騎士道と彼女の想い
「…………」
ユウコは、今まで見たことのない目で、僕を見ていた。
すごく、冷めた目で……
その目を見た僕はひるんだが、ここで止まる訳にはいかない。
そう、止まる訳にはいかないんだ……
「ユウコ、キミは知らないかもしれないけど、
今、僕にはアヤという恋人がいる」
「そのアヤに愛と忠誠を捧げたのに、
今ここでキミとよりを戻すのは、騎士道に反する行為だ。」
「ユウコ、キミもそうは思わないか?」
ユウコは黙り込んでいる。
僕のことを、冷たい目で見続けながら……
「それにだ。僕がユウコとよりを戻したとしたら、
アヤはどう思う? これは、彼女に対する裏切りになる」
「僕は、アヤとキホーテ卿に誓って、そんなことは出来ない」
「だってそれは…愛する人を、傷つけることになるから!」
僕は、ユウコをびしっと指さしながら、
思いのたけを吐き出す。
今の僕、まるでアヤみたいだな。
僕が、そんなことを思っていると……
パチン! という音がした。
「……えっ?」
僕は、この状況に戸惑った。
ユウコに平手打ちされるようなことは
何もしていないはずだけど……
「ごめんね。アルバトロス。でも、
その騎士道っていう時代錯誤の妄想、私は嫌いなの」
「騎士道が……嫌い?」
「なんで、なんでキミは騎士道が嫌いなんだ?」
「騎士道精神は、大勢の人に幻想を見せる、素晴らしいものなのに……」
「私は、そこに入ってないよ」
「私はそこに入っていない?」
「そうだよ。私はそこに入ってないよ」
「ごめん、ユウコ。僕には、キミが何を言っているのか、
よくわからない」
「本当に……わからないの?」
「うん。ごめん、ユウコ。僕にはキミが何を言っているのか、
さっぱりわからないんだ」
いくら考えても、ユウコが何を考えているのか、
よくわからない。
いったい彼女は、僕に何を伝えたいんだろうか……
「アルバトロス。昔のこと、まだ覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。キミと僕が、村で幸せに暮らしていた時のこと……」
「違う。そこじゃないよ」
「そこじゃない?じゃあ、どこのことを……」
「……私とあなたが、レオンのパーティに入った時のこと」
僕たちが、レオンのパーティに入った時のことか……
正直、あまり思い出したくないな。
ユウコが、どんどんレオンに媚びるようになっていって、
最終的に、僕は彼女に捨てられるんだ。
おとぎ話の、道化のように……
「……今でも、その時のこと覚えてるよ」
「ユウコが、レオンを愛するようになっていった
灰色の日々の事を……」
「はじめから……そうだった?」
「はじめから、そうだったの?」
いったい彼女は、何を言ってるのだろうか?
はじめから、そうだったって……
そうに決まってるだろう。
はじめから、キミはそうだったじゃないか。
はじめから、キミは優秀なレオンのことを……
「はじめから、キミはそうだったじゃないか。
キミは、レオンのパーティに入ってから、
僕の方を見なくなって……」
「私のことを見なくなったのは、アルバトロスのほうだよっ!」
ユウコが、見るからに不機嫌な顔をして、
僕を怒鳴りつけてくる。
なぜ彼女は、こんなに不機嫌なのだろうか……
「私は見てたよ。アルバトロスのこと」
「レオンに絡まれていた時、私は婚約者がいるからあなたとは
付き合えないって、何度説明しても、
そんなことは関係ないって、レオンが私を口説いてきた時」
「私は、ずっとあなたのことを見てたよっ!」
ああ、確かそんなことがあった。
僕たちがパーティに入った当初、
レオンは、ところかまわずユウコの事を口説いていた。
その時僕は……
そう、何もしなかったんだ。
レオンがユウコを口説いていた時、
僕は、何も見なかったことにして、
どこか、遠くのほうに逃げたんだ。
なんで、何もしなかったのか。
ユウコを信頼していたから?
どんなことがあっても、ユウコが僕を裏切ることはないと
思っていたから?
