朝食にて ホノカ
「要するにこの前の偽物が引き入れた他の后候補や側室候補をぶち殺せって言う事だな」
話を聞き終えたホノカは開口一番そう言った。
「どう聞いたらそういう結論になるんですか……」
キルファトーレは今までの説明が何だったのかと頭を抱える。
ここからは極秘という事でこの場にはもうネルドはいない。残っているのは三人だけである。
「だってそういう事だろ。現在十数人の女どもが後宮にいる。ただどれを娶っても角が立つから、とりあえず角を立てずに追い出したい」
確認するようにホノカが二人に目を向けると、二人も合っていると軽く頷く。
「でも貴族の娘をそう簡単に実家に帰すことはできない」
「この国は王制ではあるが、完全に権力を掌握しているわけではないからな。一度くらいなら無理を通すこともできるだろうが……」
そんな奥の手をこんなことでは使いたくないと、ユラウスは言外に伝えた。察しの悪いホノカではないので、頭脳タイプじゃなくともそれぐらいは理解できた。
「だからぶち殺すは言いすぎだけどよ、適当に後で治るように骨の一本や二本折ればいいだろ。そうすれば帰っていくだろ」
「そう簡単にいくわけがありません。それにまずその方法は角が立ちすぎます」
娘が怪我させられたと王城に乗り込んでくる貴族たちを想像したのか、キルファトーレはげんなりした顔をしている。
「それに側室候補として来た令嬢たちは自分の一生がかかっているからな、骨折程度で逃げ出しはしないだろう」
何か覚えがあるのか、ユラウスが重たく呟いた。
「……王子ってのも大変だな。それでどうにか角を立てずにその女たちを返品するために、相手の弱みを握ってやるのが得策って事か」
「ええ、後宮は女の園。男では入れるのは殿下だけ。こちらの手駒はそう多くないですし、相手に動いてもらうためにも、どうしても中に后候補として潜り込む内通者が欲しい状況なんです。それに今のところ明確に后候補として後宮入りしたものはホノカ様しかおりません。なんとか他の者は側室候補と言う形で入ってもらうことが出来ました。まあ、そんな違いはあって無きが如しなのですが」
そう言って疲れた様子を隠さないキルファトーレ。どうやら後宮関係で一気にお金や何かの仕事が倍増しているため疲れがたまっているようだ。後宮に入った令嬢たちは日夜、ユラウスが来るのを待ちながら女の間の醜い争いを続けているのである。
「だからあなたには后候補としてわざわざ白薔薇の間を用意しました。今はまだ誰にもこのことは発表されてありませんので大丈夫でしょうが、発表後は様々な嫌がらせがあるでしょう」
后候補への嫌がらせは昔から続くもう慣習と言ってもいい後宮の常である。それを回避するには強い後ろ盾の存在などが不可欠である。しかし、そういったものには弱みを見せることができないため、こんな計画を手伝わせるのは最初から無理だ。
それで白羽の矢が立ったのが、偶然いたホノカであったという事だ。
「それで俺がちょうどよかったわけだ。貴族のお嬢様程度じゃ俺を止めることはできないし、誰か差し向けてくるなら逆に返り討ちにもできるしな」
言葉使いや態度は悪いものの見目は麗しく、邪魔をしてくるような親戚のような後ろ盾もなく、何と言っても強い。ホノカは計画にぴったりの人物だった。
しかし、ホノカは不服そうだ。
この前はキ、キスまでしておいて、好きでもないのに俺を后候補なんかにしたのか、と内心では怒りを隠せなかった。同時に期待していた自分に気がついて、嫌な気分になってもいた。
しかし、それを表に出すのは流石に恥ずかしかったので、まるで平気と言った態度を崩そうとはしなかった。
「助けてもらっておいて虫のいい話だとは思うが、どうか手伝ってもらえないだろうか」
ユラウスが真剣な目でホノカを見つめた。
「いや、待てよ。俺は嫌いだけど暗殺とかそれこそ拳一つで城を落とせって言われても出来る自信がある。だけどよ、おしとやかな令嬢ぶるのは無理があるぞ」
拳だけで城一つ落とす。他の者が言ったら誇張だと思う所だが、ホノカの強さの一端を見ているキルファトーレはそれを冗談だと笑い飛ばせなかった。
ホノカを招き入れるというのは爆弾を抱えて火の中を走ることになるのではないかという不安がキルファトーレの中を渦巻く。強いのは知っていたが、候補生との戦闘の一部始終を聞く限りそれは常人の想像する範囲を超えている。
「大丈夫だ。ホノカはそのままでいい。こちらでもサポートするし、教師を付けて簡単な礼儀作法から教える。それにホノカが嫌だというなら、この仕事が終わり次第解放しよう」
