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妃候補一日目の朝

 ソルデンサス王国。それは二つある大陸の一つクレスオス大陸の中部に位置する大国である。北をヤンバデール帝国、南をパース共和国に挟まれ、更には海の向こうからはダーダリア商人国という三国に囲まれ、常に軍事的脅威にさらされているものの、海産、農業、鉱山資源の全てが豊富な裕福な国である。騎士によって建国された経緯故に、騎士の国と呼ばれるほど騎士団が中心となった国でもある。

 その国の海沿いに位置する大都市が王都パードゥライ。総人口が百万人を優に超すという、この世界でも指折りの都である。ラブラン川を背に広く発展した都は街道の出発点でありまた大きな港を保有していることもあって、交通・商いの要衝となっている。一年中その活気の良さを失わないことでも有名だ。

 そして王都パードゥライには王城が存在している。王城は兵舎や厩舎があり一般民衆も入ることが出来る三の郭、騎士が詰めており上級貴族の邸宅がある二の郭、そして王族とその関係者しか暮らすことが出来ない一の郭からなる。

 そんな一の郭には白薔薇の間という部屋がある。何代もの王の后がここで暮らしたという部屋。ここに暮らす女性は王子の正室になるという言い伝えがあった。貴族の中でもこの部屋に入る女性を出したというだけで誇ることが出来る、そんな名誉な場所に二十年以上ぶりに一人の女性が入った。

 見たものを虜にするような艶のある漆黒の髪を天蓋の付いたベッドの上にさらりと流し、どこか物憂げな雰囲気で天蓋を見上げている。見る人があれば誰もが息を呑むような、そんな神秘的な印象すらあった。画家なら迷わず絵筆を取り出しキャンバスに向かい、作曲家ならすぐに五線譜を取り出し頭に浮かんだ音を形に成すだろう。極まった美が形を成したかのようだった。彼女が動き出すまでは。

「何で俺はここにいるんだろ」

 夢であってくれと思ったことが現実であったような理不尽に耐えるようにホノカは呟くと、すっと体を起こした。そして胡坐をかいたかと思うと、両手を上げて伸びをした。それはこのような美しい部屋にそぐわないような豪快さで、その見た目が完璧な分だけちぐはぐさが際立っていた。まるでどこぞの荒くれ者のように腹を掻く姿は、画家に筆を折らせるのに足るだろう。

「はあ、王子の嫁候補になったのは一夜の夢にはならなかったか。面倒くせぇ」

 目を覚ました瞬間から意識が完全に覚醒するホノカは、すぐにシステムウィンドウからジョブを確認していた。昨日起きた不思議で無茶な出来事が夢であればと思っていたのに、そこにはきちんと【王太子妃候補】の表示があり、当てが外れたとかなりご機嫌斜めだ。

 もともと彼女はこの世界の住人ではない。『INFINIT LIFEWORKS』というゲームをプレイ中に気付けばこの世界に飛ばされていたのである。それもゲームキャラの能力を受け継いだまま。

 そして転生初日にしてソルデンサス王国の一大事を救った彼女は、報酬として何故か王子の后候補とされてしまったのである。

 そのことに怒りを覚えながらも、昨日はその時に王子との間にちょっとしたことがあったせいで、何も聞かずに執務室を飛び出してきてしまった。そのまま自分にあてがわれた部屋に戻ってベッドに飛び込んだところを見ると、ホノカもまんざら今の生活を嫌ってはいないのかもしれない。少なくともふかふかのベッドは癒しになっているようだ。

 少なくとも最初からホノカに白薔薇の間を与えていた王子と宰相は、最初から后候補にするつもりで逃がす気などさらさらなく、わざわざ報酬を三日も先延ばしにしたのはこの部屋に慣れさせるためだったのだ。戦闘センスは高いものの策略策謀という面では一流とは言い難い少女にとって、その術中に嵌まるなというのは酷だった。この世界に居場所を持たない彼女にとって、王城が家と認識されてきているのかもしれない。

 うー、と唸りながら七人は寝られるんじゃないかという巨大ベッドを端から端へと転がり続ける后候補。着ていた空色のシンプルなワンピース(ユラウスが自ら選んだ)がはしたなくめくり上がっているが、まったく気にする様子もない。