違う。あの時、僕が何もしなかった理由は……
「ねえ、アルバトロス。あの時、あなたは何もしなかったよね」
「私がしつこく口説かれてるのに、
助けてほしいと、何度もあなたの方を見てたのに、
あなたは、見なかったことにして、私を見捨ててどこかに言ったよね」
「そういうことが、何度もあったよね。何度も、何度も……」
「そういうことが何度も続いて、私、思ったの」
「この人と結婚する意味って……あるのかなって」
「だってそうでしょ?アルバトロスは、私が困っているのを見ても、
何もしてくれなかったんだから」
「アルバトロスは、肝心な時に私を見てくれない。
助けようとしてくれない。だったら……」
「もう、アルバトロスのことを見るのをやめよう」
「そう……思ったの」
「それで、レオンの方を見るようになったってこと?」
「うん、そうだよ。彼は、性格面で問題があるし、
トラブルメーカーだけど、少なくともあなたより頼りになったしね」
「だから、私は彼の恋人になったの」
「あなたのことを、見捨ててね……」
「そうか……」
僕は、何も言えなかった。
それでも、ユウコは僕の事を裏切ったわけだから、
彼女のことを責めようと思えば責められただろう。
けど僕は、心の中にある思いをぶつけてきた彼女に、
何も言えなかったんだ……
「ねえ、アルバトロス。ひとつ、聞いてもいいかな?」
「……いいよ」
「あの時、なんであなたは、私の事を見捨てたの?」
「なんで、私を、助けてくれなかったの?」
「…………怖かったんだ」
「あそこで割って入って、レオンに殴られるのが怖かった」
「何もできない道化であることを、キミに知られるのが怖かった」
「だから僕は、あの時、何もしなかったんだ……」
「そう。じゃあ、なんで……」
「あの時、あなたはアヤさんのことを助けたの?」
「なんで、私には見せてくれなかった騎士道を、
あの時、あの子に見せたの?」
「私には、何も見せてくれなかったのに……」
「それは……」
「あの時、僕の前に、一人の道化が現れて、素敵な幻想を見せてくれたから…」
「何の力もない道化でも、風車に立ちむかうことが出来るってことを
彼が教えてくれたから…」
「騎士道という素敵なものを、あの老人が教えてくれたから……」
「だから、僕はあの時、アヤを助けたんだ」
「おとぎ話の、騎士のように」
「…………そう」
ユウコは、ため息をつきながら、こう言った。
「だから私……騎士道って言葉が嫌いなのよ」
「だって、騎士道は、私に素敵な幻想を見せてくれなかったから……」
「…………」
ユウコの本心を聞いた僕は、沈黙することしかできなかった。
だって僕は、あの時何も出来なかったのか。
そうしてうなだれている僕に、ユウコは意外な言葉をかけてくれた。
それは……
「でも、騎士道という妄想を掲げて、
まわりの人に、心躍る幻想を見せてくれる」
「そんなあなたは……嫌いじゃないよ!」
ユウコは、あの時と同じ、素敵な笑顔を見せてくれた。
僕が彼女に想いを伝えた時と同じ、素敵な笑顔 を。
「アルバトロスが立派な騎士になっちゃったら、
この作戦も失敗だね」
「まあ、私としては、そっちの方がよかったけどさ」
「作戦?」
作戦とは、いったいどういうことなのだろうか。
気になった僕は、ユウコにそのことを
問い詰めてみた。すると……
「実はね、私、本当はレオンと別れてないの」
「今でも、彼は私の恋人だよ」
「今でもユウコとレオンは付き合ってるの?
