近衛騎士候補生壊滅
アルブラースとヴァラニディアがホノカについておしゃべりしながら仕事をしていた頃、カトルナータはもう駄目だと諦めて庭の様子を観戦していた。
「おら、近衛騎士候補ってのはこんなかよわい乙女一人倒せないのか。よくそれで平民上がりを馬鹿にして、王族を守る近衛騎士になりたいなんて思うもんだな。恥を知れ恥を」
美しいドレスを綺麗になびかせながら、数十人といる若きエリート候補生をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大暴れをしているのは何を隠そうホノカ、この人である。
「ここで逃げては本当に恥だ。みんなで立ち向かうぞ」
ペリデュイの掛け声とともに、陣形を組み始める近衛騎士候補生。
「ああ~」
カトルナータの隣で同じように頭を抱えているのはネルドだ。半ば自分のせいということもあり、どこかで止めに入らなければと思っているのだが、あまりにも強すぎるホノカを前に何もできずにいた。
何故こうなったのか。それは十分前、窓から二の郭の庭で行われている近衛騎士候補生の訓練をホノカが見るところから始まる。
「あれは何だ。楽しそうなことやってるじゃねえか。朝飯前に俺もちょっと体動かしてくる」
「ホ、ホノカ様!」
止める間もなく窓から飛び出した。
「ああ、念のため替えの服を持って来た方がいいかな。こういうことへの対処だけはあの二人で慣れている自分が恨めしい」
カトルナータは近くにいたメイドに新しい服を持ってくるように言って、ホノカが行ったであろう騎士の練習場に全速力で向かった。
「おい、平民上がり。この前まで牢屋に入れられていたくせによくここに戻ってこれたな」
「どんな手を使ったんだ。土下座でもしたのか」
「僕は……」
どこの世界でもいじめというものはある。それは王族を守る盾となる近衛騎士を目指す者たちの中でも変わらない。特に平民から実力で上がってきた者たちに対して、貴族の子弟たちは辛く当たることが多かった。
「何か言ってみろよ。僕は……の続きは何だ。泣きながら土下座しましたとかか」
教官から見えない位置で、訓練をしているように見せながらのいじめである。ネルドは国の一大事であることもあって口止めされているため、この前のことについては何も言う事は出来ずにただやられていることしかできなかった。
「おい、俺の舎弟に何してくれやがる」
そこに木の上から爆弾が投下されたのだった。
「何者だ。我らをエリートである近衛騎士候補生と分かっていっているのか。姿を現せ」
ネルドを率先していじめていた青年、ペリデュイ・ローフライは近衛騎士候補生の中では上位に入る腕前であるのに加え、ソルデンサス王国南方に領地を持つローフライ伯爵の三男坊に当たる。実力、地位共に文句なし、基本的には性格も真面目である。本来ならいじめを率先することはなく、候補生たちを上手くまとめるはずだった。
それをおかしくしたのはネルドの存在である。彼はペリデュイよりも二つ年下であり、かつ平民ながら候補生にあがってきたたたき上げである。これで実力がないなどという事はなく、今回の候補生の中では一番の実力者でもある。故に自分の実力にも貴族としての地位にも自負を持っていたペリデュイは片方を打ち砕かれ、残るもう一つで自分の強さを証明しなければいけないという強迫観念に駆られてしまったのだ。
そして、その自負はここで叩き潰されることになる。
「はっ! お前ら如きが近衛騎士候補生だって。てっきり貴族のお遊び大好きなボンボンかと思ったよ」
木から勢いよく跳び下りたホノカは、ネルドの前に立ちながらペリデュイらを鼻で笑う。
「ホノカさん、ここは抑えて」
