八話・其の九
ミーネとレーパを無事に救出することができた。かといって、このまま進むことはできず、その日はそこで夜を過ごすことになる。
夕食を終えるとすぐにミーネは眠りに落ちてしまった。連日の疲れに加え、先ほどの危機で彼女の体は休養を欲していた。
「流石に寝ているね」
「あんなことがあったんだ。無理もない」
ゼンとハーディーは揃って、焚火を囲んでいる。
二人が一斉に後ろを振り返る。二人の目には、眠ったはずのレーパが立っていた。
「何だ、お前か」
「驚かさないでくれよ。心臓が止まるかと思ったよ」
夕食を終え、横になるとすぐに寝ていたレーパであったが、この日に限ってはまだ寝てはいない。
レーパは二人の後ろに立ち、そのまま動かない。顔は項垂れており、目は見えない。
「早く寝なよ。明日も歩くんだ」
後ろにいる相手がレーパと分かり、二人は再び焚火の方に体を向ける。
「今日は……ありがとうございました」
レーパの口から出たのは、予想外の言葉であった。今までゼンとハーディーに対しては、辛辣な言動であったレーパが。
東の都の市民であるレーパが、市民ではない二人を見下していることは不思議なことではない。ミーネとレーパからすれば、一介の旅人や傭兵である二人に従うことは屈辱的なはずに違いない。
普段であれば絶対にありえない、そんな状況下にいるためミーネとレーパは黙って二人に従っている。
市民の二人に内心は見下されていることは、ゼンもハーディーもわかっていた。二人はそれを不思議とも思うこともない。かといって、レーパの二人に対する振る舞いは少し常軌を脱したものがあった。
今まで二人に高圧的な態度をとってきたレーパが、礼を言った。その事実が両者を驚かせた。
「……驚いたよ。
まさか市民様の君が、こんな一介の旅人や傭兵に礼を言うなんて」
「今までの非礼も併せて、大変……申し訳なく思っております」
レーパの態度に、二人はただただ黙っているばかりだ。
「もう一度、お願いします。
どうか……どうか……、ミーネだけは。ミーネだけは何としても東の都に送ってやってください。
例え、俺が人質になったとしても無視してくれて構いません。絶対に、アイツだけは都に。
熱病の薬の調合方法は俺とアイツだけが知っている。けれども、俺が持って帰っても駄目なんだ
だから、お願いしますっ!」
レーパは頭を地面につけ、二人に懇願する。体は微かに震え、眼からは涙が流れている。
レーパの涙をすする音だけが周囲に、僅かに響く。
「アイツは俺なんかとは違って、沢山の人を助けることができるんです
お願いします、お願いします」
レーパの頭は地面に少しめり込んでいる。
「落ち着けよ。仕事・契約だから、しっかりと都まで送り届けるさ」
「この際、俺はどうなってもいい。だから、だからミーネだけは」
「わかった」
答えたのは、ゼンであった。
「オイ、何を言って。
いや、そうだね。
ああ、分かった。君は見捨てても、彼女のことだけは送り届ける。それでいいね?」
その一言を聞いて、レーパはようやく顔を上げた。
「ありがとうございます」
顔を上げたかと思うと、レーパは再び頭を下げる。
ミーネの安全を第一にしたことで、レーパは安堵した。その安堵は、次にレーパを眠りに誘う。
先程までの取り乱した顔も、感情もどこに行ったのか、レーパは落ち着きを取り戻す。そして、ようやく寝床へと赴いてくれた。
レーパが確実に寝たことを確認し、残る二人は互いに顔を見合わせる。
「やーーっと、眠ってくれたよ」
「ああ。こっちが疲れた」
レーパの予想外の行動、言動に、二人はただただ驚くばかりであった。普段の行いからは想像もできない姿を見たことで、意図もしていなかった疲労感が二人にのしかかる。
「よっぽど、ミーネに惚れ込んでるね、アレは」
「もっとも、ミーネの方は気づいているかわからんがな」
