七話 其の六
「ふぅぅ」
とある一室で、ゼンは大きく息をついている。片手を頭に携え、これからのことに頭を悩ませている。
状況はゼンにとって不味いものだ。古くからの付き合いであり足であるセロを奪われたのである。ゼンの悩みの種はそれだけに尽きない。
一つは怪我だ。現在、ゼンは上半身裸で、腹には包帯を巻いている。先程のハーディーとの戦いで、ゼンの体には傷が増えている。幸いにも腹の傷は皮を切っただけでおさまり、肉までには届いていなかった。それに加え、顔も赤く腫れあがっている。腹も顔も出血は収まったが、いまだに痛みは引いていない。
戦いの最中はそれどころではなく、精神も高ぶっているため痛みに鈍感になっていた。だが、休んでいる状態では、心も落ち着き、それに伴い痛みも浮き出てきた。特に傷んだのは、口内だ。鈍い痛みが絶えずゼンの心を擦り減らしている。
「あ、あのー」
同室にいたレーパが気まずそうに尋ねる。
「何だ?」
「い、いえ。何でもないです」
ゼンは低い声で、不機嫌そうに応えた。レーパはその姿に尻込みしてしまい思わず疑問を喉の奥に引っ込めてしまった。
「何やってるの。
もういい、私が聞く」
そんなレーパに対し、ミーネはゼンに臆することはない。
「まずは助けてくれてありがとう。
それでどうして、私たちを助けてくれたの?」
「成り行きだ。気にするな。
だが、どうしてお前たちは狙われている?それだけは教えてくれ。こんな目にあったんだ、教えてくれても罰は当たらんだろ」
ゼンは腫れた頬を前に出しながら答える。
「失礼する」
ゼンの質問は来訪客によって遮られた。
入ってきたのは初老の男性だった。両脇に若い、体格のいい男を従えている。両脇の男はともに腰に剣を携えている。何か事が生じ際にはすぐに動けるようにしているのだろう。
「私はこの村の長をやっております。
あなた方をこの空き家に押し込み、私がここまで来た理由は、もちろん理解しておりますよね」
村長は冷静に、感情を押し殺しゼンたちを問い詰めた。
「俺はただの旅人だ。原因はそっちの二人にある。
俺も丁度、この騒ぎの原因を聞こうとしていたんだ」
ゼンはそう言い、二人を親指で指し示す。
「本当ですか?」
村長は細い目を二人の方に向ける。レーパとミーネがこの村にとって今後の害になるのであれば、二人を仕留めるのも厭わないだろう。それほどの気迫であった。
レーパとミーネは口を塞いだままである。ミーネは下を、レーパはミーネの方を向いている。
「私はミーネと申します。私たちは、薬の材料を求めてこの村にきました。
東の都で昔から蔓延している熱病、聞いたことはありますよね」
「高熱に襲われて死に至るという病ですよね。老若男女関係なしに病にかかるという」
ゼンもその病には聞き覚えがあった。ゼンは都の外にいたためそこまで気にすることはなかったが、都の民にとっては死活問題である。
「そうです。その熱病です」
「しかし、その熱病は既に薬があるのではないのですか?」
「ええ、既に薬はあります。
しかし、その薬は非常に高価で限られた者しか手に入れることができません。それに加えて、今ある薬は完全ではないのです。
助かる者もいれば助からない者もいます。都の人も薬に満足はしていません
それに現状、熱病の薬を売っているのはディーネ家のみです」
「東の都で一番栄えているといわれる、あのディーネ家ですね」
都で家名を持つことができるのは一部の限られた者のみであった。そして、家名を持っているものは貴族と呼ばれている。ゼンには縁遠い話である。
ゼンもディーネという、家の名前は知っていた。そして、ディーネ家が売っている薬の評判も。
「私たちはこの近辺に生息している植物を求めて、この村まで来ました。
