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sub.14 夢の中で

「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!!」


 その日の夜。


 夢に現れた女神は、全力で歩羽を罵倒した。


「『殻を破れば』とは言ったけど、火事の中にひとりで飛びこむなんて、どれだけ命知らずなの! バカ!!」


「――ごめんなさい」


「もし一階の爆発がもう少し早かったら、あなたとっくにこの世からいなくなってるのよ!」


「――そうですね」


「それにまさか三階から飛び降りるなんて、私もさすがに想像してなかったわ。いつも三センチ浮くってことはどこからでも飛べるってことに自分で気づいてほしかったのは確かだけど、やることが極端すぎるの! もし甥っ子を道連れにぺしゃんこになってたらどうするつもりだったの!」


「――すみません」


「いくら甥っ子を助けたいからって無茶しすぎ! もう少し自分の命を大切にしなさい!」


「――肝に命じます」


「全く……。ま、結果的に殻を破れたからよかったけど。あなたに気づいてほしかったのは、どんな状況に陥っても落ちこんでふさがるんじゃなく、積極的な気持ちで受け入れて前へ進む姿勢よ」


「――はい」


「わかった? なにはともあれ、あなたのおかげで甥っ子くんも助かったし、おばあちゃんも妹も彼氏もみんな喜んでいたでしょう。万事解決ね」


「――そうですね」


「……あれ。なんか疲れてない?」


 女神の言う通り、歩羽は夢の中でげっそりした表情になっていた。


 優太を助けようと、歩羽は火の手から逃れた末、燃え上がる家の三階のベランダから地上へ飛び降りた。


 普通なら大ケガを免れないほど高いところから落下したにもかかわらず、歩羽は無傷で地面に着地することができた。


 正確には、着地、ではなかった。三階から飛び降りても、やはり歩羽の体は地面につかず空中に浮いたため、ケガをせず助かったのだった。歩羽が考えていた通り、地面にぶつかる直前、重力が逆になるような感覚があり、いつもと同様、羽毛布団の上にふわりと下りたような感覚が残るだけだった。


 あんなに高いところから飛び降りたのに傷ひとつない――。見ていた光里や篤を始め、周りの人間はあっけにとられ、信じられないという表情を浮かべていたのを歩羽はいまでもはっきり記憶している。祖母などは「奇跡じゃ……。ご先祖様があゆはちゃんを助けてくれたんじゃ……!」などとのたまい、よりいっそう手をこすり合わせて何者かに感謝していた。


 火事の方はその後、消防隊のおかげで周辺の家屋への延焼もなく、家一軒のみが焼けただけでおさまった。歩羽の姉夫婦も連絡を受けて職場から飛んできて、祖母と優太の無事を確認すると、涙を流して喜んだ。そして優太を助けた歩羽は、夫婦と祖母から深く感謝されたのだった。


 歩羽の姉の話では、元々、家の方は来年建て替える予定だったらしく、今後はしばらく賃貸マンションで暮らしてから、新居を建てるとのことだった。足を痛めた祖母は数日の入院だけで、すぐに退院できるという話だった。歩羽が優太を助けたことで、女神の言う通り万事解決、のはずだった。


 だがなぜか、歩羽はひどく疲れた状態で帰宅すると、自室のベッドになだれこんだ。その表情は、夢の中でも引き継がれていた。


「全部解決したんでしょ? まあ、燃える家の中を必死に走り回っていろいろ気疲れしたのかもしれないけど」


「――どうせ女神さまは全部知ってるくせに」


「え、なにを言ってるの? 私が知ってるのは、あなたが三階から飛び降りた様子をスマートフォンで録画していた人がいて、それがSNSで拡散されてちょっと有名になっちゃったってことくらいよ」


「まさにそれよ! もうゆうくんどころじゃないんだから!!」


 歩羽は心の底から女神に怒りをぶつけた。


 優太を助けた歩羽は、その喜びに浸るどころではなかった。


 三階から赤ちゃんを抱えたまま飛び降り、何事もなかったかのように無傷で立ち上がる――。そんな映像が動画共有サイトに投稿され、それが瞬く間にSNSで拡散され、歩羽はたった数時間のうちにネット上で一躍有名人になってしまったのだった。


 ニュース元である「牧田市郊外の住宅で火災、出火元は旧式ストーブか」のアクセス数を、「三階から女の子飛び降りて無傷」「火事から赤ちゃん救う女子高生」「奇跡の救出劇【加工なし】」などのタイトル動画がはるかに上回り、歩羽は警察からの事情聴取の後、地元のテレビ局をはじめマスコミ記者の質問攻めにあった。


 篠崎歩羽さんですね? 三階から飛び降りるときの気持ちは? どんな思いで赤ちゃんを助けたのですか? あんなに高いところから飛び降りても大丈夫という自信はあったんですか?


