六話 其の五
「まだ疑われてるか……
仕方ないといえばそうなるか」
ゼンの独り言が、森の中に静かに消え入る。
ゼンは、具材がぎっしり詰め込まれている鍋を両手で抱えている。ゼンが入ってきた穴から出ると、目の前にはセロがいた。
「おお、セロ。
すまんが、ちょっとここで待っていてくれ」
そう言うと、ゼンは鍋の中から野菜を取り出し、セロの口元へと運ぶ。
セロは大きな口を開け、それを平らげる。それだけでは足りないのか、セロはまだ口を開けたままだ。
「へいへい」
ゼンはセロにかかっている袋から、野菜を取り出す。それをセロの口元目掛け、投げた。
投げられた野菜はセロの口に入り、セロはそれを咀嚼し始めた。
セロに餌をやると、ゼンは鍋に火をかける。しばらくすると、鍋の中の具材が煮え始めた。それに伴い、塩肉のいい匂いが漂い始めた。
「ん?」
ゼンは何かを聞いたがした。いや、音は段々と大きくなってくる。何かが空を滑空するような、それもものすごい速度で。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
何かがゼンの顔にぶつかった。
「痛てて」
ゼンは片手で顔を覆う。何だ、何が飛んできた、ゼンは目の前の物体をもう一つの手で乱暴に掴む。
「何だ……」
ゼンは掴んだものを視界に入れた。それは、エアであった。
「なんだ、お前か」
ゼンは握っていた拳を解く。
「何だとは何よ!
それよりも、ゼン!
あそこの穴に、モンスターが!」
エアは冷静さを失っていた。気絶して、いきなり目の前に巨躯なモンスターが三体もいれば、不思議ではない。
「落ち着け。アイツらは大丈夫だ。
それに、お前もモンスターだろうが」
その一言で、エアは多少落ち着きを取り戻した。
「それは、そうだけど……。
というより、ゼン。その手に持っているものは?」
エアの視界には、ゼンの手に持っている鍋が映っている。
「鍋だ」
ゼンは普段通りの声で、軽く答える。
「どうして、鍋を作っているの?」
「どうしてって、食べるからに決まっているだろう」
ゼンは何のためらいもなく、エアの疑問に答えた。
「その量、一人で食べる量じゃないよね」
「ああ、お前が逃げ出してきたやつらと食べる」
「はあ?」
エアの口から出てきたのはその言葉であった。エアは全くもって、ゼンの考えが理解できなかった。
「野菜も肉もふんだんにぶち込んでるから、腹いっぱい食えるぞ」
そう言うと、ゼンは鍋を持って、再び木の下の穴に入っていく。
「うーん……」
エアはしばらく悩んでいた。自分もゼンの後を追うべきか否か。このまま外にいてもどうすることもできない。ならば、ゼンの後を追うべきなのだが、エアはまだ迷っていた。
エアはこの時点で勘違いをしていた。エアは、レタの目的が自分だと考えていた。実際は、そこにはない薬なのだが、そのことをエアは知らない。
「う~~ん」
エアは意を決し、ゼンの後を追う。少なくとも、ここに一人でいるよりかはゼンと一緒にいた方が安全なはずだ。エアは先ほど自分が全速力で飛んだ道を、再び飛んだ。
ゼンは鍋を運んでいることもあり、それほど離れてはいなかった。
「何だ、遅かったな」
エアはゼンの肩に止まる。それでもまだ、エアは落ち着きがない様子だ。常に周囲を警戒している。
「大丈夫だ。あいつらの狙いはお前じゃない」
「えっ?」
またしても、エアに驚きが走った。
「本当だ。
あいつらの狙いは薬だ。お前のポーチから薬の匂いがしたから、狙っていたんだ」
「そうなんだ。てっきり、ドラゴンの血が目当てかと思ってた」
「ドラゴンの血?」
ゼンは首を傾げる。
「あれ?ゼンは知らない。
昔から、ドラゴンの血は不死の効果があるって言われてたの」
エアは何とでもないかのように言った。
「不死の効果!?」
今度は、ゼンの方に驚きが走った。恐らく、誰もが一度は夢見た不死の夢が叶うかもしれないのだ。
