三話 其の二
鍛冶屋を出て、次にゼンが向かったのは宿が集まった区域だった。
「随分、うれしそうだね」
ポーチの中からエアの眼だけが見える。
「都の中では話しかけるな、って言っただろ」
ゼンは周囲に目を配りつつ、返答した。
現在、ゼンたちは東の都の南にある、宿屋の集まっている区域を目指している。既に夕陽が落ち始め、人通りもまばらになっている。
通常、この東の都に来た商人たちは最初に寝床の確保をする。商人は一人の者もいれば集団もあるし、もっと大規模なキャラバン隊を組んで来るものもいた。
この宿泊者たちは東の都にとって、毒にも薬にもなった。商人たちが宿に泊まることで、問題が起こることもあるが、金が都に入っていった。
ゼンたちが南の宿泊域に辿り着いたとき、既に夕陽は完全に落ちていた。
南区域は宿泊者たちの歓声で一杯である。酒を飲む者、腹一杯美味しいものを食べる者、カードで遊んでいる者、様々な楽しみ方をしていた。
「うえー、ここ変な匂いがするー」
エアはアルコールの匂いに不快感を表した様だ。ここで何かあれば非常にまずい事態になる、そう思ったゼンは宿への足を速める。
ゼンが目星をつけたのは、小さな宿屋だ。小さな宿屋は、概して一人向きであり、防犯がしっかりしているというのが利点である。仮に部屋に誰かが侵入してきても、撃退できる自信がゼンにはあった。
それに加え、もう一つ利点がある。それは、誰かと話していても不自然ではないということだ。
一人用の宿にはよく娼婦が呼ばれる。宿側もそれを承知しており、壁などが少し厚くなっているのだ。エアと話していてもそれほど不自然ではない環境が整っていた。
セロを預け、受付で所定の手続きを終え、ゼンは指定された部屋に入った。
「もういいぞ」
ゼンがそう言った瞬間、ポーチから黒い影が飛び出てきた。
「あ~あ、やっと外に出られた。まったくこんな暗くて、変な匂いがする所に何時間も放置して~」
エアの文句は止まらない。ゼンは何を言っても無駄だろうと悟り、適度に相槌をうった。
白い外套を脱ぎ、ブーツも脱ぎ、ベッドに倒れこむようにして寝ころんだ。
ゼンはベッドに寝ころび、一息つく。しばらくして、ベッドにこしかける態勢に戻った。そして、、腰に差している刀を抜く。
そのままじっとゼンは刀を見続けた。
「ねーねー。ちょっとは相手してよー」
エアはゼンの周りを飛んでいるが、ゼンは石像のように固まっている。
不意にゼンが動いた。その動きと一緒に刃も向きを変える。
「うわっ、危なっ」
刃の切っ先がエアのすぐ近くを通る。
「おおっと、悪い。スマン」
その声でようやく、エアが近くにいることにゼンは気付いた。
「本当だよ。まったく危ないな」
エアは興奮していた。普段のように興味心から起こる興奮ではなく、命の危機に瀕して起こる興奮だった。
「まあまあ、明日、ここを発つ前に何でも好きなモン買ってやるから、許せ。なっ」
ゼンは手の平を合わせ謝罪のポーズをとっている。
「何でもって言ったからね。買ってもらうよ!」
ゼンが自分の発言に後悔したのと裏腹に、エアは先程の怒りも忘れ喜んでいる。
「何を買ってもらおうかな~」
エアが部屋の中を飛び回る。その姿をゼンは静かに見ていた。
ゼンたちが泊まっている宿の外に二つの影があった。
「本当だな。あの宿に泊まっている奴がモンスターを飼っている、というのは」
「ほ、本当です。確かにこの目で見たんです」
宿の外にいた二人は、じっとゼンたちの泊まっている部屋を見ている。
一人は中肉中背の普通の男だった。もう一人の男の後ろにおり、何やら余裕のない様子である。
もう一人の男は都の中だというのに全身に鎧を着込み、兜まで装着している。背中には大剣を背負い、赤黒いマントを羽織っていた。
鎧の男は後ろに隠れている男と比べると頭一つ分大きかった。鎧も体のサイズに合わせ大きく、あの鎧で殴られたら、最悪死んでしまうだろう。
赤黒いマントは模様にしては、均整の取れていない柄であった。更に、そのマントからは異臭が漂い、後ろにいる男はその匂いを我慢していた。
「マイネの旦那、さっさと突入しましょうよ」
マイネと呼ばれた者の背後に隠れながら男が言う。
「お前は黙っていろ。あまりにもうるさいと剣がそちらの方に飛んでいくぞ」
マイネはドスの利いた声で言う。
