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sub.16 やっぱり下りられない

「お母さん、おはよう~」


 朝。


 以前より少し明るい声を母親にかけ、歩羽は朝食の席に座る。今日は歩羽の好きなエッグトーストだった。食欲をそそる香ばしい匂いが歩羽の鼻をくすぐる。


「さきに食べるよ、お母さん」


「はいはい。お弁当、もう少しでできるからね」


「はーい」


 いつもは母親と光里の三人で囲む食卓。歩羽は待ち切れず、目の前の朝食に手をつけた。




 「体が三センチだけ浮く」という超能力が巻き起こした騒動から、一ヶ月以上が経過していた。


 二学期も中ごろ。歩羽は少しだけ友人のできたクラスで、平穏な日々を過ごしていた。


 いまもまだ、火事からの救出劇について聞かれることがあったが、世間の熱はほぼ冷めており、歩羽は以前と変わらない生活を送ることができていた。


 高校では一ヶ月後に文化祭を控え、授業以外の活動が忙しくなっている。


 歩羽のクラスでは演劇をやることになり、内容は「ちょっと内気な女子高生が、ある日遭遇した一軒家の火事の中から果敢に赤ちゃんを助け出す涙と感動の物語」という、ものすごくどこかで見たことがあるような内容だった。


 歩羽は全力で阻止しようとしたが、クラスは大盛り上がりで結局採用されてしまった。もちろん主役は篠崎歩羽で、という話にもなったが、それだけはやめてほしいと歩羽は泣き顔で懇願したため、主役抜擢は回避してもらえた。なぜ自分が頼む立場にならないといけないのか釈然としなかったが、そんな騒がしい状況も、いまの歩羽には心のどこかで楽しいと思えていた。


 光里と篤の仲は順調なようで、週末のたびにどこかへ出かけているようだった。歩羽自身も、あれから篤と図書委員だったときのようにたわいもない話ができるようになった。それとともに、歩羽は自分がこれだけ他人としゃべることができる人間だったということに初めて気づき、心の中で静かに驚いていた。


 不可能だと思っていたことができるようになると、それをやることが楽しくなってくる。自信をつけたいまの歩羽は、人付き合いに前向きだった。


 歩羽は大好きなエッグトーストを幸せそうにほおばりながら、近ごろ大ヒットして世間を騒がせているアニメ映画の話題が流れているテレビをながめていた。今週末に篤とこの映画を見に行くという話を光里がしていたことを思い出したとき、その光里がまだ降りてこないことに歩羽は気づいた。


「あら、まだ寝てるのかしら。歩羽、ちょっと呼んできて」


 母親に言われ、歩羽はエッグトーストひと口分をカフェオレで流し込み、二階にある自室の隣の部屋へ向かった。


 いつもは光里の方が起きるのが早く、歩羽がリビングに出てきたときにはたいてい朝食に手をつけていた。光里は文化祭で自分のクラスの出し物に加え、友人の部活動が出す出店の手伝いなどで多忙を極めているらしく、ここ最近は帰りも遅かったことを歩羽は思い出した。


(光里もだいぶ疲れてるんだよね……)


 以前ならそんなまぶしい存在の光里に苦手意識があったのに、いまでは不思議となにも感じず、むしろそんな妹をもっと応援したいという気持ちにすらなっていた。


 光里には光里の生き方があるし、歩羽には歩羽の生き方がある。自分と妹を比較するのをやめた歩羽は、以前よりも正面から光里のことを見られるようになった。


 そんな光里が、珍しく寝坊。歩羽は優秀な妹の少し健気な面を感じつつ、部屋の扉をノックした。


「ひかりー。もう七時半だよー。そろそろ起きないと遅刻するよー?」


 そう言ってドアノブに手をかけたところで、中から光里の声がした。


「あ、開けちゃダメー!」


 その声に、歩羽は一瞬、胸がドキリとした。


 焦りの色がみえる、必死そうな声。それは、いつもとは異なる光里の様子から、だけではなかった。


「ぜったい開けちゃダメだから! あ、き、今日ちょっと体調悪いから、学校休むから――」


 光里の口調に、歩羽は嫌な予感がした。


 どこかで聞いたことのある声色。それは、一ヶ月ほど前、自分自身が口にした声色に似ていた。


 朝、目が覚めたら三センチ浮いていたとき、口にした声色に。


「もしかして――」


 歩羽は光里の言葉を無視し、再度ドアノブに手をかけ、思い切り回した。


「光里!」


 扉を勢いよく開け、部屋に飛び込む歩羽。


 彼女の目に飛び込んできたのは――


 フローリングの床から浮いていた、光里の姿だった。


 一メートルほど。


「お姉ちゃーん! 助けてー!」


 目を丸くする歩羽の前で、宙に浮いたままいまにも泣きだしそうな表情で足をばたつかせる光里。だが手足は空中をかくだけで、光里の体は胸のあたりの高さをふわふわと漂っていた。


 想像の上をいく状況に、歩羽は頭痛を覚えた。


 普通の人がこの光景を見れば、目の前で起きていることが信じられず、驚きに我を忘れるだろう。光里も、こんなわけのわからない姿をだれにも見られたくなかったに違いない。


 だが歩羽には分かっていた。全てを理解していた。


 これは絶対に、完全に、百パーセント、あの女神さまのしわざだ。


 意地悪そうに微笑む女神の姿が、歩羽の脳内に再生される。「今度は光里ちゃんを浮かせてみようかしら。歩羽ちゃんのリアクションも期待できるし、おもしろそー」などとのたまっている女神の様子が克明に想像された。


 やっぱりあの人は女神じゃなく、私たちをおとしめて楽しむ悪魔なのかもしれない。歩羽はそう思った。




……END?


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