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 ショーシャ領は温暖で、故郷と比べれば暑いくらいだった。

 カストルプよりも人が多い。

 色鮮やかで、賑やか。私を快く受け入れてくれるのを感じながら、ひとりが身に染みていた。自分の拳を握りしめながら、笑う。上手くやっていかないと、私が上手くやらないといけなかった。他には誰もいないから。



 ヴァシリー様が領内に着いてからは、挨拶も儀礼もそうそうに済ませ、お仕事に赴いていく。

 彼を引きとめようとして、でも何と言えばいいのか解らずに口をつぐんだ。親しくもなければ、どうしてほしいのか要求も思い浮かばない。思うに、私は実際に引きとめようとしたわけではなくて、とっさに心細くなっただけ。たぶん、そう。

 こんなことではいけない。気をしっかり持たないと。大丈夫、庇護されるような子供じゃないんだから。


「奥さま、わたくしどもがご案内させていただきます。早駆けでの移動はお疲れでしょう、お茶をご用意しておりますので、こちらへどうぞ。」

「お願いします。」

 私が執事頭のあとに続くと、屋敷の皆がそれにならった。

 ちゃんと出迎えられている。ないがしろにはされていない。屋敷の人間は、丁寧に勤めていると思う。真摯に。私もそうするべきかもしれない。死んでいるように生きないために。


 屋敷内を観覧しながら、このあたりの魔力が薄いことを見てとった。質は悪くないけれど、必要最低限の魔法。カストルプとは生活形態が異なる。私がここへ来たためにそうしているのかとも思ったけれど、お茶を淹れる仕草も、椅子を引く仕草も、一朝一夕ではない優雅さがあった。

 これがここの常なのかもしれない。

 カストルプでは魔法で為すことをショーシャでは人の手で行う。なんだか不思議。動作のひとつひとつが流れるようで、不規則、そして全てが予定調和。なんだかとてつもなく素晴らしい至高の芸術作品を創っているみたい。

 時間も動きも留まらないのに、凪いでいる。私の周りがそうなのか、私のほうがそうなのか、どちらでもあるとも錯覚する。ティーポットに添える手だとか、銀のトレイを持って一歩引いて立つ姿なんてなんでもないことなのに。取るに足らないことなのに。表現のされない芸術だった。

 私は想いを馳せるように、理解した。こういう場所で育ったから、ヴァシリー様は。


 何故だか、手の届かない美しいものを懐古する。私はそれを思い出としている。ヴァシリー様は美しい。きっと私の手には届かない。


 まるでお茶会のようなもてなしは心が早鐘をうつ。でもお腹はふくれない。浮ついた脈拍が体のあちこちをめぐっていた。

「北に近いデルの高山で生産されている茶葉です。ショーシャでは運動の後などに、よく飲まれております。」

 ティーカップからの涼しげな香りに、落ちつく効果でもありそうだった。おそらく私もショーシャ側も始めが肝心と考えている。これからどうやって過ごしていくのか。ヴァシリー様は好きにしてよいと仰られたから、相手方も出方を待っているのかもしれない。まったくの新天地が、こんなにも心の蔵が震えるとは思わなかった。不安とか心細さ期待や緊張などの、どれでもなくて、なにもなくて、ただ震える洞のようだった。

「お茶をありがとう。今日は早めに休ませてもらってもいいかしら。」

「ええ、ご準備いたします。その前にご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 流されるように、うなずいてみせる。

「奥さま付きの侍女の、リズ、タマラ、ニーナです。どうか、なんでもお申しつけ下さい。」

「そうですか、よろしく頼みます。貴方はスチュワートさんですね、どうぞよしなに。」

 ヴァシリー様に紹介されていた執事頭の名を示して、立ちあがった。私は貴方をみとめています、という意思表示だった。屋敷内で、主人以外の権力者をみとめるのは、きっと今後の私に優位に動く。でもそれ以上はできない。私が同じように、本統に、みとめられているとは限らないからだ。いったん休んで全てを整理したい。これからのために。

 用意された私室へ足を向けた。


 デルの高山は、人の手にあまる。カストルプでは鬼門としている。

 カップに口をつけたけれど、飲まずに霧散させるしかなかったことが、悔恨をのこす。

 カストルプの人間がデルの茶葉を飲めば、ただじゃすまない。毒に近い。そういうことを知ってて出したの?知らずに出したの?歓迎されているのか、されていないのか、もうわからなかい。

 最悪の結果を考えたくない。オリバーを思うのと、ヴァシリー様を思うのと、いろんな思いを抱いていたらお母さまたちの二の舞になる。失敗できない。絶対に守るべきものを守る。私は私のためにそうしなければならない。いろんな思いはキレイにとっておけないなら、信じるものをひとつにしないといけなそうだった。憧れとか感情なんてものは、信じるものじゃない。そんなもののために動けない。とるに足りないもののために、裏切るなんてできなかった。


 パチンっと指を鳴らして、身のまわりを整え始めると、息を呑むような、ため息のような音がして振り返る。粗相をしたのかもしれない。動きのすべてを落ち着かせて、なにもなかったように振舞おうと思った。

 侍女の反応に居たたまれなくて、なにとはなしに笑おうとしたけれど、うまくいった自信がなかった。なんでも侍女に申しつける、ということをしていない。ここはカストルプではないのだから、私が基準ではないって忘れていた。采配はしても大丈夫そうだけれど、実務はわからない。それぞれの役わりを奪ってしまったとして、溢れ出たものを受け止めきれないなら、奪わず役割をまっとうさせるべきだった。なんと言ったらいいんだろう。ないがしろにしてはいけない。そうだ。マナーや慣習を尋ねてみるのが、いちばん無難かもしれない、そう思って声をかけようと肺に空気が流れたところで、先に侍女の声がこぼれていた。

「東の、」

 よく聞きとれなくて、なにかと尋ねようと視線を合わせれば、別の侍女が慌てたように私の就寝の準備にむけて促した。人の手がとどこおりなくよく動く。

 私は、不慣れで、正解もわからずに、自分の洞を思う。さみしい。でもいつか時間が解決してくれるかもしれない。

あしたになったら。

明日はきっと今日よりここに、ふさわしいように頑張るよ。

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