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ワールドアパート1/ハムレットの笛吹き少女   作者: ジント
3F 深夜のコンサート
11/32

301

 二十分後、途中で降りだしてきた小雨に打たれながら《《職場》》に到着した季人は、いつもより早足で……なんて事は全然無く、いつも通りにアパートの廊下を進み、玄関扉を開けた。

「お帰り季人」

 その先では、パソコンのモニターから目を離さず、ウィルが高速でキーボードを操作している。

「お待たせ。 てか、毎回言ってるけど鍵ぐらい閉めろって。 ほら、御伽の携帯」

 ポケットから取り出したそれをキーボードの隣に置く。 そこで初めて、ウィルは忙しく動いていた指を止めた。

「ありがと。 さてと、それじゃあトイボックスの中身を見てみようか。 手掛かりになるものが入っていればいいんだけど」

「メールとかはなるべく見ないでおいてやってくれよ」

「季人が女性に気遣いを見せるなんて……そんな甲斐性があったことに驚きだ」

「御伽に配慮っていうより、俺たちの命に関わるからな。 女の秘密を暴くことは、オカルトの謎を解き明かすより危険だろ」

 最悪の場合、人肉サンドバックにされた挙句、神道の力をもって冥府魔道に堕とされるかもしれない……。

 これが冗談では済まない事が、長年の付き合いから季人には分っていた。

「へはは。 そりゃ元ハッカーだけど、覗く対象くらいの分別は弁えているさ。 ただ、今はそれなりに一刻を争う事態だ。 いざという時は開かせてもらうよ」

 ウィルは御伽のスマートフォンを手に取り、ケーブルに接続する。

 鼻歌を歌いながらデータフォルダを次々と展開し、中に入っていた情報をモニターに表示していく。

「確か、彼女が居なくなったのは昼休みって言ってたね」

「そうだな」

「なら、その辺りのログを追ってみようか。 もしかしたら、そこにアクションを起こした切っ掛けがあるのかもしれない」

「御伽の友達が言うには、登校中に進められた音楽が気になっていたって話だ。 いや、ごり押しされた、だったか……」

「なら、音楽サイトか、ダウンロードが出来るマーケットってところだね。 その、御伽ちゃん達が何の話題で盛り上がっていたのかは分かるかな?」

「いや~そこまでは聞かなかったな」

「そっか。 まぁ、開いていけばそれも分かるかな。 まずはそれらしいホームページは……っと」

 モニターに表示された検索ログにURLが表示され、ウィルがそれをクリックする。

 ブラウザが自動的に起動し、全画面で現れたのは案の定、音楽関連のホームページ。

 《《アンテモエッサ・ラウンジ》》という名のヒーリングミュージックを扱う配信サイトだった。

 そのTOPページを見た季人の第一印象では、青と緑を基調とした、しかし特に珍しくもなさそうな、よくある音楽専門サイトのように見えた。

「ここで、御伽は話題にあがった音楽をダウンロードしたのか?」

「そうみたいだね。 そこでインターネットの使用は終わってる」

「ふ~ん。 にしても見たことも聞いたこともないな」

 普段からネット漁りをしている季人も、初めて見聞きするものだった。

 もっとも、季人自身それほど音楽に執着がある方ではないが……。

「僕も始めて見るよ。 けど検索してみたら意外と注目されてるサイトみたいだ。 いやー、僕らも見習いたい位の周知度だね~これは」

「おっと~本当の事だけどそれ以上はやめておこう。 まるで自分たちがアングラに分類されるみたいだ」

 実際その通りではあるのだが、表だって言われると気が滅入るのだ。

「それでウィル、その音楽サイト、展開は自社のネットだけなのか?」

「みたいだよ。 通販系ではどこも検索項目にヒットしないし、ネット上の評判でもそう書いてある。 これまでに出しているタイトルの数が五つで、一つに大体十曲前後。 メインはフルートによる旋律で、自律神経、交感神経をリラックスさせる効果があるって宣伝&ふれこみだ」

 古来から音楽にリラクゼーション効果があることは認められている。

 音楽療法と言われるそれは、遡れば旧約聖書にその記述があるくらいだ。

 耳から入る波長は、心身への影響力があると既に実証されており、戦地においては負傷からの回復速度が上がったり、身近なものでは治安の悪かった地域にクラシック音楽を流したら治安が回復したという話もある。

