八話・其の四
一行は村を出た。ゼンが先頭を歩き、ハーディーが殿を務めている。護衛対象であるミーネとレーパは、ゼンとハーディーに挟まれている形だ。セロはレーパに牽引されている。
「もうそろそろいいか……
おい、エア。出てきていいぞ」
ゼンはポーチの中にいるエアに向かって言う。
「え?いいの?」
エアは信じられないように聞き返す。エアもポーチの中から今回の話は聞いていた。そして、自身がずっとポーチの中にいるのかと思い、気分が落ち込んでいた。外に出ることができるのは夜中の間だけだろうと思っていただけに、ゼンからの一声はエアにとってはたまらないものであった。
「本当に?もう出るなって言っても、知らないよ」
「ああ。どうせ、気付かれずに都に帰るなんて無理だしな。
それにミーネとレーパは、もうお前のことを知っているだろうが」
「……ふん、それもそうか」
「あ~、ちょっといいか。二人は知っていると思うが、ハーディーには言ってないことがあってな」
「どうしたんだい?都に身請けする女でもいるっていう話かい?」
「生憎とそんな女はいない。しばらくは一人、気楽なままでいい。
じゃなくてだな、実はもう一人、いやもう一匹連れがいるんだ」
「もう一匹?」
予想外の言葉に、ハーディーの意識とは関係なく、彼の眉が上がる。
「ああ。オイ、出て来い」
「よいしょっと。
あ~、やっと外に出れたー」
「こいつは……、ドラゴンかい」
突然の出現にも関わらず、ハーディーは落ち着いた様子だ。だが、表情に出ている動揺を隠すことはできなかった。
「驚いたよ、まさかドラゴンを隠し持っているなんて。
コイツは一杯食わされたよ」
「今まで散々食らわされてきた分のお返しだ。
それに斥候としても役に立ってくれるぞ、コイツは。嗅覚に関して言えば、確実に俺たちよりも上だ」
「へえ、そいつは頼りになるね。
よろしくね、えぇと」
「エア」
ポーチから出てきたエアだが、ゼンの肩に止まっている。顔はハーディーの方に向けられているが、その視線は厳しいものであった。物理的にも精神的な距離も離れている。
「あちゃちゃ、嫌われているようだね」
「自業自得だ」
「そう言われると、返しようがないな~」
ハーディーは笑いながら返す。
ゼンとハーディーの間にいる二人を少しでも励まそうと健気に振舞っているが、全く効果はない。
むしろ会話に参加できない分、余計に二人の閉塞感は強まる一方だ。
しばらく歩いているが、まだ二人に疲れた様子は見えない。初日ということもあるが、まずは何よりだ。
今回の旅で気を付けるべきことは二人の体調である。ゼンとハーディーに関しては、余程の無理をしない限り体を壊すことはない。だが、二人に関しては細心の注意を払う必要がある。
今はまだ平坦な道を歩いているため、体力の消費も少ない。これが山道に入ると、話はそう簡単ではない。山道を歩くのは想像以上に体力を消費する。加えて、雨が降れば足場はぬかるみ、歩くだけで肉体的にも精神的にも疲労を蓄積させる。
仮に山道で足を滑らせば、怪我で済めば御の字であろう。ゼンやハーディーであれば、途中で何かに摑まり、危機を脱することもできる。残りの二人はそうもいかない。
要は、ミーネとレーパだ。この二人の安全さえ確保すれば、あとはどうにでもなる。
その日は、特に何も起きることはなかった。ゼンたち一行は無言でただひたすら足を進めた。
幸いにも天候は晴れており、最初から暗い思いをせずに済んだ。初日ということもあり、陽が沈む前に移動を終わらせた。
早めに切り上げたことで、レーパが文句をゼンとハーディーに言う事態も発生した。
止まるには早すぎる、もっと進むべきだ、というのがレーパの主張であった。
確かにレーパの主張は間違ってはいなかった。まだ太陽が沈むまでには時間はある。その時間を使えば、更に東の都に近づくことは可能だ。
しかし、前に進むということはその分だけミーネとレーパの体力を奪うことを意味している。歩くのは今日だけではない。明日も明後日も、一日中歩くことになるのだ。当然、体にも不調が現れてくる。不調が生じれば、本来であれば進める距離も進むことができなくなってしまう。ゼンとハーディーはそのことを恐れ、普段よりも短い時間で移動を切り上げることを決定したのだ。
「落ち着いてくれよ、な。
今日はまだ元気一杯でまだ歩けるもしれないが、それが明日も明後日も、続くと思うか?
