七話 其の四
「仲間?お仲間なら全員、眠ったよ」
ゼンの一言で開戦の幕は開いた。
横並びに並んでいる3頭のうち、左右の馬がゼンに向かって走り始めた。
馬が走り出すのと同時に、ゼンは左に飛んだ。ゼンの左手にはクロスボウが携えられている。そして、ゼンは狙いをつけると弓矢を放った。
「ウッ」
放たれた弓矢は賊に命中した。賊はそのまま落馬する。受け身を取ることもできず、地面に激突した。
「なっ」
仲間の一人が落馬したことで、もう一人の心に動揺が走る。その動揺は心だけではなく、身体にも表れた。今まで捉えていたゼンの姿を見失ってしまった。
「どこだ?」
「ここだっ」
声のする方へ顔を向ける、賊の目には馬に乗ったゼンが映った。しかも乗っている馬は、今まで自分の仲間が乗っていた馬である。動揺する暇もなく賊の体に一太刀が帯びせられた。
賊はなす術もなく馬上から落ちていった。
再び、ゼンとハーディーが向かい合わせの状況に戻った。
「やるね、お前」
目の前でゼンの一太刀を見て、改めてハーディーはゼンに対する認識を改めた。
ゼンがハーディーを強敵と認めたように、ハーディーもゼンのことを一筋縄ではいかない相手だと捉えた。
互いに相手を倒すのは無傷では済まない、打ち破るには覚悟が必要だと悟る。
「お前、名前は?」
殺し合いの状況だというのに、ハーディーは汗一つ流さずに、飄々とした態度でゼンに尋ねてくる。
「そう警戒するなよ、といっても無理か。
ただ、これほどの奴に出会えたんだから。折角なら、名前だけとでも思って」
ゼンは刀を握ったまま、何も言わずにハーディーの方を見る。よく見ると、なんとも幼い顔をしている。それに金髪がよく映え、槍さえ持っていなければ高貴な生まれの者といっても信じてしまうだろう。
「センだ」
少しの沈黙の後に、ゼンは言った。
「セン、か。いい名前だね」
ここまできて、ゼンはあえて偽名を名乗った。突然の事態に驚き、マトモな名前が思いつかなったが、ハーディーはそれを信じたようだ。いや、偽名だとわかっているかもしれない。だが、ハーディーはそれを承知でゼンの嘘に乗ったのかもしれない。
互いの名前を交わししたことで、ようやく戦いが始まる雰囲気になった。
ゼンは額から汗が流れているが、ハーディーの方は涼しい顔をしている。右手に携えた槍を遊ぶようにして回している。それだけでも、ハーディーの力量をゼンは推し量ることができた。
槍をあのように軽々しく扱えるのは、相当熟練しているからだ。それに、通常の槍よりも太く重いものを何ともないように扱っているのだ。弱いはずがない。
ゼンとハーディーは何か合図をしたわけでもないのに、二人はほぼ同時に仕掛けた。互いに乗っている馬の胴を足で軽く叩き、前方に向かって駆ける。二人の距離は直ぐに縮まり、互いの武器が相手の命を刈り取る所まで近づいていた。
「ハッ!」
「フッ!」
ゼンとハーディーがすれ違い様に、互いの武器を振るった。ゼンの剣は、ハーディーに届くことはなかった。
一方、ハーディーの槍の穂先もゼンには届かなかった。しかし、槍はゼンの腹に直撃していた。刃先で刺すというよりも突く、という表現の方が近い。
両者がすれ違った際、先に攻撃を繰り出したのはハーディーの方であった。その重装な槍をゼンめがけて突き刺す。
ゼンは向かってくる穂先を刃で受け流し、ハーディーの胴に一太刀を入れるつもりだった。だが、ゼンの刃はハーディーには届かず、むしろ自分の腹に重い一撃が入ってしまった。
ハーディーは自身の穂先がゼンから外れたことを認識すると、すぐに行動を変えた。槍を突き刺すのではなく、打撃を加える方向に変えた。
力を前に押し出すのではなく、横に流すようにしてハーディーは力の向きを調節する。槍は真っすぐにではなく、横に延びていく。
横に延びた槍は、ゼンの腹部に直撃する。
「がッ」