ユラウスはまったく顔を変えない。ホノカの言葉にも何の驚きも無いようだった。
ホノカがじろりと睨んで見せるのを、真っ向からユラウスは受け止める。
緊張した空気が場を支配した。
最初に動いて見せたのはホノカだった。やれやれといった感じで、肩をすくめた。この仕事を受け入れるという事だろう。
「ありがとう」
ユラウスはホノカにお礼を言った。ホノカの方は渋々といった様子を隠そうともしていない。
「約束は忘れんなよ。この仕事をさっさと終えて、この城から出て行ってやるからな」
一つ借りもあるしな。
ホノカは二人に聞こえない声で最後に呟いた。
「それでは簡単に今の後宮の状態を説明しますね」
そう言ってキルファトーレが立ち上がった。手元から取り出した何かのボタンを押すと、中空に映像が浮かんだ。そこには数人の女性が映っている。
「これが後宮にいるっていう女どもか」
「ええ、まだ他にもいますが、それは後で見てもらうとして、とりあえずこの三人だけは覚えておいてください」
一人目と言って映し出されたのは金髪の髪を縦ロールにして、ふんぞり返るようにしている気の強そうな女性。四大侯爵家が一つフラムフォールン侯爵家令嬢、シャーロット・フラムフォールン。
二人目は、おとなしそうな雰囲気のほっそりとした体に長く垂らした青色がかった髪の美しい女性。エルブラント伯爵家令嬢、ヴィオレータ・エルブランド。
そして最後が、まだ幼さを残した小さな体に短めの銀髪、元気そうな丸々とした目がどこか小動物を思わせる少女。ヒルリストン伯爵家令嬢、アルディリア・ヒルリストン。
「この三人には特に気を付けてください」
「最後の子なんかまだ12歳か。このロリコンが」
「……俺が選んだわけではない」
ホノカが軽蔑の目を向けると、ユラウスは心外だとアピールした。
「俺の好みは外見にはない。もっと内面の、それこそホノカの様な優しい娘が好みだ」
「はっ。それで何でこの三人をマークしないといけないんだ」
ユラウスの言葉はホノカによって鼻で笑われてしまった。
ちらりとユラウスの方を見て、知らない人から見ればわからないがキルファトーレには落ち込んでいるのが分かった。
ここでフォローしてもどうにもなりませんね。
落ち込む幼馴染のことは気にしないで、ホノカの質問に答えた。
「この三人の中に敵が紛れ込んでいる可能性があります」
ここからが今回の話の中心だった。
「もう殿下も適齢期ですので、国内外を問わず色々と結婚のお誘いがあります。今回後宮入りした令嬢たちもそのお誘いの中から選ばれたわけです」
偽物が王子をやっていた期間が半月と短かったおかげで、国外からの誘いに関しては待ったをかけられたのが不幸中の幸いでした。
流石に他国から来た姫たちであったりしたら、もうどうしようもないところであった。
「それでどうやってこの三人に絞り込んだんだ」
もう腹も決めた様子でホノカは尋ねる。
「この三家は今までお誘いがありませんでした。それが偽物がいた時にタイミングよく出してきた。かなり怪しいと思って間違いないと思います」
「なるほどね……。それで俺にやってほしい具体的なことは」
特にありません。
それが宰相からの要請だった。
「特にないってのはどう言う事だ」
不思議がるホノカに、キルファトーレはきちんと説明する。
「そのままの意味です。ホノカ様には后候補としての暮らしをしてもらいます。後は敵の方から行動を起こすでしょう。後はそれを返り討ちにしてもらえれば十分です」
何だか面白くなさそうだな、と一気にテンションを下げるホノカに、そんなことだろうと予想していたキルファトーレは餌をぶら下げるようにした。
「おそらく相手は暗殺者を雇ってくるでしょう。それもこの王城で暗殺行為を行えるほどの手練れ。戦ってみたくはありませんか」
ホノカの頭の中で、くだらない后候補としての生活と手練れの暗殺者がいつとも襲ってくるか分からないという状況が上書きされた。
(何だ、その面白そうな展開は)
一気にテンションを上げるホノカ。
あまりにも簡単に行き過ぎて、キルファトーレは逆に心配になってしまった。しかしずり落ちそうになった丸眼鏡を直し、気分も取り戻す。
そこからはしばしの間、ホノカの質問タイムが始まった。ホノカもゲーム世界ではあるがいくつも危ない橋を渡ってきた人間だ。知っていると知っていないとでは全是mん違うという事を理解している。
「他に何かご質問は」
「……いや、もうないな」
お互いに確認できることは確認し終えた。