慌てた様子で止めようとするネルドを軽い後ろ蹴りで跳ね飛ばすと――ネルドはギリギリ持っていた訓練用の木剣で受け止めたが、木剣が折れるのではなく蹴りの圧力でへこむのを見て実力行使で止めるのを諦めた――さらに挑発を繰り返す。
「ネルネルが強いもんだから、一人ではいじめることも出来ない臆病者どもが。それで騎士? 家帰ってマンマに泣きついてな」
騎士も貴族も体面を重んじる。これだけ侮辱されて平気でいられる者はいない。
それを分かっていてホノカも挑発したのだ。こちらの世界に来てからホノカはほとんど暴れられてないのである。いい加減ストレスがたまっていたのだから、目の前に現れたいい発散相手を逃すつもりなんてなかった。
「貴様、我らを愚弄したな。いくら女が男に守られるだけの存在といえど、騎士にそのような口をきけば斬りかかられても文句は言えないぞ。今から土下座して謝るようなら許してやる」
強気な態度をみせるホノカのことを、女だからという理由だけでただのはったりだとペリデュイは考えていた。この国の騎士は女性がなってはいけないという規則はないものの、女性騎士はほとんどいない。彼には戦う女がいるということが理解できていなかった。それ故の慢心によって、彼は先ほどからホノカが少しだけ垂れ流している殺気にも気づいていない。それに気づいているネルドと彼らの教官である騎士は逃げ出す体を必死に抑えているにもかかわらずだ。
そして、女が男に守られる存在という言葉は、ホノカが大嫌いな言葉でもあった。軽く遊ぶだけのつもりから、高くなった鼻をへし折るにギアが二段階ほど上がった。
「これだけ挑発してもかかってこないとは腑抜けにもほどがある。分かった、ハンデが欲しいんだな。半人前以下だからしょうがないか。お前らの剣が俺の体に触れたらお前らの勝ちでいい。そうしたら土下座でもなんでもしてやるよ。俺はこれだけしか使わないでいてやる」
そう言って右手の人差し指をぴんと伸ばした。
それは指一本でお前らなんか十分だという意味だと、言われることなく誰もが理解した。
そしてペリデュイの怒りも頂点に達した。
「ここまで舐められて黙っていられるか。お前たち手加減するな、痛い目にあわせてやれ」
そして近衛騎士候補生vs爆裂娘ホノカの超ハンデ戦は幕を開けたのだった。
「これはいったい何が起きているんですか、ネルド」
「うん、僕にもよく分からない。ただホノカさんが桁外れに強いのは確か……かな?」
廊下を走るなどはしたないとメイド長に怒られたりしながら、どうにかホノカのいる場所までやってきたカトルナータはうずくまるようにしていたネルドに話しかけていた。
二人とも王城で働く平民同士ということで、あのメイド服を着た時以降に面識を持っていたのだ。ネルドは女装姿を見られていたため、最初は恥ずかしそうにしていたが。
二人が一言話している間に、また一人ホノカに倒されて地に伏していた。
「おいおい、地面を臆病者どもで覆い隠すつもりか? 掃除が大変になるだろうが。もっと本気でかかってこいよ」
本気でかかっているに決まっているだろう、化け物め。
言葉を発する余裕もなく、心の中でホノカを貶すことしかできないペリデュイにはもう女だからと侮る気持ちはなかった。初めは騎士らしく真っ向から一対一で戦ったものの、それでは一秒も持たなかった。者によっては剣すら振らしてもらえない始末である。だからと一人相手に人海戦術で一度に数人で襲い掛かっているというのに、ひらひらとしたドレスの生地一枚に触れることすら叶っていないのだ。しかも、攻撃する度に一人ずつ倒されているのである。それも本当に人差し指の一突きだけで。
「ははははははは、弱いぞ。もっとかかってこんか」
人差し指が舞う。たった一本の指で、ある者は足が払われたと思った時には宙を舞い、ある者は額を軽く触れられただけで脳震盪を起こして倒れ伏した。そして気付けば残っているのはペリデュイただ一人。他のものは倒れるか逃げるかしてしまっている。
