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ぬばたまの

 コンコンコン、軽いリズムでノック。……返事はない。



「アキヨシ、起きているか、アキヨシ。今夜は流星群だそうだ。この城で一番星がよく見える場所を知っているから、一緒に見に行かないか」



 声をかけても、返事はない。

 そういえば初めに部屋を案内した時を除いて、この二ヶ月、一度も彼の部屋に入ったことはなかったなとふと思う。悪い興味がわいてノブを回してみると不思議、不用心にも鍵があいていた。まさかこの城で闇討ちなどあるまいが、これはあまりにもよろしくない。平和なニホンで育った彼に一番欠けているのは警戒心だ。


 ためしに、そっとあけて顔だけ入れてみた。うす暗い部屋は一つのランプでのみ照らされている。

 入るのを躊躇うくらい、そこは完成された空間だった。かつての異世界からの英雄が好んだという、暗い赤を使って統一された家具は熱を帯びたこがねの光で静かに息をしている。まるで焚き火を見ているように落ち着く。光の届かないところはぐっと影を濃くして、闇色の絨毯が俺の方に向かって伸びていた。

 長年英雄の帰りを待っていた部屋が家主に相応しくあろうと息巻いているように思えたのだ。


 ランプがついているということは、部屋にいるのだろう。俺は一切の物音を立てないように細心の注意を払いながら、息をするのも忘れてそっと部屋に入った。


 ランプは、部屋のすみにある机の上に置いてあった。飴色の艶木が滑らかなカーブを描き、埋め込まれた金のレリーフ、鳥は羽を広げて飛ぼうとしていた。それはとても繊細で、豪華さは感じない机だ。ああこの部屋は、インクの匂いがする。

 アキヨシはこの机に突っ伏して寝ていた。手には羽ペンが握られており、どうやら書き物をしていたようである。まったく、書きながら寝てしまうとは危ない。風邪を引かれたら困るし、何よりインク壺を倒したらどうするつもりなのか。


 髪が中に入りそうなので、壺をどけてやろうと手を伸ばすと、その刹那、瞬間的にアキヨシは目覚めた。


カッと開いた目が鋭利な刃物のようにランプの光を返す。


 アキヨシは目にも止まらぬ早さで座ったまま片足を俺を引っかけ転ばせると左手で首を掴んで床に叩きつけ持っていた羽ペンを俺の目に突き刺そうと



「…………アベル?」



 ……本当に数ミリ。まばたきすればインクがまつ毛に付くくらい近くに鋭いペン先が迫っていた。

 何が起こったか、分からない。どうして、攻撃されそうになっている? ただバクバクと心臓が鳴っていて、緊張で乾く唇を舐めることすらできない。



「うわああ! アベルじゃん! ごめん、マジでごめん、完全に寝ぼけてた!」



 アキヨシはパッと羽ペンを放り投げて、慌てて俺を起こした。俺はといえば混乱するばかりで、されるがままだ。そんな俺を彼はテキパキとテーブル前のイスに座らせて、机の上の紙を雑に壁と机の隙間に突っ込んだ。ぐしゃ、と嫌な音がした。


 そして俺と向かい合うイスに座る。本当に申し訳ないというように、テーブルにめり込む勢いで頭を下げた。



「ごめん! この部屋に誰か入ってくることなんてなかったからついびっくりして……怪我ないか!? 目にインク入んなかったか!?」


「あ、いや……大丈夫だ。こちらこそ勝手に入ってすまない、一応声はかけたんだが、鍵がかかってなかったからつい」


「良かったー……寝ぼけて友達に大怪我負わせたなんてことになったら俺もうどうしようかと。鍵かけたつもりだったんだけどな、うっかりだ」


「王子に、ではなく友達にと言ってくれるあたり君らしくて嬉しいよ。それにしても、さっきの、すごいな。どこであんな動きを習ったんだ」


「……えっ? あぁ、近衛の中にあぁいうの得意な人がいてさ。「英雄殿に刺客はつきものでありますぞ! 対策を身に付けてください!」って。まさかお前に実践することになるとは思わなかった」


「こんな技が得意な近衛もいるのか……俺も教えてもらいたいものだよ。というか、刺客がつきものだと注意をされているのならの余計に鍵くらい気を付けろ」



 緊張で萎縮した体が会話によってほぐれてきた。本当に殺されるかと思ったのだ。宮中にいてあれほどまでリアルな死への一歩を体験したのは初めてのことだった。剣術では互角でも、こういった小技諸々を合わせればもう敵わないな、と思った。アキヨシは本当に戦いのセンスがある。



「で、アベルは何で俺の部屋に来たんだ?」


「……ああ、そうだった! メイド達が今夜は流星群だと騒いでいる。見に行かないか、良い場所を知っている」


「りゅ……?」


「……そうか、これは初めての単語だな。流星群、星が降るんだよ。星の雨だ」


「……リュウセイグンか! 流星群、よし覚えた覚えた。いいな、見に行きたい!」



 やや不穏だった空気はアキヨシのこの屈託ない笑顔で完全に取り払われる。本当に素晴らしいコミュニケーションツール、笑顔。



「よし、じゃあ行こう」


「おう! …………って、ん? なにしてんだ?」



 突然暖炉近くの壁をペタペタ触りだした俺に、アキヨシは首をかしげた。そうだろう、不思議で仕方ないだろう。驚くと良い。


……あった、ここだ。


 俺はその壁の一部分を思いっきり押した。するとガコン、と音がしてからくりが動き出す。



「なん……だ、これ……」



 壁はドアのように開かれ、そこから石造りの汚い階段が現れる。冷たい風が向こうから吹いた。



「見ての通りの隠し扉だ。王宮にはこんな場所があちこちにある。中には王都や郊外に出るものもあるよ。俺も、全部は知らないんだがね」



 アキヨシの顔が、今まで見た中で一番驚いたものにある。初めてしてやったという気がして、俺は嬉しくなった。

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