六話 其の一
「これからどこに行くんだい?」
男は袋に物を入れながら尋ねた。
「ひとまずは、北に。目的地がるわけではないので、まあ気の向くままに」
ゼンは長椅子に座っている。セロにかけている袋の一つ、水が入っている袋を手に取り、喉を潤した。手に入れたばかりの水は冷たくゼンの喉を潤し、気持ちも新鮮にさせた。
「そうかい。北に行くなら、森がある。
変な道に入らなければ、安全な道だ」
ゼンたちはオプトの村を発って、再び北上していた。その途中、食料や水に不安が出てきたため、道中見つけた村に寄っていた。
ゼンは各地で集めた特産品と引き換えに、必要な物資を調達していた。元々、キャラバン隊にいたため、この手の交渉事には慣れている。あれやこれや物品の説明をし、自分の有利な方向に進めていた。
「それはよかった。何事も、安全第一だ。
ところで、変な道に入れば危険が待っているんですか?」
ゼンは青空を眺めつつ、質問を投げかける。いつもは腰に差している刀も、横に置いている。
「なに、昔からある話さ。
あの森には人食いモンスターがいる。いうことを聞かない子供や、悪いことをした人間は、そのモンスターに食われる。何処にでもある話さ。
実際、あの森でそんなモンスターを見たことがあるっていうのは、年寄ばっかりさ。若い者は信じちゃいない」
男は作業の手を止めることなく、ゼンの質問に答えた。
「まあ、あんな森何もねえしな。わざわざ、森の奥に入る奴なんていないしな」
男は豪勢に笑いながら言った。ゼンもそれにつられて。頬が少し緩む。
ゼンたちが寄っていたのは、村の中でもひときわ大きな家である。その家の大きさに比例して、懐も潤っていた。その家の夫人が、ゼンの交渉相手である。
家の中は小ぎれいに整えられていた。棚や窓際には、様々な珍しいものが並んでいる。夫人が、ゼンの目の前に現れたとき、夫人は明らかに機嫌を悪くした。
夫人の機嫌が悪くなるのも当然だった。ゼンはどう見ても商人には見えなかった。わざわざ時間を作って来てみれば、目の前にいたのは汚らしい者である。不機嫌にならないはずがなかった。夫人は、すぐに顔色をもとに戻したが、鋭い目線が使用人に向けられているのをゼンは見逃さなかった。
「奥様、お忙しい中、お時間を作って頂き、誠にありがとうございます」
ゼンはそう言うと、懐から何かを取り出した。取り出したものは、輝く小粒の宝石である。ゼンの掌の上に少しであるが、小粒の宝石は輝きを放っていた。エアと初めて会った時、エアを追いかけていた盗賊たちが持っていたものだ。ゼンにとっては何の役にも立たないが、こういう時には千の言葉よりも役立つ。
「まあぁ。気に入ったわ」
夫人の目が一気に変わった。今までの鋭い目線が、緩やかになる。
「私は旅をしています。その途中で、食料や水に不安があるため、交換してもらおうと、この屋敷にお邪魔しました。今の物は差し上げます。他にも色々とありますので、食べ物や水と交換していただくことはできますか」
ゼンは相手が口を挟むよりも前に、自分の要求を伝える。こういう時は自分の要求をまず通すことが大事なのだ。
「ええ、いいわ。私、あなたのこと気に入ったわ。
他にも、見せてちょうだい」
ゼンは言われたとおりに、他の珍しいものを見せる。珍しい鉱石、細かい細工が施された装飾品など、恐らく村にないであろう物に限って、夫人の目に映させた。夫人はそれに興奮し、気がよくなる。
最初は無愛想だった夫人の顔が、見る見るうちに笑顔に変わっていく。