 次から次へ飛び交う問いかけに、人見知りの歩羽は断る勇気が出ずに「な、なにも考えてなくて、必死で……」「甥っ子なんですけど……と、とにかく助けなきゃって……その、あの」「こ、こわかったですけど……自信はなくて……でもほかに思いつかなくて……」などとしどろもどろの状態のまま取材の嵐にさらされた。


 ようやくそれらを無理やり抜けて家に帰ると、「お姉ちゃん、テレビに出てるよ」と先に家に帰っていた光里から告げられた。みると、「火事場の馬鹿力に関する理学的見地から」というテーマで歩羽の飛び降り映像を大マジメに解説しているニュース番組が流れていた。


 それを見てさらにどっと疲れの増した歩羽は、すぐに自室へ向かい、そのままベッドに飛びこんだのだった。


「よかったじゃない。元々引っ込み思案なあなたにみんなが声をかけてくれてるんだから、これを機に新生歩羽ちゃんをPRすればどう? うまくすればユーチューバーも夢じゃないわ」


 気楽に言いつつウインクを見せる女神に、歩羽の口からは深い深いため息がもれた。


「そういうの、苦手なんですけど……」


 平穏で目立たない生活を望み、必死に三センチ浮いていることを隠し続けていたのに、それが意外な形で完全崩壊してしまったことで、歩羽は明日以降の生活に大きな不安を抱いていた。


「それもこれも女神さまのせいよ……。うう、明日から絶対学校で質問攻めにあうよ……」


「あら。じゃあ殻を破れずに甥っ子も助けられない未来の方がよかったと」


「う、それは……」


 歩羽は女神の卑怯さを呪った。


「もう起きちゃったことなんだから、あれこれ心配しててもしかたないわ。それにもう、あなたは浮いていないんだし」


 女神の言う通り、優太を助けた後、歩羽の体は地面についていた。


 火事の後のひと騒動のさなか、歩羽はいつのまにか足の裏から地面を踏む感覚が伝わってくることに気づいたのだった。


「もうあなたには必要ないから、力を取り除いたの。たった一回だけ奇跡が起きた、ってことでいいじゃない。あなたが地面から浮いていたことを証明できる人はもういないんだから。むしろ前向きに人間関係をつくるいい機会だと思えば? あなたもそれを望んでいたはずだし、いまのあなたにならできるはずよ」


「…………うん」


 釈然としないながらも、歩羽は女神の言葉にどこか納得し、静かにうなずいた。


 それから歩羽は、女神と今後の生活についていくつか言葉を交わした後、前々から抱いていた疑問をぶつけた。


「そういえば、どうして女神さまは、私なんかを助けてくれたんですか」


 歩羽の言葉に、女神は試すような笑顔を投げかけた。


「どうしてだと思う?」


「……初めての告白がうまくいかなくて、しかも篤が妹の彼氏だとわかった私が哀れだったから?」


「ううん。ただのきまぐれ」


「きまぐれ!?」


「そう。九割はね。きまぐれ」女神はイタズラっぽく目じりを緩めた。


「あなたで遊んでみたかったの。三センチ浮かせたら歩羽ちゃん、どういう顔するんだろうって考えたら、自分を抑えきれなくなっちゃって」


 女神はわざと視線をあさっての方向にそらしながら「怖い顔しないでよ~」とうそぶいてみせる。人の心をもてあそぶ女神の悪人ぶりに、歩羽はまた怒りがふつふつとこみあげた。


「でもあとの一割は――そうね。あなたがあなた自身の良さに気づいていなかったから、かしら」


 急に真剣な口調に戻った女神の言葉に、歩羽は一瞬、きょとんとした。


「私の、良さ?」


「わからない? 今回のことでますます証明されたでしょ。行動力よ」


「行動力――」


 つぶやく歩羽に、女神は改めて向き直り、優しい笑顔をみせた。


「あなたは自分を変えようと、ずっと前から努力していた。それは実を結ばなかったかもしれないけれど、どんなときも純粋な気持ちで、あなたは行動していた。思うだけでやろうとしない人だってたくさんいるのに。そこにあなたという人間の価値があると、私は思ったの」


「それって……価値なんですか。うまくいかなかったのに」


「もちろん。自分で自分を正しく評価するのって難しいわよね。あなたを覆っていた殻は『自分のやってきたことをすぐに否定してしまうこと』よ。でもあなたには行動力がある。そんなあなたの殻を破るには、後押しが必要だっただけよ。だから私が押してあげたの。助けがいがあったのよ」


「そう……」


「自分で思っているよりずっと『やり遂げる力』があるんだから。これからはもっと自信をもちなさい」


 そう言いながら姿が薄くなり始めた女神を、歩羽は呼び止めた。


「あ、まって女神さま!」


 小さく反応する女神に、歩羽は尋ねた。


「女神さま、って私は思ってたけど……そもそもあなたは、神さまなんですか?」


「たしかに神さまとはひとこともいってないわね」


 思わせぶりな口調で女神――だと歩羽が思っている女性が、小首をかしげる。


「おばあちゃんに感謝するのね」


「おばあちゃん……?」


 言葉の意図がわからずにきょとんとする歩羽へ、女神は人差し指をぴんと立てて諭した。


「あ、でももうあんな無茶しちゃだめよ。あなたのことはいつも見ているけど、次は助けてあげられるかわからないから」


 歩羽はその言葉から手がかりを得ようとするも、頭の中で形になることはなかった。


 だが、自分を助けてくれた恩人の言葉を、歩羽は素直に受け入れ、うなずいた。


 姿がかすんでいく女神に、歩羽は伝えた。


「あ、あの! ――ありがとう」


 歩羽の心からの言葉に、女神はニコリと笑って、歩羽の前から消え去った。


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