その声におびえて男はさらに縮こまった。マイネと比べると小柄な男が余計に小さく見える。
「それで」
マイネがゆっくりと話し始めた。
「お前はあの部屋に泊まっている男がドラゴンといる姿を見かけたんだな」
「はい。俺が必要な物資を買ってこの宿屋街に帰っているときに見たんです、あいつのポーチから何かが出てきたのを。
最初は何か全然分からなかったんです。けど、よく見てみるとポーチの暗闇の中から瞳が二つ見えたんです。その後、さらに近くに寄ってみたら、あいつには鱗と羽があったんだ。
間違いないです。あれはドラゴンだ」
「そうか」
男の言葉がどんどん早口になるのに対し、マイネの方はゆっくりと低い声で答えた。
「じゃあ、ちょっくらドラゴン退治としゃれこもうか。お前はここにいろ、来ても邪魔になるだけだ」
それだけ言うとマイネは宿へと入っていった。
マイネが受付の前に立った途端、受付係の者が手に持っていたカップを落とした。
カップの中に入っていた飲み物は床に大きな水溜まりを作っているが、受付係はマイネの方を見て固まっている。
この東の都に住んでいる者にとって、警備隊のマイネというのは畏怖の対象だった。
警備隊は都の中で起きた揉め事を解決するのが任務である。揉め事と一言に言っても、殺人・強盗といったものから喧嘩の仲裁までも担当している。
その警備隊の中でも飛び切り有名なのがマイネだ。
その名は、恐怖の対象として東の都の中に広がっている。マイネは警備隊の現場隊長だ。マイネが主に担当するのは、外部から来た者の処刑である。
外から来た者が東の都の中で重大なことを犯した場合、ほとんどの者がマイネによって処刑された。
その処刑の跡がマントに残されている。マントが赤黒い理由はそれである。マイネが殺した者の血がマントに染み付いているのだ。
「邪魔するぞ」
マイネはゆっくりと受付係に言うと、階段を上っていった。
床の軋む音が廊下に響く。マイネの鎧は見た目通りに重いのだろう。マイネの歩調と合わせて床の軋む音も発生する。
マイネの足が止まった。目の前にはゼンたちの部屋の扉がある。
「ここか」
マイネが扉をノックする。
「どうぞー」
中から声がした。マイネはドアノブに手をかけ、ゆっくりとその扉を開ける。
扉を開けたマイネの視界には何もなかった。
その瞬間、マイネの横から何かが振り下ろされた。振り下ろされた何かは兜に直撃し、鈍い音を立てた。
「やるな」
頭に直撃を食らったはずだが、マイネは何事もなかったかのように横にいるゼンの方に顔を向ける。
ゼンの手には半壊しているイスが握られていた。
「クソッ」
ゼンは直ぐ様に距離を取った。ゼンは、全力でイスを振り下ろしたのに、目の前の相手はピンピンしている。兜で顔が隠れているため、表情が読めず、それが一層ゼンにとっては不気味であった。
ゼンは既に外套を纏い、腰に剣を携え、背中には今日貰ったばかりのクロスボウがある。
ゼンが背中のクロスボウに手をかけた。狙いを目の前の相手に定める前にゼンはタックルを食らった。
鎧を着込んだマイネのタックルの衝撃は凄まじく、ゼンは宙を飛んだ。
「ウッ」
ゼンの後ろには窓があったが、その体は窓を突き破る。
ゼンは体を丸め、回転しながら地に足を付けた。その光景を見ている者はマイネと情報を密告したものだけであった。
「ほう、やるな」
ゼンの身のこなしにマイネは純粋に感心する。鎧を着込んだマイネではあれほどの俊敏な動きは不可能だ。
「いっ、痛っっっえええ」
不意を突かれた攻撃に加え、落下の衝撃でゼンはうずくまっていた。よく見ると、手で足をさすっている。
マイネはゼンに止めを刺すべく、地上に降りた。その方法というのが奇妙だった。
マイネの背にある大剣、平均的な女性の背丈ほどもある大剣を、窓から地にめがけて投げる。物凄い速度で投げられた体験は道に突き刺さった。マイネは突き刺さった大剣の柄の部分に飛び移る。大剣はマイネが飛び移ってもピクリともせず、最初からそこにあったかのように固定していた。
柄に乗ったマイネはその後、地に足を付ける。そして、深く刺さっているはずの大剣をいとも容易く引き浮いた。
「奇術師かよ」
目の前の奇妙な光景に思わずゼンが呟く。
「さあ、やろうか」
そう言うと、マイネは大権を小枝のように振り、戦闘態勢に入った。
「チッ」