 絵画に代表される視覚からとらえる物もまた然りではあるが、芸術、嗜好とは、そういうものだ。

 心の振幅を操作し、心は体に影響を及ぼす。

 名画も詩も漫画も花も、服も音楽も料理も、感情を揺さぶり身体機能の向上、または低下を促す。

 アンテモエッサ・ラウンジは、数ある芸術の中で音楽を選択し、世界に発信している数ある専門サイトの内の一つというわけだ。

「本当にネット評判だけで広まっていったアーティストなのか? コンサートとか、ライブとかそういうの一切無し?」

「うん。 掲示板とかにもそう書いてあるね。 だから奏者の顔も、一度だって人の目には触れてないみたいだ」

「……一度も、誰にも見られた事が無いとな?」

 季人の目が見開かれる。

 確かにダウンロード用の音楽のジャケットには人の姿も写真もない。

 そして、ホームページにも一つとして奏者の姿を表したものはない。

 徹底した秘密を有しているとなれば、音楽に興味が無くともその一点に魅入られてしまう男がここに居る。

「その感じは何か惹かれるものがあるな。 けどメインは音楽だって言っても、一枚くらい写真があってもいいんじゃないか? 演奏者、セレン・レイノルズってのは、名前の感じからして女なんだろうけど」

 どのジャケットをクリックしても、タイトルの直ぐ下にはその名前が記載されている。

 そして、セレン・レイノルズと言う名前を検索してみても、写真はおろか、関連する画像にも、その姿は映っていなかった。

「う~ん。 多分イメージ戦略とかなんじゃないかな。 聞き手に任せてるんだよ、きっと」

「なるほど。 最近じゃ音楽ソフトに歌わせてるくらいだからな。 言われてみりゃありかも」

 デジタルの歌姫がオリコンに登場するのだから、姿の見えない奏者が居ても可笑しくはない。

 これで筋骨隆々のむさっ苦しい男とかだったら……いや、それはそれで何か面白そうだが。

「僕も気にはなるけどね。 まぁ、これだけ認知度が上がってきたんだ。 その内表示されるんじゃないかな」

「もしかしたら、それこそイメージキャラクターとして出てくるという可能性も……」

「あぁ、季人の言う事は十分あり得るね。 音楽そのもので勝負している所が売り上げメインの考え方を持っているとしたら、演奏者のイメージなんて二の次だろうし、開示するにしても都合よくデフォルメされてるかもね」

 となると、CGとか使った女神的なサムシングになるかもしれない。 ひょっとしたら翼が生えていたり、後光を発していたりするのか……。

 季人は何となく想像して、それを肯定的に受け入れた。

「ヒーリング系ミュージックだからな。 いいんじゃねぇのそれで。 実際、そんなもん出さなくてもダウンロード件数は順調に延びてるんだろ」

 結果を残しているんだったら、別に何をやっても構わないだろう。 軸のブレた迷走さえしなければ。

 いつかは自分たちもそうなりたい所だと季人は思う。

「へはは、違いないね。 季人の言う通りだ」

「で、話を戻すけど、その友人が言うには、御伽はイヤホンを耳に挿してたって話だ」

「そして、このサイトの音楽を聴いた直後に、学校からいなくなった……と」

「多分な」

 ていうことは、この音楽に何か御伽がいなくなった秘密が隠されているのか?

 ワールドアパートの管理人的考え&季人の希望的観測から第一に頭に浮かんだのはそれだった。

「……はは、いやいや」

 鼻でそんな考えを笑い飛ばそうとするも、好奇心が後ろ髪を引っ張り続ける。

 季人はまさか、と思う前に、無性にその音楽を聴いてみたいと思った。

 音楽が人を動かすというのは、それほど不可解な事ではないんじゃないか?

