七話 其の二
突然の襲撃の第一波を乗り切ったゼンだが、まだまだ心配事は尽きない。愛用の刀は部屋に置いたままで、今、手元にあるのは敵から奪った槍だけだ。
ゼンは槍も扱えるのだが、刀ほどうまくは扱えない。並大抵の相手ならば槍でも対処はできる。問題は、並大抵ではない相手が出てきた場合だ。
「おい、大丈夫か?」
ゼンは先ほど、自分に話しかけてきた男に対し手を指し伸ばす。
「あ、何とか大丈夫です」
男はゼンの手を取る。
ゼンは握った手をグイと引き、男を立ち上がらせようとする。だが、男は腰を抜かしているため、立ち上がることができない。
「仕方がないな。
おい、お前、名前は?」
「え?」
「名前は?」
「レーパ、レーパといいます」
「そうか、レーパか。
ちょっとの間、冷えるが我慢しろよ」
そう言うと、ゼンはレーパを肩に担ぐ。
「ちょ、ちょっと」
ゼンはまた井戸に近づく。
「待って下さい!まさか、僕を井戸の中に」
「正解。死にたくなければ、じっと静かにしていることだ」
ゼンはそう言うと、レーペを井戸の中に放り込んだ。井戸の底からはレーパの叫び声がする。
「さて、行くか」
ゼンはまず自分の武器を取りに宿屋のほうへと向かう。ゼンが思った通り、盗賊が宿屋を取り囲んでいた。
ゼンはすぐさま宿屋の壁に身を引っ付けるように隠れ、敵の数を確認する。目視だけでもそれなりの数がいる。宿の外には馬に乗った賊たちが、周囲を見回っている。中に入れば、更にいるのだろう。一対一ならば負けはしないあろうが、一斉に相対するとゼンのほうが不利だ。
しかも、ゼンが手にしているのは槍だ。手慣れた武器ではないため、戦いは避けるべきである。屋外であれば、槍でも相手にすることはできる。だが、屋内に入れば、槍の利点は生かせない。攻撃も突くしかないため、線が読まれやすい。
ゼンが次の一手を考えている間に、馬に乗った賊がゼンの方へと近づいてきた。向こうはゼンに気づいていない様子だ。
ゼンは隠れたままの状態で息を殺す。馬の蹄の音が段々と近づいてくる。高鳴る胸の鼓動を抑え、ゼンは壁と一体になる。
賊がゼンの隠れている壁を通り越した。次の瞬間、ゼンは馬上に乗っている賊を全力で引きずりおろす。
賊は何の抵抗もできないまま、何が起きたのかもわからずに気づいた時にはその生を終えていた。
ゼンは賊を引きずり落とすと、首を折った。一瞬の出来事であった。相手が言葉を発する前に、その行動を終えた。確実に仕留めたことをゼンは確認すると、自分の手の中で眠っている賊を放す。
先ほどまで賊が乗っていた馬は主を失い、どうすることもできずにその場で止まっていた。
「しめた」
ゼンは足音を消し、馬に近づく。馬の手綱を握ると、力強く後ろ脚の辺りを叩いた。
「ヒヒーン!」
馬は前足を大きく空に上げると、自身が来た方向へと戻っていく。
「何だ?」
宿の周りにいる盗賊たちは、馬の鳴き声に反応した。そして、仲間のいない、迫ってくる馬を見て驚いた。
すぐに馬が進む道から逃げる者もいれば、何が起きたのかわからずにただ迫ってくる馬を見ている者もいた。
一方のゼンは、すぐに身を隠していた。誰にも見られることなく、先ほどまで身を隠していた場所に戻ることに成功する。足元には、息のない盗賊が転がっている。
ゼンの手元を放れた馬は全速力で、盗賊たちの方へと駆ける。
盗賊たちの視線が馬に集まった時、その一瞬の隙をゼンは見逃さなかった。一気に角から離れると、宿の入り口に向かってゼンは走り出す。入口までもう少し、というところで、ゼンは右手の窓が開いているのを発見した。窓は全開で、大の大人でも余裕で入ることができる。ゼンは考えるよりも先に、その窓から宿の中に飛んだ。
ゼンは受け身を取ると、すぐに周囲の確認をする。ゼンの視界に賊はいない。いたのは店主だった。ゼンが宿から出た時と同じように、椅子に腰かけている。だが、息はなかった。胸からは赤い血が流れている。
上階からは足音が響いている。少なくとも5人以上はいる。次々にドアの開く音がした。
ゼンは足音を消しながら階段を上る。
「おい、いたか?」
「いません!」
口周りに髭を生やした、腹の出ている男が尋ねる。恐らく、その男の部下であろう若い賊が部屋を調べている。
階段を中心にして、左右に5つずつ部屋はあったが、賊は先に右の部屋から調べていた。そして、遂に最後の一部屋を調べようと、6人が右端の部屋の前に集まっていた。ドアノブに手をかけようとしたその時、ゼンは一気に自分の部屋へと駆け抜けた。
