sub.07 自分の殻
「あっ!? こ、これはっ!」
顔を真っ赤にしながら、歩羽はあわてて力を抜く。だが逆に体がすとんと畳に落ちるという奇妙な光景をみせてしまい、歩羽の頭はまっ白になった。
「ちがうの! これはこれは、その、あの」
「ちがうのかい? あたしゃてっきり手品かと思ったんだけどねえ」
「手品……あっ、そ、そう! 手品なの! 今度高校の文化祭でみんなにみせる予定で、いま練習してて」
「へえ~、そうなのかい。あゆはちゃんはすごいねえ。そういえば昨日、テレビでも似たようなことをやってたけどねえ。たしか『いるーぞん』とか」
「いるーぞ……あ、ああ! 『イリュージョン』! そうそう、それそれ! あはは……」
心の中で大量の冷や汗をかきつつ、歩羽はその場をごまかすのに必死になった。
一方の祖母は、不思議な現象を目の当たりにしたはずなのに、「あゆはちゃんはなんでも努力してえらいねえ」などと口にするだけで、あまり意に介していないようだった。
(助かった……)
歩羽はようやく平静をとり戻すのと同時に、浮いている自分を(手品とはいえ)認めてくれた祖母に深く感謝した。
やっぱり私の落ちつく場所はここだ。歩羽は改めてそう感じた。
もう隠す必要もなくなり、再び浮いた状態に戻る。心のどこかで気を張り続けていたのが、風船から空気が抜けるように弛緩した。
優太を抱き上げる祖母を眺めながら、歩羽はふと気になることを口にした。
「ねえ、おばあちゃん」
「なんだい」
「おばあちゃんは、自分の殻を破ったことって、ある?」
急にまじめな顔になった歩羽の言葉を聞いて、祖母は首をひねった。
「自分の殻……うーん、どうだろうねえ」
「なんでもいいの。あることがきっかけで性格が変わったとか、これまでの生活が一変したとか」
「うーん……あんまり自分の殻なんていうのは、意識したことがないねえ。いまのまま、素のままで生きてきたから。それが一番、幸せなことじゃと思うよ」
「そう……」
あてがはずれ、少しまぶたを下げる歩羽に、祖母は慰めるように語った。
「大切な人たちと毎日平穏に生きて、無事に暮らす。そんな日々が続くよう、あたしはいつもご先祖さまにお願いしているだけだよねえ」
「大切なもの――それは、家族、っていうこと?」
「もちろんそうだよ。家族のみんな。それに、あたしがお世話になった人たちも。昔からずうっと。だから殻を破るとか、そういうことは考えたことがないねえ」
話す祖母が、どことなく表情の暗い歩羽の様子をみて、心配そうな目つきになる。
「なんだい、なにか悩みでもあるのかい」
「悩みっていうほどのことじゃないんだけど……」
口に出しながら、視線をさまよわせる歩羽。自然と壁の時計が目に入る。針はちょうど午後六時をさしていた。
「あっ、もうこんな時間!? ごめん、おばあちゃん。またくる」
「はいはい、いつでも待ってるよ。手品がんばってね」
「だーだー」
三センチ浮いたままの歩羽は、祖母と甥っ子に別れをつげ、あわただしく家を出た。
父の大きな革グツをはき、家路につきながら、歩羽はさきほど祖母に話した言葉を思い返していた。
「悩みっていうほどのことじゃないんだけど……」
ウソだった。
歩羽は悩んでいた。
それは、歩羽が女神からいまの迷惑な力を授かるずっと以前から、歩羽をしばりつけていたもの。
歩羽は女神に、「自分の殻」という言葉でそのことを否応なく突きつけられていた。
女神の言葉にあった「殻」とは、歩羽にとっての「檻」だった。
人見知りな自分。「内気な性格」という檻に閉じ込められた自分。
そんな息苦しい場所とは対照的な、自分のやりたいことをやれる自由な生き方に、歩羽はずっと憧れていた。
檻から脱け出し、どこまでも可能性の広がる淡い空へ逃げていきたい――。
それができない自分へのいらだちと焦りに、歩羽はずっとさいなまれていたのだった。