には何も置かれていない。
翌朝になり、エアが目を覚ます。ゼンは家の中にはいなかった。馬小屋にいた。
「ゼン、どうしたの?」
「コイツが動かないんだ」
ゼンはソメを見る。鎖は解かれ、ソメを繋ぎ止めるものはない。それでもソメには動く気配がない。
「もう自由の身だぞ。
お前の好きなように生きていいんだ。どこに行こうがお前の勝手だ」
ソメは動くどころか、その場に腰を据えてしまった。
「――ふむ。
どうしようもないか」
ゼンは静かにその場を立ち去った。
「ねえ、ゼン。
ソメはどうするの?」
「さあな。俺はリタからアイツを自由にしてやってくれて、と頼まれただけだ
あそこから動かないのは、あいつ自身の意思だ。それをどうすることもできん。
それから……。エア、二日後にこの地を発つぞ」
「そんな急だよ」
「今までも急だっただろうが。
傷は癒えたし、病人ももういない。これ以上、ここに留まる理由もない。
今日、明日で支度を整えて、明後日に立つ。お前も心の準備だけはしておけ。
身の回りの準備はいらないだろ」
「うん、そうだね。私たちの旅はいつも突然だったね。
いーっつも、ゼンの気持ち次第で行先も滞在日数も変わる、そんな旅だよね」
「よくわかっているじゃないか」
「二日後だね。
わかった」
「さてと、こっちも準備するか」
ゼンは家に戻ると、刀を手に取った。鞘から刀身を抜く。刀身からは自身の顔が見えた。
「ちょっと顔つきが変わったんじゃない?」
背後からエアが声を掛ける。
「そう見えるか?」
「うん。
ここに来る前はもっと目つきも悪かったし、表情も硬かったよ。リタとの生活で人間らしくなったんだよ」
「俺は元から人間だ」
ゼンは手に取った刀を腰に差す。刀を帯刀するのは随分と久しぶりのことだ。刀の重さがどこか懐かしく、ゼンには感じた。
「やっぱり、こっちの方がしっくりくるな」
ゼンは小さく呟いた。
「何か言った?」
「いや。何でもない」
ゼンは立ち上がり、旅立ちの準備を進める。
二日後、天気は旅立ちの日としては最高と言っても過言ではない
状態だった。気温はそれほど高くはなく、湿気も高くない。風もよく吹いている。何もせずに外にいるなら少し肌寒いが、歩いてれば丁度いい位になるだろう。
「行くぞ、エア」
「うん」
ゼンたちはリタの家を発った。