sub.11 火中の捜索
歩羽はカバンから取り出していたハンカチで鼻と口を抑えながら、慎重に、かつすばやく居間に近づく。
火事のときに一番注意しなければならないのは、火ではなく煙を吸い込むことによる一酸化炭素中毒だと、歩羽は学校の避難訓練で聞いたことを思い出していた。
できるだけ低い姿勢で廊下を抜け、祖母の言っていた居間へ――。
パチパチとなにかが燃える不気味な音が耳に届く。居間と廊下を仕切る引き戸から、歩羽はガラス越しに中をのぞいた。
倒れた旧式のストーブ。それを取り巻くようにいくつかの火が見える。だが想像よりも火の量は少なく、簡単に中を見通せた。優太は――いない。
(――よかった。居間にはいない)
(じゃあ、隣の部屋とか――)
(早くしないと、火が回ってくる――)
「ゆうくん! ゆうくーん!!」
歩羽はしばらく自分でも聞いていなかったほどの大きな声を張り上げながら、優太の姿を探す。
勝手知ったる祖母の家。
歩羽は居間とつながっている和室から、祖母の自室、台所、浴室と、手際よく部屋を確認していった。
だが、優太の姿がみつからない。
二分とかからず、歩羽は全ての部屋を確認したが、優太はなぜかどこにもいなかった。
「どうして……?」
もしかして、どこかの部屋で見過ごしたのか――。
出火からかなりの時間が経過している。居間の火もさきほどより一段と強い。すぐにでも家を出なければ危ない状況だった。
あきらめきれない歩羽。そのとき彼女の目に見えたのは、上階へあがる木目の階段だった。
二階へ上がる階段は、玄関から続く廊下から上がるのが通常だが、引き戸を開ければ居間から直接上がることも可能だった。
(火の元は一階だけど、もしかしたら――)
(ハイハイ歩きしかできないと思ってたけど――)
(でも一階は全部見たし、もう上しか――)
歩羽は階段に足をかける。だがその先へ行くことをためらう。
いま二階に上がってすべての部屋を確認する時間はあるか。
わずかな逡巡の後、歩羽は迷いをふりきるように駆けあがった。
(ここまできたら――)
(とことん、殻を破ってやる……!)
二階には、姉夫婦それぞれの自室、そして寝室があった。
――寝室。
その言葉に思い至り、歩羽は直感した。二階へ上がり、まず寝室へと向かう。
(ゆうくんは毎晩、お姉ちゃんの寝室で寝ているはず)
(もしかしたら――)
歩羽は床から浮いた足でひたひたと音もなく廊下をめぐり、寝室の前までくる。扉がわずかに開いているのが見える。だれかが出入りした形跡だった。
祈るような気持ちで、歩羽は扉を開け放つ。ベッドがきれいにしつらえられた部屋に入り、辺りを見回す。
すると、ベッドの裏側、部屋の一番奥に――
優太の姿が、あった。
行き場を失って、わけもわからないまま静かに泣いている小さな甥っ子の姿を、歩羽は見つけた。
「ゆうくん!」
歩羽はすぐさまかけよると、優太の体を抱き上げた。
「よかった――!」
歩羽はきつく優太を抱きしめる。泣きじゃくっていた優太は、歩羽に抱えられると安心したのか、とたんにおとなしくなった。特にやけどやケガもないようだった。
歩羽は胸をなでおろすのと同時に、炎から逃れようと二階まで自力で上ってきた甥っ子の成長に驚いた。
「えらいね。よくがんばったね」
やさしく声をかける歩羽の笑顔をみて、優太もはしゃぐように笑う。いまの状況を理解していないがゆえの無邪気さを、歩羽は愛おしく感じた。
「よしよし。じゃあお姉ちゃんとすぐにこの家から出よ――」
そのときだった。
歩羽の耳に、すさまじい爆音が響いた。
居間の炎がなにかに引火したのだろうか。家全体が揺れ、歩羽は宙に浮いていたにもかかわらず周囲の景色から足元をおぼつかせた。
「なっ、なに!?」
嫌な予感がし、歩羽は優太を抱えたまま、あわてて階段の下をのぞきこむ。
その目に映ったのは、下階からすさまじい勢いでふきあげてくる、おびただしい数の炎だった。