六話 其の四
「頼む。俺は殺してもいい。
だから、妻と娘だけは助けてやってくれ」
ゼンはモンスターを追った先で、信じられない言葉を聞いた。
つい先ほどまで、ゼンと命のやり取りをした相手が、ゼンに対し放った言葉は衝撃の内容である。
モンスターといえども、生物だ。家族や肉親を持つことは不思議ではない。実際に、モンスターの中には、血縁を何よりも大事にする種族もいる。
だが、モンスターが人間に対し、ここまで低姿勢に出てくることはゼンにとって初体験であった。また、こんな状況を話にも聞いたことはなかった。
もしかすると、ゼンを油断させるための罠かもしれない。ゼンの警戒心は解けないままだ。刀を握っている手は固い。
「頼む……」
巨大な体に似つかわしくない、小さな震えるような声であった。よく見ると、モンスターの目からは液体が流れている。
それを見た、もう一体も横に並んで、ゼンに対し頭を下げた。
寝床で寝ている小さな一体は、並んでいる二体に手を伸ばそうとするが、手は届かない。
この事態に、ゼンは困惑していた。
何故、ゼンを狙ったのか。そして、ポーチを奪い去った理由は何なのか。ゼンの頭に疑問が湧き出る。だが、答えは出てこない。
「はぁ」
ゼンは大きく空気を吸い、固く握っていた刀を鞘に納めた。
「安心しろ。お前たちの命を奪うことはしない。
それよりも、俺のポーチにいたエ……。いや、ドラゴンをどこにやった?」
「ドラゴンなら、ここにいます」
奥にいる、横になっている一体がゼンの質問に答えた。ゼンが目を凝らして、よく見てみると、確かにエアはいた。眠っているのか、気絶しているのかはわからないが、目を閉じている。
「子のポーチを開けたとき、この子が出てきて。
気絶しているようだから、隣で寝かせているの」
「そうか」
エアの安否が確認できたことで、ゼンはようやく一息を付けた。ゼンの体に一気に疲労が蓄積されたように感じた。今までは疲労のひの字も感じない程であったのに、今になってゼンの肉体を襲う。
ゼンはすぐにでも座りたかったが、そういう訳にもいかず、最後の気力を振り絞り二本の足で立っている。
「それで、名前を聞いていいか?
何と呼べばいいかわからん」
ゼンの一声に反応し、片腕のないモンスターは立ち上がる。
「俺はレタだ。そして隣にいるのが、妻のウイ。
奥で寝ているのが、娘のラーデだ」
紹介を聞いて、ゼンはどこか不思議な感覚がした。かつて、自分が何処かで味わったような、そんな感覚だ。
「あ、ああ。これはどうも」
咄嗟に出てきた返事がこれである。ここまで人間に近い、モンスターに会ったのはゼンにとって初めて出会った。
今まではモンスターと会っても、対峙するしか状況しかない状況にあった。それ故に、ゼンは驚いていた。
「休んでくれ。お互い、かなり疲弊しているだろう」
レタがなくなった片腕をゼンに見せながら言う。
その仕草を見せられ、ゼンはレタの言う通りにするしかなかった。無くなった腕の原因はゼンである。レタはそのことをあまり気に留めていない様子だが、ゼンはばつが悪い思いをした。
ゼンは腰を落ち着け、それを見たレタとウイも腰を下ろした。
「どうして、俺のポーチを奪ったんだ?」
最初に口を開いたのはゼンの方だった。何も話さずにいる状態に、耐えられず質問を投げてみた。
「あの中には、お前らも知っている通りドラゴンしかいないぞ。
いや、ドラゴンが狙いだったのか?」
ゼンの質問に対し、レタはゆっくりと口を開く。
「そうだな。今になって話すのも可笑しな話だが、説明しよう。
まず、俺がお前のポーチを狙った理由は、薬だ」
「薬?
そんなもの、あのポーチにはないぞ」
ゼンが思わず、声を出してしまった。
「ああ。確かに無かった。だが、あのポーチからは薬、薬草の匂いがしたんだ。
それで、てっきり薬を持っているものだと勘違いし訳だ。
見ての通り、娘のラーデは体を壊していてな。薬が必要だったんだ。
一人で森に入るお前を見て、狙っていたんだ」
「成程、そういうことか」
ゼンは納得した。エアが入っているポーチ、確かにあそこには以前さまざまな種類のハーブや薬草を入れていた。
ゼンがまだ修行をしていた時、生傷が絶えないため、あのポーチには薬草を常に入れていた。ゼンからしてみると、少し独特な匂いがする程度だが、モンスターはそうではないらしい。そして、エアもポーチの香りについては言及していた。
「娘のためとはいえ、申し訳なかった。
もう一度、謝っておく」
レタは再び、ゼンに向かって頭を下げた。
「いや、こっちも、お前の片腕をぶった切ったわけだしな。」
ゼンの視線は、レタのなくなった腕に注がれている。
「腕のことなら、気にするな。
娘のためだ。それに、命はあるわけだ。
それでいい。」
気にするな、と言われてもゼンはそうはいかない。それと同時に、疑問が湧いた。
どうしてここまでキッパリと物事を受け入れられるのか。もし仮に、ゼンの片腕が切り落とされていたならば、ここまで落ち着いてはいられないだろう。
「どうして、腕を切り落とされたのに落ち着ているのか、そんなことを考えているようだな」
レタがゼンの視線に気づいたようだ。既に、腕の出血は止まっており、傷口も固まっている。恐るべき回復力だ。
人間であれば、死に至ってもおかしくはない。それでも、目の前のレタは、もう何もなかったかのように振舞っている。
