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「綺麗だった。他にはなんにも思えない。」
姉さんはそう言って、クッションを抱きかかえて窓枠に乗ったまま、うずくまった。今しがた会ってきた人物のことだろう。
それは本統に言葉のとおりなんだろうか。僕が分かることといったら、それは確かに恋い焦がれているとか、のぼせあがるとかいう感情は読み取れないけれど、ただただ淋しそうだということだった。いや、ちょっと違う。姉さんは泣きそうに見えた。巣食っている孤独感が見え隠れするのを見惚れてしまうほどに。
姉さんは嫁いで行く。その綺麗だという、おとこの家に入るのは決定事項だった。
僕らは国のどんなに端の領地を構えたとして、腐ってもこのエドヴァル国の貴族だ。辺境伯と呼ばれるカストルプ家だ。姉さんもそれをよく分かっている。
だからこの縁談は断われないのだ、誰がなんと言ったとしても。
僕らに出来ることは限られている。
「もう調印も済ませてあった。信じられる?私、もうカストルプじゃなくてショーシャの家名になってるのよ。」
くぐもった姉さんの言葉に、僕はずいぶん急だなとは思いながら曖昧にうなずく。
「オリバーは知ってたんだ。」
「3日前に姉さんが自分で言ってたんだよ。」
「あれは西から客人が来たって言っただけじゃない。」
「でも西の森の入り口まで偵察に行ったんでしょ、銀色の髪の、勲章ものの魔力持ちを見たって姉さんから聞いたよ。」
帰って来た姉さんの手が震えていたことも憶えている。
「でも誰が来てるかなんて、」
しりすぼみになっていく声で口ごもる。姉さんばかりが渦の中にいるみたい。
「西から来るものには注意しないと。」
僕がそう言うと、びっくりしたように姉さんは顔を上げた。息をのんだように声が出ないのは刹那で、見開いた目はゆるやかに元に戻っていく。
「オリバーもお父さまと同じようなことをいうのね。」
困ったようにすこし笑って、しようがないね、と紡ぐように姉さんはそう口にした。僕はなんとなく、姉さんが聞きたかったこと、言いたかったことを感じとった。
姉さんはこの縁談の話を今日、先ほど知ったのだ。
だけど僕はその話を事前に知っていた。子爵が来ることを知っていたけど言わなかった。
姉さんが思ったとおりだよ。
ヴァシリー・ショーシャ子爵とセルマ・カストルプの婚約は父さんが結んでいる。父さんはもちろんのこと僕も、子爵の手腕・力量は申し分ないと判断しているし、年齢も子爵が24歳、姉さんが18歳で社交的に問題ないと思ってる。
こういうのは父さんが直接伝えることだから、知ってても黙ってたんだ。子爵には既に愛する人がいるってことも知ってるから。
つまりさ、姉さんは、どうにもならなかったら泣いてもいいって僕は思う。なにか言ってもいいと思う。僕らはもう、ふたりっきりの姉弟なんだから、もう姉さんのこと分かってあげられるのは僕だけだよ。なんだか全然、送る言葉が見つからない。おめでとうって言ったほうがいいのかな、でもごめんね、僕は違う言葉が出て来るんだ。
姉さん、かわいそうだよ。
なんにも言えないかわりに、僕は笑ってみせる。
僕が笑っていれば姉さんは安心するようだから、そうしてみせる。
姉さんの瞳から光りがこぼれた。白と黄金色の丸い光。他の人間がどうなのかわからないけれど、魔力持ちの、それも特別強い魔力持ちの、カストルプの人間の特徴、姉さんの特徴。涙のかわりに光りかがやくそれは神秘的で、なによりも素晴らしい。これを見たかった。
だけど今だけは、光を無視して姉さんにハグした。
結婚、お祝いするよ。姉さん、綺麗なものは好きだもんね。ちゃんと分かってるよ。僕らはカストルプの人間だから、自分のやるべきことをやろう。僕は姉さんと違って持っているものが少ないけれど、頑張るよ。姉さんの光を見せてくれるのは、僕だけでしょう、その光をもらえるのは僕だけでしょう。だから頑張るよ。
気持ちを切り替えたのか姉さんは、はにかんで言った。僕と距離をとったけれど、手だけは添えてくれている。
「行こう、晩餐が始まる。きっとこれが最後ね。」
この姉さんの儚さが、僕のせいなのか、婚姻のせいなのか、カストルプ家の役割からくるものなのか判断がつかないなかで、僕らはダイニングルームへ向かった。




