十一話 其の四
「んぁあ」
ゼンは寒さから目を覚ました。家に帰って来たときは重労働の後なので、体も温まっていた。
疲れと体を包む温かさからゼンは眠りに付いていた。心地よい眠りに包まれていたのも、僅かな時間だけだった。体は直ぐに冷え、ゼンは意識を取り戻す。
僅かな間だったが、ひと眠りすることで肉体的にも精神的にも楽になった気がした。椅子に座って眠っていたこともあり、首辺りに痛みがある。
ゼンは体を伸ばし、息を吐く。
「ゼン!
今日の晩は肉だよ、肉。
久し振りのお肉だよっ」
「そうだな」
ゼンのいる部屋からも肉の香ばしい匂いが漂ってくる。匂いだけでも腹が空き、涎が出てきそうだ。
事実、ゼンの目の前にいるエアは口から涎を出している。
「涎、出てるぞ。
さあ、楽しい楽しいお食事の時間だ」
「うん!
早く行こっ。腹一杯、肉を食べるんだ~」
「肉だけじゃなくて、野菜も食えよ」
「わかってるよー」
ゼンが仮の自室から出ると、台所ではリタが料理をしている。
「リタ、今日は肉だよね、ね!」
「うん、肉だよ。私が狩った動物の肉をふんだんに使った、特製の料理よ」
「そいつは楽しみだ」
「あら、ゼン。起きたの。
折角、下ごしらえを手伝ってもらおうと思っていたのに、気持ちよさそうに寝てたから。」
「いい寝心地だったよ。
今からなら何でも手伝うが」
「もう準備は終わりましたっ。
後は食べるだけ。全員、集まったし、食べましょうか」
「うん!」
「賛成」
二人と一匹の豪勢な夕食が始まった。ゼンたちの前には皿一杯に盛られた肉だ。ただ焼いただけだというのに、嗅覚が、視覚がゼンを掴んで離さない。
一番、勢いよく食べているのはエアだ。小さな口に似つかわしくない程の肉を次々に放り込んでいく。肉を少し噛んでは飲み込み、また少し噛んでは飲み込む。
対して、ゼンは複数切れを一気に口に入れ咀嚼している。リタは一切れを口に入れては味をしっかり味わうようにして何度も口を動かす。
エアの勢いがよかったのは最初だけだった。しばらくすると、エアの食べる速度は目に見えて遅くなっていく。
ゼンとリタは変わらぬ速度で肉を食べ続ける。速度は一定だが、残っている肉の量は大きな違いがある。元々の量はゼンの方が多い。それでもゼンの眼前の皿は既に底が見え始めていた。
「うぅ~、もうお腹いっぱい」
「じゃあ、残りの分もくれ」
エアの答えを聞くよりも前にゼンの手が伸びる。エア専用の皿に残っている肉をゼンは頬張る。
「答えを聞くよりも先に食べてるじゃん」
「どうせ、もう食べないんだろう?
残すくらいなら俺にくれ」
「まあいいけどさ」
エアは既にどこか眠たそうにしている。目も段々と細くなってきている。
「あら、もうお寝んね?」
「うん、眠~い。
久し振りに肉を一杯食べたからかな」
「私ももうすぐ食べ終えるから、一緒に寝ましょうか」
「――うん」
エアは返事をするのも精いっぱいの様だ。リタは言った通り、食事を終えるとリタを連れて自室へと戻っていく。
「後片付けはお願いしてもいい?
私はこの子を見るから」
「わかった」
ゼンは残された食事を全て平らげると、一息を付く。久しぶりに、心ゆくまで食うことができた。野菜中心の食が続いていたために、より一層満足できた。
リタに後片づけを任されたが、ゼンには別の欲が出てきている。このまま寝床に入って寝る、という欲望が。夕食前まで寝ていたというのに、また眠気が前面に出ている。
「っつ」
ゼンは一気に力を入れ、立ち上がる。中途半端にすれば、余計な時間と労力を費やすだけだ。
「やっぱり、私も手伝うよ」
後ろに立っていたのはリタだった。
「エアと一緒に寝たんじゃないのか?」
「エアは一人で寝てるよ。
私はまだ眠くないからね。もう少しここでゆっくりするよ」
「じゃあ、折角だし手伝ってもらおうか。
といっても、もうほとんど終わっているがな」
「アンタも眠かったら、寝てもいいんだよ。
夜なんて、寝るしかできないんだから。特にこんな山奥じゃね」
「それもそうだな。
頼まれた分だけやって、俺も寝るよ」
そこからは人手が増えたこともあり、片づけは直ぐに終わった。「また明日ね」
「ああ、また明日な」
その言葉でゼンの一日は終わった。寝床に入ってからは、ゼンの記憶は全くなかった。
次の日も、またその次の日も代わり映えのない毎日が続いた。ゼンは決まった作業をこなす。刀を握ることもない、平和な毎日だ。ゼンも刀を家に置いたままが常になっていた。
身に着けているのは腰元のナイフだけだ。そのナイフすら、握る機会が少なくなっている。
ゼン自身の体力も怪我をする前と変わらない程度まで回復していた。一日の作業に関しても以前よりも早く、且つ、余力のある状態で終わらすことができている。
そうなると、ゼンにも余暇が生じ始めた。その余暇をどう消費するか、それがゼンの悩みの種になっていた。家の周辺では可能なことは限られている。鍛錬に関しても、毎日の作業が代替となっている。怪我が完治しかけているとはいえ、必要以上に負荷は掛けたくなかった。