「良く逃げずにいた。それだけは褒めてやろう。それでお前はどうされたい。俺の舎弟を遊んでくれたんだ。今度は俺がお前で遊ぶ番だよなぁ」
「ひぃぃぃぃ」
修羅と言ったような笑みを浮かべてみせるホノカの姿に、恐怖のため悲鳴を上げる。しかし、それでもペリデュイは剣を落とすことも無く構えている。実力がどうの地位がどうのということはもう彼の中から消えていた。ただ逃げてはいけないという騎士としての最後の矜持だけが彼をホノカを前にして立たせていた。
「覚悟は見届けた。一撃で楽にしてやる」
「私はペリデュイ・ローフライ。騎士として最後まで逃げない。相打ちでも一太刀浴びせてやる」
この瞬間、ペリデュイ・ローフライは騎士として一皮むけたのは確かだった。この戦いの後、彼は良い騎士の模範となりネルドとも親友と言えるまでの関係を結ぶようになっていくことになる。
この瞬間、ペリデュイが見せた騎士の誇りに少しだけホノカの殺気が薄れた。少し彼を見直したようだった。
「僕もお相手願えますか」
その一瞬の隙に二人の間にネルドも参入した。ペリデュイの側に立ちホノカを睨みつける。
ネルドにしても自分の為に怒ってくれたホノカに感謝はしているものの、流石にやりすぎだと思っていた。それに騎士としての誇りを見せてくれたペリデュイを助けたいという気持ちもあった。
「おい、俺が悪者か? まぁいい、てめぇの舎弟がどれだけやれるか見てやるか」
「それでは、近衛騎士候補生ネルド、行きます!」
その言葉をきっかけに先に動いたのはペリデュイ。続くようにしてペリデュイの背中に隠れるようにネルドも飛び出した。
間合いは完全に木剣を持つ二人が有利。遠い間合いから数を打ち込みどうにか隙を探す戦法だ。
しかし、それは相手も同じ速度の敵でなくてはいけない。いくら間合いが広くともそれを活かす間もなく詰められてしまってはどうしようもないのだ。
「ほら一撃ぐらいは避けてみな」
一気にスピードに乗ったホノカはわざと近いペリデュイを抜かして、ネルドに狙いを定めて人差し指での突きを放つ。
「おっ!」
喜びの様な驚きの声を上げたのは、ホノカの方であった。彼女の放った突きはネルドが盾のように構えた木剣を貫いたところで止まっていた。ネルドがペリデュイの背中に隠れたのは、盾のように構えた木剣を見られないようにするためだった。
そして一気に振り返ったペリデュイが、その勢いのまま木剣を振り下ろす。
ネルドがホノカの指を木剣でからめ捕り、そこで生まれた一瞬の硬直をペリデュイが見逃さずに攻撃する。
これは別に二人の連携ではない。お互いにお互いができることをしようとした結果の偶然の一撃だった。
「惜しい」
ホノカが一つ呟くと二人はともに吹き飛んだ。
「いったい何が……。ホノカ様が動くのすら見えませんでした……」
「やったことは単純だ。ただ指を木剣から引き抜いて二人の腹を押して飛ばしたのだ」
あの速さでそれをできるホノカの強さはやはり桁外れだ、と一人冷静に考えている男がいた。ホノカを見るその瞳には常にはない慈愛のようなものが浮かんでいる。
自分の独り言に答えが返ってきたために横を見たカトルナータは、顔面を蒼白にして跪いた。
「大変失礼いたしました、ユラウス殿下」
「よい、我が后たるホノカの面倒は大変だろうが、気をかけてやってくれ」
「は、はい。ホノカ様は素晴らしいお方で、私もお仕え出来ること感謝しております」
ユラウスからの直々の言葉に、カトルナータはもう今にも倒れそうだった。
またユラウスを認めた候補生の者たちは身体の痛みに耐えながら、カトルナータと同じ様に跪いている。それは弾き飛ばされたばかりのネルドとペリデュイも同様だ。その中で一人だけ跪かないものがいた。
