二話
ドラゴンを追っていた賊を撃退してから、数時間が経っていた。
ゼンは相変わらず小屋の中を元通りにしようと努めている。
その背後にドラゴンはいた。
「ね~ね、いつまでやってるの?」
ドラゴンが退屈そうにゼンに尋ねる。
「最低限は元通りにな、というよりお前は何でいるんだよ」
「お前じゃなくて、エア」
ドラゴンのエアは机に腰かけながら、足をバタバタ泳がせている。
「私だけじゃこの山を下りられないし、街に行ってもまた捕まるだけだし……」
エアは俯きながら独り言のように呟いている。悪戯がばれて、いじけている子供のような姿だった。
「そんなこと、俺が知るかよ。ここをある程度片づけたら、俺だって発つからな」
ゼンはため息をつきながらそう応えた。
「発つ?ここからどっかへいくの?」
つい先ほどまでの落ち込んだ様子が嘘のように、エアは元気になっていた。
「ねえ、ねえ。どこ、どこ?どこへ行くの」
エアの詰問は止まらない。ゼンの頭の周りを飛び回りながら、問い詰めてくる。
「ああ!五月蠅い!いいから飛ぶのを止めろ!」
ゼンの怒声が響いたことで、エアは腰を落ち着けた。
ゼンも手を止め、横倒しになっている椅子を元に戻し、そこに座った。
「俺はこの小屋をある程度片づけたら、旅立つ。ここまではいいか?」
ゼンの声は、小さい子を諭すようなトーンだ。
「うん!で、で?」
エアの調子は上がりっぱなしだ。
「ここを出て、色々なところを見て回る。目的はそれだけだ。目的地はないし、探し物もない、探し人もいない」
「何で、何で、そんなことするの」
一呼吸おいてから、ゼンの答えは返ってきた。
「もう少し親しくなったら教えてやるよ」
「じゃあ、じゃあ、私もそれに付いていく」
これまで言ったことを後悔したのか、ゼンは頭を掻いている。大きな溜息をつき、深呼吸をする。
「あのなぁ、いいからさっさと親元に帰れ。それがいい」
そう言ったゼンの顔は、複雑な表情だ。その時だけは、エアもゼンに対する印象が変わった。
今までは得体のしれない不思議な人物だ、というのがエアの心象だった。しかし、初めてエアはゼンの人間らしさに触れたような気がした。
「親元までは送ってやる。だから、お前の住処は何処だ?」
ついに観念したゼンは、エアに向かって疑問を投げかける。
「わかんない……」
「へ?」
ゼンの意識とは関係なしに、声が出る。
「どういうことだ?」
続けて、ゼンが尋ねた。
「わかんないの!」
そう言ったエアは、泣きべそをかいた子供のようであった。
「親とちょっと揉めて、洞窟から出たの。そしたら、いきなり視界が真っ暗になって、気付いたら捕まっていて……。
今まで洞窟の中にいたから、どこにいたかもわかんないし、ここもどこかわかんないし……」
ゼンが再び溜息をつく。今度は前のものと比べると、遥かに大きかった。
「じゃあ、お前は迷子……。いや、迷いドラゴン、ということか」
「うん……」
エアは俯いたまま応えた。
二人の間に暫しの静寂が訪れる。
その静寂を打ち破ったのは、ゼンの方だった。
「付いて来るか?」
「へっ?」
「お前の親元にたどり着く確証はない。旅の途中で互いに死ぬかもしれん。それでも付いて来るか?」
神妙な面持ちでゼンはエアに向かう。
「うん、行く。」
その返答に時間は要しなかった。
「そうか。じゃあ、よろしくな、エア」
その一言にエアは歓喜した。心強い仲間ができたのと、初めて目の前の男が自分の名前を呼んでくれたことに。
「よろしくね!」
人と人ならば握手を交わすのだろうが、人とドラゴンゆえにそれはできなかった。
代わりに、エアがゼンの肩に乗る。初めて乗った人の肩は、エアにとって心地よいものであった。
親元にいるときには体験できなかったこと、それがエアの満足度を一層引き立てた。
ゼンの片付けはその後も続いた。窓からは、綺麗な夕日が差し込んでいる。
「綺麗な夕陽~」
エアの間延びした声が小屋に響いた。
「どこでも夕陽は同じだろ」
「そうなの!?」
今度は一変して、針のように鋭い声が響く。
その変わりように、ゼンも少し驚いている。手に持っていた物を落としてしまっている。
「私、今までずっと洞窟の中にいたから、知らなかった。偶に入り口の辺りに夕日が差し込んでくるのを見ただけだから」
「直接、見に行くか?」
「えっ?」
「馬の餌やりついでにな。片付けも終わったし」
ゼンは落とした物を机に戻しながら言った。
「行く、行く!」
出会ってから、エアのテンションが一番高かった。あまりの高さに少し戸惑うゼンであった。
エアはゼンの肩に移り、小屋から出てみる。