「何だ?」
6人の視線がゼンの背中に刺さった。
「捕まえろ!」
賊たちが一斉に右から左へと移動し始めた。
ゼンは部屋に入ると、すぐに自身の装備を身に着ける。ナイフに刀、クロスボウを手に取ろうとするが、それは間に合わなかった。
「誰だ!!」
賊の一人がゼンの部屋にたどり着いたのだ。
ゼンは振り返ると同時に、腰のナイフを投げる。ナイフは相手の喉元に突き刺さった。喉に手を当てながら、賊はゆっくりと地面に倒れていった。
「何だ?」
仲間が倒れたことにより、盗賊たちに動揺が走った。その隙をゼンは見逃さない。
倒れた男を乗り越え、ゼンは廊下に出る。そして、目の前にいる4人の賊を、瞬く間に斬り去った。一閃、二閃と水が流れるように自然に、止まることなく。
ゼンが顔を上げた時には、廊下に4つの遺体が転がっていた。斬り口からは血が流れている。あっという間に、廊下は赤い海に変貌した。
ゼンは刀についた血を払うと、残った一人に目を向ける。
賊もゼンに目を向ける。目は血走っているが、よく見ると足が震えている。無理もない。あっという間に自分の仲間が4人も殺られたのだ、それも5人も。
恐怖を抑えようと武器を出し、構えるものの身に走る恐怖は抑えられていない。まだ足が震えているままだ。
「て、てめぇ」
震えているのは足だけではなかった。剣を握っている手も震えている。
ゼンはそれを見ると、ゆっくりと一歩ずつ前へ踏み出した。
「来るんじゃねえ!来るな」
賊は手にしている剣を出鱈目に振り回す。そんなことでゼンの歩みは止まらず、両者の距離はだんだんと近づく。
「うわぁぁぁぁ
あ?」
気づけば、男の手に剣はなかった。男がふと上に目をやると、先ほどまで手中にあった剣は天井に刺さっている。
ゼンはがら空きの胴体を、袈裟に斬った。相手が絶命したことを確認すると、ゼンは刀についた血を払い鞘に収めた。
廊下には6つの死体が転がっている。鉄のような血の独特な匂いがゼンの嗅覚を刺激する。ゼンはどこかその匂いに安堵を覚えた。
ゼンは自分の部屋まで戻ると、自身のナイフを倒れている賊の喉元から引き抜いた。ナイフを抜いたことで喉元にはかっぽりと穴が開いた。その穴から、血が噴水のように出る。
ゼンはナイフを腰に収めると、エアを探した。
「エア!どこだ?」
ゼンはベッドやその周辺をくまなく探したが、どこにもエアはいない。賊たちはゼンの泊まっていた部屋とは逆方向にいたため、エアが捕まるはずはない。
「ゼン?」
どこからか声がした。ゼンは辺りを見渡すが、どこにもエアはいない。
「ここ、ここー。
助けて、出れないの」
エアの声は確かにゼンの耳に入っている。だが、ゼンはエアの姿を見つけることができない。微かに聞こえるエアの声を頼りに、声のする方向へ近づく。
ゼンの目の前には引き出しが数個付いた、机があるだけだ。しかし、声はここから聞こえる。
「ここ!早く!」
ゼンは上から二段目の引き出しを開ける。
「あー、やっと出れたー」
ゼンが引き出しを開けるとすぐにエアが飛び出してきた。そして、そのままゼンの顔にぶつかった。
「痛たたたた」
エアは体を丸めて、顔の辺りを小さな手で覆っている。
「痛、おい、気をつけろよ」
一方のゼンは顎の方を手で擦っている。
「それよりも、そのままそこに隠れておけ。
詳しくはわからんが、危険な状態だ」
ゼンはそう言いつつ、エアを掴むと元の引き出しの中へと入れる。
「いいか。引き出しを開ける前に2回、机を叩く。
2回、机を叩く音がしたら俺だ。何もせずに開けたら、俺じゃない。そのときは、悪いが自分で何とかしてくれ」
「ちょ、ちょっと。あまりにも勝手じゃ」
「文句は後で何とでも聞いてやるよ。じゃあな」
ゼンは引き出しを閉じた。中からは、エアが暴れる音がしたが、すぐに収まった。
「さて、行くか」
ゼンはクロスボウを背負い、部屋を出た。部屋を出たゼンが真っ先に向かったのは、自分と真逆の部屋である。
先ほど、盗賊たちが扉を開けようとしていた部屋だ。主の話によると、レーパともう一人、この宿に泊まっているらしい。
ゼンはドアノブを握り、ゆっくりと回す。扉に鍵は掛かっておらず、すんなりと空いた。ゼンが部屋の中へ一歩踏み込む。
「ッ!」
ゼンはすぐに後ろへ飛んだ。何かが見えたわけではない、誰かに言われたわけでもない。考えるよりも先に体が動いた。扉を開け、中に入った瞬間、ゼンは右側から何かを感じた。
ガン!
