十一話 其の一
「一体、何なの?アイツら!
急に出てきて、急に襲い掛かってきて!」
「今は口よりも、足、いや羽を動かせ。
アイツら、追ってくるぞ」
ゼンたちは夜中、森の中を歩いていた。ゼンはセロの手綱を引き、周囲を警戒している。左手には手綱、右手にはクロスボウを携えている。
この暗闇の中、矢が当たるとは思っていない。当たらずとも、敵の動きを一秒でも長く止めることができれば上々だ。
まだ矢の数には余裕がある。多少、無駄撃ちをしても問題はないだろう。矢が切れても、次の町で買えばそれで済む話だ。
ゼンたちは今、謎の敵から襲撃を受けている状態だ。既にこの日は夕食も終え、後は寝るだけという時に事態は発生した。ゼンが焚火の前でナイフを研いでいると、目の前に飛翔体が飛んできた。
「ッ」
心地よい眠気に包まれていたゼンは、一瞬の間で現実に引き戻された。
「エア、起きろ!
敵だッ。すぐに動くぞ」
そこからのゼンの動き早かった。飛翔体が飛んできたであろう方向に、矢を放つ。その間に地面に置いてある荷物を取り、セロに掛ける。
「え、何?
どうしたの……」
エアは寝ていたため、反応が遅くなっている。ゼンは有無を言わさず、エアをいつものポーチの中に入れる。
「うわっ!
何?」
ポーチの中から声がするが、お構いなしだ。
「セロ、行くぞ」
セロの尾を叩き、ゼンは走り出す。ゼンがセロの手綱を引き、先導する形だ。暗い中、足場の安定していない場所をセロに走らせるには危険すぎる。ゼンが先に場所を確認し、その後にセロがその地を踏む。
ゼンたちがいた所には、矢が刺さっている。が、命中精度は良くない。ゼンの耳にも飛翔体が空を切る音が入る。
幸いにも矢はゼンにもセロにも命中していない。光源である焚火から離れ、敵もゼンたちの姿をあまり捉えていないようだ。命中精度は下がる一方である。
動き続ければその分、向こう側は当てることが難しくなる。加えて、ゼンたちは光源からどんどん遠ざかっていく。
「チッ」
やはり、そうそう簡単に逃げられる訳ではなさそうだ。ゼンの視界に二人の男が目に入る。二人とも武器を構えている。一人は両手にナイフ、もう一人は細長い剣だ。
このまま走れば、直ぐ二人とかち合う。ゼンは右手を刀に添える。握っていた手綱も放し、一人、より加速する。
まず、ゼンの目に飛び込んできたのは、鋭い先端だった。二人の内の一人が持っていた、細い剣だろう。
ゼンは右足を軸にし、飛んだ。ゼンは向かってくる剣先に左足を乗せ、そのまま前へ進む。
相手は瞬時の出来事であったため、何が起きたのかを理解できなかった。ただ剣を持っている右手に想定外の重さが伸し掛かかる。あまりの重さに剣を支えることができず、剣先は地面へと落ちていく。
右手に注がれた視線は、直に目の前にいるはずであるゼンの元へ戻る。男の目に入ったのは、刀を携えたゼンであった。
ゼンは刀を横に薙ぐ。刀を薙いだかと思えば、次は足を前に出す。ゼンの足は男の鳩尾に直撃した。男の反応はなかった。ただ、人形が倒れるように仰向けに倒れていく。
「なっ?」
もう一人は何が起こったか、まだ理解できていないようだ。手に持っているナイフは握られたままである。
ゼンは止まらない。もう一人の男の眼前に立つと、刀を大きく振りかぶる。達人相手ならば、隙だらけの格好だ。ゼンの前面を守るものは何もない。刃であれ鈍器であれ、一発でも攻撃を喰らえば只事では済まない。
「フンッ」
ゼンは刀を振った。無駄な力は一切入れず、流れるような感覚で。
残った一人は何も反応できずにいた。ゼンが刀を振った後、男の顔に赤い筋ができた。顔を二分するように一本の赤い筋が。
気付けば、セロがすぐ近くまで来ていた。ゼンは刀を鞘に納める。まだゆっくりとしている余裕はない。後方からの攻撃は止まっている。それがいつまで続くかはわからない。
「危っ」
ゼンは後ろを振り返り、ゼンたちの方へ飛んでくる物を見た。物はゼンではなく、セロに向かって飛んでくる。
「ッッッ」
ゼンの腹に異物が刺さった。異物は腹を貫いている。ゼンは膝をつき、背を丸める。
「当たったか!」
「まだだ!