「気づいてるよ。間違いなく」
ハーディーは迷いなく言い切った。
「どうしてそう言い切れる?」
「勘。それと……今までの経験かな」
「そうか」
そうして夜は更けていった。この日も、ゼンとハーディーが交代で夜番をする。
次の日も、その次の日も旅は続いた。道中は静かなもので、誰も話そうとはしない。口を開くこともあるが、内容は注意喚起や確認などの業務的なものに限られた。
朝、昼はただひたすら歩き、夜になれば寝る。そんな生活がしばらく続いた。
「ようやく見えた」
四人の視界には、ゆらゆらと空に昇っていく大量の煙がある。それらの煙は東の都から排出されたものだ。
まだ都までの距離はあるものの、都の存在を確認したことで、四人の心は少しの安寧を得た。
だが、ゼンとハーディーに関しては、安寧よりも、これから迫る事態に心を奪われる。
追手を撃退してから、ゼンたちは一度も人に対して刃を振るっていない。
それは敵の戦力を削っていないことを意味する。敵が何人いるかはいまだに不明だ。ゼンたちよりも多いことは確実だが、それ以上は何の情報もない。
東の都に入るための道は四つある。門に至る道は、間違いなく追手たちが張り込んでいる。
ゼンとハーディーだけなら強行突破するというのが、一番早く確実だ。だが、ミーネとレーパを連れているこの状況では、その手は使えない。
かといって、今までの様に気付かれずに都に帰るという手も使えない。
「お待たせ~」
上空からエアが飛んできた。
「どうだった?」
「いたよ、一杯。
私が門まで飛ぶだけでも、20人はいた。余計な騒ぎを起こさないように、大通りから外れたところにいる。
それに直接は見えなかったけど、森の方からも一杯、人の匂いがした。全部合わせたらもっといるよ」
ゼンはエアに再び索敵を頼んでいた。
都に近い場所でエアを飛行させるのは不安もあった。できるだけ低い場所を飛ぶようにゼンは指示していた。
エアが持ち帰った情報は、凡そゼンとハーディーが予想していた通りのものである。
「さて、どうする?ゼン」
「まずは、腹ごしらえだ。
食っている間に、いい案が浮かぶ、浮かんだら御の字だ」
「全くだね」
その日の食事は普段とは異なっていた。いつもは大きな口で大量の食事を素早く食うゼンとハーディーが、この日は違った。食べ物を少しずつ口に運び、何度も何度も口の中で噛んで、胃に流し込んだ。
逆に残りの二人の食欲は、増大していた。故郷である東の都を感じたことで、心に安らぎが生じた。今まで囚われていた緊迫感から解放され、解放された二人の余裕は、食事へと向かった。
暗い顔をした二人と、明るい顔をした二人。普段とは何もかもが逆である。
「ゼン、何かいい案は思いついたかい?」
夕食後、二人が寝静まったことを確認してから、ハーディーが切り出した。
「いや、全くだ。そのせいで、折角の飯も存分に楽しめなかった。
そっちは?同じ傭兵なら、傭兵を欺く方法もあるんじゃないか」
「無いことは無い……。ただ、その手は使えないし、使いたくもない。
一つ、まだマシな方法がある。聞きたい?」
ハーディーの声は一定であった。
「ああ、聞こう」
「使い古された手だけれども、囮を使おう」
「囮?」
「俺がわざと騒ぎを起こす。そして、そのまま都周辺の追手を一手に引き付ける」
「それだと、お前が」
「なあに、何も真正面から戦う訳じゃない。最初に二、三人を相手にして、後は逃げるだけさ。
森の中に入れば飛び道具はそう当たらないしね。逃げるのは得意でね」
戦える二人の内、一人が囮となり、もう一人が護衛を果たすという案はゼンも考えていた。
その案は果たして成功するのか、また敵を引き付けることが本当にできるのか、などなど不確定用が多い。そのためゼンは敢えて、案を口に出すことはしなかった。
「本当に追手を引き付けられるのか?」