「まあ、そんな効果はないんだけどね」
人類の夢はあっさりと終わりを告げた。
「何だ、やっぱりないのか」
「当たり前でしょ。
そもそも、ドラゴンの血が不死の効果を持っているなら、私たちドラゴンは不死身のはずでしょ。けど、私たちは不死じゃない。
それに、過去にもドラゴンの血を体内に入れた人間やモンスターもいたらしいけど、皆死んだらしいよ。
何でも、人間もモンスターも関係なく、体が真っ赤になって、熱くなって死んじゃうらしいよ」
「そいつは怖いな」
昔から、ドラゴンの血は貴重なものとされ、薬にも使われていたとゼンは聞いていた。それ故、エアの今の話にゼンは驚いた。
「人間だけじゃなくて、モンスターも同じようになるらしいよ。だから、私、捕まえられたとき血を抜かれると思ってたの」
「そりゃあ、怖いな」
そんな話をしている間に、ゼンたちはレタたちがいる場所へと戻ってきた。
レタは眠りから覚め、ゼンたちが返ってくるのを待っていた。今まで横になっていたラーデも座っている。横にはウイがおり、ラーデを支えている。
「待たせたな」
ゼンは中身の入った鍋を地面に置く。
鍋の中身を見て、レタたちは目を丸くした。鍋はいたって簡素なものである。野菜と肉しか入っていない。
だが、レタたちにとっては久しぶりのまともな食事だった。彼らはこの森に来てから、山菜や木の実などを主な食事にしていた。腹も栄養も満たせない状態が続いていた彼からすれば、ゼンの鍋は豪勢な食事に見えた。
何よりも、鍋から沸き立つ香りが、彼らの食欲を湧き立たせた。余分なものが入っていない分、素材の味が際立っている。
「おいしそう」
小さな声が漏れた。発したのは、ラーデである。既にラーデの口の中には、涎が止まることなく溢れている。それはレタもウイも同じである。
「さあ、食おう」
ゼンの一言で、食事は始まった。
ゼンたちは鍋を取り囲む形で座る。もう何も入らない程に中身の詰まった鍋は直ぐに、隙間が生じた。
四方向から手が伸び、鍋の中身が減っていく。特に、ゼン以外の三方向から、ものすごい勢いで手が伸びている。
片腕のないレタは、口で器を咥え、具材をよそっている。
ゼンが鍋を一度よそう間に、レタたちは二、三度おかわりをした。あれほどあった鍋の中身も既に底が見え始めている。
結局、ゼンはその後二度も外に出て、鍋の中身を補充することになった。
途中からゼンは箸をおいたが、レタたちの箸が止まることはなかった。
「ああぁ」
レタの口から野太い声が出た。最後まで、箸を握っていたのはラーデであった。食べる量はそれ程多くはなかったが、胃に流すのに時間を要した。
「ご馳走様でした」
ラーデはその小さな手を、目の前で合わせる。
「ご馳走様でした」
ゼンもそれに合わせ、手を合わせる。
「おなか一杯」
ラーデは自身の腹をさすりながら、悦に浸っている。本当に久しぶりの機会であった、満足いくまで腹を満たせたのは。
もう既にラーデの目はふさがり始めている。その様子を見て、隣にいたウイはラーデを寝床まで導く。
「飲むか?」
妻と娘が寝床に行くのを見計らって、レタが後ろから甕を手に取った。
「それは?」
「酒だ。俺たちの種族に伝わる、秘密のな」
「頂こう」
ゼンは鍋をよそっていた容器を空にし、前に突き出した。ラーデは黙って、ゼンの突き出した器に酒を注いだ。ゼンの器には透明の液体が、零れるほど注がれた。
レタも自身の器に同じく酒を溢れんばかりに注ぐ。
ゼンとレタは黙って、目の前の酒を一気に飲みほした。
「ぉぉ、強いな、これは」
「人間が飲むには強かったかな。無理に一気飲みせずともいいのに」
ゼンとレタは笑い出した。
「本当に強いな、この酒は。
もう酔いが回ってきそうだ」
ゼンは外の空気を吸おうと、立ち上がる。が、既に酔いはゼンの想像以上に回っていた。ゼンは壁に倒れるようにして、背中を預ける形になってしまった。