ゼンは舌打ちした。唾と血の混ざった液体を道路に吐き捨て、腰から刀を抜刀する。
静かな夜だった。観客は、マイネに情報を伝えた男のみである。他の客たちは眠りの中に入っている。
先程の騒音も、宿屋街にとって日常茶飯事であるため誰も気にしなかった。唯一、ゼンの泊まっていた宿の受付係が震えていたくらいである。
「その赤黒いマント……。お前が、マイネか」
月夜の明かりに照らされて、ゼンの視界に赤黒いマントが目に入る。
「ほう、俺を知っているのか。だったら話は早い。貴様の命を頂くぞ。容疑はモンスターの所持だ」
「勘違いです、って言っても無駄か」
両者の間には距離がある。大人が一人が寝ころぶことのできる距離が。
だが、ゼンにとってその距離は遥かに長かった。自分が一歩踏み出したたら、出口のない森に入るような感覚、そんな感覚がゼンを襲う。
「フッフッフッ」
ゼンの目の前にいるマイネはどこか楽しそうだ。月夜に赤黒いマントがよく映えている。
「……ッ」
先に動いたのはゼンであった。大きな一歩を踏み出す。これにより、両者は刃が届く範囲にまで近づいた。
ゼンの横に薙ぐ一太刀、それはマイネの大剣によって防がれた。
「鎧の間を狙ったか。わかりやすいな」
「そりゃあ、どうも」
ゼンの額から汗が流れ落ちた。と同時に、マイネの反撃が始まる。
マイネの太刀筋は正確にゼンの急所を狙ってきた。顔面・首・手首……、鎧を着ていないゼンにとっては一撃が致命傷になりえた。
ゼンはたまらず再び距離を取る。ゼンの息は切れていないが、命のやり取りからくる緊張感はゼンを苦しめた。
一方、マイネは剣を振るうたびに高揚感が高ぶっている。
久方ぶりに自分と互角に戦える相手だ、その事実がマイネを興奮させる。
相手は若く、技量もそこそこだが、それでもマイネは嬉しかった。
そんなマイネとは逆に、ゼンは必死である。
何度か刃を交えてわかったが目の前のこいつは強い、ゼンは確信した。師匠が死んでからこれほどの相手に相まみえることはなく、額から汗が止まらない。
額だけでなく背中にも汗をかいていた。既に肌と黒の衣服が引っ付いている。本当は、額に書いた汗をぬぐいたいのだが、マイネ相手にそれをする余裕はゼンにはなかった。
今度はマイネの方から踏み込んでくる。マイネの正確な太刀がゼンを襲う。
ゼンは刃でそれを受け流す。マイネの大剣は想像以上に重く、ゼンの腕を痺れが襲った。
一撃、二撃、三撃、マイネの攻撃は止まらない。ゼンも負けじと反撃を狙うが、その隙が無い。
「フンッ!」
刃が頭上から降ってきた。ゼンは刀を上に掲げるように構える。金属がぶつかった音が鳴り、しばしの膠着状態に落ち着いた。
「凄いな、その刀は。俺の太刀をあれだけ受けて折れないとは。よほどの名人が打ったのだろうな」
ゼンが苦しそうな顔をしているのと対照にマイネは楽しそうである。
マイネが徐々に力を入れ始めた。上で受け止めていた刃が段々とゼンの方に近づいていく。
「ほらほら、どうした?」
刃は容赦なくゼンの頭へと向かっていく。
ついにゼンは片膝をつく形になった。ゼンは歯を噛み締め必死になっているが、状況は悪くなる一方だ。
「ぬおおお、おおおおおぉぉぉ」
ゼンはマイネの刃を受け流す。
「うぉっ」
咄嗟の事態にマイネも驚いたようだ。表情は読めないが、声からそれが読み取ることができる。
「ウオラッ」
ゼンの蹴りがマイネの鎧に入った。それにより、マイネは後ずさりする。
その隙をゼンは見逃さなかった。ゼンは一気に距離を詰めると、刀の鞘でマイネの兜をぶっ叩いた。
この相手には刀を使って斬るよりも、打撃の衝撃の方が有効打になる、ゼンの考えはそうだった。
とは言え、相手は強敵だ。下手に手加減をすれば自分が危うい。ゼンは全力で鞘を振った。
強烈な音が宿屋街の中を駆け抜けた。普段、騒音に離れている商人たちも、何事だと眠りから醒める。
部屋に蝋燭の明かりが灯り始める。一つ、一つと。先程までは月明が唯一の光源だった場所が、文明の明かりを灯し始めていた。
「どうだ」
マイネは地に伏していた。速度を乗せ、全力で振った鉄の塊が頭に直撃したのだ。ただで済むはずがない。
それはゼンも同じだった。鞘を握っている左手のしびれが収まらない。右手には真剣が抜き身の状態であるのだが、これでは納刀もできない。