じゃあ、なんであんなことを……」
「それが、レオンの指示なの」
「騎士道なんてふざけたものを信じて、
俺を邪魔したあいつに、一杯食わせてやれってね」
「僕に、一杯食わせる?」
「うん。私があなたに告白してよりを戻したら、
あなたは私の虜になるでしょう?」
「そうして虜になったところで、あなたを捨てるの」
「もし、あなたに付き合っている人がいたら、
それを引き裂いてから、あなたを捨てる……」
「そうしたら、あなたはレオンに一杯食わされることに
なるでしょう?」
ニコニコしながら、ユウコが恐ろしい計画を暴露してくる。
まったく、とんでもない話だ。
僕とユウコのよりを戻させたあと、
ユウコに僕を捨てさせるなんて、
騎士道のかけらもない、邪悪の所業だ。
いや、それよりも、なぜユウコは
こんな計画の片棒を担いでいるのだろうか。
こんな恐ろしいことをしているのに、
ニコニコしているのも気になるし……
そう思った僕は、ユウコに思いのたけをぶつけてみた。
すると……
「私が、この作戦に協力している理由は、
それがレオンの頼みだからだよ」
「レオンの頼みだから……僕にこんなことを?」
「うん。それとアヤさんには素敵な幻想を、騎士道を見せてくれたのに、
私には、何も見せてくれなかったでしょ?」
「そこが、気に食わなくてね……」
「そう……」
「作戦というのが何なのか、どういうものなのか、
それはよくわかったよ。けど、ひとつわからないことがある」
「わからないことって何?」
「ユウコ、なんでキミは、そんなにゴキゲンなんだい?」
「私が今ゴキゲンなのは……」
「あなたが私に、騎士道という幻想を見せてくれたからよ」
「レオンのろくでもない企みを、
あなたが、その愚かな騎士道で、
打ち破ってくれたからよ」
「だから今、私は機嫌がいいの」
「あなたに一杯食わせるってのはレオンの願いであって、
私の願いじゃないからね」
「私個人としては、この作戦、あまり気が進まなかったのよ」
「彼のやろうとしていることは、控えめに言っても、
下劣な行為だからね」
「それを、あなたの騎士道が打ち破ってくれた。
あなたの騎士道は、ただのお題目や建前じゃなかった」
「それがわかったのが、嬉しかったの……」
「その騎士道で、私に幻想を見せてくれなかったことには、
含むものがあるけどね」
「そう……」
つまりユウコは、あくまでレオンの頼みを聞いて、
動いているだけであって、自分の意思で
こういうことをしているわけじゃない。
本心では、あまり乗り気じゃなかった。
むしろ本当は、僕が騎士道を見せて
自分の告白を断るところを見たかった。
ということなのだろう。
それなら今、彼女の機嫌がすごくいい理由がわかる。
僕は彼女が本当に見たかった光景を見せたのだから……
「じゃあ、作戦も失敗したことだし、私はこれで帰るけど……
最後に、ひとつだけいい?」
「なに?」
「アルバトロス・コルトハート」
「私に、騎士道という素敵な幻想を見せてくれませんか?」
「私に、生涯の愛と忠誠を誓ってくれませんか?」
「もし、誓ってくれるなら、私は……」
ユウコは、その場にひざまずいて、こう言った。
「もしそうしてくれるなら、私はあなたに、
永遠の愛と忠誠を誓います……」
……たぶん、これはユウコの本心なのだろう。
レオンの作戦とか、今の立場とか、
そういうのを抜きにして、
彼女はこう言っているのだろう。
もし僕が、彼女の言うとおりにうなずけば……
僕は、失ったものを取り戻せる。
だから、僕が今フリーなら、
彼女の想いを受け入れていたと思う。
けど、今はそうじゃない。
僕にはすでに、愛と忠誠を誓った人がいる。
だから、僕は……
「僕には、アヤという大切な人がいる。
だから僕は、キミの想いを受け入れることは出来ない」
「だってそれは……」
「騎士道と、アヤの想いに反するから……」
僕の答えを聞いたユウコは、
天使のような笑顔を見せて、こう言った。
「あなたなら、そう言うと思ったよっ!」
「だってあなたは……騎士の中の騎士だからね!」
「けど……ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、残念だよ」
そして、彼女はうつむきながら僕のそばを去っていった。
ただの一度も、振り返らずに。
「…………」
僕は、ユウコが去っていったのを見届けたあと、宿に戻った。
するとアヤが、
「ちょっと、アルバトロス。遅くない? アルバトロスと家の前で別れてから、
もう一時間以上経ってるんだけど」
と言ってきたから、僕は、さっきのことを話した。
あったことを、過不足なく、ありのままに。
それを聞いたアヤは、僕のことをじっと見たあと、
ただ一言、こう言った。
「ありがとう、アルバトロス。私のことを裏切らないでいてくれて、
本当に、ありがとう」
こうして僕とアヤとユウコの長い一日が幕を閉じた。
もし僕に、今歩んでいる道と、別の道を歩む機会があったとするなら、
それが、今日だったのだろう。
でも僕は、今歩いている道と別の道を、
歩むことを選ばなかった。
だから僕は、これからもこの道を歩んでいくつもりだ。
最後の、最後まで……
そして、2週間の月日が流れた。




