九話 其の四
「ゼン、この依頼が終わったらお前はどうする?」
「そうだな……。また当てもない旅をつづけるさ。」
「俺も新しい仕事を探さないとな~。この依頼、評判のために引き受けたはいいけど、赤字だよ」
二人は固まっていた。ミーネの道具屋に警備兵が常駐するようになり、ゼンたちの仕事は無いに等しい状態だ。
いくら刺客といえども、捕らえられるのを前提で標的を仕留める者はいない。また、ミーネの調合した薬を彼女自身が売ることは無くなった。
ミーネは店頭に立つことも少なくなり、自室に籠り薬を作っている。店頭に立っているのは彼女の両親だ。
自室に籠っている彼女を仕留めるには、部屋に押し入るか、家を焼く位しか手段はない。
双方の手段とも警備兵のお陰で難易度は跳ね上がっている。彼女に刃を突き立てることができるのは、誰よりも近くにいるゼンとハーディーだけだ。
最早、二人がミーネを守る必要性はない。これからは身元の分からない旅人や傭兵を雇い続けることはない。身元の保証されている立派な兵士が彼女や家族のことを守ってくれる。
二人とも東の都に永住するつもりはない。ミーネの安全が確保されれば、二人が都に滞在する理由はない。ゼンは新しい刀も手に入れた。ハーディーは次の仕事はまだないが、彼ならばすぐにでも見つかるであろう。
「しばらくは湿気の高い所はうろつきたくないな。北か南か西か。これからは寒くなるから、南がいいなあ」
「じゃあ、俺は北だ」
その日も、ミーネの店に迷惑な客が来ることはなかった。陽が落ち、人通りが少なくなっても衛兵が減ることはない。交代制で一日中、ミーネの店を警備している。
この時間になり、ようやくミーネが二人の前に現れた。日中は自室に籠り、薬の調合だけをしている。彼女が部屋から出てくるのは、腹を満たす時だけだ。
「二人とも、どうしてここに?」
「なに、契約の話さ。もう俺たちを雇い続ける必要はないだろ。俺たちがいなくても、立派な兵士が君を守ってくれる。
これで契約は終わりだ。俺もゼンも、ここを発つ」
「お陰様で肩の怪我も治ったしな。新しい刀も手に入った。俺たちはお役御免だ」
ミーネの口からは何も出ない。彼女は二人のことを引き留めようと理由を探すものの、見つけることができない。
そもそも、二人が今いるのも、二人の恩情によるものだ。本来であれば、ミーネを東の都に送り届けた時点で契約は終わっている。これ以上、二人をここに引き留めておく言葉がミーネには思いつかない。
「そう……ですね。二人ともありがとうございました。私を守っていただいて」
「なに、それが仕事だからね」
ハーディーは軽く、それが当たり前のように発言する。
「あと、一つだけ頼みごとがある。
俺たちを都から安全に出すよう、口添えしてくれないか」
ゼンにとっては重要な案件である。今も衛兵たちの前に顔を露にすれば、ゼンは捕まる恐れがある。安全に東の都から脱出するためには、ミーネの口添えがあれば安心だ。
「それだったら、俺に考えがある」
笑みを浮かべながら言うのは、ハーディーだ。
「都から出るまでの間、ゼン、お前は俺の召使という扱いにしよう。ただの召使にそこまで気を遣う兵もいないだろ。それでいいか」
「ああ。俺はここを出ることができたら、何も問題はない」
「わかりました。兵士たちの方には私から口添えをします。私を守ってくれた傭兵とその召使の方ということで。二人を都から安全に出すようにと」
「決まりだな。
今日はもう遅い。寝よう」
「ハーディー。都を出る前に一つ寄ってほしいところがある。いいか?」
「勿論いいとも。どこだい?」
「馴染みの鍛冶屋だ」
「いいね。何を新調したんだい?」
「投げナイフだ。誰かさんのお陰で、また新しい傷が増えた」
「そいつは酷いな。きっと、傷を与えた奴は相当の手練れなんだろうな」
「ああ。殺るならこっちも命がけの相手だ」
その日の夜は更けていく。
次の日、ミーネは早速、警備の者たちに事情を説明してくれたようだ。二人に対する対応が今までとは全く異なった。今までは二人をいないもののように扱ってきたが、それが一変した。
ハーディーはいつも通り、何事もないかのように振舞う。一方のゼンはハーディーの槍を持ち、頭にはフードを被っている。フードを被っているのは、顔を見られないようにだ。
ハーディーの周りにいる兵士たちは、ハーディーにばかり注目している。誰も召使の格好をしているゼンには目もくれない。
「お出迎え、ご苦労さん。
それじゃあね」
ハーディーとゼンは、真正面から行く。二人を除き、誰もここにゼンがいることには気付いていない。
並んでいる二人は、どこからどう見ても主人と召使に他ならない。背が高いのはゼンの方だが、ゼンは敢えて腰を曲げていた。そのせいで、ハーディー方が高くなっている。
猫背になっているせいで、ゼンは弱弱しく見える。そんなゼンと対比するかのように、ハーディーは大きく胸を張り、腕を大きく振って歩いている。自信満々のその姿は、ゼンの正体を隠すのに大きく役立った。
二人がミーネの店を発った後、二人は背後から視線を感じていた。ハーディーはセロに乗っており、ゼンが先導している。
「付けられているね」
「二、三人か。何もしなければいいだけだ」
兵士たちはゼンたちを捕まえるために付けているわけではない。あくまで二人の護衛が目的だ。二人は東の都を救った偉人の仲間だ。
二人が襲われる可能性は少ないが、全くない訳でもない。その二人を警護するのは、善意によるものだ。その善意を受け止めることができないゼンであった。
二人は視線を感じつつも、ワポのいる鍛冶屋に向かう。
「ゼン、行ってきなよ。
従者が物を受け取りに行くだけだ。一人でも大丈夫だ。お前の名馬も大人しいしね」
「じゃあ、一人で行ってくるよ。そんなに時間はかからんはずだ」
「行ってらっしゃい」
ゼンは一人、ワポの店に入る。
「いらっしゃい!
