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sub.10 決断

 すぐに歩羽は玄関に向かった。さきほどまで家に上がるのをためらっていたことなど頭から吹き飛び、歩羽はクツを脱いで家に入る。廊下の奥に、祖母が横たわっているのが見えた。


「おばあちゃん!」


 駆けよる歩羽の後ろから、光里と篤も続く。祖母は苦しそうな顔で起き上がろうとするが、すぐに苦もんの表情を浮かべて倒れてしまう。どうやら足を痛めて動けないようだった。


「どうしたの、おばあちゃん!?」


「あ、あゆはちゃん……? ああ、たいへんじゃ! あたしゃたいへんなことを――」


「たいへんって……?」


「あたしがちょっと目を離したすきに、優太がストーブを倒してしもうて……気づいたときには居間が燃えておって……。助けようとしたんじゃが、段差につまずいてしもうたんじゃ……」


 驚きに目を見開く歩羽。家の奥にある居間を確かめると、オレンジ色にゆらめくものがガラス越しに見える。部屋からたちのぼる煙は、さきほど家の外でみたものよりずっと濃くなっていた。


「じゃあ、ゆうくんは……」


「まだ……まだ部屋の中じゃ……。居間にはもう入れなんだ……。ああ、あたしゃなんてことを……」


 全員の顔が真っ青になる。


 あの中に、まだハイハイしかできない優太が――。


 そう思う間に、一階のガラス窓の割れる音が聞こえる。事態は一刻の猶予もなかった。


「どうしよう……どうしよう、お姉ちゃん!」


 いつもは姉に対して強気な光里が、初めて目の当たりにする火事にややパニック状態になっていた。


「――消火器。消火器はないのか?」


 なんとか冷静さを保とうとしている篤が声を上げる。


 消火器、と言われ、歩羽は記憶を巡らせた。だが祖母の家で消火器を見たことがない。祖母に尋ねてみるも、やはり在処を――そもそも消火器がこの家にあるのかどうかも知らないようだった。


(どうしたら――)


(どうしたらいいの?)


(とにかく、ゆうくんを助けに――)


 そう考えるも、目の前で起きている火事への恐怖が、歩羽の足をとめていた。


(――助けに行きたいけど、居間に入るのは危険だし……どうなってるかわからないし)


(とりあえず、消防車を呼ぶのが先――)


 迷っている歩羽の耳に、泣き崩れる祖母の声が聞こえた。


「優太……ごめんよ……優太……」


 いつも優しい目で歩羽を見守ってくれていた祖母が、これまでになく取り乱している。その弱り切った様子に、歩羽は胸がしめつけられた。


(そういえば、ゆうくんは旧式のストーブに興味があったんだ。いつも触ろうとして、熱いから私が止めて――)


(きっと、手でのりかかったときにバランスがとれずに倒しちゃったんだ……)


 まだ生まれたばかりの甥っ子。ハイハイしかできない小さな子ども。


 大きく燃え上がる火など、見たことがないはずだった。


 いつも自分があやしていた優太。


 いつも自分が癒されていた優太。


 きっとわけもわからず、泣きながら逃げ回っているにちがいない。


 炎に囲まれて逃げ道を失くした甥っ子の姿を想像し、歩羽はいてもたってもいられなくなる。そんな歩羽の頭に、別の声が響いてきた。


 ――このまま消防を呼んで家から逃げることが、本当に正しい判断なのか。


 ひょっとしたら、助け出せるはずの甥っ子を、いまこの間にも見殺しにしているのではないか――。


 歩羽はもう一度居間の方をながめた。煙は漏れ出ているが、その部屋以外からはまだ火の手が上がっていない。


 一階をのぞいて回るだけなら、できるかもしれない――。


 歩羽は祖母の家のレイアウトを頭の中で思い描いてから、確信を込めてうなずいた。


「私、ゆうくんを探してくる。光里はすぐに消防車を呼んで。上室君は、おばあちゃんを家の外へお願い」


 歩羽の言葉に、光里は一瞬、なにを言われたのかわからないようだった。


「えっ、お姉ちゃん――?」


「すぐ戻ってくるから。光里は上室君と一緒に家を出て」


 光里が、信じられないという顔をした。


「ちょ、お姉ちゃん、ウソでしょ……?」


「ちょっとのぞいてくるだけだから。大丈夫」


「だ、ダメ、お姉ちゃん! いっちゃダメ!!」


「あっ、篠崎!!」


 背中から届く光里と篤のあわてた声を無視し、歩羽は居間に向かって駆けだした。


(ゆうくんを、助けださなきゃ――)


(ゆうくん……!)


 自分にとって大切なものを救うために、きわめて危険な状況に、歩羽はみずからの判断で飛びこんでいった。




『ちゃんと空を飛べるようになるわよ。自分の殻を破れば、ね』




 これが女神さまの言っていた「殻を破る」ということなのかもしれない。そう思いながら。


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