かわたれの
「アキヨシ」
……俺は、彼を、何だと思っていたのか。英雄としてあがめたのは俺たちだ。
俺たちが彼を英雄にしていた。
たとえカリスマ性に溢れ才能に溢れていたとして、彼は、何だ?
英雄である前に、何だ?
…………ただの少年じゃないか。
突然知らない地に一人ぼっちで、言葉も通じないのに訳も分からないまま持ち上げられて表に引きずり出された、少年だ。そこにわずかでも彼の意思があったか? なかっただろう。一度英雄でないと分かれば今度は英雄の後継者などと呼ばれた。何がなんでも国は彼に『希望』でいてもらわなくてはならなかったから。
それを理解しろと突き付けられた彼は、どう感じていただろう?
不安を感じないわけがない。寂しいと思わないわけがない。彼は、人間という生き物なのであって英雄という生き物ではない。決しておとぎ話に出てくる都合の良い救世主では、ない。
俺は自分を王子でなく"アベル"として見てくれる彼と友達になった気でいながら、自分は彼のことを"英雄アキヨシ"として見ていたのである。
俺の頭の中では先ほどの王との話が渦巻いていた。戦に勝つためには、アキヨシに最前線に立ってもらわなくてはならない?
本当に?
自分達の国のことを全てこの小さな少年に任せて良いものなのか?
本当に?
………………本当に?
「失望なんてするわけ、ないじゃないか。ましてみっともないなどと! 君は、君は…………! …………本当に、優しい人だ。ついつい甘えて、全部任せたくなる。けれど、それでは駄目だ。駄目なんだ。君は頑張り過ぎなんだよ。君は君の世界に帰るべきだ。英雄になんて、なるべきじゃない。君の世界で幸せになるべきだ」
「…………お前は俺を優しいと思うわけ?」
「あぁ、そうだとも。君は優しいからこそ、自分を傷付けてしまう。その優しさが君の最大の痛みであり寂しさの原因だ。君は出来すぎているよ、もう少し……自分を優先すべきだ」
「……そっか、ありがとなー」
アキヨシはこちらを振り返って笑った。いつものような屈託のない笑顔ではない。色々な感情が混じって複雑な、どこか弱々しい笑顔。
……この笑顔を見たとき、初めて、「あぁ、普段の笑顔は作り笑顔だったのだ」と気が付いた。
「でもさ、俺ばっかりが頑張ってるわけじゃないんだぜ! アベルだって俺と同い年なのに王子さまとして頑張ってるだろ? 皆役割があるってことさ」
「……それにしたって君は…………ん? 待ってくれ、同い年? 君十八か?」
「えっウン。何?」
「いや、すまない、もっと年下だと思っていた。なんていうか、その。君は小さいから」
「は?」
驚いて素直に答えてしまったがまずい。刹那アキヨシの目が剣の稽古中のようになった。それにふっと沸き上がる感情を感じる。あ、しまった、怒らせたようだ、と。
「調子のってんじゃねぇーぞセータカノッポ! ニホンジンなめんな! シシャゴニューすれば平均身長とどいてるわバーーカ!」
「す、すまない、コンプレックスだったか? それはそれでメイド達から人気は高いようだぞ、可愛いって話題だ」
「一言余計なんだよサワヤカ王子ヤローが! なんっでそんなオトゲーのキャラみたいな見た目してんだクソが!」
アキヨシは怒るとニホンゴを乱発する。何を言ってるかいまいちわからない。まだまだ知らないニホンゴがたくさんあるのだなぁと思った。本でもあれば自力で勉強できるのだが、アキヨシと話すだけでは語彙に限界がある。そうだ、いつか、そのニホンとやらに行けたらいいな。アキヨシが生まれ育った世界を見てみたいものだ。彼の家族や友達を紹介してもらおう。学校とやらも見てみたい。まるで空想のように平和な国を、この目で。
つい数瞬前までとても大事な話をしていたのに。なんだか急に、おかしくなってしまった。自然とくっくっと笑ってしまう。
「ナニワロテンネン」
「いや、すまない。ありがとう、アキヨシ。やっぱり君は世界で一番優しい男だ」
「はぁ……?」
「……さて。そろそろ戻ろうか。君と違って俺には召し使いがいるからね、きっと今頃俺がいないことに気付いて青い顔で駆け回っているだろうさ。帰ってやらないと」
気付けば随分長い時間が立っていた。すっかり体は冷え、指先は氷のようになっている。星はずっと俺たちを見ていた。ずっと、ずっと。
肩を鳴らして、暗い隠し通路をもう一度歩くためにランプに火を灯そうとしていると、ふと、アキヨシが俺の背中に話しかけてきた。
「あのさー、例えばの話なんだけど」
「なんだ?」
うまく火がつかない。手が震えているせいだった。
「もし俺が今あるもの全部放り出して、元の世界に戻る方法を探す旅に出たいって言ったら、一緒に行ってくれるか?」
「…………」
「もちろん」と、言いたい。友達とする旅はきっと楽しいものだろう。それに、自分はアキヨシが元の世界に帰ることを望んでいる。"俺"が断る理由は一つもない。けれど。
「俺は、行けないよ。俺はアベルである前に、王子だから。父王に他に子供はいないから、俺が全てを放り出したら、きっと国は荒れる。たくさんの人が巻き込まれて、悲しい思いをしてしまう」
「……そっか、そうだよな。変なこと聞いてごめんな、お前らしい答えでちょっと安心したよ」
「……? そうか? よし、ランプついたぞ。戻ろう。先を降りてくれ」
「ああ」
隠し通路に戻って扉を閉めると、あの美しい星空があったことなど嘘のように暗かった。ランプの明かりだけが頼りなくて、行きについた足跡を辿るように、俺たちは夜へ戻っていた。




