九話 其の二
「おう、帰ってきてたのか」
作業場の奥に親方はいた。ワポと同じく、代わった様子はなさそうだ。逞しい背中はそれだけで迫力がある。
「都には少し前に戻ったんですが、色々ありまして」
「まあいい。
刀を見せてみろ」
親方はゼンの方を見ることなく、手だけを伸ばす。
ゼンは黙って、帯刀している刀を差しだした。
「随分と軽くなったな」
親方は淡々とそう言ったが、ゼンには重く感じた。親方のことだ、重量だけで刀に何かあったのを察したのだろう。
「ふむ……、綺麗に折れているな。ちらりと見た限りじゃ……刃こぼれはしていないが、小さな傷は何箇所もある。
斬ったのは人だけじゃないな」
「申し訳ないです。
親方が折角打ってくれた刀を。しかも、こんなすぐに……」
ゼンは深々と頭を下げる。親方は相変わらず、ゼンの方を見ていない。今の親方の視界にあるのは折れた刀だけだ。
「誠に勝手なお願いで申し訳ないのですが、もう一度、刀を打ってくださいませんか。
金はあるだけを持ってきました」
ゼンはポーチから硬貨の入った袋を取り出す。
「この袋にある全てを使ってもらって構いません。足りなければ、稼いでいきます。お願いしま」
「落ち着け。
刀はもう打ってある」
ゼンは固まった。親方の口から出た言葉をすぐ理解することができなかった。
丁寧に打ってくれた刀を壊して帰って来てしまったのだ、一発殴られようともゼンからは何も言えない。ゼンも殴られる覚悟を決めて、鍛冶屋に来たのだ。
親方の言葉は、そんなゼンの予想を裏切ったものだった。
「打ってある?刀を?」
「ああ。
実はお前の師匠からは、刀を二本作るように依頼されていたんだ。一本は、人は斬るものを。もう一本は、あらゆるものを斬ることができるものを。
そしてお前が旅に出るときには、人を斬れる刀を渡すように頼まれてたんだ」
「――師匠が」
「ゼン。お前が旅に出て、もう一度ここに帰ってきたときには、もう一本の刀を渡すようにと。
もしここに帰ってこなければその刀は自由にしてくれていい、ってな。他の客に高値で売ろうが、二束三文で売ろうが。
アイツは、お前がここに帰ってくることを予想していたんだろう。それも、刀を折った状態でな。
まあ、お前に渡した刀は人を斬るためにつくったもんだ。それでモンスターを斬れば、刀の方が壊れちまうのは仕方ねえさ。
ちょっと待ってな」
そう言うと、親方は腰を上げる。手で腰を何度か叩くと、奥へと入って行った。
作業場にはゼン一人だけが残っている。ゼンは一人、ただその場にある椅子に座っていた。
師匠が死に、早数年がたった。剣の腕前では師匠には敵わないものの、それなりに独り立ちしているものと自負していた。それが、今のこの現状だ。
ゼンが刀を折って鍛冶屋に戻ってくることを、師匠は予想していたのだ。師匠の考えは当たり、ゼンはその通りに行動している。
「はぁ」
落ちていく気持ちを切り替えるために、ゼンは大きくため息をつく。これ以上、このことについて考えていいことはない、ゼンはそう思い込む。新たに迎える刀に期待を寄せ、親方が戻ってくるのを待つ。
「ゼン、これだ」
戻ってきた親刀の手には、一振りの刀が握られていた。鞘も柄の部分も黒い。見ただけでは前の刀と大きく異なっている点はない。長さも変わっていないようだ。
「持ってみろ」
ゼンは親方から刀を受け取った。重さもさほど変わっていないように感じる。ゼンは黒い鞘から、ゆっくりと刀身を出す。
刀身は白く、輝いていた。ゼンの顔が刀身に映っている。
「どうだ?手に馴染んでいるんじゃないか?」
「はい。驚く位に