私の家は代々道具屋をしています。以前、倉庫の整理をしていた時に昔の資料が出てきたんです。
そこには、熱病であろう症状に対する薬の調合法が書いてありました。最初は冗談であろうと放置していました。
けれども心のどこかで引っ掛かりを感じてその資料を密かに持っておきました。ある時、馴染みの行商人がこの近くまで行くということで、私は薬の材料も取ってくるようお願いしました。
そして、資料にあった薬の調合法に従い薬を作りました。それを使ったところ、効果がありました。
最初は偶然だと思っていました。しかし、薬を使った者は全員に効果があり、この薬は本物だと確信しました。そこで、薬の材料である植物を定期的に仕入れるためにこの村にやってきたというわけです」
ミーネの話はようやく終わった。ゼンは顔色を変えず、相変わらず椅子に座ったままである。だが、村長は違った。
話を聞き終えた村長の顔は青白く変化していた。ミーネの話した内容は、村に訪れる危機を意味していた。それを聞いて、平常心のままでいることは、村長には不可能であった。
「じゃあ、俺は行くぞ」
そんな村長を横目に、ゼンは椅子を立った。
村長についてきていた若者がゼンを止めようとするが、効果はなかった。ゼンが放つ威圧感は、若者を圧倒した。
今まで何度も死線を潜り抜けてきたゼンとの違いは明確であった。
「そ、それであなたは一体?」
村長はゼンの背中に向かって問いかける。
「俺はただの旅人だ。こいつらとは一切、関係のないな。
だが、大事な相棒を取られた。そいつを取り返しに行く」
ゼンは扉の取手に手をかけ、家屋を出た。
まだ太陽は天高く上っており、暑さは容赦なくゼンを襲った。外に出ると、いくつもの方向から視線を、ゼンは感じた。
村人からすれば、ゼンも村に厄災をもたらす一味と捉えられているのだろう。ゼンはそれらの視線に反応することなく、ただ足を進めた。
ゼンを取り巻く視線は、ゼンが村を出るまで続いた。
ゼンは足を止めることなく歩き続けた。ゼンが後ろを振り返る。先ほどまでゼンがいた村はもう小さくなっていた。もう少し歩けば、ゼンの視界から完全に消え去るであろう。
ゼンは一度、立ち止まり周囲を警戒した。周りに誰もいないことを確認すると、ゼンは腰のポーチを軽く叩く。
それに呼応したように、エアがポーチから出てきた。いつの間にか、ゼンが腰のポーチを数度叩くことは二人にとって特別な意味を有するようになってきた。
「セロを助けに行くんだね」
エアは既に覚悟を決めているようだった。今までの経験から、こういう時のゼンは何を言っても無駄なことをエアは理解していた。だから、セロを取り戻しに行くことに関しても何も言わなかった。
「勿論だ」
ゼンはすぐさまに返答する。それほど、ゼンの決意は固かった。
「お前も、これからどうするか考えておいた方がいいぞ」
ゼンはいつも通りの変わらない様子で答える。
「これから?どういう意味?」
エアはまだ気づいていないようだ。ゼンの肩に止まったまま、エアは首を傾げている。
「俺が死んだときの場合だ」
「ゼンが死んだときの場合ね、考えとくよ。えぅ?」
驚きのあまり、エアはゼンの肩から落ちそうになってしまう。
「おい、危ないぞ」
「し、死ぬってどういうこと?」
エアは何とか空中で態勢を取り戻した。そのままゼンの肩に止まることなく、自身の翼を使い飛んでいる。ゼンと話がしやすいように、ゼンの顔の真横を。
「そのままの意味さ」
ゼンは相変わらず、何事もないかのように話をしている。それがエアにとっては信じられなかった。
自分が死ぬかもしれないのに、それを恐れている様子はゼンにはない。いつもと異なっている点といえば、セロがいないことだけだ。
「あいつと戦えば、俺は死ぬかもしれん。
勝てるかもしれんが、負けるかもしれん。実際に戦ってみないと、どうなるかわからん」
