朝食にて ネルド
ユラウス直々に呼ばれてホノカ達がたどり着いたのは王族用の食堂であった。周りの壁には有名な画家の絵や名工による剣が下品にならないように飾られている。中央にはいったい何人掛けだと言う様な長大なテーブルが置かれており、そこに掛けられたシーツには一切のしわがなくぴんと張り、真ん中には燭台が乗っている。
そこにはユラウス、その前にホノカ、そして宰相のキルファトーレが座っている。この部屋に入るまでは後ろをついていたカトルナータは給仕専門のメイドたちに後を任せ、一人女官長の下に怒られに行ってしまった。ネルドは平民の立場のものが一人になったことに極度に緊張したまま壁際に立っている。
これからやっと朝食が運ばれてくるという所で、最初に口を開いたのは宰相であった。
ずっと待たされた上に、殿下自ら呼びに行くという事態にキルファトーレの忍耐もいい加減キレそうであった。
「はあ、やっと落ち着きましたか。朝食に呼んだのにいくら待ってもいらっしゃらない上に、近衛騎士候補生と大立ち回りをしていると聞いた時は心臓が止まるかと思いましたよ。さらには殿下まで心配だと言って止める間もなく行ってしまわれるし……」
などとくどくどキルファトーレが話している間に、彼らの前に朝食が並ぶ。時間がないせいもあってか、一度にすべて並べてしまうようだ。パンから始まりスープや何だと続いて最後には大きなフルーツ盛りが置かれた。全部で十五皿と言う朝からボリューム満点のラインナップである。
「キファは話が長いんだよ。まず飯だ飯。腹が減ってんだよ、こっちは」
いただきます、と手を合わせてから猛烈な勢いでホノカは食べ始めた。それはもう豪快に、テーブルマナーなど気にしないという感じである。
「ふむ。良い食いっぷりだ」
「はあ、先が思いやられるとはこのことですね。……殿下、真似はなさらない様に」
パンを一口大に千切らず齧り付こうとしたのを咎められ、渋々といった感じでユラウスはパンを皿に戻した。
どうやらこの二人は単純に主従関係という訳ではないらしい。幼馴染でもあるらしいし、かなり親密な間柄が見て取れる。その様子を不思議そうにホノカは見ていた。
しかし、すぐに興味も失せたらしく食事に没頭する。幾つ目かに並んでいた香辛料を効かせた肉料理を食べると、どうやら気に入ったらしく一瞬フォークを止めてその味を堪能していた。
「く~、これうまいな。ここの料理はどれもお上品すぎると思ってたけどよ、こういうのもあるじゃねえか。おい、立ってるだけじゃ腹は膨れないだろ。ネルネルも食べてみろよ。おいしいぞ」
ほれ、とフォークに刺したそれをホノカはネルネルに差し出した。
どこからどう見ても、俗に言う『あーん』という奴である。
「ああ、いえ、僕……ではなく私などがそのような畏れ多いことはできかねます」
突然話を振られた上に、見目美しい女性(性格には目をつぶって)にそんなことをされて、女性経験のほとんどないネルネルは一瞬慌てたものの、何とか騎士らしい様子を保ってみせた。
なぜならその様子を油断なく見ていたユラウスに睨まれると、とてつもなく冷たい何かが背筋を這ったからである。一瞬体が凍りついたかと思いましたとは、本人談である。
「真面目ぶんなよ。食べたいだろ、食べ――」
パクリ。
「確かにおいしいな」
いつの間に移動したのか、ユラウスはホノカの付きだしたフォークに刺されて揺れていたお肉を一口で食べた。
「こら、お前何してやがる」
「こういったことは恋人同士がやるものがと思ったのだがな。間違っていたか」
そう言った後に次はこれを食べさせてほしいと、ホノカの皿に残った食べ物をユラウスは指差した。そして口を開けて待つ。
デカくて無表情なユラウスがやるとかなり恐ろしい姿である。
「誰がお前の恋人だ」
ホノカが言い返すと、クールな無表情は変えずにユラウスは言い返す。
「そうだな。お前は俺の后候補だから、もっと親密でもいいはずだ」
そうしてホノカからすれば口論、ユラウスからしては愛の語らいを楽しむのであった。
(殿下がこうも一人の女性に執着するという事があるとはね)
一人優雅に食事をしながら、キルファトーレはそんなことを思っていた。しかし、二人をこのまま争わせていては、わざわざホノカを呼んだのに話が出来ずに終わってしまう。そう危惧してユラウスに恨まれるかと思いながら、二人の中に割って入った。
「痴話げんかはそこまでにしましょう。ホノカ様も聞きたいことがおありでしょう」