もういいだろとホノカはそのまま立ち上がって出て行こうとしたが、食後の挨拶をしていなかったのを思いだし、両手を音高く合わせて一言ごちそうさまと言った。
その様子をユラウスとキルファトーレは不思議そうに見ている。その動作自体が見覚えがないという事もあったが、何よりもまだテーブルに食事が残っていたからである。
「ホノカ様は魚料理は苦手ですか」
残っていたのは今朝王都にある港で水揚げされたばかりの新鮮な魚を使った料理である。シンプルな味付けで、どんなものでもパクパクと食べていたホノカが残すのは意外であった。
「魚料理? いや、好きだぞ。基本何でも食べるからな。グリードジェリーフィッシュも生で食べたことあるぞ」
ホノカが引き合いに出したのは体長が十メートルから三十メートルという巨大なクラゲ型モンスターである。体から電気を発生させる特性から、生で食うと体の芯から痺れるおいしさという珍味である。食べたら体中至る所にスタンガンを押し付けられる感触を味わえることでも有名だ。
「ただわざわざ毒を食う趣味はないからな。俺を試したかったんだろうけど、飯がもったいないから次は止めとけよ」
ホノカは格闘家系のジョブを極めたプレイヤーである。このジョブの特徴は武器など重いものを持たないことによる動きの速さや、その五感を含む身体能力の高さがある。ただ一般的なレベルなら、どちらもある程度レアには限るものの装備品でカバーできる範囲である。しかし、極めたホノカの場合それはもう他のジョブ専攻者には追随出来ないレベルに研ぎ澄まされている。嗅覚に置いても犬系統の亜人に勝るほどで、その敏感な嗅覚は人間にとっては無味無臭であるはずの毒薬の臭いを嗅ぎ取っていた。
「失礼ですが、こちらではそんなこと企んではおりませんよ」
キルファトーレの表情は強張っていて、冗談といった様子はない。すぐさま扉の向こうに立っていた兵士に毒を盛った可能性のある者の洗い出しを慌てて命じていた。
「私もちょっと確認に行ってきます。殿下もホノカ様も一人で移動しないようにしてください」
キルファトーレはそう言うと、扉を開けて出て行ってしまった。
ユラウスとホノカだけが残される。
「いきなりここまで強硬に出るとは思っていなかった。俺が訓練場で言ったことがこれほど早く相手に伝わるとはな。想像以上の情報収集能力を持っているらしい」
「訓練場からここまで十分といった所だろ。たったそれだけの間に毒物用意して、混入するってのは前から準備していた証拠だな」
これはまだまだ一波乱ありそうだ。さっきまでの乗り気じゃない様子から、一気に舌なめずりし始めるホノカ。目が爛々としている。
ユラウスはそっと立ち上がると、ホノカの横まで歩いてきた。途中窓から入った日の光によって、金髪がチカチカと輝く。
ホノカはそれに一瞬見惚れた。
「ホノカ、その服は気に入ってくれたか」
ユラウスは優しい声で尋ねた。右手がゆっくりとホノカの漆黒の髪に伸びる。
「ああ、ドレスにしては動きやすいし、色も好みだ」
もう少しで髪に手が届くという所で、ホノカは見惚れるのをやめてさっと避けてみせた。まるで風になびくように髪が空中を漂う。
「あっ」
残念というような声を出して、ユラウスの手は空を切っていた。
「もう話も終わったみたいだしな。俺は帰らせてもらうぜ」
ホノカは足早に出て行こうとする。しかし、それをユラウスが呼び止めた。
「そのドレスは俺がホノカのために選んだものだ。気に入ってくれて嬉しい。本当に似合っているよ。ホノカ、お前はとても可愛い」
ユラウスはホノカの後姿に向かって言った。
ホノカは何も言わずに立ち尽くしている。
まだ話を聞いてくれるのかと思い、ユラウスはゆっくりと近づいて行った。
「ホノカ、お前が勘違いしているといけないから言っておく。俺はお前がちょうどいいと思ったから、お前を后候補にしたわけじゃない」
ぐっとユラウスはホノカの両肩に手を乗せた。
「お前を好きだから――」
「聞きたくねぇよ、んなこと」
ホノカは肩に手が置かれた瞬間、左肩の上の手に両手を重ねて、体の力を抜くようにして沈み込んだ。するとつられたようにユラウスの体も前に倒れ気がついた時には、天井を見上げて倒れ伏していた。手加減されたのか、背中は痛くない。
その状態でユラウスは扉が勢いよく閉められる音を聞いた。
「ん~~~~~~」
扉を出たホノカの顔は火を噴くかと言うほどに真っ赤になっている。そしてそのまま扉にもたれかかると、ずるずると背中を動かして廊下に腰を付けた。