 その音色やテンポ、波長が人の精神を揺さぶり、感情が動き、やがて気付かぬ間に意識と五感を乖離させる。

 催眠状態への導入にも有用なメロディーなら、状況や環境が整えば、それ単体での催眠誘導も可能なのではないか。

 完全にオカルト領域の気もするし、心理学的根拠に基づいているようにも思う。

 思うが……。

 何より、催眠術にかかったことのない季人からしたら、それはもはや未知の体験であり、性格と性分上、高ぶる感情を押さえるのは困難と言えた。

 そんな季人の顔を見てウィルが察したのか、苦笑いを浮かべていた。

「季人、気持ちはすごく分かるけど、今は聞かせられないよ」

「……?」

 季人の脳内では、キカセラレナイヨという言葉は意味のある単語としては処理されなかった。

 ただ、何か自分にとって不都合な事だろうとはパン屑程度の関心を持って理解した。

「いや、異国の言葉を聞いたみたいな顔をされても駄目なものは駄目……って、ああ!?」

 ウィルが言い切る前に、季人はパソコン上に表示されている楽曲の横にある試聴の再生ボタンを押していた。

「ちょ、ちょっと季人! ミュート! ミュート! まず調べてからでないと……っ!?」

「ふんっ!!」

 季人はウィルが操作しようとしていたキーボードとマウスのUSBの接続端子を、百人一首のプロ顔負けな手捌きで引っこ抜いた。

「NOーーーーー!!」

 ウィルが慌てふためいている中、モニターの左右についているスピーカーから季人の耳に入ってくるのは、目を瞑れば草原を吹き抜ける風を体感させてくれるような、何処までも透明で聴く者の体を通り抜け、もしくはそのまま蒼空へと一緒に運んでくれるような笛の音だった。

 それは確かに、聞く物を癒してくれるであろう音楽だと思った。

「……」

 思ったが、しかし、少し聞いてみた結果は所詮そこまでの物であり、季人が想像していたような催眠状態、酩酊状態になるようなものでもなければ、何かメッセージ性のある物でもなかった。

 そして、自分の感受性の無さを季人が嘆いている間に、ウィルがモニターの下部にあるボタンでスピーカーの音量を消音にしたところで、季人の興味は消失し、もう一つある椅子に意気消沈したかのように腰掛けた。

「はぁ、はぁ。 あ、あいかわらずの無鉄砲ぶりというか破天荒というか、君はもう少し石橋を叩くって事を覚えようとは思わないのかい?」

 マウスをつなぎ直し、キーボードを所定の位置に戻しながらウィルは呆れ顔を季人に向ける。

 しかし、内心ではこうなる事は少なからず予想出来ていた事だったので、むしろ事前の配慮を怠った自分にウィルは溜息をついた。

「分かるだろウィル。 俺は叩いて知りたいんじゃない。 踏み抜いて感じたいんだ」

 季人の言い分に、ウィルはもしも目の前に地雷源があったら、取りあえず忠告する前に自分が処理しておこうと思った。 切実に。

「で、結局は特に珍しくもない。 普通の音楽だったな。 いや、確かに心地良くはなるけどさ」

 季人は落胆していた気持ちを直ぐに切り替え、実証と称した暴挙の感想を口にする。

「……僕らには影響が無くて、御伽ちゃんには在ったって事は、つまりはそういう仕掛けがあるのかもね」

「……俺らと御伽の違い? 何だ、性別と年齢か?」

 他に何がある? 暴力的なところか? 攻撃的なところか? 破壊的なところか?

 それとも、付いているか、いないか? いや、それなら性別で……。

 どんどんと脱線していきそうな季人の思考ループではあったが、それをウィルが答える事によって緊急停止させる。

「以外とそういう単純な物かもしれない。 情報が少ない今、複雑に考えていても仕方がないし、初めはそんなものだと捉えておこう」

「先入観は我らワールドアパートには禁物だからな」

 未知を探求するホームページを運営している身としては、それは信条である。 これだ、と決めつけて、想像の幅に限界を作ってしまうのは愚かな事だ。 もとより、面白くないのだ。

「へはは。 そういう事。 もちろん、理論や知識のもとで検証していくのは大事だけどね。 検証とは疑いの要因を取り除いていくものでもあるし」

 バカ正直に信じていくばかりではなく、疑惑の目を持つ事も、確度を確かな物にするのに必要だ。

「例えば年齢でこの問題を捉えるとすると、初めに思いつくのはモスキート音だね」

 モスキート音。

 人間は年齢によって聞こえる波長、聞こえなくなっていく波長という物がある。 若い時には聞こえたのに、年齢を重ねるにつれて聞こえなくなっていく高周波をモスキート音という。

 厳密には、二十代後半になると18KHz程度の音は聞こえなくなる。 しかし若者、十代から十代後半には、キーンという耳障りな音が聞こえる。 それがモスキート音と言われる、一種の撃退用システムに利用されるものだ。

