それは事実であって真実ではない
「…………」
「…………」
「…………」
3人のまわりを、深い沈黙の霧が覆う。
そして、ついにシャルロッテがその口を開いた。
「ええ、わかったわ」
僕は安堵した。なんとかシャルロッテに僕の意思が伝わったようだ。
この危険な状況を、騎士道に背かずに、
上手く解決することが出来て本当によかった。
「わかってくれたのかい?」
「ええ、あなたがどうしようもない、無様な道化だってことがよくわかったわ」
「無様な道化か……確かに僕は道化師だからね。だから、キミの言うとおり……」
その時、シャルロッテの目が、かっと見開いた。
そして彼女は、人食い鬼のような恐ろしい形相で僕を睨み、怒鳴りつけた。
おとぎ話に出てくる、悪の巨人のような迫力で。
「あんたねえ、さっきから騎士道だなんだと、
ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
「何が騎士道よ! 勇者レオンに婚約者を取られても
何も出来なかった負け犬のくせに!」
「あんたみたいな惨めなクズが騎士道? 騎士さま?
笑わせるんじゃないよ!」
「騎士道という時代遅れの妄想に逃げ込むことしか出来なかった、
このゴミクズがああっっっ!!!」
「……知ってたのか。僕が勇者レオンのパーティにいたってことを」
「ええ。知ってたわ。勇者レオンのパーティはこの辺じゃ有名だからね。
けどそのことには今まで一度も触れなかった」
「あえて、触れないようにしてあげたのよ!」
「あなたのちっぽけな男のプライドを踏みつぶさないように、
配慮してあげたのよ」
「その後、あなたが噂ほど劣った人間じゃないってわかったから、
手を差し伸べようとしてあげたのに……」
「あなたとは付き合えない? それは騎士道精神に反する?」
「冗談は顔だけにしなさいよ! 惨めに現実逃避することしか出来ない、
無様な負け犬がっ!!!」
「そんなことだから、最愛の婚約者に愛想をつかされて捨てられるのよ!」
「そんなことだから、適当な女を婚約者のかわりにして、
そのみじめな魂を慰めることしかできないのよ!」
「妄想にすがることしか出来ない無能な道化! 恥を知れ!」
「…………」
確かに、彼女のいうとおりだ。
僕は、騎士道という時代遅れの妄想にすがっているだけの、負け犬に過ぎない。
騎士道物語という名の、心地よい幻想に逃げ込むことしか出来なかった、
あの人と同じように。
本当は、別の人生を歩みたかったのに、
ユウコといっしょに輝く道を歩みたかったのに、
それを他の男に阻止されたから。
無力な僕は、その時何もできなかったから。
本当に見たかった幻想を僕は見ることが出来なかったから。
だから、僕は……騎士道という妄想にすがった。
何をしても救われることのない、僕の魂を救うために。
そしてアヤを、本当の想い人であるユウコの「代用品」にして
ただ現実逃避をしていただけなんだ……
これが僕の現実、僕の事実。
本当の僕は、騎士道精神のかけらもない、
ただの道化師なんだ。
夢からさめたドン・キホーテは、
騎士道という妄想を捨てて、ただの老人として死んで行った。
だから、僕も……
「ねえ、アルバトロス、どうしたの?」
「アヤ、その……キミには謝らないといけないことがある」
「……何を謝るの?」
「僕は、キミの騎士でもなんでもない、
ただの負け犬にすぎないってことを」
「現実逃避の為に、騎士道という時代遅れの妄想を利用した、
ただの弱虫だったってことを」
「そして……ずっと好きだったのに、
結婚の約束までしたのに、僕を捨てたユウコの代わりに、
キミを代用品として利用したことを」
「あやまり……たいんだ……」
「アヤ、ごめんね」
「僕はキミのドン・キホーテじゃない」
「本当の僕は……こんなに惨めな男なんだよ」
「だから……僕は……」
「アルバトロス……」
「本当に……ごめんね……」
「それは、事実であって真実じゃないよ」
「……えっ?それはどういう……」
「アルバトロスが、つらい現実から逃げるために
騎士道という思想を利用した、それは事実かもしれない」
「本当のアルバトロスは、昔となにも変わってない、ただの負け犬かもしれない」
「私は……ユウコさんのかわりに選ばれただけの、代用品かもしれない」
「けどそれは、ただの事実にすぎないよ」
「事実……」
「いい、アルバトロス。事実ってのはいつの世もつまらないものだよ」
「例えば、あの時レオンに犯されそうになってた私をあなたが助けたから、
今こんなことになってるわけだけど……」
「もし、あの時レオンが私を無理やり犯そうとしなかったら、