「そんなに強いの?アイツ」
「ああ。
俺と同等かそれ以上の力量だ。勝つにしろ負けるにしろ、ただでは済まないだろうな。命で済むか怪我で済むか、どうなるかな」
「自分のことでしょ!もう少し真面目に」
「シッ。今すぐポーチに戻れ」
今までとは異なり、ゼンの真剣な声にエアは驚いている。自身の嗅覚には異常はない、エアは確認する。だが、嗅覚を鋭くしても、特段おかしな匂いはしない。
「出て来いよ。さもなきゃ、ボルトが飛んで行くぞ」
ゼンはそう言うと、背中からクロスボウを取り出す。慣れた手つきで矢を装填すると、誰もいない木の方へと向けた。
しばしの間、静寂が訪れた。その静寂もすぐに撃ち破られる。破ったのは、クロスボウの発射音だった。
「ガッ……」
ボルトは木の方へと向かっていく。枝から何か物体が落ちてくる。落下した物体は人であった。ゼンの放ったボルトは男の腹に深く刺さっている。
落下してきた男は声にならない苦痛の声を上げている。それに呼応するかのように、ゼンの前方から人影が現れた。
現れた影は三つだった。三人全員が手にナイフを持った賊であった。目は血走っており、一触即発の状態である。
賊たちは姿を現すとすぐに、ゼンに向かって走り出す。三人が一斉に、同時にゼンに攻撃を仕掛けようと迫ってくる。普段から三人で行動しているのか、息の合った連携である。
並みの相手であれば、三方向から迫ってくる敵に対処できずに終わってしまうだろう。仮に一方の攻撃を防いでも、残る二人からの刃で命を落としてしまう。そう、並みの相手ならば。
だが、彼らが相手にしているのは並みの相手ではなかった。ゼンは静かに刀を三振りした。次の瞬間には、ゼンの前に現れた三人は血に伏せていた。眠っているかのように静かに。ゼンは刀を鞘に納めると、残った一人の方へと歩き始めた。
「オイ、まだ生きてるよな」
残りの一人はまだ呻き声を上げたままである。腹に刺さったボルトはまだそのままだ。
「質問がある。お前らの仲間は、あと何人いる?あの傭兵を除いた数は?」
ゼンは見下ろす形で残りの一人に問い詰める。
「だっ、誰が言うか」
賊は苦悶の表情を浮かべつつ、必死に口を開く。口を開けば痛みが走る。更に自分が持っている情報を渡せば、自分の価値はなくなる。
ゼンは一息つくと、自分の足を賊の腹に乗せた。
悲鳴が草原に響いた。聞いている者ですら、痛みを覚えそうな声だ。その声を聴いているのはゼンと、エアしかいない。
「もう一度聞くぞ。仲間は後、何人いる?」
「誰が言う」
男の言葉が終わらないうちに、ゼンは腹部に拳を入れる。再度、草原に似つかわしくない声が響いた。
「仲間は……何人いる?」
ゼンは拳を振りかぶった状態で尋ねる。ゼンの求める回答をしない場合、どうなるかは明白であった。
「三人だ。あと、三人」
男はすぐに口を開いた。この情報が本当か否かはわからない、だが今はこの情報を信じるしかない、ゼンは腹に乗せている足をどけた。
「そうか」
ゼンは目の前の男に背を向け、再び足を進める。
男は叫び声を作りながら、ゆっくりと手を右足の方へと伸ばす。ゆっくりとゼンに気付かれぬように、ズボンの裾をめくる。男の右足首にはナイフが隠されていた。
男はナイフを抜くと、音を立てずに立ち上がる。作り物の叫び声をあげながら、ゼンの背後に付く。ナイフを脳天に突き刺す様に、両手を大きく上げる。
「死ねッ!」
ゼンは目にもとまらぬ速さで体を反転させる。それと同時に、刀を抜いていた。
反転する勢いを利用し、ゼンは男の腹を横一直線に切り裂く。ゼンの攻撃はそこで終わらなかった。ゼンは刃を腹から顔へと斬り上げる。
男は声を出すこともなく、仰向けに倒れた。ゼンは刀を鞘に納めると、また歩き出した。