今までも刀を変えたら違和感があったのに、これにはない」
「まあな。それは前の刀と同じ長さ、重さだ。
だが、使っている材料が違う。苦労したぜ、そいつを鍛えるのはよ」
「振ってみても」
「勿論だ」
一度、ゼンは刀身を鞘に納める。腰に帯刀し、ゼンは改めて抜刀する。
何度繰り返したか憶えていない、この行動がゼンの荒れた心を落ち着かせる。手にした刀には全くと言っていいほど違和感はない。むしろ、ゼンの手に馴染んでいる。
親方が言ったように前の刀と手触りは何ら変わりない。右手で刀を軽く握り、そのまま振る。
一振り、二振り。ゼンは刀を振り、再度、刀が手に馴染んでいることを確認する。
「どうだ。
少なくとも俺の見立てじゃ、ほとんど前の得物と変わりはないはずだ。
変わってないのはそれだけだ。後は、何もかも違う。使っている材料、打つのにかかった時間は比じゃねえ。
コイツなら、そうそう刃こぼれは起きねえだろ。もっとも、敵を斬れるかどうかは、お前の腕次第だがな」
「耳が痛いですね」
「それに、そいつを打ったのは俺じゃない」
「えっ?」
思わず、ゼンの口から言葉が漏れてしまった。
「親方が打ってないということは……」
「おう。お前の予想通りだ。そいつはワポが打った刀だ。
言いたくはないが、俺も年だ。並の質で量を作る分には問題ないが、質を追求した一品はもう難しいんだ。
ワポは違う。アイツは技術はまだまだだが、若さと時間がある。その刀も打つのに何年も掛けた傑作だ。
最も、その刀は店で売ることはできねえ。アイツの腕を上げるために作ったものだ。とてもじゃねえが、金を貰える代物じゃねえ。だから持っていけ。その方がアイツも喜ぶさ
すぐに壊すんじゃんねえぞ」
「それは勿論」
ゼンはゆっくりと刀身を鞘に戻す。
「終わったかい?」
二人の話し合いが終わった時を見計らったように、ワポが声を掛けてきた。
「ああ。お前さんの打った刀の引き取り手が見つかったよ」
「それはよかった。その引き取り先の人は物使いが荒いようですね。背中のクロスボウも、見ただけでわかる位に傷んでる。
その辺りも含んで、色々と支援する必要がありそうですね」
「お手柔らかにお願いするよ」
ゼンは背中のクロスボウをワポに手渡す。
「これはこれは……改めて見ると、また酷いね。
全体が歪んでいる。よっぽど強い衝撃でも加えない限り、こんな曲がり方は起こさないはずだけど」
「ワポ、知っているか。クロスボウっていうのは、ボルトを飛ばすだけじゃなく、人を殴ることもできるんだ」
実際、ゼンはクロスボウを殴る用途でも使っていた。また殴るだけではなく、相手からの攻撃をクロスボウで受け止めることも多々あった。そのため、クロスボウの至る所に刃の跡が残っている。
「それは、作る側としてはあまり聞きたくなかったな。
まあ、使い手に関してはこちらからは何も言えないからね。それにしても、ここまで傷んで帰ってくるとは思わなかったよ。
いくつかの部品を交換しておしまい、という訳にはいかないね。ここまでだと、一度分解して組みなおす方が早いかもしれない」
「そこまでか」
ゼン自身、物使いが荒いと自認している部分もあった。それを他人の口から聞くことで、よりゼンの心に響く。
「そう言ってやるな」
口をはさんだのは親方だった。
「今はでかい戦なんてねえから、武具もそんなに傷まねえが。あちこちで殺し合いがあった頃なんて、道具が壊れるなんて日常茶飯事だったんだ。
それで、そのクロスボウを直すのに何日かかる?」
「今日は別の仕事があるから、明日から取り掛かったとしても、三日は欲しいですね。」
「ゼン、それで大丈夫か?」