カステルか誰かが私のことを助けてくれたら、
私は今頃、レオンの恋人のひとりになってたかもしれないよ」
「そうなってたら、アルバトロスは今でも
レオンにこきつかわれてたかもしれないね」
「いろいろなことを、諦めてさ……」
「…………」
「あの時、通りすがりの英雄が現れて、私のことを救ってくれてたら、
私は、その人のそばにいたかもしれないよ」
「つまり、私を助けてくれる人は、別にあなたでなくてもよかったの」
「レオンと一緒にいた頃の私は、あなたのこと、
ただの負け犬の従者だと思ってた」
「手を差し伸べてあげようとか、レオンに何か言って
あなたの扱いを改善してもらおうとか、
そんなこと、まったく考えてなかった」
「正直言って、あなたのことなんて眼中になかったし、どうでもよかったの」
「…………」
「だからね、アルバトロス。あなたにとっての私が、
ユウコさんの代用品にすぎないとの同じように、
私にとってのあなたも、ヒーローの代用品にすぎないの」
たしかに、アヤの言う通りだ。
レオンと一緒にいた時、アヤは僕のことなんてなんとも思ってなかった。
あの時、アヤ自身が言っていたように、
僕に助けを求めたのも、ただの苦し紛れだった。
だから、アヤにとって幻想を見せてくれる騎士は、
別に僕でなくてもよかったんだ。
それなのに、僕は舞いあがってバカなことを……
僕がうつむいて、その愚かさを悔やんでいると、
嬉しそうな顔をしたシャルロッテが、追い打ちをかけてきた。
「アルバトロス、今のあなた、本当に無様ね」
「おとなしく私の告白を受け入れていれば、
こんなことにならなかったのに……」
「ああ、今さら私の告白を受け入れるなんて言っても無駄よ」
「あなたみたいな道化、私の方からお断りだし……」
……そうだろうね。僕みたいな男、
仮に僕が女だったとしてもお断りだよ。
ここが……僕の終着点なんだな。
婚約者を寝取られ、さっきまで僕に好意を向けてくれた女性に
ボコボコになじられ、愛と忠誠を誓った人に、
私のヒーローは、別にあなたでなくてもよかったと言われる。
これが、僕の現実……事実なんだ……
「でもね、アルバトロス。さっき私が言ったことは、
事実であっても真実じゃないよ」
「事実であって真実じゃない……
それは、どういう意味なんだい?
事実と真実は、同じものだと思うんだけど……」
「アルバトロス、それは違うよ。いい、アルバトロス」
「事実はいつだって、眉を曇らせるつまらないものだけど……
真実は、心躍る素敵なものなんだよっ!」
「まるで、おとぎ話のように!」
「真実は、心躍る素敵なもの……」
「まるで、おとぎ話のように……」
「そうだよ。さっきの話、あなたが現実逃避するために
騎士道という妄想に逃げ込んだ負け犬で、ヒーローの代用品、
それで私はユウコさんの代用品って話」
「この話は、つまらない事実であって、心躍る真実じゃないんだよっ!」
「だから、無視しちゃっていいの」
「そんなくだらないものは、私たちにとって、
どうでもいいものだから!」
アヤは、僕にびしっと指を突きつけて、そう宣言する。
彼女は、事実をどうでもいいものだと断言した。
じゃあ、彼女にとって大切な物は、いったい何なのだろうか……
「事実が、キミにとってどうでもいいものだとすると、
キミにとっての大切な物は……」
「そんなの、決まってるじゃない」
「あなたは私に幻想を見せてくれた、おとぎ話の騎士さまで、
騎士道精神あふれるヒーロー!」
「私に愛と忠誠を誓ってくれた、私だけのドン・キホーテ!」
「そして私は、あなたの唯一にして最高の恋人、
生まれた時から、結ばれることが決まっていた……」
「運命の、ふたりなんだよっ!」
「けど、それは事実じゃない……」
「そうだよ。これは事実じゃない。私が、ただそう思っているだけ」
「私には、そう見えているだけ」
「つまり、私にとっての、都合のいい妄想だよ」
「けど! それが、私にとっての真実なの!」
「心躍る真実なの!」
「だからお願い! アルバトロス! 私だけの真実を信じて!」
「あなたが信じてくれるなら、私は死ぬまで、
この真実を信じることができるから……」
「だから……お願い……」
「私だけの真実を……信じて……ください……」
「マイ・ドンキホーテ・アルバトロス……」
そうして、彼女はすがるように手を差し出してきた。
「…………」
僕は、何も言わずにアヤの手を取った。
「アヤ……」
「僕も、キミが信じた真実を、心から信じることにするよ」
「最後の、最後まで……」
「アルバトロス……」
そして、僕たちは見つめあい、ごく自然にキスをした。
おとぎ話の、ワンシーンのように。