交渉が終わると、夫人が手を数回叩く。すると、家に住んでいる召使が出てきた。その女は、ゼンをこの家に入れた召使である。黒い上下の服に身を包んだ女性だ。女の歳はゼンと変わらない位である。女は夫人とゼンにお辞儀をした後、二人のすぐ側まで足を運んだ。
「この方に、水と食料を与えてやってちょうだい。たくさん差し上げなさい」
そういうと、夫人は手に宝石を持ちながら部屋を出て行った。入ってきた時とは異なり、上機嫌であった。顔は見えなかったが、言葉の節々から、それが窺える。
そして、ゼンは召使とともに家から出た。召使に連れられ、外に出たゼンはセロがいる厩のすぐそばまで来た。
「じゃあ、食べ物と水をお願いします。水は、この袋に」
ゼンはセロが掛けている中でもとりわけ、大きな袋を差し出した。召使は、一瞬顔を歪ませたが、すぐに元の顔に戻す。
「はい」
召使はその大きな袋を持って、再び家の方に向かう。
「ああ、それと馬用の水もお願いします」
ゼンは大きな声で、去る召使の背中に向かって言う。
それからしばらくしてであった。先ほどの召使が男を一人引き連れ、戻ってきた。男は両手で水の入った大きな袋を、女性も食料の入った袋を持っている。
男はゼンよりも年上だ。腕や顔がよく日に焼けている。服はあちらこちらが泥で汚れていた。頭には麦わら帽子をかぶっている。口周りが髭で囲まれている。
「言われたとおりに、水と食べ物をお持ちしました。これだけあれば、当面の間は大丈夫でしょう。
ああ、それと馬用の水ですね。もう少々、お待ちください」
召使はそう言うと、男の方をチラリと見る。召使の視線に気づいた男は、走って行った。恐らく、セロのために水を汲みに行ったのだろう。
「それでは私はこれで。何かあれば、あの男を連絡によこしてください。
それでは」
召使は軽くお辞儀をすると、屋敷へと帰っていた。召使はこちらに来るときよりも、速足だった。この屋敷の主に合わせてくれと頼んだときから、いい顔はしていなかった。
しぶらせている召使を懐柔するため、ゼンは干し肉を与えてやった。そして、ようやく夫人との面会に漕ぎつけたのである。
「あんたずっとこんな感じなのか」
男が尋ねてくる。
「いや、ちょっと前からだ」
「そうか……」
男はどこかゼンの顔を見ずに答えた。ゼンも男の顔を見ずに答える。
空は青く、風が吹いていた。その風が二人の間をすきぬけていく。
諸々の支度をするのに、それなりの時間が経ってしまった。まだ、陽は真上の方角にある。
陽を防ぐものはなかったが、それでもゼンは暑いとは感じなかった。風が吹いていたのもあるが、ゼンが白の上着を脱いでいたことも要因の一つだ。
夫人の前では上着を着ていたが、夫人に会うこともないだろうと、屋敷を出てすぐに上着を脱いでいた。
黒の肌着からは、ゼンの逞しい腕が見えていた。見えていたのは腕だけではなく、刀傷もである。
男はゼンの刀傷に気づいていたが、それに口を出すことはなかった。
「旅は楽しいか?」
「まあ、それなりに」
「そいつはいいな。俺もいつかは、旅に出てみたいよ。
ほら、これで準備はできた」
「ああ。ありがとうございます」
ゼンは椅子から立ち上がる。セロの元へ寄り、いつものように優しく触れてやる。自身の上着をセロにかけ、手綱を引く。
「それじゃあ」
ゼンは再び、歩き始めた。
「ああ、気をつけてな」
男はゼンの姿が見えなくなるまで、麦わら帽子を振ってくれた。ゼンは後ろを振り返ることなく、ただ歩いた。
「もういい?」
腰のポーチから、小さな声が聞こえた。
「まだだ。もう少し待ってろ」
ゼンは周囲を気にしつつ、答える。屋敷を発ってから、村の入り口近くまで戻ってきた。人は少ないが、それでもまだ油断はできない。