ゼンがいた場所に鈍い音が響く。そこには3本しか足のない椅子があった。
「あ、ああ」
扉のすぐ右側には、女がいた。腰のあたりまで伸びた茶色の髪をした女だ。女は細い腕で椅子を持っている。先ほど感じた気配は、この女から感じたものであった。
「落ち着け、危害を加えるつもりはない」
ゼンは女を落ち着けるために、できるだけゆっくりと丁寧に話す。手を前に出し、こちらに敵意はないことを示す。
「うるさい!ここから出ていけ!」
女は持っている椅子を力任せに振り回す。ゼンは距離を取っているため、椅子がゼンに当たることはない。
椅子を振り回していた女だが、椅子が壁にぶつかったことにより手から椅子を放してしまった。
「お前、レーパの連れだろ」
「えっ?」
女は自分の知っている名前が出てきたことで、少し安堵したようだ。今までの敵意に満ちた眼差しが消えた。
「レーパは?レーパはどこにいるの?」
ようやく警戒が解けたかと思ったが、その状況は長続きしない。またも鋭い視線がゼンに刺さる。
「あいつは、生きてるよ。多分な」
「多分?多分って、どういうこと!」
女が詰め寄ってきた。女の手はゼンの首元に延びる。が、女はゼンよりも二回り程度も小さく、力も弱い。端から見れば、遊んでいるようにも見える構図だ。
「あいつは……。
シッ、静かにしろ」
ゼンは女の手を振りほどくと、部屋から出る。
「ったく、遅っえなー、アイツら。
たかが二人殺るのに時間かかりすぎだろ」
「一人は女なんだろ、殺す前に楽しんでんじゃないのか。
もしくは、殺してから楽しんでいるか」
「殺す前なら、俺たちも混ぜてもらうか」
階段の方から笑い声が消えてくる。
ゼンが説明に手間取っている間に、残りの賊たちが様子を見に二階まで登ってきている。すぐにでも鉢合わせしそうな距離である。
ゼンは静かに且つ急いで女の部屋に戻る。
女は視線を左右に動かし、落ち着かない様子だ。ゼンが出て行ったことに対して、何かしら勘付いたのだろう。
ゼンは背中に背負ったクロスボウを、女に渡した。
「一人なら、それでやれる。一人以上なら、自分で何とかしろ。
それと頭は狙うな。まず外れる。狙うなら胴体だ。死にはしなくても動きは止められる、その間に逃げろ」
それだけ言うと、ゼンはすぐに部屋から出た。後ろからは声がしたが、そんなこともお構いないしだ。
抜き足で女の部屋からゼンは、すぐに隣の部屋に入る。部屋に入った直後に、賊たちは階段を登り切った。
「おい、どうなってんだ、これ」
賊たちの眼に映ったのは、かつての仲間たちだった。かつての仲間たちは、廊下で血を流しながら倒れている。何度も呼び掛けても反応はない。
やがて、男たちの視線は女の部屋に集まった。そこだけは扉が半ば開いている。
「行くぞ、もう楽しむのはナシだ。見つけ次第、ぶち殺す」
中心格の男が冷静に言う。廊下の惨状を見て、先ほどまでとは打って変わり、真剣になっている。
男たちは一直線に女のいる部屋に向かっている。そして、4人いる男が、ゼンのいる部屋を通り過ぎたその時。
ゼンは閉じている扉を開け、一気に廊下に飛び出る。
「なっ、」
盗賊たちが行動するよりも先に、ゼンは刀を振るう。先程と同じように一振り、二振りと。ゼンが刀を振るうたびに、血の海は大きくなる。そして、廊下にある人の形をしたものも増えた。
ゼンが刀を四度、降り終えると、廊下に立っていたのはゼン一人であった。