「それって、基本的には不快な周波数を利用するんじゃなかったっけ? ヒーリングミュージックにそれが使われているってか?」

 全く相反する、まさに天使と悪魔の様にすっぱりと真ん中から両断できるカテゴライズだろう。

「利用目的としては、それが代表例。 飲食店やコンビニの店内外にたむろする若者用っていうのがね。 けど、音楽を聞かせたいターゲットを絞り込むのであれば、これほど有用な物もない」

 年齢という枠でターゲットを絞り込むのならば、それもありかも知れない。

 だが、これはまだ仮定の話だ。 ウィルの言うモスキート音が全てでは無いだろうが、かと言って、何かしらあたりをつけないと先に進めないし、議論も進まない。

「……じゃあ、仮にモスキート音が利用されているとして、もう少し対象を絞り込む必要があるよな。 この音楽がどれだけの人達に聞かれているか知らないが、若者全員を催眠状態にもっていくわけにはいかないだろう? もしそうだとしたら今頃捜索願の書類で警察署が溺れちまう」

 季人の言葉にウィルは頷いて同意を示す。

「……となると、聞くハードに原因があるのかな?」と、ウィルはパソコンに繋がれたままのスマートフォンに目を向けた。

「え~っと、季人、これは最近のモデルなのかな?」

「現行では最新モデルだな。 今CMでもやってるぞ」

「ふ~ん。 あぁ、言われてみればそんな気がしてきた。 まぁ、僕が見たのは電気街でだけど」

 ウィルがパソコンを操作して御伽のスマートフォンの情報を検索する。

 結果は直ぐにモニターに表示され、販売、製造場所からスペックの一覧までが表示された。

 グローバルに展開している有名な大手電機社から出している最新機種。 T‐17S。

「ふむふむ。 このモデルは高性能な新型サウンドデバイスが売りみたいだね。 これは、ますます胡散臭くなってきたね」

「……」

 季人の視線が自然と御伽のスマートフォンへと向く。

 その眼は兎を視界に収めた獅子のものだ。


 ――サウンドデバイスが売り……という事は、これを通してさっきの音楽を聴けば……。


「先に言っておくけど、絶対にこの携帯は渡さないから、そのつもりでね」

 ウィルが気配を察知して即座に釘を刺す。

「……あいよ」

 流石に先ほど強引な手段を講じた為、二度目は引き下がるしかない。

「え~と、何々、手がけてるのは……おお、サウンドメディカル」

 もやっとその名に該当するものが季人の頭の中に浮かび上がりそうだったが、像を結ぶまでには至らない。

「聞いたことあるけど、何だったかな……ダメだ、思い出せねぇ。 どこで聞いたんだったか、テレビかネットか……人伝って事は無いと思うんだが」

 腕を組み、目を瞑って考え込む季人だったが、爪の先ほども頭には浮かんでこない。

 だが、頭脳担当のウィルはそうではなかったようだ。

「医療に対し聴覚からアプローチをしているメーカーだったかな。 医療機関としては最近になって知れ渡ってきたみたいだね。 会社自体は結構前からあるんだけど、手掛けている分野がアングラ……いや、先進的でかつ医療分野って時点で、そうそう一般の目に触れる機会なんて無いだろう」

