十話 其の三
「ここにしよう」
ゼンが指さした場所は枯れた木々の集まる場所だ。一本、一本は細いものの、僅かな隙間を除いて木が密集している。高さもまちまちだ。ゼンの身長よりも高いもののもあれば、低いものもある。
木々からは葉が落ち、枝が露出している。枝の先端は尖っている。服や皮膚が引っ掛ければ、無事では済まないだろう。
「こんな所じゃ、寝れないよ?
寝返りでも打ったら、枝が体に刺さっちゃうよ」
「そうだな。
だから、今から作業をするんだ」
ゼンは腰のナイフを抜く。慣れた手つきで、ゼンは木々の枝を落としていく。
「本当にここでいいの。
いっそのこと、昼夜を問わず逃げるなんてどう?ゼンがわざわざ戦う必要なんてないんだし」
「俺たちの足じゃ、恐らく逃げ切ることは無理だ。
むしろ、昼夜を問わずに逃げれば、その分だけ体力が消耗されて不利になる。
迎え撃つしかない。こっちが殺られるか、殺るか、その二つしかない」
ゼンは口を動かしつつ、手も動かしている。特にゼンの腰から下辺りの枝を落としている。
「上の方は落とさなくていいの?」
「上の方は、寝るときには関係ないからいいんだ。それに上から飛び掛かってくる奴はこれで対処できる
よし、こんなもんでいいか。飯だ、食って夜に備えるぞ」
その日の夕食は、前日とほとんど同じものであった。変わった点といえば、量が少なくなったことだ。素早く食事を済ませ、焚火の側でゼンは座っている。
「エア、少しだけ目を瞑る」
「奴らの匂いを感じたらすぐに起こせ、でしょ?」
「そういうことだ。よろしく頼むぞ」
「任せて。
その時までは休んでおいて」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらう」
ゼンは目を瞑り、動かなくなる。膝を立て、右手に刀を携えている。眠っている訳ではないが、体を休めることはできる。エアに見張りを頼んではいるが、ゼン自身も警戒は怠らない。
ゼンは肉体ではなく、感覚を研ぎ澄ませる。エアには遠く及ばないものの嗅覚や、肌から伝わる感触、それらに異常があれば、すぐ動けるようにしている。
この日、月が出てくることはなかった。分厚い雲は月明かりを遮断した。明かりとなるのは、ゼンが起こした焚火のみである。
「……、ゼン!」
「来たか」
ゼンは今まで活動していたかのような俊敏な動きを見せる。
「複数匹いそうか?」
「うん。違う匂いが二つ以上ある。少なくとも二匹以上はいる」
「二匹以上か……。
セロと一緒に後ろにいてくれ。ついでに、コイツも預かっておいてくれ」
ゼンは手に持った刀をセロに置く。
「武器はどうするの?」
「腰のこれと、クロスボウで大丈夫だ。こんな狭いところじゃ、刀も存分に振れないしな」
ゼンは背中からクロスボウを取り出す。クロスボウの性質上、連射はできない。新しい矢の装填にも時間が掛かる。一対多数の場合、矢を相手に必中させる必要がある。
焚火は燃え続けている。水でも掛けない限りは朝日が昇るまで、光源は確保される。
ゼンの耳にも足音が入る。それに加えて、独特な匂いがゼンの鼻腔を刺激する。
「三匹か」
ゼンは必死に目を凝らす。夜の暗さにも目が慣れてきたころだ。足音の正体を補足する。
一瞬だったが、ゼンはその姿を見た。体格はそれほど大きくはない。セロよりも一回り、二回り小さい。後ろの二本足で大地を駆けていた。前の長い爪を有した二本足は地に着いていない。
口は前に大きく突き出ていた。空いている口からは鋭利な牙が見えた。あの牙にかかれば野生動物の皮膚でも紙のように裂くことができるだろう。
クロスボウで最低でも一匹、可能であれば二匹は潰す、というのがゼンの考えだ。三体を相手にナイフ一本で立ち向かうのは少々心もとない。一対一ならば難なく対処できるが、一斉に来られるとそうもいかない。
ゼンはクロスボウの引き金に指を掛ける。ほんの少し力を入れれば、ボルトが飛んで行く。
人間に対しても相当の威力を誇るクロスボウだ。目の前の相手にも致命傷までいかなくとも、相当の傷を負わせることはできるはずだ。
徐々に足音が大きくなってくる。ゼンの目にも、その姿を正確に捉えることができる。モンスターの足は速い。ゼンが全力で走ったところで、逃げ切ることは不可能だろう。
三体はそれぞれ交錯しながらゼンに近づいてくる。ゼンが一匹に狙いを付けても、他の二匹によって狙いを外される。ゼンがボルトを飛ばせずにいる間も、モンスターとの距離とは近くなる一方だ。
未だゼンのクロスボウからボルトは発射されない。ゼンは左手で太腿に巻いているナイフを抜き取る。抜き取ったナイフをゼンは、モンスターに向けて投げた。
投擲されたナイフはモンスターに当たることはなかった。足元に飛んで行ったのだが、相手側からもそれは見えたらしく、大きく飛翔されてしまった。
ゼンの右手が動いた。それと同時に、クロスボウからボルトが発出された。
ボルトはモンスターの腹に刺さった。モンスターの体はそのまま闇夜の中へと消えていく。ゼンは敢えてナイフを投げた理由は、敵の行動を制限するためであった。