「お、王子! 俺が后候補とはどういう事だ。ちゃんと説明してもらうぞ」
何十人もの近衛騎士候補性を退けながら、ドレスにはしわ一つよっておらず、息も切らすことないまま、ホノカはユラウスに詰め寄った。
「説明も何も、説明する前に逃げたのは誰だ」
呆れた様子を隠そうともしないユラウスに、若干たじろぐ様子を見せるホノカ。確かに急な展開に理解することを拒否して逃げ出したのは自分だったと気付いて、ばつが悪そうにしている。
「さらに言えば忙しい中、宰相も呼んでちゃんと説明しようと朝食に呼んだのだが、その者は何故か全然やってこない。何かあったかと聞けば、近衛騎士候補生を相手に大立ち回りをしていると言うのでな、観戦ついでに呼びに来たのだ」
簡単に言っているが、宰相やらお付きの人たちに待っているようにと言われたのを無視してやってきている。この人もこの人で中々無茶だった。
「なっ、観……」
「殿下、そこの狼藉者を御存じなのですか」
ペリデュイがホノカがしゃべるのを邪魔するように、二人の間に入った。
一瞬無表情が歪んだ。ホノカとの甘い語らい(ユラウスにとってだが)を邪魔し、あまつさえ后候補を狼藉者呼ばわりしたとあっては怒りを買って当然だった。
しかし、その変化も一瞬のこと。気になって顔を少し上げており、またすぐ近くにいたカトルナータだけがそのことに気付いて冷や汗を流した。ユラウス殿下直々にホノカの侍女を任せると言われ、その時の様子から本気でホノカを好いていると知っている彼女にしてみれば、何故地雷を踏んだのかと怒る所であった。
「お前はローフライ卿の縁者だったか」
「はっ、私はエンデュライ・ローフライが三男、ペリデュイ・ローフライと申します」
この国でも一番の剣の使い手として名高い第一王子に知ってもらえていたという事実にペリデュイは喜びを隠せない。ユラウスが怒っていると分かったカトルナータにしてみれば、何が嬉しいのか分からなかったが。
「お前の父上が自慢の息子が近衛騎士候補生になったと言っていたが、どうやらそれは間違いだったようだな。お前の言う狼藉者風情に倒されるようではな」
ペリデュイは喜びの顔も一瞬で吹き飛び、ぐっと唇を噛み締め悔しそうな顔をする。しかし、さっきの闘いで学んだもののおかげでその言葉に潰されるのだけはしのいだ。
これならこの先も成長が期待できるだろうと、少しだけペリデュイの評価を上昇させたユラウス。しかし、最後のダメ押しを口にした。
「それに一つ付け加えておくと、こいつは俺の后になる女だ」
「誰がお前なんぞの后になるか」
「ふむ。その辺は追々わからせていくさ。とりあえず早く朝食にしたい。ホノカ、それにネルド候補生もついて来い」
騎士団候補生は先ほどまで襲い掛かっていた相手が王子の后候補(つまりは将来的に護衛対象になる可能性が高い)だと、また蔑んでいたはずのネルドが王子に呼ばれるという事態に困惑を隠せなかった。
「確かに少し体動かしたからな、腹が減った。カナタ、ネルネル、飯に行くぞ」
「は、はい。いえ、お待ちください。今お洋服の替えをお持ちしますので……」
さっさと行ってしまう主人を追いかけていくカトルナータ。用意させた替えの服があったのだが、あれだけ動いたというのに全く汚れもないドレスに要らなかったかと思っていた。
「えっと、呼ばれたので行ってきます。教官には後で僕の方から報告しておきますので」
生真面目に礼をしてからネルドも後を追っていった。
「何だったんだ……いったい……」
それは誰が言ったか。しかし、その場にいる全ての人間が同じことを思っていた。
近衛騎士になったら自分よりもはるかに強いホノカを守る任務が与えられるかもしれない。そう思った候補生たちの多くが打ちのめされ、今年はいつもより多く部署替えが希望されたとかそうでないとか。