 ウィルはスラスラと概要を口にして、触覚の様に伸びた自身の前髪を人差し指でピンと弾く。

 季人はウィルに関心の目を向ける。

「よく知ってるな。 流石は我が相棒」

 この情報社会において、その天才的な頭脳はそんな普段の生活には決して役に立たない、どうでもいいレベルの分野にまで精通しているとは……。

 季人は褒めているのかそうでないのか微妙な感想を抱きはしたが、それも直ぐに霧散する。

「うん。 大体Wikiに書いてあるから。 ほら」

 そう言ってウィルがモニターを指さしたからだ。

「……」

「……ん?」

 一拍の静寂がむさ苦しい男二人の部屋の時を止めた。

「いや、別に」

「まぁどちらかと言うと、音楽を通して人の心を落ち着かせたり、身体機能に波長を利用して呼びかけるメンタルカウンセリングに近いのかもね」

 それはまるで、先ほど調べたアンテモエッサ・ラウンジと殆ど同じうたい文句だ。

 だが、ひとまずその思い付きは頭の片隅に除けておき、メインとなる問題を解決するべきだろう。

「さっき話に出たサウンドデバイスに対する技術もあるのか? 電子機器に強いとか、随分と新進気鋭なメンタルカウンセリングの会社だなおい」

「wikiにも自社のホームページにも、どこかと提携したとかいう情報はないね。 独自開発じゃないかな」

「へ~」

 医療系に限らず、会社が自社の利益を上げるには営業成績を上げる必要がある。 そして、急速に、爆発的に成果を上げるには自社ブランドの開発と、勢力拡大が不可欠。

 サウンドメディカルも、何かしらの手を打ったという事だろうか。

「それでね、このサウンドメディカル。 一枚噛んでるのは間違いなさそうだよ」と言うウィル。

「そうなのか?」

「都庁前駅の監視カメラをいじる時、録画データとは別に、職員達が日常的に触れる操作ログの情報を吸い出しておいたんだよ。 それで、季人が駅からここまで来る間に、ざっと目を通しておいたんだけど……サウンドメディカルの入場記録がね、入ってるんだ」

「マジで!?」

 御伽が使っているスマートフォンのサウンドデバイスを作った会社が、失踪事件の現場に来ていたというのは、ここ一番に有力で、実りのありそうな情報だ。

 全く接点がなさそうだったものが、気付かないところで繋がっていたというのはかなりアツい。

「うん。 駅構内の定期検査の項目に名前が入ってるんだ。 その時じゃないかな、カメラの映像データを遠隔から改竄できるようにしたのは」

 ウィルはキーボードとマウスを操作し、タスクに仕舞われていた動作中のシステムを最前面に表示する。

 季人の目には英語訳の小説を思わせるアルファベットの羅列としか映らないが、それがウィルの言うデータ改竄用のプログラムなのだろう。

「けどウィルはそういう下準備がなくても操作出来ただろ? やっぱり、普通はそういう仕込みが必要なのか?」

「あ~、それはね季人、少し違う。 まぁ時間があれば出来ない事も無いよ。 けどさっきは時間がなかったし、そのデータを改竄できるソフトを間借りしたんだよ」

 それはそれで凄い事なんだろうなと季人は思ったが、今目の前にいる男はこうみえてジャンクフード好きの凄腕ハッカーだ。 自分には逆立ちしたって出来そうもない事も、ウィルなら鼻歌交じりに出来るのだろう。

「その定期検査の時にあわせて、構内スピーカーの点検もやってるね。 きっと、本当はそっちがサウンドメディカルにとってキモなんだろうけど」

 それはつまり、監視カメラのデータ改竄はあくまでも対象者を誘導する際に証拠が残らないようにするための処置。

 本命は、サウンドメディカル自前のスピーカーを利用したより強固な催眠誘導か。

「季人、これはあくまで想像だけど、携帯端末に頼っていた催眠効果より、構内に設置したスピーカーの方が効果が強力なんじゃないかな」

「俺もそう思う。 ……あぁ、だから不要になった携帯は捨てたのか」

 もしくは、携帯を持つという行為すら失わせるだけの強い催眠状態に陥ったか。

 真相は分らないが、考えている方向性は間違っていないはずだ。

 季人がそう思っていたところで、ウィルがパチンと両手を会わせ、これまでの流れと空気を一度区切る。

「とにもかくにも、こんな真夜中に前後不覚な女の子を放置しておく事は出来ないからね、さっさと連れ戻しに行こうじゃないか」

「その意見には俺だって諸手をあげて賛成したい。 けど、忘れちゃいませんか? 肝心要の御伽の行き先も場所もまだ分かってないんだぜ?」

 おどける様にしてそう口にする季人に、ウィルはそれに輪をかけて、しかし胸を張って返した。

「おおっと、忘れちゃいませんか? この私、こう見えてプログラミングにかけては腕に自信があるのさ」

 ウィルがタタンッとキーボードを操作すると、モニターに新宿を中心にした簡易マップが表示された。

「もしこれまでの失踪者達を含め、御伽ちゃんが催眠誘導で攫われたってんなら、当然駅構内のみならず、町中のカメラだって偽装工作が必要だ。 警察も当然カメラは調べただろうけど、そこから居場所を特定出来なかった事を察するに、そっちもデータを弄られていた可能性が高い。 で、駅構内のみならず、町中に仕掛けられた監視カメラやライブカメラにその痕跡があるのなら、それをポインターとして追っていけば、おおよその居場所は簡単に見つかるさ。 まぁ、管理会社とオンラインになっているものに限るけど」

