sub.09 遭遇
一番出遭いたくなかったツーショットを目の前に、歩羽は無視するわけにもいかず、ただ顔を引きつらせるしかなかった。
そんな姉の心境など知るよしもなく、光里はふだん歩羽にはあまりみせることのないとびきりの笑顔で彼氏を紹介した。
「お姉ちゃん。この人が彼のあっくんだよ。ほら、言ってたとおり塩顔でしょ?」
いつもは姉に対していら立つような態度を向けることの多い光里だったが、デート中で機嫌が良いのか、それとも彼氏の前だからか、その声は幸せにはずんでいた。
だれとでもすぐにうちとける、明るさと自信に満ちた光里のことが、歩羽は苦手だった。
光里は知らない人にも全く人見知りせず話しかけることができる、歩羽には理解しがたい性格の持ち主だった。
口ベタでおとなしく、他人と話すことが苦手な歩羽と同じ姉妹とは思えないほど真逆の人間。それだけに、いつも親からは比較され、みじめな思いをしてきた。
光里が悪いわけではない。むしろたった一人の妹を嫌いにはなりたくない思いの方が強い。だが光里をながめていると、否が応にも自分との性格の差に気づかされるのだった。
「最初学校でみかけたときからずっと気になっててー。それで思い切って告白したら、オッケーもらっちゃったの。今日、三回目のデートなんだよ。――って、あれ、どうしたの。二人とも。もしかして、知り合い?」
お互い見て見ぬふりをして黙ったままの歩羽と篤の気も知らず、光里は興味深そうにニコニコしている。
どうやら光里は、自分が告白した数日後、姉が篤に告白していたことを知らないようだった。
イヤガラセでも皮肉でもなく、ただ大好きな彼氏を姉に紹介したかっただけであることが、歩羽にはよく理解できた。光里とはそういう人間だ。
篤にいたっては、自分の彼女が先日告白してきた女子の妹だということにいま初めて気づいたようで、まず歩羽の顔をみて驚き、目をそらし、顔を引きつらせ、妙な笑みをうかべ、ひととおり顔色を白黒させたあげく、最後は無表情になった。
歩羽はそんな篤と目線を合わせないまま、うわのそらで答えた。
「え~と、その……同じクラスっていうか」
「え、そうなの!? アッくん、いってよ~」
「あー、うーん……き、気づかなかったなあ、はは……」
だから顔みて気づいてください。歩羽は再び思ったが、もしかするとひとつ違いの姉妹なのに別人のようにみえるほど自分の表情が暗いのかもと思い、歩羽はさらに落ちこんだ。
「ど、どうしたのお姉ちゃん? すごくうなだれてるけど」
「ううん、なんでもない。なんでもないから……」
歩羽は張りつけたような笑みのまま、ようやく篤に向き直った。篤は篤で、顔は無表情ながらわずかに口角だけが上がっているという奇妙な笑顔になっている。
「あ、あのぅ、い、妹が、お世話になってます……」
「あ、い、いえ、こちらこそ、おそまつさまです……」
「光里は上室君にお似合いだと思うので……ぜひがんばってください」
「は、はい。妹さんのことは、お姉さんのぶんまで、大切に付き合います」
「私のぶんとか、そんな。ウフフフ」
「い、いやあ、アハハハ」
――――耐えられない。
おかしな言葉が交錯するうわすべりなやりとりに我慢できなくなった歩羽は、ものすごくワザとらしく両手をぽんと打った。
「あっ、ああっ! そういえば、これからおばあちゃんの家にいくんだった! ごめんね光里! それじゃ!」
その場から走り去ろうとする歩羽。だがそれを、光里が呼び止めた。
「おばあちゃんのところ? あ、じゃあ私もいく!」
思わぬ言葉に、歩羽は反射的に立ち止まってしまう。
「えっ、なんで!?」
「最近、ゆうくんに会ってないな~、って思って。おばあちゃんにも会いたいし。ね、あっくんもいこうよ。ゆうくん、癒されるよ~。まだハイハイしかできない赤ちゃんなんだよ。あ、それにそれに、おばあちゃんもすっごくやさしいから、きっと歓迎してくれるよ!」
事情を知らない光里のとんでもない提案に、だが歩羽も篤も真相を話すわけにもいかずただ青ざめるばかりだった。
「いいでしょおねえちゃん? うん、キマリ! じゃあみんなでいこ!」
光里が元気よく歩き出す。その後ろを、気まずい雰囲気の二人がついていった。
祖母の家までの道のりが、歩羽には永遠に感じられた。
光里は篤と手をつなぎながら積極的に話しかけてくれるものの、歩羽と篤のあいだで会話が弾むはずもない。
なにも知らないことほど怖いものはないということを、この日、歩羽は学んだ。
(……大丈夫。ゆうくんに癒されれば、全て忘れられる。それにおばあちゃんだって、私の味方なんだから)
(おばあちゃんの家は、私が安心して三センチ浮ける場所――)
そこまで考えてから、歩羽はようやく事の重大性に気づいた。
このまま私が二人といっしょに祖母の家にあがりこんだら――バレる。
畳の上で正座すれば浮いた足をスカートで隠せるとはいえ、いつまでも座り続けているわけにもいかない。床から浮いていることがバレれば、いままで自宅でも学校でも必死に隠してきたことがすべて水の泡だ。
なんで気づかなかったんだろう――。
ますます自己嫌悪に陥り道ばたで頭を抱え出した歩羽に、篤と光里が戸惑う。
「え、ちょっ、大丈夫?」「どうしたの、お姉ちゃん?」
二人に心配されるも、歩羽はどん底まで落ち込んだ精神状態を立て直すことができなかった。
(自分の殻を破るどころか、いままでの自分全開だし……)
歩羽は自分に備わってしまった不思議な力をごまかす術を頭の中で必死に探した。だがどうしてもみつからないままとぼとぼと歩き続け、ついに終着点である祖母の家に到着してしまった。
さきほどまで永遠と思えるほど長く感じられた道のりが、今度は矢の過ぎるくらいの短さに思えた。
(どうしよう……ああ、どうしようどうしよう……)
追い詰められた歩羽。
そのとき。
「……なんか変な臭いしない?」
光里の言葉に、歩羽は顔を上げた。
たしかに、なにかが焼けるような臭いが鼻をかすめる。歩羽はすぐ先にある祖母の家をながめた。
胸騒ぎがした。
このときは、その原因が何なのか、歩羽にはわからなかった。だがなせか確信的に、歩羽には嫌な予感がしていた。
すぐに二人を追いこして走り出す歩羽。
彼女の目に映るのは、みなれたはずの祖母の家。
だが、ひとつのみなれない光景に、歩羽は息をのんだ。
家の一階奥、リビングのあるあたりの窓から、黒い煙が上がっていた。