「ホノカ様。お召し物がはしたのうございますよ」

 そう言って入ってきたのはホノカ付きの侍女三人である。后候補に付くという事で一般メイドの時よりもより洗練された服を着ているが、それはホノカとネルドにメイド服を貸し与えた三人組だった。あの時のカトルナータの勘は当たり、あそこであった縁で三人組はホノカ付きになったのであった。それゆえメイドからランクは上がって侍女になっている。ただし、本来ならその下に付くはずのメイドの仕事も三人がやってしまっているので、メイド兼侍女が正しいのだが。

「あー、カナタ。いつも口調が固いって言ってんだろ。俺はただの冒険者だって……もしかして最初から后候補になるって知ってたのか?」

 この部屋に案内されたときに、メイド長からホノカの専属となると告げられていた。しかし、よく考えてみれば報酬をもらってすぐに城を出ていくような女に三人も専属の侍女がつくものだろうか。

 カトルナータは小さな体で中々形のよさそうな胸を張って、しっかりとした様子を見せるようにしている。心なしかいつもよりも後ろに縛った茶色の髪が元気いっぱいに艶めいている。まるでハムスターが威張っているかのような可愛らしさがあった。

「確かに私たちはホノカ様が后候補にならせられるということで、お側に付くことに……って、アル、ヴァル!」

 しゃべっている途中で慌てだしたカトルナータ。部下である(立場上は班長だが、二人からそう思われているかは疑問)二人が気安くホノカに話しかけたためである。

「ホノカ様、悪かったな。后候補の件は知っていたんだが、上から口止めされてたんだ」

 ホノカと同じ様な男っぽい口調で話すのは、一般の少女よりも身長が高めなホノカを更に抜き去ってこの中で一番背の高いボーイッシュなアルブラース・マヤロス。

「ルナちゃん、怒らないの。ホノカ様が許してくれているんだから気にしちゃ駄目よ。ホノカ様、今日はどのお召し物にしますか」

 手入れされた金髪をきらめかせながら、どちらがお姫様だという感じで穏やかに笑っているのはヴァラニディア・カロスィナトス。こちらもこちらでホノカとの距離はかなり気安い。

「ホノカ様にそんな口のきき方。この方はユラウス殿下の正室候補なのですよ。ヴァルもアルももっときっちりしてください。お願いですから、ホノカ様も怒ってくださいませんと」

 カトルナータはホノカに引き合わせられた初日から、意気投合して上下関係を気にしない自分以外の三人の言動に振り回されっぱなしだった。

「そうだな。ルブランやバニラを見習ってくれ、カナタ。あ、服は右のでいい」

 カトルナータの願いは通じず、何故か自分が怒られるという事になってしまった。他の二人にしてみれば頑なな様子を崩さないカトルナータの方がおかしいという所なのだろうが、基本真面目なカトルナータには我慢ならないらしい。

 それとカナタはカトルナータ、ルブランはアルブラース、バニラはヴァラニディアのホノカが勝手に呼んでいる愛称である。ホノカは勝手な愛称で呼ぶのが好きなようだった。センスは微妙だが。

 真面目な一人を置いておいてホノカは渡されたドレスに袖を通した。これも初日自分でやりたいというホノカの意見を聞いたうえで、侍女たちは簡単な手伝いに徹している。この距離感がホノカには地味にありがたかった。カトルナータも口調は固いものの、身の回りの世話などはホノカの要求に従う形にしている。

「ホノカ様は身体のラインがお美しいので、どのようなドレスもよくお似合いですわ。本当にお可愛い」

 ほわほわとしたヴァラニディアの笑顔にホノカも笑顔を返す。返してからいつものようにゆっくりしている場合ではないという事を思い出したようだった。

「いや、普通になじんでる場合じゃねえよ。とりあえず王子かキファの野郎に話を聞かねえと。おい、カナタ、ルブラン、バニラ。誰でもいいから王子かキファの下に連れて行ってくれないか」