地を駆けまわる相手に対しボルトを当てるのは至難の業だ。加えて、周囲は暗く、目標の体も大きくはない。そこでゼンは当てる気もないナイフを投擲したのだ。
向こう側からすれば、鋭利な飛翔体が飛んできたのだ。避けるほかない。それが自身の体に命中しないとしても。飛び上がる方向は上に限られる。ゼンはそこを狙ったのだ。
ゼンはボルトが発射されると、すぐに次の矢を装填する。手元が暗く目で見えなくとも、動作は体が覚えている。
対するモンスターといえば、仲間が消えても動きに乱れはない。変わらぬ速度で、ゼンへと近づいてきている。ゼンの体に、その鋭い爪が突き立てられるのにそう時間はかからないだろう。
「残り二体」
ゼンは再びクロスボウの狙いを付ける。今度は時間をかけて狙うことはできない。時間を掛ければ、ボルトが相手の体に刺さる前に、敵の爪がゼン自身に突き刺さる。
一体がゼン目掛けて一直線に向かってくる。ゼンは指を動かし、ボルトを放つ。放たれたボルトはモンスターの方へと飛んで行き、命中した。
ゼンに休む暇はない。ボルトが刺さったモンスターの後ろから、最後の一体が現れた。
ボルトを再装填する時間はない。ゼンはクロスボウを放り投げ、ナイフを構える。
が、既にゼンの対応は遅れていた。後ろに最後の一匹が隠れていることに気付かなかったため、反応が遅れてしまった。
「ガァッ」
最後の一匹は、ゼンの真正面から飛び掛かってきた。ゼンはそれを避けることも、受け流すこともできなかった。
ゼンは押し倒され、背を地面に預けることになってしまった。ゼンの目の前には鋭い牙があった。その鋭い牙はゼンを引き裂こうと、段々とゼンに近づいてくる。
ゼンが右手に持っていたナイフは、手の届かぬところにある。両手もモンスターの口周辺を抑えているため、手が離せない状況だ。
「フンッ」
ゼンは自由がきく右足を大きく蹴り上げた。ゼンの右足はモンスターの腹に入った。一度の蹴りではモンスターを引き離すことができず、ゼンは蹴りを何度も入れる。
ようやくモンスターの拘束から逃れたゼンは、ナイフが落ちている所まで、這いずるようにして近づく。
当然、モンスターもゼンをそのまま見過ごすようなことはない。再び、牙をゼンに向ける。
ゼンは必死にモンスターの攻撃を避け、ようやくその右手にナイフを持つことができた。
ゼンは体をそのまま回転させ、モンスターの首元に刃を突き立てた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
モンスターは息絶えていた。まだその体には生きていた頃の温もりが残っている。
「大丈夫、ゼン?」
後方にいるエアが飛んできた。
「あぁ、何とかな」
ゼンはナイフを引き抜くと、そのまま大の字になる。隣には死体が転がっているが、今のゼンにはどうでもよかった。生死を掛けた戦いから解放されたのだ、今はその解放感をゼンは味わいたかった。
「終わったね」
「いや、まだだ」
「えっ?」
「まだ終わっていない。三体だけじゃない、もっといるはずだ。
恐らく、親分格もな」
「何でそう言えるの?」
「こういった種類の奴は群れを成して行動することが多いんだ。それも親分を核とした集団で。
子分は親分の元へと食料を運ぶ。この三体はそのために来たんだろう」
ゼンは説明を終えると、上体を起こした。ナイフを定位置に納め、ゆっくりと立ち上がる。
「こいつらは骨ばってて食いにくそうだ。汁物にしても臭みが出そうだし、捨てるしかないか」
ゼンは死体に足を掛けると、そのまま押し出す。生命活動を止めた生物は闇夜の中へと消えていった。
「……ゼン」
「どうした?」
いつもとは違う、エアの真剣な声だ。ゼンは直ぐに気持ちを張り詰める。
「匂いがする。さっきのとは似てるけど違う、何匹もいる」
「すぐ近くか?」
「まだ遠い。けど、どんどん匂いが強くなってきている」
そこからのゼンの行動は速かった。すぐに落としたクロスボウを拾う。
「エア、セロと一緒にここを離れろ。
俺は今から奴らを対処する。お前らを守りながら戦うのはさすがに無理だ」
この言葉はゼンの本音だ。一対多数の場合、他者を守りながら戦う苦しさをゼンは知っている。一人で戦う方が、精神的にも肉体的にも楽になる。
「――わかった。
ゼン、追いついてきてね」
エアは一呼吸を置いて、返事をした。先程の戦いから見ても、ゼンの言っていることは本当らしい。エアやセロが戦いに巻き込まれた場合、一番苦しむのはゼンだ。足手まといにならないためにも、ゼンから離れるのが最適解だ。
「すぐに追いつくから、待っててくれ」
エアとセロは離れた。今、この場にいるのはゼンだけだ。ゼンは袋を手に取る。袋は動物の皮を使った、防水性の高い素材でできていた。セロが離れる前に取っておいたものだ。
「これで少しは攪乱できるか」
袋の中から取り出したものはボルトだ。普段使っている種類の元は違う。矢じりの部分に燃えやすい素材が巻いてある。長さも普段のものと比べ短く、細い。矢羽根の部分は同じだ。
「さあ、やるか」




