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sub.15 その後

 一週間が経過した。


 学校では予想通り、優太を火事の中から救い出した翌日から、歩羽はクラスメートの質問攻めにあった。


「篠崎さん篠崎さん。三階から飛び降りたってほんと?」「赤ちゃんを助けたってすごいよね?」「あんなに高いところから飛び降りて大丈夫だったの?」


 昨日のマスコミとのやりとりがデジャヴされるような状況が繰り返され、いままでクラスの中で影の薄かったのがウソのように、歩羽は生徒全員の関心の的になった。


 だが「夢の中に現れた神さまから授かった力のおかげ」などと言えるはずもなく、歩羽はただ苦笑いのまま「必死だったから……」「飛び降りるしかないかなって思って……」などというあいまいな返事に終始するしかなかった。それが周りの人間からは「ふだんはおとなしいのに実は大胆な性格の持ち主」ととられたようで、歩羽の校内での評判はますます高まっていった。この話を耳にした校長などは歩羽の美談にひたすら感動し、全校生徒の前で表彰しようとして歩羽が丁重に断る、などということもあった。


 テレビ局やラジオ局、雑誌記者からの問い合わせなどもあったが、歩羽はどれも短い言葉だけで済ませるようにした。お昼の情報番組への出演の話もあったりしたが、歩羽は首をぶんぶんと横にふって必死に断った。


 ただ、急な騒ぎは冷めるのも早く、三日ほど経つと、周りの喧騒も一気に収束していった。


 口ベタはあいかわらずだったが、少しだけ人付き合いに前向きになれた歩羽は、騒ぎが落ち着いた後もいくつかの同級生の輪に加わることができた。


 普通の高校生ならごくあたりまえにできることかもしれない。だが歩羽にとっては、これまで独りで過ごしてきた高校での生活を大きく変える、確かな一歩だった。




 篤とは火事の翌日、話す機会があった。あのときのお礼を言うために。


「あの……上室君。あのときは、おばあちゃんを助けてくれてありがとう」


 ある日の放課後、歩羽は篤を呼び止め、小さく笑顔をみせた。


 数日前は顔を赤くしながらしどろもどろな状態で話しかけていたが、いまは自然に篤へ声をかけることができるようになっていた。


「いいよ、べつにそんなこと。たいしたことしてないから」


「ううん。上室君がいなかったら、光里と私だけじゃおばあちゃんを外に連れ出すのがすごく大変だったと思うから……。本当にありがとう」


「あ……うん……まあ……その……なんていうか……」


 だがなぜか、むしろ篤の方がしどろもどろな様子で、目をそらしながら話す。


 そのことを不思議に思いながらも、歩羽は続けた。


「光里と、仲良くしてあげてね。あの子、短気だから気に入らないことがあるとすぐ不機嫌になるけど、根は本当にいい子だから」


 自分が告白したときの苦い記憶も、火事の一件以降、歩羽の中で消化できていた。心から、歩羽は妹と篤の関係がうまくいってほしいと願っていた。


「あ、ああ……うん、も、もちろん……」


 だがなぜか、篤の顔がみるみるうちにまっ赤になる。さすがに気になった歩羽は不安になり、眉根を寄せた。


「えと……私、なにか変なこといった?」


「い、いや、なにも……」


 明らかに様子のおかしい篤。歩羽がじっとみつめていると、篤はますます落ち着かなくなる。


「なにかあったなら、いま言ってくれた方がいいよ。――もしかして私、気づかないところで上室君になにかしてた?」


「いや、そういうわけじゃ……いや、そういうことかも……いや、やっぱり……」


「……?」


 歩羽の追及に、しばらく視線をさまよわせていた篤は、ようやく口を開いた。


「――俺、見ちゃったんだ。篠崎の、その……」


 見ちゃった――。


 言葉をにごした彼のそぶりに、歩羽はようやく気がついた。


(もしかして――)


(私が三センチ浮いていたことが、バレてた……?)


 驚く歩羽の前で、篤が拝み手をつくりながら頭を下げる。


「ごめん、篠崎! 見るつもりはなかったんだ。でも、たまたま目に入ったっていうか……」


「い、いいよ、そんなの、謝らなくて……。それより――上室君。そのこと、だれにも言わないでくれると助かる」


「い、言うわけないだろ、こんなこと……」


「でも……いつ見たの?」


 バレないようにずっと大きな革グツをはいてたのに。歩羽の疑問に、篤がなぜか恥ずかしそうにうつむいた。


「いつって――篠崎が飛び降りたときに決まってるだろ」


「飛び降りた……? あ、そうか。ベランダにいたとき、私、クツはいてなかったから。そのときにみえたんだね」


「ベランダ……? いや、ベランダにいたときはさすがに見えなかったけど」


「え……? でも飛び降りたときだったら、それしか――あっ、飛び降りて地面に下りたとき?」


「いや、地面に降りてから見えるわけないだろ……。篠崎が、その――と、飛んでるときだよ」


 ――なんとなく話がかみあわない。


 歩羽は思い切って、直接質問をぶつけた。


「あの……上室君が言ってることって……私が地面から浮いていた話じゃないの……?」


「え……?」篤は戸惑いながら、小声で告げた。


「いや……三階から飛んだとき、篠崎のパンツがみえたっていう話なんだけど」


「パッ……!?」


 それを聞いたとたん、今度は歩羽の顔が一気に赤くなった。


「パンツ……み、みたの……?」


「だ、だからさっきから謝ってるだろ……」


 バツが悪くなった篤は、ふと気づいたように言った。


「っていうか、篠崎が地面から浮いてたって、なんのこと?」


「そ、それは……」


 言葉に詰まる歩羽。今度は歩羽の方が返答に困る番だった。






 そんなこともあったりしたが、火事のあとの歩羽の生活は、いままでより少しだけ明るいものになっていた。それは歩羽が起こした行動がもたらした結果でもあったが、歩羽自身が変わったことが一番の原因だった。


 きっかけは確かに、夢の中に現れた女神(らしき女性)から授かった不思議な力を有効に使い、歩羽が優太を救い出したことだった。


 だが歩羽自身が変わっていなければ、その後はまた元の生活に戻るだけだったと、歩羽はここ数日をふり返ってみて感じていた。


 あのとき――


 篤に告白した日、歩羽はこの世の全てから逃げたいと思い、女神に空を飛べる力を願った。


 だがいま、地面に足のつく感覚をたしかめながら、歩羽は思っていた。


 自分の未来は、自分の歩いてきた道の延長線上にしかないと。そこから翼を得て、全く違う場所に飛び立つことはできないと。


 たとえば、遠いどこかの国へ行くことはできるかもしれない。見知らぬ土地で生活できるかもしれない。だが自分という人間性はそうたやすく変わらない。どこへ行っても、なにをしようと、自分はどうしようもなく自分なのだ。


 でも自分を変えたいと、さらに成長したいと思い、行動し続ければ、それはいつか道となって理想の自分へとつながる。その実感が、いまの歩羽にはあった。


 三階から空へ飛び出したときの歩羽には、その理想へたどりつく確信があった。




 あれ以来、女神が歩羽の夢に出ることはなかった。


 結局、あの人は本当に女神なのか。答えはいまだに見つかっていない。だがひとつだけ、歩羽が信じていることがあった。


 女神は歩羽を助けた理由の九割は「きまぐれ」だと言っていた。


 でも本当は残り一割の理由を目立たなくするための、女神の照れ隠しだったのだと、歩羽は思っている。


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