わ、わた、いや俺にこのドレスが似合ってるだと。歯の浮くようなこと言いやがって。ましてこの俺に向かって可愛いとか……。
ホノカの頭の中で日の光に照らされたユラウスと、可愛いと言うユラウスの声がぐるぐるとまわっていた。真っ赤になった顔を押さえながら、ドレスが捲れるのも気にせずに足をばたつかせる。
いや、でもあいつはこの計画に俺がちょうどよかったから后候補にしたわけで、その証拠にこの件の片が付いたら開放するとか言ってるし、だから可愛いっていう言葉には何の意味も無くて……。
オーバーヒート寸前という所で、彼女に声がかけられた。
「ホノカ様、大丈夫でございますか」
「ああ……ルブランとバニラか。わざわざすまないな」
そこにいたのはホノカ付きの侍女三人組の内二人、アルブラースとヴァラニディアであった。
その姿を見てどうにか堂々巡りを繰り返していた思考をストップさせ、いつもの通りの男らしい雰囲気を取り戻すホノカ。何事もなかったかのように立ち上がった。
その可愛らしい様子をあらあらと言った感じでヴァラニディアは見守っている。ポワポワな雰囲気とは真逆で意外と恋愛面では勘の鋭い彼女は、意外とホノカと殿下の距離が近そうだと嬉しく思っていた。
はしたないですわよ、とヴァラニディアはしわの寄ったドレスを整える。
落ち着いたことで周りを見られるようになったのか、ホノカは一人いないことに気がついた。
「そういえば、カナタはどうした」
「ルナ……カトルナータはまだ女官長の下でございます。お説教が長引いているようでして……」
自分たちにも後で襲い掛かる恐ろしい説教を思ったのか、二人の顔が一瞬強張る。
「それは……悪いことしたな。女官長に俺が悪いって言いに行くか。俺のせいでカナタが怒られるってのも筋が通らねぇ」
そんなことされたらますます説教されることになると何とか説得して、ようやくアルブラースとヴァラニディアはホノカを次の予定する場所に連れて行くことができるようになった。
「これからホノカ様は礼儀作法やダンスなどを学んでいただきますので、そちらの方にご案内いたします」
アルブラースはメイド服を着こなしながら、まるでどこぞの劇団の男優といった雰囲気を醸している。男女の要素どちらもが両立しているのは彼女の立ち居振る舞いのせいか。ホノカからすれば宝塚の男役の女装姿を目の前に見ているようだった。
「そうか。それじゃ連れて行ってくれ」
今はとりあえずさっきの言葉を忘れたいと、ホノカは二人を急かすようにその場を去った。
ホノカが立ち去った少しあと、キルファトーレが戻ってきた。
「はあ、ユース。何寝転がって天井を見ているんです」
二人だけのせいか、キルファトーレはユラウスを愛称で呼んでいる。
「照れ隠しをするホノカも可愛かった」
「そうか……」
幼馴染の意外な一面を見て、若干引き気味のキルファトーレであった。何があったかは分からないが、喜んでいるならいいと割り切ることにした。
「さっきの毒物のことだが、一人メイドがいなくなっていた。おそらくその者の犯行でだろうな」
「ふむ。そのメイドの素性は調べたか。それにどこからの推薦だ」
また冷たいモードに入ったユラウス。
王城勤めのメイド、さらに一の郭という王族の近くを任される者は技能に優れるたうえで、両家の子女か貴族による推薦者である必要がある(ホノカ付きの三人で言うなら、前者がアルブラースとヴァラニディア、後者がカトルナータ)。両家の子女に毒殺などさせるのは難しいとなると、どこかの貴族が紛れ込ませた間者だった可能性が高い。
「そのままの格好で言われても、威厳も何もないですよ」
確かに。ユラウスはホノカに投げられた状態から立ち上がろうともしない。キルファトーレは言った所で立ち上がることはないだろうと諦めて、質問に答えることにした。
長い付き合いなので、ユラウスが意外と馬鹿な奴という事は彼にとって常識だった。
「駄目だった。彼女に関することはありきたりすぎて追えるレベルじゃない。推薦者もスルヴァンセル子爵でもうこの世にいない」
お手上げ状態だった。おそらくスルヴァンセル子爵は完全に捨て駒だったのだろう。こういう時の為に、おそらく分かりやすく彼の名前で推薦したのだ。一種の挑戦状と言ってもいいかもしない。
「一応周りの者に何か言っていないか聞きますが、情報は取れないだろうね」
「他にも紛れ込んでいないか調べさせろ。スルヴァンセル子爵縁の者は特にだ」
後手に回ってしまっている。
想定外の状況に二人ともしばしの間、何も言わなかった。