ゼンは声にもならない呻き声をあげ、馬上から落ちていく。ゼンは着地の際に何とか受け身を取り、すぐに起き上がろうとする。が、それはうまくいかなかった。
視線が揺れる、呼吸がうまくできない、ゼンを取り巻く環境は最悪に近いものだった。その状態はほんの一瞬に過ぎないが、戦いにおいてはそれが致命的なものになる。
ゼンは出せる力の全てを出し、前へ飛んだ。
「チッ」
ゼンがいた場所には、槍が突き出されていた。ゼンがあのまま、あの場所にいれば今頃は串刺しになっていただろう。直近の危機は免れたものの、まだ難は去っていない。
「ハー、ハー」
呼吸が整わない間に行動したのが拙かった。ゼンの視界はさらに揺れ、平衡感覚すら失われてきた。吐き気すら覚えるまでにゼンの調子は悪化した。
「だらぁ!」
ゼンは何を思ったのか、右手に持っている刀の柄で自身の頭を叩いた。これには流石のハーディーも驚いたのか、しばしの間、動きが止まった。
頭の痛みが響くにつれ、ゼンの視界はだんだんと安定してきた。それに呼吸も難なく行えるまでに回復してきた。まだ息は荒いままだが、ゼンにとってはこれ位の方がよい。ゼンはようやく戦いに適した状態に戻ってくることができた。
「オイオイ、マジかぁ」
遠くで、ハーディーが小さく呟く。今まで何人もの相手を槍で屠ってきたが、久しぶりに骨のある奴を見た。ハーディーの胸には、恐怖と高揚感が沸いてきた。徐々に恐れが薄れていき、次第に高揚感が勝ってきた。ハーディーの胸の全てを高揚感で埋め尽くすのにそう時間はかからなかった。
ゼンはすぐにハーディーの姿を捉え、背中からクロスボウを取り出す。狙いを定め、すぐに撃てるように構える。
ハーディーも自身に狙いが定められていることを認識した。ハーディーは距離を保ったまま、馬を走らせる。ゼンが打って出てくるのをハーディーは待たなかった。自身にクロスボウが飛んでくるのを承知で、ゼンに向かって馬を駆けさせる。
ゼンは目の前から迫ってくる敵がいるにも関わらず、落ち着いて、狙いを定める。一秒ごとにハーディーの姿が大きくなってくる。今、クロスボウを放っても恐らく、ハーディーは槍で矢を弾くだろう。そうならないためには、限界までハーディーを引き付ける必要がある。
ゼンは高鳴る胸を抑えつつ、矢を放つ機会をひたすら待つ。ハーディーの左腕が動いた、と同時にゼンは左指を動かした。矢の行き先など知らず、ゼンは大きく右に飛ぶ。ハーディーは左手で槍を持っている。ならば、手綱を持っている方向に裂ければ、攻撃は来ない、ゼンはそう予測した。そして、その予測は当たった。
幸いにもゼンの避けた方向に、槍の追撃は来ない。ゼンはすぐに後ろを振り向く。ハーディーは相も変わらず、馬を駆けさせている。どうやら、ゼンの放った矢は外れたようだ。
ゼンは再び、クロスボウに矢を装填し、狙いを定める。ハーディーに当たらないのであれば、狙うべきはハーディーではなく、乗っている馬だ。ゼンは狙いを少し下に下げる。
だが、クロスボウから矢は放たれることはなかった。もう何度もクロスボウを放つ機会は存在した。だが、ゼンの左手の指は固まったままである。
その事態に一番驚いていたのはハーディーであった。攻撃が来ない、その事実がハーディーを困惑させる。自分に攻撃が加えられなくとも、乗っている馬に対して矢を撃てば、落馬させられる。そんな機会を相手がわざわざ見逃すとは到底思えない、ハーディーの中から答えは出てこない。
ハーディーは答えを得るため、再びゼンめがけて突進してくる。今度はゼンも刀を収めて、両手でクロスボウを構え、矢を発射する。一発、二発と、矢を装填しては放っていく。矢はハーディーに当たることなく、地面へと落ちていく。
ハーディーの槍が届く直前、ゼンは狙いを馬の方へと変え、矢を放つ。標的が大きい分、狙いを定めるのにも時間はかからない。