「ええ。しばらくは都に滞在するので。
それに他にも、色々と欲しい物もありますし」
「珍しい。お前が刀以外のものを欲しがるなんて」
「色々ありまして。欲しいのは投げナイフなんですが、小型の物の在庫はありますか?」
「そんなに種類はないけれど、扱っているよ。こっちだ、案内する」
「親方、失礼します」
「ん」
親方はもうゼンたちに背を向けている。ゼンが入ってきたときと同じように、椅子に腰かけ作業を再開する態勢を取っている。
ゼンは親方へ一礼をすると、ワポの後を追った。
「それにしても、ゼン。君って投げナイフもいけるのかい?」
「少しはな。今回はそいつのお陰で、体に新しい傷も増えたしな」
ゼンは未だに包帯が巻かれたままの腕を出す。
「お大事に。何か特段の希望はあるかい?投擲用と一言に言っても、色々と種類があるからね」
「小型の奴でいい。殺傷能力も低くてもいい。当たれば、相手の動きを一瞬止めることができる位の」
「ふむ。それなら該当するのが二つあるね。実際に投げて試してみるかい?」
「頼む」
ワポが差し出してきた投げナイフに大きな差異はなかった。どちらも小型で、何の装飾もないものだった。ほんの少しの違いは形状にあった。
一つは一直線状のものであり、もう一つは末端が細く中央が太くなっている。
「じゃあ、さっそく。
的はあるか?」
「目の前にある壁でいいなら、どうぞ」
ゼンの手元にあったナイフは、瞬く間に壁に移っていた。丁度、ゼンの頭の位置辺りに刺さっている。
「もう一回」
再度、ゼンはナイフを投げる。今度は最初に刺さった位置よりも、少し下の方へと吸い込まれていく。
「最初に投げたのを用意するよ。何本必要だい?」
流石はワポといったところだ。何も言わなくてもゼンの考えを読み取ってくれる。
「ああ。その直線状のものを七本。ナイフを留めておく紐帯もいるな。太腿と足首に固定できる種類のものはあるか?」
「太腿に巻くものならあるけれど、足首に固定するものはないな。けれど、それ位なら直ぐに作ることができるよ。
後で足首回りの計測をやって、君に合ったものを作るよ」
「何から何まですまんな」
「使い手の願いを叶えるのが職人だからね」
ゼンは装備を受け取り、鍛冶屋を後にする。
「お帰り。随分と早いお帰りだね。こっちは面倒なお客様が三人来たけど、帰ってもらったよ」
ハーディーは店の入り口直ぐに立っていた。店全体を見渡すことができる場所に。
「店の中に、むさ苦しい男が二人もいると邪魔になる。奥に行こう」
店の中の雰囲気から言っても、二人は場所に似つかわしくない人物である。ミーネの家でもある道具屋、その収入の大半は市民に拠るものだ。
傭兵や各地を移動する商人が客として利用することは滅多にない。仮に依頼を受けて納品する場合でも、正面から入ることはない。裏口から入るのが基本だ。
ゼンが鍛冶屋にいた頃、ハーディーが店の警護を担っていたが、時折蔑むような視線をハーディーは感じていた。
ハーディーにとってはそんな視線は慣れたものであり、どうということはない。得体の知れない男が二人となれば、見下されるのはゼンたちだけではない。店の評判にも関わってくる。それを見越して、二人は客からは見えない、奥の方へと移った。
「今日は三人か」
「丁寧に一人ずつ来てくれたから、対応も簡単だったよ。複数人で来られたら、少しまずかったかもね」
「次はいつ来ると思う?」
「そうだな……。しばらくは来ないと思うがな」
「いや、きっとすぐに来るよ。
向こう側ももうそろそろなりふり構わずに襲ってきてもおかしくない」
ハーディーの言葉は的中することになった。