ほころびの
あちこちで剣が交差する音がした。敵は複雑な城内をすいすい進んで最深部を目指しているようだった。何度も見つかりそうになりながら、無様に隠れたり走ったりを繰り返してようやく英雄の部屋へ辿り着いた。鍵は相変わらずかかっていない。乱れる息を整えることもできないまま中へ転がり込む。あぁ、静かな部屋だ。
早く屋根でアキヨシを待とう。
ランプを使うことも忘れて、俺は急ぎ隠し通路へ入った。
真っ暗で何も見えない隠し通路。足がもつれて何度も転んだ。どうしてこんなことになったんだ。一体誰がこんなひどいことをしているんだ。何のために?
先生に刺さった矢についた血を思い出して、俺は恐ろしくなった。かすり傷や多少の切り傷は見たことがあっても、あんな風に滴り落ちる血は初めてだった。どろっとしていて、わっと溢れてくる。どれだけ痛いのだろう。どれだけ苦しいのだろう。嫌だ、嫌だ。
行き止まりに着くと天井の鍵を開けた。びゅうっと風の音が耳に痛い。すんと火薬の臭いが鼻を掠めた。空気が乾燥して、焦げていく苦い臭い。原因は、屋根に出てみてすぐに分かった。
「王都が…………燃えている」
ここからでは豆粒のように小さく見える家々。そこらから火の手があがり、黒い煙がもくもくと空を汚しているのが見えた。北東部だけではない、西も、南も関係ない。あちこちで暴動が起きているんだ!
美しかった都は見る影も残さないだろう。壊れていく。何もかもが。国が長い年月をかけて積み上げてきた物のなんと儚いことか、壊れるのはいつだって一瞬だ。ここからでは何の音も聞こえない。それでも俺の耳には風に乗って恨み言のような悲鳴がいくつも届くような気がした。
「いってて…………おーい、アベル、いるかー?」
「……! アキヨシ?」
城下を見て絶望的な思いでいると、開けっぱなしの隠し通路の扉からアキヨシの声がした。慌てて駆け寄る。
「アキヨシ、無事か!?」
「ああ! 大丈夫だせ! お前は?」
「俺も大丈夫だ。だが先生が途中で……」
「そうか…………。なぁ、上にあがりたいんだけど、片手が塞がってるんだ。投げるから持っててもらっていいか?」
「ん? ランプか? あぁ、それは構わないが……」
「ありがとう。んじゃ投げるぜ。絶対に落とすなよー」
暗闇からぽーんとボールのようなものがあがってきた。 なんだ、ランプではないのか。そんなことを思いながらキャッチした。なんだこれは、ぬるっとしている。ボールでもないな、半分には凹凸があって、もう半分はふさふさしている。
………………………………………………?
なんだこれ。
なんだ、これ。笑?
「よいしょっと。うわっ今日は風が強くて一段と寒いな。あ、持っててくれてありがとうな」
アキヨシは登ってくると平気な顔で俺の手の中にあるそれを持った。ふさふさのところを束ねるようにしてぶらさける。凹凸の面が俺の方を見たので、俺も見つめ返した。
「なぁアキヨシ、それ、なんだ?」
「え? 生首だけど」
アキヨシは"それ"をプラプラと振って見せた。切断面からピロピロと赤い繊維が揺れてポタポタと血が落ちた。俺はアキヨシの方を見れなかった。ただ、それとずっと目を合わせている。おおいむくんでひんむいた目玉、こっちを向いてみろ。
訳がわからなすぎて逆に落ち着いていた。
「だれの?」
「おいおいそりゃないだろ。お前自分のお父さんの顔わかんねーの?」
「お父さん?」
お父さん、とは。血族の一種。両親の男性側である父親に対し使われる愛称の一つである。
つまり、俺にとってのお父さんとは、父王ただ一人なのであってそれはつまり、り?
父上? …………ちちうえ?
この白眼をむいて口をだらしなく半開きにし涎を垂らした醜悪な顔が父上のもの?
泡立った血で汚れた髪が王のもの?
父のなまくび。王のなまくび。び? なま? ひ?
………………はぁ?
「う……わああぁぁぁ!!!」
ようやく事を理解しはじめて、俺はみっともなく尻餅をついた。半強制的に視線が父の生首から外れてアキヨシに移ると、ひゅっと息が詰まる。
返り血でどろどろになって、それはもはや人かもわからないほどだった。彼の黒い髪からつぃーと玉の血がねっとり糸を引いて落ちる。そこでようやくむっとする鉄臭さをガンガンに感じるようになり、うっと口元を押さえる。
「おいおい、大丈夫かよ?」
アキヨシは血みどろの手を差し出してきた。ごく普通に、転んでしまった友人に手を差し伸べるように。しかしその怪物にもはやアキヨシの姿を見ることが、俺には、できなかった。
手のかわりに剣を抜いて切先をアキヨシに向ける。
「うわっ危ないな。何で友達に剣なんか向けるんだよ」
「何でだと……? それはむしろ俺のセリフだ! 何故お前は父王を……何故こんなマネをした! お前は本当にアキヨシか? いや、違うだろう。お前は、お前は……誰だ!?」
アキヨシはぽかんとした顔で俺を見ていた。どうして、俺の言っていることが理解できないとでも言いたげな顔をする。どうして、そんな怪物に成り下がっている。
が、やがて差し出した手を引っ込めて、とん、と胸を指した。
「コレ、セイフク」
彼は笑った。子供が自分の秘密をこっそり打ち明ける時のような顔で。
懐かしいやり取り。初めての会話。彼は俺の言動も全て真似るのだ。
「俺は、アベル。貴方は、コレ?」
そうやって、美しかった思い出の写真に血を塗りたくる。
「いいえ。お初にお目にかかります、アベル王子。私、偽名アキヨシは貴方様の憎き敵国の密偵……この度貴国に参ったのは現国王陛下殿の首を頂戴するためでありました。『英雄語りの裏切り者』『薄汚い暗殺者』他にも呼び名はいくらでもございます。どうぞお好きにお呼びくださいませ」