数十秒を経て、ようやく左手のしびれが収まりつつあった。ゼンは抜身の刀身を鞘に収めると、踵を返した。
宿屋街は先程の音で騒ぎになりつつあった。このままではマイネの部下たちがここまでやってくる。それまでに、トンズラする必要あった。
宿屋の部屋から何人かが顔を出している。顔を見られることはないだろうが、ゼンは念のため外套に付いているフードを被った。
ゼンが現場を立ち去ろうとした、その時である。ゼンは何かを感じ取った。
言葉ではうまく説明できないが、何かが危ない。かつて師匠との修行や山で狩りをしていた時にも感じたこの気配は。
再びゼンの額に汗が流れた。
「……ッ」
考えるよりも先にゼンの体は動いた。さっき倒したはずのマイネがいる後ろを振り返る。
後ろにいたのは地に伏しているマイネではなく、ゼンに向かって大剣を振り下ろそうとしている彼だった。
「死ねッ」
その声にさっき余裕はなかった。余計なものが混ざっていない、純粋な殺意だった。
殺意のこもった一撃を、ゼンは間一髪のところで回避した。だが、バランスを崩し、転倒してしまう。
背中を地にぶつけ、痛みがゼンの体を走る。その痛みを忘れるほどの光景がゼンに入ってきた。
それは、マイネが刃を自分に突き立てようとする光景である。
咄嗟にゼンは地面を転がる。つい数秒前まで自分がいた場所には、大剣が地と接していた。
「この……」
マイネの追撃は止まらない。大剣は何度も何度も地に向かって突き出される。
それをゼンは転がりながら回避する。左に右に、何度も何度も。ゼンの回避行動が終わったのは、突然だった。
大剣を回避することに気を取られ、腹に蹴りが入ってくるのをゼンは見逃していた。
ただでさえ自分よりも大きい相手の蹴りは気を付けなければならない。ところが今、相手は頑丈な鎧を身に着けている。
腹に重い蹴りを入れられたゼンはその場で体を“く”の形に曲げた。口からは呻き声が漏れている。
また大剣が来る、そうゼンは思ったが、実際は違った。マイネはゼンに馬乗りする形になる。
マウントを取られたゼンはとっさに手を顔の前に構える。馬乗りになったマイネは拳を飛ばす。
鎧で覆われたマイネの拳は、容赦なくゼンを襲う。ゼンも必死にガードしているが、鎧を着込んでいる相手には分が悪かった。
「フンッ、フンッ」
マイネは一心不乱に拳を振り上げては下ろす動作を繰り返す。やがて、ゼンのガードも緩くなり、ゼンの顔にも何発か拳が入った。
ゼンの口から血が流れ始める。
「ハア、ハア。」
マイネの息が切れ始めた。肩で息をしている。相変わらず、中身の事については一切が不明だ。
「どうした?それで終わりか」
ゼンの一言に、再びマイネの怒りの火が灯った。
マイネは両手を組み、それをゼンめがけて振り下ろす。
何かがゼンの方からマイネの方へと飛んだ。飛んだのは、ゼンの血だった。
ゼンの血はマイネの兜の眼の辺りに着地した。
マイネは目の辺りを手で覆う。兜を着ていることが仇になり、すぐには元通りにはならなかった。
「ウオラッ」
眼に入った血を何とかしようと四苦八苦するマイネの顎辺りに、掌底が入った。
マイネの体は少しの間だけだが宙に浮く。重力に引っ張られたその体は頭から落ちていった。今度はゼンが馬乗りの形になった。
「死にはしないが、痛いぞ」
ゼンは自分の両大腿でマイネの手を挟み、両足でもう一方の手を絡めた。その状態から大腿で挟んでいる方の手を思い切り伸ばした。
「うおおおぉぉぉぉ」
叫び声が響いた。だが、ゼンの力は緩まらない。より一層、関節技を強くかける。
この頃になると、ほとんどの部屋の明りが灯り、宿泊者たちが窓から騒動を見ていた。
目の前で繰り広げられている騒ぎに皆、興味津々だ。誰だかわからない白い外套を着た男が、この街で恐れられているマイネを圧倒している。
ゼンの耳に特殊な音が入った。この音が鳴れば、技をかけた方の腕はしばらく使い物にはならない。ゼンの経験上、これは間違いなかった。
しかし、目の前の相手は普通ではない。ゼンは念のため、最後の一撃を加える。
「おおお、おおおぉぉぉぉ」
ゼンは片手でマイネの兜を掴むと、空高く上げた。そして、モテうる力の限りを尽くし、地面に叩き付けた。
「はあ、はあ、はあ」
最後に立っていたのはゼンだった。その姿は華やかとは言えないが、勝者としての風格を持っていた。