 改竄された痕跡は、言わば獲物の残した足跡と同義だ。 ならば、注意深くその足跡を辿っていけば、その先には必ず獲物が潜んでいるはず。

 こちらには、嗅覚の鋭い猟犬も、経験を積んだ狩人もいないが、デジタル情報の違和感を感じ取る事が出来るハッカーが居るのだ。

「そ、そんなのいつの間に……」

「季人がここに来るまでの間にツールを即席で組んで、今の今までバックグラウンドでシステムを走らせていたんだ。 それが、たった今終わった」

 ウィルがそう言うのと同時に、作業終了のアイコンが表示され、簡易マップにルート情報が表示される。

 駅構内、出口付近、駅周辺と、導火線の上を火がはしるかの如く、監視カメラの弄られた順に御伽が進んだであろう道筋がマーキングされ、最後にルートの途切れた場所が点滅する。

 スタート地点である都庁前駅からそれほど離れていない。 東に四百メートルといったところだ。

「まったく、昼のクッキング番組並みに手際がいいな」

 季人の褒め言葉に、まんざらでもないと鼻を鳴らすウィル。

「マップの記す最終ポイントを映した監視カメラが捉えた正午過ぎの映像は……ダメだ、ライブカメラしかない」

 町を見下ろすような形で民間のビル壁面に設置されたライブカメラは、二十四時間誰でもアクセスできる代わりに、リアルタイムの映像しか見れない。

「……ん? 季人、どうやら彼女、一度地上に出て、それからまた地下に入ったね」

 お役御免となったライブカメラのウィンドウを閉じ、移動予測経路を示したマップをチェックしていたウィルから声が上がる。

「その地下が見られる監視カメラは?」

 季人が言い終わると同時に、ウィルはキーボードを操作して該当箇所を調べる。

「……改竄されてるけど、このポイントなら他の位置にある監視カメラの録画データで……」

 簡易マップによるルート表示の最終地点。 それを遠距離から画面端に捉えたカメラが大画面で表示される。

 正午過ぎというだけあって、JR新宿駅にも近い地下道の人通りは多い。 企業ビルや専門学校の多い土地柄、社会人や学生の姿が多く見られる。

 モニターには他にも六つほど同時刻のカメラの映像が表示され、その全てをくまなくチェックする。

 しかし、どのカメラからも御伽の姿が確認できない。

「カメラの死角部分で、何処かの建物に入ったのかもしれないね」

「十分だぜウィル。 カメラの死角にある出入り口だっていうなら、このポイントだとそう多くはない。 ある程度特定は出来るだろ」

 最終ポイントからの最寄出入り口は数あれど、その中のいくつかは直接大型ビルの中に通じている。 他の出入り口となると必ずカメラに姿を晒す筈だから、可能性としてはその中のどれかという事になる。

「頼もしすぎるぜ相棒。 今度ハンバーガーの無料クーポン券を進呈しよう」と、季人はウィルの肩を叩く。 ウィルはそれに笑って答えた。

「実物をよこさず、さらには身銭を切らないところが実に君らしい。 けど、ありがたく頂戴しよう」

「よし、それじゃあ俺はこの御伽の姿が見えなくなったポイントに行ってくる。 やっぱ、情報は足でも稼がないとな」

 これ以上この場で出来る事は無い。 となれば、後は行動あるのみだ。

「あ、一応これ持って行って」

 ウィルの足元にあるガラクタBOXから取り出された、まさにガラクタとしか思えない物体。

 ヘッドフォンをかたどっているが、ヘッドフォンの機能を有しているかは分らない。

「何だこれ?」

 季人の問いに、ウィルは眼鏡を光らせる。

「秘密兵器さ」

 その言に、季人は言い知れぬ不安を抱えた気分になったが、ここで問答しているのは時間がもったいないと判断し、それをボディーバックに押し込んだ。

「行ったり来たりと季人も大変だね。 まぁ、身内の安否もかかっているし、当然といえば当然か」

「ま、そういうことにしておいてくれ」

 季人が玄関を出る間際、「まるで本心は違うと言いたげだね」と言う声が聞こえた気がしたが、扉のしまる音に殆どかき消され、季人の耳には入らなかった。

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