sub.13 羽根
「ゆうくん……!」
優太の大声を聞いて、歩羽は自分の涙が止まった。
眼前に迫る炎の恐ろしさにようやく気づいたのか、それとも泣き顔の歩羽にただならない雰囲気を感じ取ったからか。いままでおとなしかった優太が声をあげて泣き止まない。
絶望にとらわれていた歩羽の思考が、優太の変調をみて、逆に冷静になった。
(――そうだ)
(私がいまあきらめたら、この子が命を落とす)
(私がダメでも、ゆうくんだけでも)
(ゆうくんには、私しかいないんだから――)
「しっかりしなきゃ――しっかりしなきゃ」
歩羽は落ち込んだ気持ちを、もう一度立て直した。
すぐそこに迫っている火の手に飲まれそうな心を勇気づけ、歩羽は再び立ち上がる。
(ゆうくんのために、最後の最後まで考えないと)
(無理だなんて決めつけたら、あるものもみつからない)
(よけいなことを考えちゃだめだ。探さないと。助かる方法を)
歩羽はベランダの端で落ちこむだけの後ろ向きな思考を捨て、最後までもがくことに決めた。
全力で頭を回転させる。この状況を打開する道を探す。
(羽根なんて生えなくたって、空を自由に飛べなくたって――)
(どこかに助かる道が――)
歩羽は泣き続ける優太を抱いたまま、ベランダから外を見回す。
(隣の家にとび移る――だめ。離れすぎてる)
(排水管を伝って下に――ゆうくんを抱いたままじゃちょっと無理)
(違う部屋に移ってなんとか裏口から下へ――ここから移れる部屋はもう焼けちゃってる)
(ほかには――)
歩羽は塀の外を見る。晴れやかな青空。遠くまで広がる街並み。下には祖母ら三人が待っているはずの道――。
そこまで視線を移したとき、歩羽の中に電流が走った。
この状況から助かる、唯一の方法。
(――あった)
歩羽の頭の中に、それがはっきりした形で描かれた。
歩羽は手すりから真下を見下ろす。玄関前の道で、祖母が、光里が、篤が、それに通りがかった人たちが足を止め、燃えさかる家とベランダに出てきた歩羽を心配そうに見上げていた。
「おねえちゃん! おねーちゃーーん!!」
下から何度も自分の名を呼ぶ光里の声が聞こえる。その表情はくしゃくしゃに崩れ、いまにも泣きだしそうになっている。
足を痛めている祖母は、アスファルトの道にしゃがみこみ、ひたすら手をすり合わせ祈っている。そのそばで、篤は祖母の足を気づかいながら、歩羽を心配そうに見上げている。
通りがかりの人たちは、歩羽が姿をみせたことで、「女の子がとりのこされているぞ!」「もうすぐそこまで火がきてる」「消防車は!?」などとざわついている。
歩羽はその手前の方を見下ろした。玄関横の庭にある、土の地面。そちらへはまだ火が及んでいない。
三階のベランダから見下ろす、はるか下にある地面。
三センチだけ浮いている自分。
その二つが、歩羽の頭の中でつながった。
(試したことはないけど――やるしかない)
意を決するようにひとつうなずくと、歩羽は近くにあったクーラーの室外機に飛び乗り、再び外を向いた。
手すりはベランダからだと歩羽の顔くらいの高さがある。歩羽は距離をはかるように手すりに足をかけ、歩幅に余裕があるのを確かめた。
――大丈夫。
下の人たちは、歩羽が何をやろうとしているのか察したようで、一段とざわめきを大きくしていた。
「ダメだよおねえちゃん! ムリだよ!!」光里の悲痛な叫び声が聞こえる。
「篠崎! やめろ!!」篤の強く制止する声も聞こえる。
無茶なやり方だと、歩羽にもわかっていた。
だが、不思議と確信があった。
何をやっても三センチ浮いてしまう、ということに、歩羽は絶対の自信があった。
ここ数日間、このためにずっと苦しんできたのだから。
歩羽は自室のベッドから床に飛びおりたときの、重力が逆になる感覚を思い出していた。
(大丈夫。ぜったいにうまくいく)
(このために、女神さまは力をくれたんだ)
泣き続ける優太を決して離さないよう強く抱きしめ、歩羽は少しだけ目を閉じた。
(私は、最初から飛べる体になっていたんだ。でもこの力の悪い面しかみていなかったから、いままで気づかなかっただけ)
(ゆうくん――)
(私が、絶対に守ってあげるから)
そう強く念じてから、歩羽はゆっくりと目を開く。
自分の中の迷いや恐怖を完全にふり切るため、歩羽は大きく息を吸った。
そして――
「歩羽、
飛
び
ま
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す
!
!」
意を決するように叫ぶと、歩羽は優太をかかえたまま――
室外機を蹴り、
手すりを蹴り、
晴れ渡った青空へ舞い下りていった。
なにかから逃げるためではなく、思い描いた未来へ行き着くために。