 その一言で三人の顔が一瞬固まった。何か都合の悪いことを思い出したという顔だ。

「? どうした」

 急な三人の変化に訝しむホノカ。

 やっと動き出した三人は顔を見合わせてから一つ頷いて、拳を握りしめて声を合わせて叫んだ。

「「「じゃんけんポン」」」

 結果、呆れかえるホノカを尻目に三人がパーで一人グーを出して負けたカトルナータががっくりという感じでひざを折る。

「というか、何でホノカ様もじゃんけんしてるんですか」

 マイペースに一応は貴人であるはずのホノカの前でじゃんけんを始めた三人も中々だが、それに合わせてじゃんけんに乗ってくるホノカも強者だった。

「空気を読んで」

「もっと別の空気を読んでください」

 出世を目指して平民からお城勤めまでなったカトルナータは、振り回される相手が二人から三人になり、しかもその相手が自分の仕える方という事実に打ちのめされている。自分も同じ穴のムジナだと城中の者に思われていることは気付いていない。

「それじゃ、ルナ。後はよろしく」

「ふふふ、盛大に叱られてきてね」

 二人は肩を叩き励ますと、ホノカの方に一礼して他の仕事に戻っていった。

「ああ……」

 力なく手をついている自分の専属侍女の肩に手を置く。そして言った。

「ドンマイ」

 カトルナータは少し泣いた。


「最初から呼ばれてるなら、早く教えてくれよ」

「……申し訳ございません。本来でしたらお起こしてすぐにお伝えしなくてはいけませんでした」

 実は侍女三人組が起こしに来たのは、朝食を一緒に食べたいという王子の要望に応えるためのものだったのだ。そこには宰相であるキルファトーレもおり、そこで昨日伝え忘れたことを教えてくれるという。

 さっきじゃんけんをして案内役を決めていたのは、遅くなってしまったため女官長からのお怒りが確定しているからである。残った二人も後で怒られるのだが、案内役はその時にも一緒に怒られるので二倍辛いのだ。

「まだ不案内だと思いますので、私が先導いたします」

 これぞ完璧の侍女といった風で楚々として歩き出すカトルナータを、ドレスに合わない大股で追いかけるホノカ。身長差の関係もあってすぐに追いつきそうになったホノカは、気持ち足のストライドを小さくした。それが淑女らしい足幅になったのは偶然だが、カトルナータと歩く分には誰にも怒られないと気付いて、ホノカはどこかに行くときには彼女を連れまわすようになったという。カトルナータからしてみれば、たまったものではなかったかもしれないが。

 二人が部屋を出ていくのを見送ったアルブラースとヴァラニディアは、ちょっと顔を見合わせた。

「ホノカ様、冒険者ってだけあって気さくだよな。仕えるにしてもやっぱりああいう人がいいね」

 そう言って、短い髪をなでるアルブラース。それは何かを思い出すようだった。

「会って即座にこの短い髪を褒めてくれたのは三人目だ」

 他の二人は言わずと知れた侍女三人組の残り二人である。

 女性は騎士に守られる者という意識の強いソルデンサス王国では、女性の髪形は基本女性的な印象の強い長いものが一般的である。その中ではアルブラースの髪形は奇異に見られることの方が多い。

「ふふ、アルちゃん。可愛い」

「茶化すな」

 この男勝りな女性が意外と乙女趣味だという事を知っているヴァラニディアは、そういう意味で言えばホノカ様の方が男らしくありながらそれでも女らしいと考えていた。

「ホノカ様は口調こそ男の子っぽいけど、服装とかその辺は完全に女の子だもの。女の子だけど、可愛いものとかに興味がないだけ。いい人を作ればすぐに変わるわ」

 それに比べてこっちは、とアルブラースの方を見る。見た目は男っぽくても、内面は完全に乙女。こっちの方が面倒よね。

「どうした」

 アルブラースがじろじろ見られて恥ずかしそうにしている。

この姿を可愛いと思ってくれる殿方がきっといますわ。がんばりなさい、アルちゃん。ヴァラニディアは心の中で祈った。

「そういえば、ホノカ様。宰相様は愛称呼びで、ユラウス殿下のことは王子って呼んでいましたわね」

「露骨に話を変えたな。でも、まあそうだな。……王子様も大変だな」

「ホノカ様は破天荒ではありますけど、仕えがいのある方ですわ。できれば王妃様になっていただきたいですね。宰相様とくっついても、それはそれですが」

「……それユラウス殿下の前で言うなよ」

 あの無表情でクールな王子の心を動かしたという魅力は、きっとこの国に恵みをもたらしてくれる気がすると二人ともが思っていた。


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