それに歩き過ぎて怪我でもしたら、余計に時間を食うことになるんだぞ、な。だから今日はここまで。
さあ、飯だ!飯の時間だ」
と、ハーディーが強引に話を纏めたところで、レーパの追及は何とか終わりを迎えた。
その晩の食事はハーディーが担当することになった。ハーディーは慣れた手つきで食事を用意していく。
隣でゼンが手伝いをしつつハーディーの手際を見ていたが、ハーディーの手際は想像以上のものだった。
ゼンが野菜などを料理する際には皮などを剥くことは稀だ。ゼンの食事の目的はあくまでも、美味いものを食べ腹を満たすことである。勿論、食事をとることで精神的な安定を図る目的もあるが。そのため、ゼンが料理の見栄えなどにはあまり気を使うことはない。
一方、ハーディーの料理は、細かい所まで気を使っている。野菜などは丁寧に皮が剥かれており、大きさも均一に切られている。老若男女関係なく、一口で食べられる程度の大きさだ。
ゼンも隣でハーディーの調理を手伝っているが、ハーディーからすればゼンの手口は雑に見えるのだろう。
「あ~、切り口が大きすぎる」
「皮の剥き残しがあるぞ」
などと、ハーディーからの指導を受けることが多々あった。ゼンも途中から刃物を収め、火を起こすなどの作業に移った。
ハーディーの作った料理はスープである。野菜をふんだんに使った、甘みのある汁が特徴だ。傷みやすい食材を優先的に使い、野菜本来の甘みと水分を使っているため、体にも優しい。
これを飲めば、体も温まり夜も快適に眠ることができるであろう。4人分というには量が多いのが印象であった。
肉っ気が足りない、というのがゼンの抱いた率直な感想であった。
「できたぞ~。よく食って、よく眠れ」
ハーディーの一声で、夕食が始まった。スープの味は、絶品そのものであった。調理過程を見ていたゼンは、これは美味いと予想していたが、実際の味は予想を軽く超えていった。
それだけに肉が足りないというゼンの不満が強く出た。その不満を埋める如く、ゼンはスープを腹一杯飲んだ。
ミーネとレーパは器に盛られたスープを、ゆっくりと口に運んでいた。特にレーパは毒見をするかのように口に含んだ。
「心配しなくても毒なんて仕込んでないよ、俺もゼンも、何も起きてないだろう」
ハーディーが潔白を証明しても、レーパの猜疑心は晴れることはなかった。
結局、二人は最初に盛られた一杯だけを飲んで、床に就くことになった。まだスープは残ったままである。
食欲を満たせば、次に来るのは睡眠欲だ。二人とも慣れない歩きに疲れたのだろう、寝るまでに時間は要さなかった。
「二人ともすぐに寝たな」
「そうだな。
見張りはどうする?」
レーパはゼンとハーディーのことを監視するかのように注意深く観察していたが、襲い掛かる睡魔には勝つことはできなかった。ミーネが横になっている隣で、木に背を預け、腕を組んだままレーパは瞼を閉じていた。
「俺が先に担当るよ。眠くなったら起こしてくれ。
あ、スープの残りは飲んでくれていいぞ」
「了解。じゃあ、明日は俺が先だな」
「じゃあ、頼んだぞ」
そこからハーディーが寝るのも長くは掛からなかった。ハーディーは二人と違って疲れから眠りに入った訳ではない。
敵に追われているかもしれないという状況で、酷く疲れている訳でもないのに眠ることができる。普通の人間であれば、精神が高ぶって、眠りに入るまでに時間を要する。その点でもハーディーが歴戦の戦士であることが窺えた。
「ゼン、出てきてもいい?」
「いいぞ」
ゼンはスープの入った器を片手に答えた。
「よいしょっと」
日中、エアがポーチから出てくることは少なかった。偶に出てきたかと思うと、少し飛んだだけですぐにまたポーチに帰っていった。
「まだ奴を信じられないのか?」
ゼンの視線はハーディーに向いている。当の本人はというと、間抜けな顔で眠りに入っている。今なら不意打ちに一撃を加えられるかもしれない。
「何か、嫌な感じがするの、この人。
上手く言葉で表現できないんだけど、こう、なんというか……」
エアはゼンの肩に座りながら腕を組んでいる。普段は見せないような、渋い表情をしながら。
「まあな。俺も完全にアイツを信頼してる訳ではないしな」
「ゼンもなの?」
エアは驚きに満ちた表情でこちらを見つめてくる。
「ああ。少なくと都に帰るまでは安心だが、それ以降は……どうなるか」
「また会うことがあるの?」
「さあな。
次に会うときは味方か敵か、恐らく敵だろうがな」
「勝てるの?」
「さあな。
お前も寝ておけ。明日も歩くぞ」
「私は飛ぶから関係ありませーん。
どうせ、しばらくは起きているんでしょう。だったら、話し相手になってよ」
「ああ、いいぞ。
何の話をする?」
「っーんとね、じゃあ、今まで食べて美味かったものの話。私が食べたことがないもの」
「そうだな……。じゃあ、山で狩った動物の肉の話でもするか」
子供を寝かしつけるために絵本を読むように、ゼンの話は続いた。しばらく話が続いた後、段々とエアの瞼が落ちてきた。
「そろそろ頃合いか」
エアの様子を見て、ゼンも腰を上げる。
「おい、そろそろ交代だ」
「ん。ああ、もうそんな時間か」
ハーディーは立ち上がり、思いっきり背を伸ばす。
「ああ~。スッキリした」
起きて間もないというのに、ハーディーの声から眠気が感じられない。目も冴えている。
「後は頼んだぞ」
「りょーかい」
ゼンは起きようともしないエアをいつものポーチに入れ、眠りに入る。
エアほどではないが、ゼンも眠りに誘われている状態だ。夜番をしている間、スープを飲んだせいだ。適度に腹が満たされ、体も温まっている。寝床に入れば、朝まで起きないであろう。
明日も、ただ歩くのみだ。何もなければ森に入る位であろうか、そんなことを考えている間にゼンの瞼は無意識に閉じていった。