「誰が痴話げんかだ、キファ」
怒鳴りつけたものの王子たちから話を聞き出すという目的を思い出して、ホノカは席に着いた。
ユラウスも席に戻ると、ゆっくりと口を開いた。
「まずネルド候補生に来てもらったわけから話そう。ネルド候補生、この度の件、君のおかげでこの国は救われたといっても過言ではない。王族ゆえ頭を下げるという訳にはいかないが、とても感謝している。ありがとう」
「いえ、そんな、殿下から直接お言葉を頂けるなどそれだけで畏れ多いことでございます」
ネルドは片膝立ちになり頭を垂れた。
「この件に関しては極秘なので、勲章の授与などはできません。ですが褒美の用意はできています」
宰相は傍らから一振りの剣を取り出した。柄の部分にこの国の象徴たる剣と羽の模様が刻まれている。この剣は儀礼剣で、これを授与される者は近衛騎士と認められたものだけである。
「あなたにはまだ技量や経験など足りない部分も多いでしょう。ですがそれは近衛騎士になってからでも身に着けられるものです。今回の褒美として候補生から正式な近衛騎士に昇進という事になります。どうぞこの剣を受け取ってください」
宰相はネルドの前まで行くと、今だ蹲るネルドに剣を差し出した。
しかし、ネルドに立ち上がる様子はない。
そして、しばらくの時間が過ぎた。
「ネルド候補――」
「私は!」
ネルドの声がキルファトーレの声を遮った。
ほう、とホノカは感心したような声を出す。その目はネルドを観察しているようである。
しかしネルドには周りの音も視線も届いていない。自分がこれから言う事で頭がいっぱいと言った様子だ。それが分かった三人はネルドが口を開くのを待った。
ネルドはこんなことを言うのは不敬に当たるのではないかと思いながら、それでも自分の誇りの為にも曲げられないと顔だけをグッとあげる。
「私はその剣を頂けません。無礼だとは存じますが、この度の褒美は辞退させていただけませんでしょうか」
「理由を言え」
冷たい声がかけられた。『氷刃』と呼ばれるだけあってユラウスの言葉には何の温かみも流れていない。どんなごまかしも通用しないといった雰囲気である。
ネルドは下がりそうになる顔をぐっとこらえた。ここで負けてはいけないと、真正面から宰相と王子を見つめる。
(こいつは良い騎士になる)
自分自身一騎当千の強者であるユラウスは敏感にネルドの資質を感じ取っていた。
「私はまだ未熟です」
「技量も経験も近衛騎士として勤めながらでも磨けるものだぞ。周りにはよき導き手も多いだろう」
「私にも小さいながらに誇りがあります!」
ネルドが吠えた。王族を前にして不敬として処罰されてもおかしくない行為である。
王子と宰相が共に目を見張った。どちらかといえば人畜無害な雰囲気を漂わせていた少年の、あまりにも予想とかけ離れた姿に驚いていた。
ホノカは楽しげに口笛を吹いた。自分の舎弟第一号の芯の強さを賞賛しているようだ。
「自分自身が未熟と分かりながら、この国の中心である王族の方の警護につくことはできせん。近衛騎士候補生としてまず学ぶことは、王族を守るという事への心構えでございます。その心構えを破りながら、近衛騎士になることなどできません」
「それがお前の誇りか」
ユラウスは冷たい雰囲気を一向に変えない。ネルドはもう何も言えず、ただひたすらユラウスからの裁定を待つ。
「……分かった。近衛騎士への昇格は見直そう。しかし、褒美がなしという訳にはいかないからな、今度正式に別の褒美を遣わそう」
ユラウスからの裁定はネルドの考えを認めるというものだった。それは一騎士としてネルドの誇りを守りたいという事であった。
話を聞き終えたホノカはネルドに駆け寄り、立ち上がらせた。そして思いっきり背中を叩く。
「よくやった。それでこそ俺の舎弟。王族に啖呵きるとはいい度胸だぞ」
ネルドは叩かれた部分のジンジンした痛みに目を丸くしている。
「それではようやくホノカ様に関する本題に入りましょうか」
その様子を呆れたように見ながら、キルファトーレがさっさと話に入った。これ以上朝食が遅れるとユラウス殿下の公務に遅れが出かねない。
ただユラウス本人はそんなことよりも、このホノカといられる時間の方が重要かもしれなかったが。ただその表情からは何も読み取れない。
「おう、早く聞かせてくれ」
バシバシとネルドを叩いていた手を止めて、ホノカはユラウスとキルファトーレの方に向き直った。