殺すまでは気を抜くな」
徐々に声は大きくなっていく。ゼンは苦悶の顔を浮かべつつ、立ち上がる。足を引きずるようにして、再び歩き始めた。脚を動かすたびに激痛がゼンの体中を走る。それでもゼンは止まらない。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
暗い山道をゼンは走っていた。脇腹に手を添えている。ゼンの脇腹には遺物が刺さったままだ。顔には見るからに苦しそうだ。明かりとなるものは上空から差し込む月の光だけだ。
ゼンの後ろにはエアとセロがいる。
「二人ともいけるか?」
「ゼンこそ。
その刺さっている矢は大丈夫なの?」
「大丈夫、と言いたい所だが、そんな余裕はない
今すぐにでも、倒れこみたいよ」
ゼンの脇腹に刺さっていたのは矢である。暗闇に加え、ゼンの着ている服が黒のため判別しにくいが、出血もしている。既に腹周りの血は固まりつつあった。
ゼンの顔色も悪くなりつつある。一刻でも早く矢の除去と休息が彼に求められている。
「ゼン、あそこ!」
エアが指さす方向に、ゼンは何も見つけられない。
「何だ?何がある?」
「よく見て!
ほら、あそこ!あそこに洞穴がある!」
ゼンは再度目を凝らし、エアが指さす方向を凝視する。
「駄目だ、見えん。
エア、お前が先導してくれ」
「一緒に行くよ、ほら」
エアはその小さな手でゼンを引っ張ろうとする。しかし、ゼンの体は重く、エアの力ではどうすることもできない。
エアは改めて、ゼンの体の大きさ、重さを思い知る。
「はーやーくーー。
そんなんじゃ夜が明けちゃうよ」
ゼンは足を引きずりながら、一歩一歩を歩いていく。ゼンが通った道には赤い水滴が落ちている。
「……あれか」
洞穴まですぐ近くという所で、ようやくゼンはその場所を見つけることができた。その場所に辿り着く頃には、ゼンは最早、立つことすらままならない状態だ。
ゼンは赤ん坊のように、四つん這いの形でようやく安全圏に入ることができた。
「ああ、うぅぅ」
「ゼン!」
身の安全が確保できたからか安心感からか、ゼンはその場にうつ伏せになる。
「まだ大丈夫だ。
それよりもエア、水を取ってくれ」
「み、水だね。わかった」
ゼンは壁際まで必死に移動し、何とかして膝立ちの状態まで戻る。
「持ってきたよ。次は何を持ってくればいい?」
「これだけで十分だ。
後は誰も来ないか、入り口で見張っていてくれ」
「わかった」
エアは誰も来ないであろう、道を一人で見張っている。
ゼンは膝立ちの状態から、左わき腹に刺さっている矢を掴む。矢はゼンの後方から打ち込まれ、矢の先端はゼンの視界に写っている。
「ぅぅううう」
ゼンは矢の先端部分を折る。石でできた矢じりは地面に落ちた。可能な限り余計な振動を与えないよう繊細に扱ったつもりだが、ゼンに走った痛みはかなりのものだった。
「フゥゥゥ」
ゼンは顔を左右に震わせ、何とか意識を保つ。少しでも気を抜けば、痛みで気を失いそうになる。
徐々にではあるが、ゼンの視界も暗くなってきている。加えて寒気に頭も重くなっている気がする。気分は最悪と言っても過言ではない。
「ハーハーハー」
ゼンは目を閉じ、右手で矢を掴む。そのまま一瞬で、体内に残留している矢を引き抜いた。
「ン、ウァァ」
声にもならない悲鳴を上げ、右手に掴んだ血だらけの矢を投げ捨てる。傷跡からはとめどなく血が溢れている。折角固まりつつあった血も液状になっている。ゼンの手も血で赤く染まっている。
傷口が熱い。熱湯を掛けられたような衝撃がゼンの体を走る。それでもゼンは動かない。動けば余計に痛みが走ることを知っているからだ。