「大丈夫か?」
「だいぶ回っているらしい。
少し、外の空気を吸ってくる」
ゼンの目線は四方八方に行き、定まっていない。このままでは外にも出れないであろう。
「付いていこう」
レタは残っている片腕で、ゼンの肩を掴む。
「あ、ああ……」
レタの言葉に、ゼンは大人しく従った。自身で足元がおぼつかないほど酔っていることを自覚しているため、レタの提案をすんなり受け入れたのだ。
「世話になる」
「気にするな」
ゼンとレタが外に出ると、頭上には大きな満月が浮かんでいた。夕食を楽しんでいる間に陽は沈み、既に肌寒くなっている。
「ふう~」
ゼンは外に出ると、大きく体を伸ばす。そして大きく息を吸う。
「ああ、少しはマシになった」
「それはよかった」
ゼンの隣には、レタが立っていた。しばらく並んで立っていると、レタの方が口を開けた。
「俺たちのことを聞かないのか?」
「へ?」
ゼンはまだ赤さの残る顔をレタの方に向けた。
「どうして、こんな場所にいるだとか。何故、俺の家族だけがここにいるのかとか。」
レタは月を見上げながら独り言をつぶやくように言った。
「あ~。いいよ、話さなくても。
こんな辺境の森に一家でいるんだ。何か訳ありなんだろう。
話したくないことは話さなくてもいいさ」
ゼンも同じく、月を見上げながら言う。エアはずっとポーチの中に入ったままだ。一向にポーチから出てこようとしない。
少し前まではポーチの中に動きがあったが、今はない。時間も遅いことだし、寝ているのだろう。
自分抜きで夕食を楽しんでいることにエアは不貞腐れて、ポーチの中で目を閉じていた。空腹と目を閉じていたことにより、エアは睡魔に襲われた。そのまま成す術もなく眠りの中へと入っていった。
そのままゼンは酔いがさめるまで、一人で外に佇んでいた。レタはゼンの酔いが収まったことを確認すると、自身のねぐらへと帰って行った。
「寝心地は良くないが、もう一人が寝るくらいの場所はある。外はまだ寒い、特にこんな森の中はな。
寝たくなったら戻ってきてくれ」
レタはそう言い残し、寝床に帰って行った。
「寝るか」
ゼンも心行くまで食事を堪能し、酒を飲んだことで一気に眠気がわいてきた。
ゼンは重い体を引きずり、レタたちの住処まで戻ってきた。既にゼンの眠気は限界まで近づいていた。目を閉じれば、その瞬間に寝てしまいそうになるまで。
ゼンは壁を背にし、重い瞼を閉じる。いや、瞼が落ちてきたといった方が正確かもしれなかった。ゼンの意識はそこで途絶えた。
翌日、ゼンは体の節々から起こる痛みで目を覚ました。
「~あぁぁ」
ゼンは気怠そうに欠伸をしながら、体を伸ばす。すると、体のあちらこちらから骨の鳴る音がゼンの耳に入った。
やはり、こんな所で寝るものではないな、ゼンはこれで十数回目の反省をする。体は少し重く感じた。先日の怪我に加え、酒も入ったことで回復が遅くなっているのだろう。
目をこすりながら前の方を見ると、レタたちはまだ眠っていた。親子で川の字になって、幸せそうに寝ている。
ゼンは静かに立ち上がり、出口の方を向いた。
「行くのか?」
ゼンの後ろから声がした。声の主はレタである。
「ああ」
ゼンは振り返らずに答える。ゼンには後ろの光景は眩しすぎた。かつてはゼンもいた場所だが、今のゼンにとってはもう二度と近づけない、遠く離れた光景である。
「お前の度に幸があることを祈っているよ」
「そっちも、娘さんがよくなるといいな」
ゼンはもってきた袋を肩に掛けると、足音を立てずに去っていった。
外に出てみると太陽は出ておらず、代わりに雨が降っていた。ゼンは外套のフードを被り、セロのすぐ近くまで行く。
「雨が降ってるが、いけるな」
ゼンの言葉に反応し、セロはもちろんだと言わんばかりに体を動かす。
「じゃあ、行くか」
腰のポーチではエアはまだ眠ったままだ。ゼンは一人、森を抜けるために再び歩き始めた。