初めて見た夕陽に、エアは目を輝かせている。夕陽を直視過ぎて、エアは夕陽から目をそらした。
「眩しっ」
ゼンの肩が揺れた。それに伴い、エアもバランスを崩し始める。
「危ないな~。何やってるのさ」
エアがゼンの方を見てみると、ゼンは笑っていた。顔を俯きにして口元を手で隠しているが、動きまでは隠し切れなかった。
「何笑っているのさ」
「いや、悪い。あまりにも可笑しくて」
笑っていたことがエアにばれ、観念したのか、ゼンは陽気に笑い始めた。口を大きく開け、隠すことなく笑う。
ゼンとエアは、馬小屋の前まで来た。
「この馬、名前は?」
「セロだ」
今度はエアが笑い出した。
「変な名前~」
エアはゼンの肩からセロの背中へと移る。
「この馬、何歳?」
エアはセロの背中が気に入ったのか、ゼンの肩に乗っていた時以上に安心している。
「今で……四歳かな」
「へぇー。どこで買ったの?」
「東の都だ。明日から向かうのもそこだ」
エアは首をかしげる。
「私、そこ初めてだな」
「ということは……。お前はここの近辺に住んでいたわけじゃないんだな」
エアは上空を眺めながら話し出した。
「偶にお父さんとお母さんに洞窟から連れ出してもらったことがあったの。昼だと人間たちに場所を特定されるかもしれないからって、夜にしか出たことはないけど。
私のいた洞窟の周りにはほとんど何もなかった。ただただ、ここと同じように森があっただけ。所々に人の住んでいる家はあったけど」
ゼンはセロに餌を与えたまま話を聴いている。
「ねえ、聞いているの?」
その恰好からエアはゼンが聞いてないと思ったのだろう、声から少し怒り気味なのがわかる。
「ああ、ちゃんと聞いてるよ」
そう言うゼンの手は止まっていない。その姿をエアは目を細めてみている。
「まあ、いいけど。昔に人と私たちの間で戦いがあって仲も良くないことは分かっているけど、それでも私はあの洞窟の中から出たかった。それで親と喧嘩して、こんな風になっているんだけど」
「親御さんもお前のことが心配なんだ。それだけは分かってやれ」
今までのゼンの声とは少し性質が異なっていた。どこか悲しさを含んだような、エアは直感で感じ取る。
エアは返事に困っていた。どう返せばいいか迷っていたが、突破口は向こうからやってきた。
「さあ、家に帰るぞ」
エアの言葉が出る前に、ゼンが口を開いた。
「ところで、ドラゴンって何を食うんだ?やっぱり、人肉か?」
ゼンがエアに声を掛ける。その言動はからかっているようにも見えた。
「失礼な~!何でも食べるよ!けど、やっぱりお肉かな」
「やっぱり肉じゃねえか。この前、仕留めた動物の肉が残っているから、それを食おう。どうせ日持ちしねえから、今日で食べきるぞ」
エアは再びゼンの肩に飛び乗り、小屋の中に入っていく。
「ところで何の肉なの?」
「あぁ、鋭い牙が二本生えた、四足歩行の奴さ」
「美味しいの?」
エアが食い気味に尋ねる。
「ああ、美味いぞ」
夕食後、ゼンは直ぐにベッドに入り、眠りに落ちる。
一方、エアの方は明日からのことを考えると、眠気が覚めていく一方だった。東の都、その響だけで、想像が止まらない。結局、エアが睡眠に入ったのは、それからしばらく経ってからであった。
窓から差してくる光でエアは目を覚ます。昨晩はテーブルの上で体を丸めて寝ていた。洞窟と環境が違うので体に多少、違和感があるものの、捕まえられていた時と比べると遥かにマシだった。
ゼンが寝ているベッドに目も向けてみるが、そこにゼンの姿はなかった。
エアはドアの隙間から外に出てみると、馬小屋の方にゼンはいた。
昨日と同じようにセロに餌をやっている。昨日と異なる点は、セロの体に様々なものが掛けられている点だ。
セロの体には大小様々な袋が吊り下がっている。重力に惹かれて袋の底が破けそうなものもあれば、中に物が入っているのか、というものもある。
「その袋、何が入っているの?」
ゼンはその声で、エアが起きたことに気付いた。振り返り、返事をする。
「色々さ。これから何が起きるかわからんしな」
そう言ったゼンの顔はどこか幼く感じた。悪戯をする前の子供のように無邪気な顔であった。
「さて、行きますか」
ゼンがセロの体をポンポンと叩く。それを合図にセロは勇ましい声を上げる。
側にいたエアの腹にもその鳴き声はずっしりと響いた。朝陽がセロの体をより強靭に仕立てた。黒い体が朝陽によく映えている。
ゼンは、セロにかけていた真っ白な外套を身に着けた。腰には先日使ったナイフを備え付けている。
ゼンがセロの手綱を引き始めた。
エアもそれに付いていく。エアはゼンの肩に泊まった。
「それじゃあ、行こう!」
エアの楽しそうな声が森の中に響いた。