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sub.12 窮地

「きゃあっ!?」


 思わずのけぞる歩羽。


 優太だけは手放さずにすんだが、あまりの火の勢いに、歩羽は腰が抜けたまま後ずさることしかできなかった。


 さらに右前方から熱気。


 みると、姉の部屋があったはずの一角の床から、おそろしいほどの量の火が噴きあがり、まるで巨大な生き物のように踊り狂っていた。


 姉の部屋の真下は居間。いままでくすぶっていた炎が、どこからか酸素を得て一気に二階まで燃え広がったのだった。


 フラッシュオーバー。


 局所的な火が、数秒の間に室内全体に広がる現象。


 火が部屋の外に届いた瞬間、それまで熱せられ温度の上がった周囲の物全てへすぐさま燃え移る、急激な延焼火災。


 そんな言葉も理屈も知らない歩羽は、爆発音による衝撃と、炎の海になった階下に、ただただ頭がパニックになっていた。


 一瞬にして地獄絵図と化した一階。


 丁寧に手入れされた純白の壁は黒ずみ、木の柱はさらなる炎を生み出す火種になり、ゆらめく橙色が瞬く間に視界全体に広がっていく。


「ああ……ああ……」


 逃げ道が、なくなった。


 一階へ降りる階段は炎に包まれている。とても降りられるような状況ではない。


 二階も見る間に炎が広がる。火種を求めて歩羽と優太へ悪魔の手をのばそうとする。


「逃げないと――。逃げないと――」


 そう自分に言い聞かせながら、歩羽は優太をもちあげ、力の入らない足をむりやり立ち上がらせる。そして残る上階――三階へ続く階段へ向かった。


 そのときになってようやく、歩羽は押しつぶされ、身を切られるような感覚に気づいた。


 それは人生で初めて歩羽が味わう、死の恐怖だった。






 階段を三階まで上がる。この家の最上階。


 だが火の勢いがここまで迫るのも時間の問題だった。


 歩羽は三階で、火の手から一番遠い場所に向かった。


 家の表側にある、ベランダ。


 歩羽はときおり肌をなでる熱気に焦りを感じながら、ベランダにつながる部屋へと急いだ。


 ガラス戸からベランダに出られる六畳ほどの小部屋は、ふだんあまり使われておらず、中は少し物が置かれているだけのさっぱりとした空間だった。


 一度、年の離れた姉に見晴らしのいいこの部屋のベランダに連れてきてもらったときのことを、歩羽は思い出していた。自分の町をどこまでも遠く見渡せる美しい景色が、歩羽の記憶に強く刻みつけられている。


 部屋の扉を開け、ガラス戸のカギを開けてベランダに出る。


 コンクリートの塀に囲まれた細長い空間。南向きのベランダは晴れた今日も心地よい日差しが照りつけ、はるか遠方まで自分の住んでいる町並みが見下ろせる。


 だが当然、いまの歩羽に景色を楽しんでいる余裕はない。


 歩羽はベランダの隅へ逃げこんだ。優太は状況がいま一つ飲みこめていないのか、腕の中でずっとおとなしくしている。


 火から最も遠いところまで逃げ込んだ。とはいえもう逃げ場はない。あとはじっと助けを待つしかなかった。


 歩羽はサイレンの音が聞こえないことに気づいた。光里に頼んでいた消防車がきてくれることを歩羽は期待していたが、道が渋滞しているのか、まだ近くにもきていないようだった。


 階下の炎が視界に入る。塀越しにみえる火の手が、歩羽の希望を打ち砕くように迫ってくる。歩羽のいる三階に手をかけるまで、そう時間はかからない。


 炎はみるみる成長し、自分たちのいる場所まで近づいてくる。このままでは、消防車が到着するまでとてももたない。


 逃げられない――。


 歩羽は絶望感に打ちひしがれ、ベランダの奥に力なくしゃがみこんだ。


 目に涙をうかべながら、押しつぶされそうな恐怖にじっと耐える。だが助けてくれる者は、歩羽の周りにはだれもいなかった。


 歩羽は優太を抱えながら、自分の無謀な決断を後悔した。


(探し始めるのがもう少し早かったら――二階にいる可能性にもっと早く気づいていたら――)


(ゆうくんを助け出して、すぐに出られたかも)


(そもそも、私一人で火事の中からゆうくんを助けようとしたのがいけなかったのかも)


(まただ……。私のやることはいつもそう……いつも裏目ばっかり……)


(やっぱり私は、ダメな人間なんだ。この前の告白と同じ……。こんな小説のヒロインみたいなこと、しちゃいけない人間だったんだ――!)


 ベランダの冷たい塀を背にうなだれる歩羽。その目に、三センチだけ浮いたソックス姿の両足が映った。


 変わることのない、三センチ。


 勇気をふりしぼり、これが自分の殻を破ることだと信じ、優太を助け出そうとした。それでもやはり自由に飛べる力など身につかない。


 歩羽はうるむ視界の中、なんの役にも立たない力を恨んだ。


(殻を破ったって、どうにもならない――)


(羽根なんて生えない。消防車はまだこない。私はここで死ぬんだ)


(神さまのうそつき……!)


 顔に感じる熱風が、火の手が間近に迫っていることを容赦なく知らせる。


 もう耐えられない。恐怖と絶望に心を失くした歩羽は、ついに声をあげて泣きだして――


「ウエーーーーーーーーーーーン!!」


 そのとき。


 歩羽の腕の中でおとなしくしていた優太が、とつぜん泣きだした。


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