sub.05 歩羽と篤
高校一年のとき、同じ図書委員になったのが、歩羽と上室篤との出会いだった。
篤は大きな瞳に人なつっこい笑顔が印象的なやや小柄の男子で、口数は少ないが根は明るい性格だった。友人も多く、ほとんど口を開かない歩羽に対してもなんら変わらない態度で接してくれていた。
口ベタな歩羽としては、クラスメートとはいえ異性と話すことに初めのうちは苦手意識があった。篤はそんな歩羽を気づかってか、委員の仕事に関係のない話題でも自分から積極的に話しかけ、歩羽の警戒を解こうとしていた。
そんな篤の姿勢に、固かった歩羽の心の壁も徐々にとりのぞかれ、委員の任期が終わる半年後にはむしろ篤との会話が楽しみになっていた。それでも声をかけるのはいつも彼の方からで、歩羽は自分から話しかけることをずっとためらっていた。
委員の任期が終わり、二人で話す機会が減ってからも、歩羽は篤のことがずっと気になっていた。
彼と話している時間は高校で過ごすどんな時間よりも楽しかった。それが恋愛と呼べる感情なのかどうか、そのときの歩羽にはよくわからなかった。だが彼と共有する時間は気分が高揚し、いつまでもいっしょにいたいという想いで胸がいっぱいになるのだった。
だがそれでも、歩羽には話しかける勇気が出ず、いつも遠間から彼の表情をながめるだけの日々が続いていた。
篤のことだけではなかった。
いつもそうだった。
歩羽はつねに、傍観者だった。
話の輪に加わることができず、かといって孤立を好むほど自立した性格でもない。いつも教室のすみで都合のいいドラマを待っているだけ。
他人に話しかけられない。無視されるのが怖い。
すでに完成した人の輪に自分が入っていくことは迷惑じゃないか。自分みたいな地味でなんの特徴もない人が話しかけても、だれも興味を示してくれないんじゃないか。
そんなことを想像してしまい、いつまでも最初の一歩が踏み出せない自分の臆病な性格に、歩羽は嫌気が差していた。
自分を変えたい。二年生も一学期が過ぎたころ、歩羽の考えは切実になっていた。それとともに、篤への想いも高まる一方だった。
いつのまにか歩羽の中で、もし同級生で最初に話しかけるとすれば篤しかいない、と考えるようになっていた。
なにを話そう。家で考えていたとき、つけっぱなしのテレビに映っていた恋愛ドラマの映像がたまたま歩羽の目にとまった。
『じゃあさ、思い切って告白してみたら』
『告白!? ば、バカ。あんなやつに告白なんて、できるわけないでしょ!』
告白――。
その甘美な言葉が聞こえたとき、歩羽は思わず頬を赤らめた。
だが心のどこかではそれを想像していたような気がする。胸に熱く重いなにかが落ちるのを感じ、歩羽は自分が抱いている篤への淡い気持ちにようやく気がついた。それと同時に、篤の気持ちを確かめるための方法として最も良い方法が告白だとも思えた。
それに告白すれば――この想いを彼に伝えることができれば、自分の中でなにかが変わるかもしれない。歩羽はそう考えた。
篤なら、きっと私の話を聞いてくれる。
一ヶ月以上迷い続けた末、篤への日々の想いが人見知りの壁を越えたとき、歩羽は告白することを決めた。
そして昨日。篤が一人になったときを見計らい、歩羽は初めて自分から篤に声をかけた。
顔をまっ赤にしながら、たどたどしい言葉で篤に用件を切り出す。そして放課後、約束通り校舎裏にきてくれた彼に、歩羽は告白した。
断られてもいい。
自分の想いをわかってくれれば、それでいい。
でも、もしかなうなら、上室君と――。
だが結果は、歩羽の希望を外れ、さらに想像を超えるものだった。
「一年の子に三日前に告白されて、つきあうことになったんだ。ごめん。――そういえば、篠崎さんと同じ苗字だったよ。篠崎光里っていう子。もしかして、妹とかじゃないよね」
顔みて気づいてください。そう思いながらも口にはだせず、いたたまれなくなった歩羽は、ショックのあまりその場からだまって走り去ってしまったのだった。
たしかに三日前、彼氏ができたと光里が喜んでいたのを歩羽は思い出した。それが歩羽の決断を後押ししてもいた。
だがまさか、その相手が自分の告白しようとしていた人と同一人物だったとは、歩羽は全く想像だにしていなかった。
迷っていたぶん、光里に先をこされた。結果的に、明るく社交的な妹との差がはっきりしただけ。さらなる自己嫌悪にさいなまれ、明るい兆しのあった歩羽の心は、再び暗い海の底に沈むように光を失っていった。
保健室のベッドの上で、歩羽はなにかへ祈るように、胸のあたりをわしづかみにした。まっ白な制服がしわになるのもかまわず、両手で強くにぎりこんでいく。
だが、あきらめと無力感に満ちた胸の痛みは、なかなかおさまらなかった。
報われない現実から目を背けたかった。逃げたかった。
逃げるための翼がほしかった。
だからあの日の夜、女神さまが現れたとき――
空を飛びたいと、願ったんだ。