「ゼン?」
「大丈夫だッ。
お前は……外を見ていろ」
エアは勿論気付いている。ゼンの様態が大丈夫ではないことを。しかし、今は信じるしかないのだ、ゼンを。ゼンが何をしようとしているか、エアには皆目見当もつかない。彼が体を治療しようとしていることだけは間違いないが。
ゼンは腰のナイフを用い、自分の上着を切り裂いた。ゼンの腹には赤黒い穴が開いていた。穴自体は大きくないが、その周辺に広がる赤い円は大きく広がっている。
ゼンは切り裂いた上着に火を点ける。血で濡れているが、小さな炎が洞穴の中で燃えている。今にも消えそうな弱弱しい火種だ。ゼンはすぐ側に落ちてあった枯れ木を火の中にくべる。これでしばらくは消えることはないだろう。
ゼンはゆっくりと左手を伸ばし、水の入った袋を手に取る。普段は重さなど感じない袋が、今この瞬間はとても重く感じる。目には見えない、透明の鎖が袋に何重にも巻き付けられているようだ。
ゼンは歯を食い縛り、袋を持ち上げる。今も腹から流れる赤い液体は止まらない。既に洞穴の中には血の独特な匂いが充満し始めている。
「おおおぁぁぁぁぁ」
「ゼン!
何やってるの?」
ゼンは膝立ちの状態を維持できずに、俯せになっている。肩が上下に揺らし、息をしている。
「い、いいから。
そ、外を見張っていろ」
水袋からは水が零れている。水だけではない、血も混じっている。傷口が焼けるように熱い。熱いだけではない、痛みも襲ってくる。傷口は熱いのに、ゼンの体は寒気を感じていた。
先程から火のすぐ側にいるのに、体が温まる気配は一向にない。むしろ寒気はどんどん増していく。
ゼンはゆっくり呼吸を繰り返す。湧いてくる痛みに耐え、何とか息を戻す。
「フーーー」
最早、ゼンに時間的にも体力的にも余裕はない。一刻も早く傷口の応急処置をし、体を休ませる必要がある。
ゼンは腰の袋から、黒い粉を取り出した。取り出した黒い粉を、ゼンは傷口に塗り込むようにまぶす。
「フー、ハー、フー」
ゼンは一番近くにある枯れ木を手に取る。枯れ木の先端は燃えており、今も火が付いたままである。
ゼンは再び目を閉じ、燃えている先端部分を傷口に近づける。火が黒い粉に触れた瞬間、傷穴から火柱が発生した。
「ぉぉぉあっぁぁぁぁ」
あまりの衝撃にゼンは床に付してしまった。まだ意識はあるが、あまりにもその意識はか細い。いつ消えてもおかしくはない。
「ン、ゼン!!」
ゼンはその声で何とか意識を取り戻す。一瞬だが、意識が飛んでいたようだ。
「お腹の傷が……。
それに何、この匂い?嫌な匂い」
ゼンが腹にまぶしていたのは火薬だ。荒療治というしか他ない方法だ。ゼン自身もこの方法は可能な限り選択したくはなかった。
傷口を火薬で焼くのだ。痛くない訳がない。だが、刻々と奪われる体力、止まることなく流れていく血、ゼンに他の選択肢は残されていなかった。
元々、この治療方法はゼンの師匠から聞いたものだ。当の本人からも使用を推奨されることはなかった。傷は塞ぐことはできるが、体には多大な負担がかかる。
ゼン自身もこの治療を使ったのは二回目だ。一度目は、師匠が生きていた時だ。その際は、余りの痛みにゼンは気を失ってしまった。気づいた時には一日以上が経っていた。その時の傷は今でもゼンの体に残っている。
今は何とか気を保っている。エアがいなければ、前回と同じように眠っていただろう。
「エア。
悪いが、今から寝る。起こさないでく……」
ゼンはそのまま目を閉じた。まだ焚火は燃えたままだ。小さなその炎はまだ燃えて続けている。