「絶対に……とは言い切れない。だけど、少なくとも一部は引っ掻き回せる。
奴らのことはゼン、君よりもよく知っている。目の前に餌があれば迷うことなく食いつく、そういう連中さ」
ハーディーの言葉を、初めてゼンは信じることができた。
「わかった。頼んだぞ。
何か入用の物はあるか?」
「成功報酬だけで十分さ。
追手を撒いたら俺も都に入るよ」
それ以上、二人の間に言葉はなかった。
「じゃあ、二人を頼んだよ。
もう少しすれば、辺りが賑やかになる。それが合図だよ」
「わかった。死ぬなよ」
「そっちもね」
翌朝、一行は準備に取り掛かっていた。
ゼンとハーディーは武器の手入れを、残る二人は靴紐を結びなおしている。
ミーネとレーパには、今回のことを伝えている。
二人はいい顔はしなかったが、ただ従うほかなかった。昨日までの明るい顔は消えていた。
ゼンとハーディーの表情や雰囲気から、まだこの旅が終わっていないことに気付いたのだ。
そして告げられた内容のこともある。追手たちは東の都周辺で待ち伏せをしている。正面突破はできない。ハーディーが囮となって、敵を引き付ける。その間に自分たちが都に入る。
作戦というにはあまりにも単純すぎる、だがそれ以上に良い案も二人には思い浮かばない。
そもそも二人からすれば、傭兵という人種は獣同然である。都の中で育った二人には、どういう行動原理で動くのか、どんな思考回路を持っているのか、想像もつかない。
「行くぞ」
ハーディーが先行し、しばしの時が経った。僅かにだが、都の方からは音が聞こえる。
その音が平和的なものではないことを三人は理解している。音が聞こえる内はハーディーが生きている証だ。
三人は騒ぎが収まらない間に東の都に辿り着く必要がある。立ち止まっている暇はない。三人は足を動かす。
都まではまだ距離がある。今まであれば、二日に分けて進んだであろう距離を、一日で進もうとしている。
陽が落ちるまでに都の中に入る、それがゼンたちの勝利条件だ。失敗した場合のことは考えていない。捨て身の作戦である。
「急げっ」
ゼンは後ろを何度も確認しながら先導する。ゼンからすれば、この程度は体を温める程度だ。しかし、後ろの二人はそういう訳ではない。
二人は肩で息をし、走っている姿勢も崩れてきている。今に転んでもおかしくはない。二人をセロに乗せることも考えてはいたが、セロには荷物を運ぶという役目がある。
ゼンが視線を戻す。
突然、ゼンの足が止まった。少しして、ミーネとレーパもゼンの下に辿り着いた。
二人は息を戻すのに精一杯で、何故、ゼンが足を止めたのかまで考える余裕はなかった。
二人が顔を上げると、眼前には十数人の男がいた。それぞれ剣や槍、棍棒などを持っている。
「出遅れたかと思っていたが、こいつは幸運だ」
「コイツらを殺すだけで、しばらく遊んで暮らせるぜ」
目の前の男たちは陽気だ。既に報酬を貰った後のことを考えている。自分たちが二人を殺し、報酬を貰うことに疑いがない。
「お前ら、そういう話は首を取ってからだ」
人相の悪い男たちの間から、更に人相の悪い男が出てきた。周りの者に比べると、身長は低い。だが、その体つきは他の者よりも目に見えて違う。
レーパと比べると、その恵まれた体付きがよくわかる。太腿や腕に至っては、ゼンよりも太いかもしれない。
「二人とも、息を整えろ。俺が相図をしたら、すぐに走れるように」
ゼンが小さく呟く。腰から刀を抜き、一人、前へ進む。
「オイオイ、アイツ、来るぜ」
「この人数相手に勝てるとでも思ってるのか」
男たちは向かってくるゼンに対し、嘲笑を浴びせる。自分たちは十人を超える、対してゼンは一人だ。
環境もゼンにとって最悪だ。都に至る道で、ゼンが隠れるような場所はない。更に、ゼンが囲まれれば、逃げ道はなくなる。
それでもゼンは前へ進む。彼が何を考えているのか、それはゼン自身のみが知ることだ。