諸事情で衛生兵になったら上司がアップを始めました?
「イェルカ・アインス・ラーシュタイン。君との婚約を破棄する」
「そして傍らの方と婚約なさるのですね」
とある貴族の子息が集う学園で、銀髪の少女は静かにそう言った。相手は赤銅色の髪をした美男子で、傍らには愛らしい金髪碧眼の少女が居る。
銀髪の少女、イェルカはラーシュタイン公爵の娘であり、目の前に居る美男子、アルトの婚約者だった。アルトはこの国の皇太子であり、つまりイェルカは未来の皇太子妃だったわけである。
だが、何がどうなっているのか。アルトは侯爵の娘であるアイラを非常に可愛がり、イェルカを冷遇し続けていた。まぁ、婚約が決まった当初からアルトは生真面目で平凡な顔つきのイェルカを敬遠していたが。
「君は、アイラを散々苛めていたそうじゃないか。一言謝ったらどうだ」
眼鏡を掛けた美男子……アルトの双子の弟、カルマがそういうが、イェルカは肩を竦める。
「証拠もないのによく言えますね。私は学ぶ事がたくさんあってあなた方の邪魔をする時間など一切ないのですけれども?」
「証拠ならアイラの証言でも十分だろう?」
話にならない、とイェルカは首を振る。
「まぁ、呆れてしまいますわね」
「君には反省すると言う気持ちすらないのだな。二度と顔も見たくない! ここから出て行け」
アルトが声を張り上げる。イェルカは恨めしそうに彼を見ると静かに淑女の礼を取った。
「ごきげんよう、みなさま。正し、私、イェルカ・アインス・ラーシュタインは誓ってアイラ・リオ・クールズに一切危害を加えていないと宣言いたします」
そう言うとイェルカはその場を辞した。
* * * *
学園を自主退学したイェルカは、両親や兄を相談し、一ヵ月後には騎士団にいた。最初は見習いから始まるので公爵令嬢だろうが下働きからである。
「……何が悲しゅうて俺、元とはいえ皇太子の婚約者に掃除や洗濯を命令せにゃならんのさ」
「私は下っ端です。衛生兵としての騎士団入りを許可され、衛生兵長たるあなた様の下に配属されました。下働きを命じられるのは当たり前の事ですわ」
平民からのたたき上げで衛生兵長となったヴィオトオプのぼやきに、イェルカが真面目に答える。それに「いいから洗濯して来い」と自棄になっていえばイェルカは「はい」と凛とした返事で洗濯に向かう。その背中を見送り、ヴィオトオプはため息混じりに呟いた。
「イェルカってさ。国王夫妻のお気に入りだろ? だのにあの盆暗王子たちは侯爵令嬢の掌に転がされやがってさぁ」
「声、でかいです兵長」
傍らに現れた副兵長の女性フォッグは眼鏡を正して言葉を続けた。
「惚れた男を立てるべく頑張り続けたのに見向きもされなくて、それでも慕ってるから国民に尽したいそうですよ。私にだけ教えてくれたんですよ、彼女。く~、泣かせてくれるじゃないですか」
フォッグはしんみりとそう言えば、ヴィオトオプは頭を抱えて深いため息をつくと窓の外を見た。ちょうどここから王宮が見えるのだ。恐らく、長期休暇になっている今頃、アルトとカルマの双子は侯爵令嬢アイラと共に楽しく遊んでいるのだろう。だが、イェルカは他の見習いと一緒に下働きをしている。
「許されるならさぁ、あの盆暗王子どもを殴っていいか?」
「私としてはめっさ応援したいのですが不敬罪喰らいます、兵長」
ヴィオトオプの地を這うような声に、フォッグは静かにつっこむ。だが、それを聞いていたのか何処からとも無く他の衛生兵たちが現れた。
「やっちゃいましょうよ兵長!」
「あ、うち公爵ですけど兵長の発言支持しまーす」
銀髪の公爵令嬢が必死にに頑張っている姿にほだされたのか、彼女の生真面目さに心打たれたのか。短期間で平民出身だろうと貴族出身だろうと衛生兵たちに愛されているらしいイェルカ。同僚たる見習いたちも彼女の知識の深さを尊敬しているし、騎士の中にも彼女を擁護する者が居るぐらいだ。
「YOU! (擁護するから)やっちゃいなYO!」
とか言い出す者すらいる。しかも宮廷騎士の上層部……イェルカパパことラーシュタイン公爵その人である。
「いやいやいや!? いくら愛娘が婚約破棄されたからってそれはいけませんよ!」
さすがに楽天家のフォッグも冷や汗をかいてつっこみにまわるも、ラーシュタイン公爵はきっぱりといいはなった。
「ラークルから許可を貰ってきてるのだ。『馬鹿息子を一緒に殴ってくれる騎士大募集! 私刑でも可』って」
「陛下がストレスマッハでぷっつんしてる……」
フォッグが天を仰ぎ、ヴィオトオプは「よっしゃ」とガッツポーズ。そして盛り上げる衛生兵たち。それをみた見習いたちはぽかーん、としてしまい、イェルカはといえば慌てていさめようとしている。
「あのっ! 皆さま落ち着いてください!」
「落ち着いていられねぇよイェルカ! お前さんみたいなイイ女をないがしろにするなんざ男のやることじゃねぇ……」
バギボキと手の関節を鳴らすヴィオトオプ。傍らのフォッグは「いけー! やったれ衛生兵長!」とけしかけている始末。イェルカは顔をこわばらせるも、フォッグが肩をぽん、と叩く。
「あの、副兵長……?」
「頭に血が上った兵長を止められる人は陛下と貴方のお父様ぐらいじゃないかしら。ともかく、あの王子たちの冥福を祈りましょ?」
「?! おやめください! いくら陛下と私の父からの許可があるとはいえ」
「止めるな、イェルカ! 俺はあいつらに鉄拳制裁してくるんだ!!」
「よーし、パパもついてっちゃうぞー!」
「お父様は仕事に戻ってください!!」
イェルカの叫びは届かない。いい年こいたおっさん騎士と衛生兵長はるんるん気分で城へ向かう。回りでは衛生兵達が喝采で送り出し、一人イェルカだけが頭を抱えるのだった。
(終)
読んでくださり、ありがとうございました。
……気が向いたらまたやりたい、衛生兵長ヴィオトオプ。