この日、リタの帰りは遅かった。いつもであれば、陽が落ちる前には家に帰って来ているのだが、この日は陽が落ちても彼女の姿は見えなかった。
リタが帰って来たのは、陽が落ち空も暗闇に落ちてからだ。
「いや~、悪い悪い。
中々、食材が見つからなくて。帰ってくるのが遅くなっちゃった。」
帰って来たリタはいつもと変わらぬ振る舞いだ。いや、いつも以上に明るかった。
「大丈夫か?」
「え?何が?」
「何ともないなら、いいんだが……」
「何でもないって。心配のし過ぎ。
今から晩御飯作るから、ちょっと待っててね」
「ゼン」
「――ああ。分かってる」
異常が起きたのは次の日だった。
朝になり、陽が昇ってもリタが起きてこない。待てども暮らせども彼女がゼンたちの前に姿を現すことはなかった。
「エア、悪いが、様子を見てきてくれるか」
「もっちろん!」
「何かあったらすぐに知らせてくれ」
ゼンの言葉を聞くよりも前に、エアは小さな羽を羽ばたかせる。エアが向かう先はリタの部屋だ。部屋の内部を知っているのはリタとエアだけだ。ゼンは入ったことがないので部屋の構造を知らない。
「ゼン!来て!」
ゼンはすぐにリタの部屋に駆け付ける。扉を開け、ゼンの目に入ったのは寝床から落ちていたリタの姿であった。
「リタが、リタが」
「落ち着け」
ゼンはリタの元に寄る。指をリタの手首に当て、加えて呼吸の確認をする。息はしている、脈拍にも異常はない。
「息はしている。死んじゃいない。
おい、リタ。生きているよな。
返事がきついなら、指でも立ててくれ」
「……大丈夫。声は出る。
ちょっと体の調子が悪くて」
「そいつは大変だ。
今日は休んでおけ。
エア、リタに付いていてくれ。俺が外に出る」
「ゼン、体は大丈夫なの?」
「体の穴が開かなきゃな」
「ゼン、悪いけど。今日は頼むよ」
「心配しなくても陽が落ちるまでには帰るさ」
ゼンはリタをベッドに戻す。
「重い?」
「俺よりは断然、軽いさ」
ゼンはナイフとクロスボウのみを携える。
「ゼン、刀は持って行かないの?」
「ああ。こんなに木が生い茂っている場所じゃ、刀も思うように振れないしな。
コイツとコイツだけで十分さ」
「ゼン、気を付けてね」
「励ましの言葉はアイツにかけてやれ」
ゼンは家を出た。相変わらず雪が止むことなく降っている。今日はまだ勢いは弱い方だ。勢いが強い時には、目の前の視界が真っ白に染まってしまう。
この雪では動物を狩るのは難しいだろう。狙うべきは山菜だ。リタの体のことを考えれば肉が望ましいのだが、天候に文句を言った所で何も始まらない。
今更ながら、ゼンは後悔していた。家から出る前にリタから山菜の採取場所などを聞いておけばよかった、と。あの時は、エアが慌てふためいた姿を見て、ゼン自身も落ち着きを取り戻した。が、彼も完全に冷静になっていた訳ではなかった。
リタが話せる状態であれば話を聴く程度なら問題はなかっただろう。それをしなかったのは、ゼンにも動揺が走っていたためであった。
「しまったな」
ゼンの小さな声が、ふと自然の中に漏れた。
「ゼン。
早く帰って来てよ」
エアは窓を見ながら呟く。エアは朝からリタの部屋で彼女の看病を続けている。看病とはいっても、側にいるだけだ。幸いにもリタの様態は安定していた。一日中、静かに眠っている。それが逆にエアの心配の種でもあるのだが。このままリタが眠るようにして息を引き取ってしまうのではないか、そんな不安がエアの胸の頭の中から離れない。
扉が開く音がした。エアは首を回し、リタの側から離れる。僅かな間だというのに、エアは何度も後ろを振り向いてはリタの姿を見ていた。
「今、戻った」
そう言ったゼンの右手には耳の長い小動物が握られていた。既に血抜きを行ったのか、血も滴れていない。
「リタの様子はどうだ?」
「怖くなるくらい静かに眠ってる」
「そうか。
死んでないなら大丈夫だ」
「そんな大雑把な」
「大雑把なのは生まれつきだ」
ゼンが持って帰って来たのは肉だけではなかった。腰のポーチからは山菜を取り出す。
山菜の種類はリタが採取してきたものとほとんど同じだ。中にはエアが初めて見る種類のものもある。
「ゼン、これ初めて見るけど、食べられるの?」
「食えるさ。味は苦いが、体にはいいんだ。
俺の実体験だ」
「私は遠慮しておくよ。
肉だけでいいや」
「ああ、その方がいい。
それよりもリタの様子を見ておいてくれ。こっちは一人でやる」
エアは再びリタの利部屋へと戻った。エアが視界からいなくなったことを確認すると、ゼンは上着を脱ぐ。
「張り切り過ぎたな」
ゼンの体には多数の擦り傷や赤く腫れあがっている部分が存在した。一つ一つは大きな傷ではないが、それらが多数存在し、見る者には悲惨に見える。
ゼン自身はそれほど痛みを感じていなかった。この程度の傷であれば寝れば治るという経験則から、気にも留めていない。ただエアやリタが見れば、何と言うかが気掛かりであった。
「この時期で助かった」
ゼンはぼそりと呟くと、調理に取り掛かる。