何が入用ですか?」
「ワポ、俺だ」
ゼンは背を伸ばし、被っているフードを脱ぐ。
「ゼン、君だったのかい!
一目じゃわからなかったよ」
「ちょっと面倒な奴らの目を欺くためにな。
それよりも、頼んでおいた物は?」
「ばっちしさ。
そこで待っててくれ」
ワポは小走りで、ゼンの前から去っていく。僅かの間に、ワポは荷物を抱え、ゼンの前へと戻ってきた。
「まずはクロスボウだ」
ゼンは差し出されたクロスボウを受け取る。あらゆる所に傷のあったクロスボウはそこにはなかった。新品同様のものがゼンの手中にある。
「あちらこちらに傷があったから、部品をほとんど取り換えたよ。そのお陰で新品同様さ。変えてないのは引き金の所だけさ。
弦も緩みがあったから取り換えておいたよ。強度を確認してくれ」
ゼンは弦を引っ張る。ワポに預ける前と同じくらいの強度だ。今まで同じ感覚で矢を装填することができる。
「いい具合だ」
「じゃあ、次はコイツだね」
次にワポが取り出したのは、足首に巻く種類の紐帯だ。紐帯には小さなナイフが収まっている。
「どうだい?」
「ちょうどいい位だ。
何から何まですまんな」
「お客の要望に応えるのが僕たちの仕事だからね。
もう行くのかい?」
「……ああ。
次にいつ帰ってくるのかはわからん。生きて帰れるかも不明だしな。
親方にもよろしく言っておいてくれ。何の挨拶もなしに発つことを許してくれって」
ゼンは踵を返す。
「ゼン!」
ゼンは背を向けたまま、頭だけをワポのいる方へと動かす。
「帰ってきなよ。
またクロスボウの感想を聞かせてくれ」
「またな」
ゼンは口に笑みを浮かべ、ワポの店を発った。
「別れは済ませたかい?」
「いいや。また来ることになるんだ。別れなんて必要ないさ」
「そうかい。
じゃあ、行こうか」
その後、二人は騒ぎを起こすこともなく、都の門まで辿り着くことができた。
相も変わらず、入る側には長蛇の列ができている。都に入る人数に対し、検査をしている兵士の数はごく僅かだ。
どの兵士たちも眠そうな顔をしている。動きも重りでも持っているかのような速度である。
ゼンたちの手続きは簡単に終わった。入る時と違い、出る時は簡単だ。兵士たちもゼンたちの荷物を確認することなく、一目見ただけで許可を出した。
「行っていいぞ」
そのたった一言で、ゼンたちは東の都から出ることができた。ゼンたちは門を超え、都の外に出た。
「ようやく終わったね」
「やっとだ」
もう背後からの視線を二人は感じない。ゼンもフードを脱ぎ、まっすぐ立っている。
「それでゼン。どこに行くかは決まったかい?」
「いや、まだだ」
「俺もだ。こういう時は、これで決めよう」
そう言って、ハーディーが取り出したのは、いつか見た硬貨だ。
「表が出たら北へ、裏なら南だ」
ハーディーは硬貨を指で弾く。弾かれた硬貨は空を舞い、回転しながら落ちてくる。
硬貨がハーディーの指に収まることはなかった。
ハーディーは左手に持っている槍をゼンに向かって突き刺す。対するゼンも動いている。右手で刀を抜き、切っ先はハーディーに向けられている。
硬貨は固いものに衝突した音を発し、地面へと落ちていった。
ハーディーの穂先はゼンの喉元に、ゼンの刃もハーディーの喉元に当てられている。両者ともほんの少し力を入れただけで、血の雨が降ることになるだろう。
「やっぱり、そう簡単にはいかないか」
「互いにな」
「さて、行先はどっちになったかな」
ハーディーは槍を収め、自身が投げた硬貨の方へと目をやる。
「南か」
ハーディーが弾いた硬貨は裏面を示していた。
「俺は北だ
これでしばらく刃を交えなくても済む」
「そうだね。また会おう、ゼン」
「次は仕事抜きで会いたいもんだ」
ゼンは北へと、ハーディーは南へと、それぞれ足を進める。