「俺たちの種族では、傷は戦士の勲章とされている。そして、その傷が友のため、家族のためならば、その傷はより尊いものとされている。
片腕がなくなったのは、確かに痛い。が、娘のためだ。大人しく受け入れるさ」
ゼンは空いた口が塞がらなかった。
「驚いたか?モンスターがこんな風習を持っていることを」
「あ、ああ。十分、驚いたさ。
人間と近い生態を持つモンスターもいるとは聞いてはいたが、ここまでとは。
ゼンは素直に驚いていた。一般的に聞く、モンスターの生態とは大きく異なっている。
ゼンもモンスターと言えば好戦的で野蛮という捉え方をしていた。だが、今、目の前にいるモンスターはその見方を一転させるほどの存在である。
「ふう。
ちょっと待っていてくれ」
ゼンは大きく深呼吸をしたのち、立ち上がった。
「どこへ?」
今までラーデのすぐ側にいた、ウイが言った。ウイは、レタが話している間ずっと、ラーデの手を握っていた。
「ちょっと、取ってくるものがあってな」
「俺も手伝おうか?」
レタが立ち上がろうとする。
「お前こそ、休んでおけ。
俺が言えた義理じゃないが、片腕がなくなっているんだぞ」
それだけ言うと、ゼンは来た道を戻っていく。
「待たせたな」
しばらくして、ゼンが返ってきた。ゼンの両手には、中身の詰まった袋が二つ握られている。
「それは?」
レタが二つの袋を見ながら言う。
「食い物だ。よいしょ、っと」
ゼンは両手の荷物を地に下す。
「あいにく、俺が持っている薬類は外傷用のものばかりでな。
娘さんの体に効くようなものはないんだが、せめて、栄養のあるもんだけと思ってな」
今度は、レタの方の口が開いている。
「どうして、俺たちにここまでしてくれる、っていう顔だな」
仕返しとばかりにゼンが言う。
「気にするな、ただの気まぐれだ。
それに一人では、せっかくの食材も余らせてしまうしな」
ゼンは一つの袋から、鍋を取り出す。
「さあ、作るぞ」
そう言って、ゼンは慣れた手つきで食材を調理し始めた。腰のナイフを使い、具材を切っていく。大きさは均一とは言えず、見た目も綺麗とは言えない。根菜なども、皮を剥かずにただ切っているだけだ。
料理をしているゼンの姿を、レタたちは黙って見ている。いや、黙って見るだけしかないという方がいいかもしれない。
「悪いが、水を汲んできてくれないか。」
ゼンは手を動かしながら言う。レタたちは互いに顔を見合わせた。「じゃ、じゃあ、私が」
言い出したのはウイの方だった。流石に、片腕のないレタを外に出し、力仕事をさせる訳にはいかなかった。それに、娘であるラーデを一人にする訳にはいかなかった。
だが、ウイの心には一つ懸念が存在した。それは、目の前にいる人間、ゼンが刃を抜くかもしれないということだ。
ウイが今ここからいなくなれば、残っているのは片腕をなくしたレタと、就寝しているラーデだけである。
もし、ゼンが刃を抜けば、二人は簡単に殺されてしまうだろう。そう考えると、ウイは外に出るための一歩が踏み出させずにいた。
「心配するな。
何だったら、後ろに置いている刀でも持っていけ。
流石に、このナイフ一本では、その分厚い皮膚を切り裂くことはできないからな」
「ああ。俺たちのことなら心配するな」
レタがウイに向かって言った。
「大丈夫だ。うまく言葉にはできんが、もうこいつと戦うことはないさ。それに戦っても俺が負けるだけだ」
そう言ったレタの顔は穏やかだった。普段、家族で過ごすときと同じような、落ち着いた表情だった。
「頼む。できるだけ多めに汲んできてくれ」
その言葉を信じウイは近くにあった壊れかけの甕を両手に持ち、外へと出ていく。出ていく際、ウイが振り返ることはなかった。
ウイが水を汲んでくるのに、そう時間はかからなかった。ウイが洞穴に帰ってくると、娘であるラーデとレタは仲良く就寝していた。
ラーデが寝ているのは不思議ではなかったが、レタが寝ているのにウイは驚愕した。レタが寝ていたのは外傷によるものあったが、うなされている様子もなく静かに寝ている。
ゼンはラーデが出ていく前と同じく、食材の調理を進めていた。ゼンの周りには大量の斬られた食材が並べられている。
ゼンはそれらの素材を鍋に投入している。
「おっ、汲んできてくれたか。
すまんな」
ゼンは手を差し伸べた。一瞬、ウイの反応が遅れたが、手に持っていた甕をゼンに渡した。
「おっ」
ゼンは手渡された甕を持ち、その重さに一瞬驚いた。目の前にいるウイが軽々持っていたため気軽に片手で受けてしまったが、ゼンは片手で持つことができず、両手で持つ。
「すまんが、もう一個は下に置いてくれ。一人じゃ持てん」
ウイはその言葉に従い、水の入った甕を下に置く。
「あの、所で、何を作っているんですか?」
当然の疑問だった。ウイはまだゼンのことを信頼しているわけではない。夫であるレタが何といっても、目の前にいる男への不信感が払拭されることはない。それに素性の分からない男が料理を作っているのだ、疑って当然である。
「ああ、鍋だ。
何か食えないものがあるのか?具材は、野菜と肉だけなんだが。
中身が心配なら、先に俺が食べるよ。そうすりゃ、毒は入ってないってわかるだろ」
ゼンは甕の水を鍋に注ぎながら言う。
「ダシは塩干肉でいいか。
ああ、もうそろそろ寝ているやつを起こしておいてくれ。後は、具材を放り込んで熱するだけだから、すぐできるぞ」
ゼンは火を起こすため、洞穴の外へと出て行った。