「もう少しって、どれ位~。セロに乗って、てきとうな所まで走ればいいじゃん」
ポーチの中が騒がしくなってきた。村に入る前から不機嫌であったエアにしてはよく我慢した方であろう。だが、まだ出すわけにはいかなかった。
「仕方ないか」
ゼンは観念したように一呼吸を置くと、セロに跨る。
「ちょっとの間、頼むぞ。その代わり、今日の飯は豪華にするからな」
ゼンは両足でセロの胴を叩く。セロはそれに呼応し、風のように走り出した。
ゼンたちが寄っていた村が、はるか遠くに見える。もうすぐすれば、完全に見えなくなるであろう。
気温は高いが、ゼンはそれほど暑さを感じなかった。セロはテンポよく走り、風が適度にゼンの体を冷やしてくれる。いつもこうやってセロに跨り、旅を続ければもっと楽なのだろうな、ゼンは胸中で秘かに思う。
「あ~、やっと出れた」
エアがポーチから出てきた。ゼンが制止する間もなく、すっと、元からそこにいたかのように。
「出てきていいとは言ってないぞ」
ゼンがセロから降りながら言う。
「もう村から離れたし、大丈夫でしょ。音も匂いもしないし、周りには誰もいないよ」
エアはゼンの代わりにセロの背中に乗った。今まで、暗く狭いところにいた反動からか、セロの背中でその小さな体を大きく伸ばしている。
「もういい。進むぞ」
ゼンは黙って歩き続けた。やがて、ゼンたちの視界にうっすらとではあるが森が見え始めた。
「あれか……」
森から離れており今は小さく見えるが、実際に近づいてみるとそれなりの大きさの森であった。森の入り口まで来た時には、既に夕陽が沈みかけている。
「今日はここで終わりだ。
明日、森に入ろう」
エアも森の前で一晩を明かすことには賛成した。森の中の不快さを見もって実感しているからであろう。
先ほどの村でもらった食材を早速使い、普段よりも少し豪華な晩飯をゼンもエア、そしてセロも堪能する。
一行が晩餐を楽しんでいる間、森の方から一対の視線がゼンたちに刺さっていた。エアはそれに気付いていないが、ゼンは気づいていた。
視線からは殺気はしない。ただただこちらを監視しているかのようだ。相手の目的が分からない以上、対策を立てようがない。ゼンは警戒しつつ、料理を口に運ぶ。
「ゼン、どうしたの?」
エアはゼンの機微に感づいたようだ。
「いや、何でもない」
ゼンは何ともなかったように目前の料理を口いっぱいに頬張る。
「嘘。ゼンって、こういうことに関しては嘘つけないよね。何となくだけど、わかってきた」
ゼンは何も言わず、口に入れた料理を噛んでいる。が、観念したのか、エアの疑問に答えた。
「森の方から視線を感じた。それだけだ」
ゼンは森の方を見るが、視線の正体をつかむことはできなかった。人間なのかモンスターなのか、何もかもが不明なままである。
「また、戦うことになるの?」
エアがゆっくりと尋ねてきた。視線は下の方を向いている。今までの経験から、また戦いの雰囲気を感じ取ったのだろう
「向こう次第だな。それに戦う必要がなければ、逃げてもいいんだしな」
ゼンがそう言うと、エアの視線が急に上がった。先ほどの、悲壮感に満ちたエアはそこにはいなかった。
「お前は俺を何だと思ってるんだ。別に、誰も傷つける必要がなければ、俺は何もしねーよ」
「そうだね。何事もなく、この森を抜けられたらいいんだけど」
「オイ、やめろ。そういうこと言うと、何か起きるんだよ」
そうして、夜は更けていった。エアが寝た後も、視線は残ったままである。だが、一向に動く気配がないので、ゼンも眠りに入ることにした。
ゼンは刀を横に置き、いつでも戦える用意だけはしておいた