矢は馬の眉間へと吸い込まれていく。ゼンはクロスボウを放り出し、すぐさま刀を抜く。ハーディーの胴体を真っ二つにするよう、刀を横に薙いだ。
ゼンの刃はハーディーを両断することは叶わなかった。刀身は、ハーディーの槍によって動きを止められている。槍は地面に垂直に刺さっている。
「なっ?」
ゼンが思わず声を上げてしまった。今ので仕留めた、ゼンはそう思っていた。だが、現実はそうでない。刃は槍で止められており、しかも相手の姿を、ゼンは見失っている。
どこだ?ゼンは顔を動かさずに目を上に下に動かす。ハーディーは、上にいた。棒高跳びのように槍を使い、空を飛んでいた。
「ふぅ、危ない。危ない」
ハーディーは何事もなかったかのように、ゼンの後ろに着地した。息も荒い様子はなく、落ち着いている。
「やるなぁ。セン」
「お前もな」
二人の距離はそれほど離れていない。ハーディーであれば槍を突き刺せば、ゼンに当たる距離だ。ゼンも一歩踏み込み、刀を振れば相手に届く近さである。
この一瞬だけは、互いに武器を下げ、両者ともに強さを認め合った。
「やるか」
「そうだな」
口を開いたのはハーディーの方だった。ゼンもすぐにそれに返答し、互いに武器を構える。
状況はハーディーの方が有利であった。ハーディーは槍の長さを利用し、その場から一歩も動かずにゼンを攻撃できる位置にいる。一方、ゼンが刃を叩きこむためには、一歩踏み込む必要がある。
だが、一歩踏み込むことができれば、戦況はゼンにとって有利になる。槍を突いてきたところで一気に距離を詰めれば、ゼンの刃は届く。
互いに手を出さない状況はしばらく続いた。両者ともに、先に仕掛けてくるのを待っている。
ハーディーは槍を小枝のように振り回す。一方、ゼンは刀を構えたままで動かない。置物のように一歩も動かず、ただただ打ち込む機会を伺っている。
「フンッ」
ハーディーの槍がゼンの目前まで突き出された。槍は、ゼンを貫くことはなかった。ゼンの左頬を掠めるだけだ。それでも、ゼンは動かない。真っすぐ、ハーディーの方だけを見ている。
ゼンの左頬から真っ赤な液体が流れ始めた。液体は頬から段々と下に落ちていき、顎まで一筋の線が完成した。一筋の赤い線から、赤い水滴が落ちる。
「ッ」
再び、ハーディーが動いた。今度は的確に、ゼンの体を突き刺すように穂先が迫る。穂先はゼンの体の中心を目指して、目にも止まらない速度で。
ゼンは体をそらせ、直撃を避ける。僥倖にも穂先はゼンの体に触れることなく、ゼンの体を通り過ぎる。
「捕まえた」
ゼンは左脇、左腕で槍を固定すると、残りの右腕で刀を振るう。刃はハーディーの喉元を横に薙ぐ。
ハーディーは体を後ろにそらし、刃を回避する。ただそれだけの動作なのに、ハーディーは姿勢を崩した。ゼンは槍を固定している左腕で、槍をハーディーの下に押し返していた。そのせいで、ハーディーは尻餅をついた。
ゼンがこの好機を逃すはずがなく、すぐに追撃に移る。ゼンはハーディーの利き腕を足で抑えると、刀を持った右手で胸元に刃を突き刺す。
ガシャン。ゼンが右手に持っていた刀が、地に落ちていた。
「なっ」
ゼンの右腕に小さなナイフが刺さっている。痛みは一瞬だったが、気づけばゼンは刀を手放していた。ゼンの意識が右腕に集中したせいで、ハーディーの利き腕の自由を取り戻した。
「チッ!」
ゼンは左足で大きく後ろに飛ぶ。
「あと一歩だったのにな」
ハーディーが立ち上がり言った。ハーディーの視線はゼンの腹部に注がれている。ゼンの服は横に裂けていた。裂けた箇所からは、ゼンの肌が露になっている。そして、次第に肌から赤い筋が走り、徐々に血が流れ始めた。
ゼンにとって非常にまずい状況だ。ゼンの刀はハーディーの足元にある。相手が得意の槍を持ち、距離も向こうの方が有利だ。対して、ゼンの武器は腰のナイフ一本だ。
ゼンは再び、小さく舌打ちをした。