たそがれの
それからまた一ヶ月がたった頃だろうか。アキヨシは随分とこの世界に慣れてくれた様子だ。まだ文字を読むのは苦労しているが、絵本から始めて、最近ようやく難しい本にも挑戦できるようになってきた。
「なるほど、アキヨシ殿の成長速度はそれほどまでに目を見張るものであるか」
「はい、お恥ずかしいながら、すでに彼は私と互角に剣を扱っております。近衛団長殿も大層彼を気にかけており……まもなく私など追い抜かされてしまうでしょう」
建前上は世話係。アキヨシの状態を父王に定期報告するのは俺の仕事だ。なんせ彼は召使いの一人でさえつけさせてくれない。自分のことは自分でできるからと、自分の下に人をつけることだけはかたくなに嫌がった。
いつも夕食後の、緋色の太陽が沈みかける頃に、謁見の間とは違う部屋で話をする。
人払いをして、この場には親子二人のみ。
「正直、対面した当初はあやつは英雄を語る偽物かと思うておうた。皆が信じる手前、王宮には置いたが……ただの穀潰しとなるようなら…………どうなっていたか、分からんな?」
「……お戯れを。彼はまだ最前線に立つことができずとも、すでに兵の希望となっておられると、お聞きしました。なんでも、先日、あの手堅かった要塞都市をついに一つ落としたとか。勢いづいた軍はその後も快調で進軍していると」
「一時の優勢で舞い上がるでないぞ。こちらがアキヨシ殿の登場で活気づいたと同じ、ほんの些細な事柄で戦況はいくらでも変わる。戦とは水面のようなものだ。希望が上から降ってくる度に揺れ起こる波紋が、互いにぶつかり合い、そして打ち消し合う」
「…………」
「勝つまで、油断してはならない。かの国に希望が降る前に、こちらはより大きな希望を降らせなければならない」
「それはやはり、アキヨシ殿の最前線投下でしょうか?」
「当然であろ。そなたは我が席をいずれ継ぐ唯一の者、故に最後尾で構えておればよい。が、英雄とはなんだ? 実際に手柄を立てた者にしか与えられぬ尊い称号だ。
…………長引く戦のせいで、国庫は前代未聞の危機に瀕しておる。全てを使いきってしまえば、たとえ戦が終わっても、その後の国を守ることはできん。……一刻も早く、かの国の若王の首をはねてもらわねば……」
「く、首をはねる? そこまでアキヨシ殿にさせるおつもりなのですか!?」
「……あの若王は気に食わん。残虐で、自分の周り以外の景色などまるで見ておらんのだ。やつが民衆の戦争への不満をどこへぶつけさせているか知っているか? 近辺の少数民族達へだ。捕まえて売買し傷付けることを許した。
『自分よりも下がいる、自分はまだ上である』という感覚を民に覚えさせる。そういった感覚があるうちは人は命をかけてまで反乱を起こそうなどとは思いにくい。……切り捨てられ虐げられた者達のことなど、やつにとっては些末なことだ」
「…………」
「我々が負ければ、この国の民もそのように虐げられるぞ。我々が今回勝っても、奴は生きているかぎり何度でも適当な理由で戦争をけしかけてくるだろう。そういう男だ」
息を飲む。王の目は獣のように鋭い光で俺を射殺そうとしている。この王は俺と同じく最後尾の玉座に腰を下ろしているにもかかわらず、そこから確かな殺意を反対の玉座に座る若王にまで届けていた。
そうだ、この戦争は、そういう戦争なのだ。いつの間にか、そんなところまで、来ているのである。平和な王宮では感じることのない死が、今も……。
俺は今、どんな顔をしているのだろうか。
親友を死が蔓延る世界へ送り出すことへの恐怖か。
共に隣で戦うのを許されないことへの怒りか。
国の争いに巻き込まれ苦しむ民への悲しみか。
……それとも、そんな中でも自分は最後まで殺されないだろうという、安堵か?
俺は今、どんな顔で、この場に立っている?
人払いをして、この場には王と王子の二人のみ。
王は俺の顔を見てふぅと短いため息をつくと「今日は話しすぎたな。もうよい下がれ」と。どうして、ため息などなさったのか。
目の前にいるのは父などではない。一国の王だった。分かりきっていることがふと恐ろしくなり、逃げるようにその場を後にした。
緋色の光はすっかり沈んでいた。王都からは見えない海で、太陽は溺れてしまったのだろう。暗くなった王宮はひどく広く感じて、一人で歩くのは嫌だった。
部屋に戻って今日はさっさと寝てしまおうかと思っていると、メイド達が廊下で立ち話をしているのに気が付いた。彼女達は噂好きで、手を動かさない時は必ず口が動く。その話の大部分は下らないので聞きたいと思ったことはないが、今日は気になる話が聞こえた。
「ねぇ、知ってる? 今夜は流星群だと占星術師の方が仰ったそうよ」
「まぁ! 雲一つ出ていないし、きっとさぞや美しい星が見れるでしょうね」
「あぁ、私たちの部屋の窓からも見えるかしら?」
流星群。そんなものを最後に見たのはいつだったか。俺の視線に気付くと、メイド達はわっと蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。本当はもう少し詳しく話を聞きたかったのだが、どうやら俺が立ち話を注意するとでも思ったらしい。
……注意されるのが怖いなら最初から話さなければいいのにと思うのは酷なことだろうか。花盛りの乙女達の考えることなど、たとえ世界誕生の真理が解き明かせても分かる気がしない。そんなだから俺はいつまでたっても結婚できないのだ。折角数々の貴族や他国の姫から縁談が来ているのに成功したためしがない。いっそ完全な政略結婚に任せて、他国から戦争の援助をしてもらえるよう頼めないだろうか…………。
嫌なことを考えてしまったな。
自室へ向かっていたつま先は、自然と反対方向へ向いた。




